永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(772)

2010年06月21日 | Weblog
2010.6/21  772回

四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(33)

 匂宮が、ご自分が自由な振る舞いの許されない高貴な身分であることを、今更ながらつまらないとお思いになっておられるらしく、いらいらしていらっしゃるご様子を薫はちらっとお見上げして、なおもじらすように、

「いでや、よしなくぞ侍る。しばし世の中に心とどめじ、と、思う給ふるやうある身にて、なほざりごともつつましう侍るを、心ながらかなはぬ心つきそめなば、おほきに思ひに違うべき事なむ侍るべき」
――いや何も、女なんてつまらないものですよ。私などは片時も憂き世に執着を持つまいと考えねばならぬ身で、気まぐれの恋などからは遠ざかるよう慎んでおりますのに、
どうにもならないほどの思いが募りますようでは、それこそ私の頼みとする道に背くことになりましょうから――

 と申し上げますと、匂宮は、

「いで、あな、ことごとし。例のおどろおどろしき聖詞、見はててしがな」
――何とまあ、大袈裟な。いつもながらの分別くさいお話ようですね。そのように行くかどうか見届けたいものよ――

 とお笑いになります。薫は実はそれどころではなく、お心の中で、

「かの古人のほのめかしし筋などの、いとどうちおどろかれて、ものあはれなるに、をかしと見ることも、めやすしと聞くあたりも、何ばかり心にもとまらざりけり」
あの宇治の老女(弁の君)がちらっと洩らした一言が、胸に突き刺さって、ものあわれでならず、誰が美しいとか、難のない方だことか見ても聞いても、女のことについては、大してお心に止まることはないのでした――

 十月の五、六日頃になって、薫は宇治にお出かけにまりました。今が丁度網代の見頃でございます、と申し上げる人々もいましたが、

「何かはその蜉蝣(ひきむし)にあらそふ心にて、網代にもよらむ」
――何で蜉蝣(ひきむし)にも似たはかない身で、網代に寄って見物など――

と苦笑なさって、氷魚見物ではなく例のように人目を避けるようにして、お出掛けなります。

◆蜉蝣(ひきむし)=朝に生まれ夕べには死ぬ、はかない虫か

ではまた。