2010.6/23 774回
四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(35)
八の宮は、「とんでもないことを。それほどお耳にとまるような奏法などが、私のような所まで伝わってくるでしょうか」と、謙遜なさって、とにかく、一曲だけ覚束ない振りをなさってお弾きになります。
「このわたりに、おぼえなくて、折々ほのめく筝の琴の音こそ、心得たるにや、と聞く折侍れど、心とどめてなどもあらで、久しうなりにけりや。心に任せて、おのおの掻きならすべかめるは。河浪ばかりやうち合はすらむ。論なう、物の用にすばかりの拍子なども、とまらじとなむ覚え侍る」
――この山荘で、ふと折々筝の琴を耳にすることがありまして、多少は会得したものかと思うこともありましたが、気をつけて教えなどしないまま年月が経ってしまいました。心に任せて各々が勝手に掻き鳴らしているのでしょう。合奏の相手は河浪ばかりでは、勿論何かの役に立つ程の拍子なども覚えてはいないでしょうが――
と言われて、姫君達の方に、
「掻き鳴らし給へ」
――さあ、弾いてごらんなさい――
と、おっしゃいますが、姫君たちは、お心の中で、
「思ひ寄らざりしひとりごとを、聞き給ひけむだにあるものを、いとかたはならむ」
――あの夜は、どなたも聴いていらっしゃらないからと心を許して弾いていましたのを、薫中将のお耳に入りましただけでも恥ずかしくてなりませんのに、拙い調べをどうしてここでご披露できましょう――
と尻込みなさって、お二人とも父君のお言葉をお聞き入れになりません。何度も重ねておすすめになりますが、あれこれ口実をもうけてお逃げになってしまわれたので、薫は残念でならないのでした。
ではまた。
四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(35)
八の宮は、「とんでもないことを。それほどお耳にとまるような奏法などが、私のような所まで伝わってくるでしょうか」と、謙遜なさって、とにかく、一曲だけ覚束ない振りをなさってお弾きになります。
「このわたりに、おぼえなくて、折々ほのめく筝の琴の音こそ、心得たるにや、と聞く折侍れど、心とどめてなどもあらで、久しうなりにけりや。心に任せて、おのおの掻きならすべかめるは。河浪ばかりやうち合はすらむ。論なう、物の用にすばかりの拍子なども、とまらじとなむ覚え侍る」
――この山荘で、ふと折々筝の琴を耳にすることがありまして、多少は会得したものかと思うこともありましたが、気をつけて教えなどしないまま年月が経ってしまいました。心に任せて各々が勝手に掻き鳴らしているのでしょう。合奏の相手は河浪ばかりでは、勿論何かの役に立つ程の拍子なども覚えてはいないでしょうが――
と言われて、姫君達の方に、
「掻き鳴らし給へ」
――さあ、弾いてごらんなさい――
と、おっしゃいますが、姫君たちは、お心の中で、
「思ひ寄らざりしひとりごとを、聞き給ひけむだにあるものを、いとかたはならむ」
――あの夜は、どなたも聴いていらっしゃらないからと心を許して弾いていましたのを、薫中将のお耳に入りましただけでも恥ずかしくてなりませんのに、拙い調べをどうしてここでご披露できましょう――
と尻込みなさって、お二人とも父君のお言葉をお聞き入れになりません。何度も重ねておすすめになりますが、あれこれ口実をもうけてお逃げになってしまわれたので、薫は残念でならないのでした。
ではまた。