永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(81)の1

2015年11月13日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (81)の1  2015.11.13

天禄元年(970年)
道綱母  34歳くらい
兼家   42歳くらい 
道綱   16歳くらい

「人は、めでたく造りかかやかしつる所に、あすなむ、こよひなむ、とののしるなれど、我は思ひしもしるく、かくてもあれかしになりにたるなめり。されば、げに懲りにしかばなど、思ひのべてあるほどに、三月十日のほどに、内裏の賭弓のことありて、いみじくいとなむなり。をさなき人、後への方にとられて出でにたり。『方勝つ物ならば、その方の舞ひもすべし』とあれば、このごろはよろづ忘れて、このことをいそぐ。舞ひ馴らすとて、日々に楽をしののしる。出居につきて、賭け物とりてまかでたり。いとゆゆしとぞうち見る。」
◆◆あの人は、輝くばかり立派に竣工した新邸に、明日引越しだ、いや今夜だと、たいそう大騒ぎしているけれど、私の方は思っていたとおり、現在の住いに居ることでいいのではないかということになったようでした。だから、あの人も、あの一件(時姫方との下衆同士のいさかい)で懲り懲りなさったからなのだと、今は気持ちを納めているうちに、三月十日ごろに内裏の賭弓(のりゆみ)の催しがあって、その準備が盛大にされているとのことでした。道綱も後手組の射手に選ばれて出場することになりました。「味方が勝った場合、その組の舞もしなければならない」というので、最近はすべてを忘れて、その準備に精を出しています。舞の練習をするといって、毎日毎日音楽を奏して励んでいます。弓の練習場に行って、賞品をもらって退出してきました。大層すばらしいことと、わが子の姿をまぶしく眺めたことでした。◆◆


■賭弓(のりゆみ)=宮中で弓射の試合をして、天皇の御覧に供する行事。恒例としては毎年正月十八日に行われるが、ここは臨時か。賭け物をかけておこなう。射手を前後に分け、道綱は
後手組の選手として出る。

■ゆゆし=ものごとのはなはだしいことを言うが、ここでは眩しいほど素晴らしいと喜ぶ気持ち。


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