永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(764)

2010年06月13日 | Weblog
2010.6/13  764回

四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(25)

 老女は涙を流しながら話しますには、

「いかならむついでに、うち出で聞こえさせ、片端をもほのめかし、しろしめさせむと、年頃念誦のついでにも、うちまぜ思う給へわたるしるしにや、うれしき折に侍るを、まだきにおぼほれ侍る涙にくれて、えこそ聞こえさせず侍りけれ」
――何かの機会にお話し申し、その一端でもお伝え申そうと、これまで念仏の折にも併せて祈願して参りました霊験でしょうか、こんなうれしい機会を得ておりますのに、まだ何も申し上げませんうちから、あふれ出る涙に目も塞がって、急にも言葉が出て参りません――

 と、すっかり泣きくれて、たいそう悲痛な様子でおります。薫は、いったいどういうことなのかと、心の内で、

「大方、さだすぎたる人は、涙もろなるものとは見聞き給へど、いとかうしも思へるも、あやしう」
――だいたい、年寄りは涙もろく、すぐ泣きだしたりするとは聞いているが、これ程まで深く思っての様子が不気味だ――

 と、お思いになりながら、老女の言葉をひき取って、

「ここに、かく参るをば、度重なりぬるを、かくあはれ知り給へる人もなくてこそ、露けき道の程に、一人のみそぼちつれ。うれしきついでなめるを、言な残い給ひそかし」
――まあまあ、私がこちらに参上いたしますことも度重なりますが、今までは、あなたのように物の道理をわきまえた方にお会いも出来ず、露の深い道中も一人で濡れておりました。こんな好い機会はまたとありますまい。どうか何もかも残らずお話ください――

 との、薫のお言葉に、老女は、

「かかるついでしも侍らじかし。また侍りとも、夜の間の程しらぬ命の、頼むべきにも侍らぬを、さらばただ、かかる古者世に侍りけりとばかり、しろしめされ侍らなむ。三條の宮に侍りし小侍従、はかなくなり侍りにけると、ほの聞き侍りし、そのかみ睦まじう思う給へし、おなじ程の人、多く亡せ侍りにける世の末に、遥かなる世界よりつたはり参うできて、この五年六年の程なむ、これにかくさぶらひ侍る」
――ほんとうに、このような機会はまたとありませんでしょう。たとえありましても、今夜にも死ぬかも知れない私の命は、当てになるものではありませんから。それではただこんな年寄りが世に居たとだけ、ご記憶になってくださいまし。昔、三條の宮(女三宮の御殿)にお仕えしていました小侍従(こじじゅう)は、もう亡くなったとほのかに伝え聞きました。その当時睦まじく思っておりました同じ年輩の人も、大方亡くなってしまいました。私はこのような晩年になって、遠い田舎から伝手(つて)をたどって京にまいりまして、五、六年ほど、こちらの八の宮邸にご奉公させていただいております――

◆さだすぎたる人=さだ過ぎたる人=盛りの歳が過ぎる、老いた

◆写真:角度を変えての宇治平等院

ではまた。