永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(769)

2010年06月18日 | Weblog
2010.6/18  769回

四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(30)

 また薫は、八の宮が籠られていらっしゃる御寺にも使いをお出しになります。

「山籠りの僧ども、この頃の嵐には、いと心細く苦しからむを、さておはします程の布施賜ふべからむ、と、思しやりて、絹、綿など多かりけり。御行果てて出で給ふ朝なりければ、行人どもに、綿・絹・袈裟・衣など、すべて一領の程づつ、ある限りの大徳たちにたまふ」
――山に籠られる僧たちも、この頃の寒さにはひどく御苦労なさる筈で、宮からも御布施をお与えになられるであろうと薫はお思いになって、絹や綿など沢山お持たせになったのでした。丁度八の宮が勤行をお済ませになって下山なさる朝に使いが到着しましたので、修行者たちに一重ねづつ、全部の僧たちにお与えになられたのでした――

 あの宿直人は、薫が脱ぎ捨てられた狩衣を頂いて、その優美で柔らかなご衣裳の何ともいえない匂いを身につけてみたものの、いかつい身体にはなじまない上に、袖の香の遠くまで匂うので、人にも怪しまれ、どうにも落ち着かないので、

「失ひたばや、と思へど、ところせき人の御移り香にて、えもすすぎ棄てぬぞ、あまりなるや」
――その香を消してしまいたいと思うのですが、なにしろたっぷりとした薫の移り香なので、洗い棄ても出来ないとは、余りと言えばあまりな話ですこと――

 大君からのお返事が気を利かせた今風なものではなく、ゆったりと大様に書かれておりましたのを、薫はたいそう好ましくご覧になります。一方薫から八の宮へのお手紙を侍女が取り次いで差し上げますと、

「なにかは。懸想だちてもてな給はむも、なかなかうたてあらむ。例の若人に似ぬ御心ばへなめるを、亡からむ後もなど、一言うちほのめかしてしかば、さやうにて心ぞ留めたらむ」
――何の、薫中将を懸想人のようにお扱いなど、とんでもない。あの御方は普通の青年とはどこか異なった御気性でいらっしゃるので、私が死んだ後もよろしくなどと、一言それとなく申し上げたことを、そのお積りでお心に留めていらっしゃるのでしょうから――

 と、たしなめられます。宮も薫にお見舞い品の御礼をおっしゃいましたのは、勿論のことです。

◆行人(おこないびと)=仏道を修業する人。行者。

◆一領(ひとくだり)=衣類などの一そろい。

◆大徳(だいとこ)=徳の高い僧。高僧。ここでは僧の敬称。

ではまた。