落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

風車と蟻

2008年07月20日 | movie
『赤い蟻』

事故で母を亡くした16歳のアレックス(デボラ・フランソワ)は父フランク(フレデリック・ピエロ)とふたり暮し。家業のガソリンスタンドの経営状態が悪化し、彼女は近所で家事手伝いのアルバイトをみつける。身支度を手伝ってほしいという老女イレーヌ(Claire Johnston)の家に同居する養子エクトル(アルチュール・ジュノ)は音楽好きの風変わりな青年で、内気な彼を初めアレックスは疎ましく思うのだが・・・。

最近フランス映画に苦手意識のあるぐり。ただしコレはフランス・ベルギー・ルクセンブルク合作でロケはルクセンブルクだそーですが。知るか。ヨーロッパの田舎なんかどっこもいっしょや(おい)。
初めは話の展開がもったりまったりしていて、何をどーしたいのかがイマイチつかみづらくて眠たくなってくるんだけど、このヘンに思わせぶりにサスペンスタッチな語り口調に慣れてくると大変おもしろい映画です。終わってみたら全然楽しめました。ウン。

とりあえずねえ、話も演出もエロすぎます。てゆーか主役がエロいのか。主役のデボラ・フランソワはカンヌ・パルムドール受賞作『ある子供』でデビューしたニュースター。最近では日本では『譜めくりの女』が公開されとりますね。『ある子供』で印象的だった前のめりに攻撃的な歩き方は今回もそのままだけど、Q&Aに登壇した脚本家のローラン・デニによれば彼女本人が「こうと決めたらてこでも動かない、人のいうことも聞かない子」だそうで、『ある子供』のソニア役も今回のアレックス役も、わりと本人そのままらしい。
とにかくこの彼女の圧倒的存在感が映画の世界観の大半を支配しているといっても過言ではない。暴力的なほどの未成熟なエロティシズムを力いっぱい無防備にふりまわすティーンエイジャーくらい怖いものはない。桃みたいにぷりぷりしたお肌むちむちの彼女が、薄いTシャツやらタンクトップ一枚でそこいらウロウロするだけでも危なっかしいのに、おとーさんの誕生日に胸の谷間まで開いた赤いドレスなんか着て化粧までして色目なんかつかってたら、そらコワイですって。この親子おかしいやろー!絶対おかしいー!みたいな。
すいません、ぐり脳味噌腐って発酵しちゃってますんでー。

ただこの映画がおもしろいのはエロ一辺倒(違)だけではなくって、自己犠牲に存在意義を求める子どもの成長とか、動きたいのにきっかけをつかめない大人の焦燥とか、言葉にしてしまうと陳腐になりがちなモチーフを我慢強く丁寧に表現した内面描写がすごく魅力的なところだろう。そういうところは非常に文学的な映画でもあります。
これは一般公開してもけっこういけると思います。デボラ・フランソワがどのくらい日本で知名度あるのかは知らないけど、エクトルのキャラがいわゆるヲタ系だったりするとことか、萌えどころはかなりあるので。
いやあ〜しかしエロかったあ〜。でもキスシーンとかラブシーンはないんだぜ。そこもエロだわー。くはー。

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神様がいるのに

2008年07月20日 | movie
『エゴイスト』

コートジボワールで“希望のセンター”という医療施設を運営するスイス人活動家ロティ・ラトゥールの横顔に迫るドキュメンタリー。
タイトルの“エゴイスト”とはロティ自身のこと。ロティは今年で56歳、夫と3人の子どもをもつ母親である。ネスレ社勤務の夫アジズはアルジェリア人で10代の末娘とエジプト・カイロで暮している。20代の長男長女はスイス国内のホテル勤務。彼女がコートジボワールで活動を始めてから、一家はバラバラに暮して来た。彼女の情熱の前に、家族の犠牲があった。夫や子どもの理解と協力がなければ、彼女の献身はありえなかったのだ。
だから彼女は自分を“エゴイスト”だという。自分のやりたいことをいちばんに考えているから。そんな彼女を、夫や子どもたちは「信念があるならエゴイストでもいい」という。愛である。

彼女のセンターでは1日平均10〜12人の患者がHIV検査を受け、そのおおよそ半数が陽性と判明する。実際、2010年にはコートジボワールの国民の半数が感染者になるといわれているそうだ。それなのに国内の病院では感染者を収容はしてくれない。ほったらかしである。
いよいよ死にそうになるとセンターの電話が鳴る。ロティはクルマで瀕死の患者を迎えにいき、入院させて手厚く看護する。死の恐怖に怯える患者を抱いて、髪を撫で、キスして「大丈夫よ」という。映像には匂いまでは映らないけれど、貧民街でまともな治療も受けていない末期のエイズ患者が寝ている部屋の環境など推して知るべしである。だがロティはそんなもの気にもしない。こうした緊急SOSを彼女は1日10件受けつけている。
1日100人ほどの外来患者にも対応する。なかには明らかに10代でHIV陽性者の少女もいる。聞けば感染したのは8歳のとき。8歳でHIVに感染するってどういうことやねん。60人程度の入院患者の中には胎内感染児もいる。プレゼントだけ送りつけて見舞いにも来ない親の代りに、ロティは絵本を読み聞かせ、おやつを食べさせて子守唄を歌ってやる。ガリガリに痩せこけた彼の目には恐怖の色はない。だがほんとうに彼が何を感じているかまではわからない。

家族でバカンスに出かけても、その間にこれまで何ヶ月も世話して来た患者が死んだことを悔やむロティ。レストランに入ってもメニューの中でいちばん安い料理しか食べられないロティ。せっかく家族水入らずで食卓を囲んでも、おなかがすいていない、食べる気がしないという彼女は、逆にいえばコートジボワールの人々を救う活動によって生かされているのかもしれない。
でももしそうだとしたら、彼女の本当の幸福のゴールはいったいどこにあるのか。彼女の歩いている道はまさに真っ暗闇の底なし沼なのだ。
ぐりもこんな現状はおかしいと思う。こんなに苦しんでる人たちを国が助けようとしないなんて信じられない。そこでただ怒っているだけじゃなく、ロティのように行動できる人もなかなかいない。行動したというだけで、彼女はエゴイストであることを許されて当然だと思う。

とにかく観ていて涙が流れて仕方がなかった。コートジボワールの不幸の深さと、彼女の勇気に対する感動とで、胸がいっぱいになった。
監督は新人で長篇ではこれが第一作目となるそうだが、既に二作め三作めのプロジェクトが進行中だそうだ。健闘を祈りたい。

ロティ・ラトゥールの活動への支援申込みはこちらから。

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東の丘

2008年07月20日 | movie
『キャプテン アブ・ラエド』

空港の清掃員で生計を立てているアブ・ラエド(ナディム・サワルハ)は5年前に妻を亡くしてひとり淋しいやもめ暮らし。ある日ゴミ箱で拾った機長の帽子をかぶって帰ると、パイロットと勘違いした近所の子どもが「冒険談を聞かせろ」とまとわりつきはじめ・・・。

ヨルダン独自の資金で製作した純正ヨルダン映画としてはここ50年間で初めての映画というアナウンスがあったが、現在のヨルダン・ハーシム王国の歴史を考えると実質的にはヨルダン製映画第一号と称してもさしつかえないと思う。まあレアな作品である。
ただし監督はアメリカ在住の移民だし、国内に映画業界というものが存在しないため、メインスタッフの大半が国外組なのだそうだ。出演者はメインキャストが国内のプロの俳優で、たくさん登場する子役たちは難民の子どもをキャスティングしたという。このためか子どもたちの容貌がものすごくバラエティ豊か。

監督はあえて政治や宗教を排除してごく普遍的などこの誰が観ても共感できる物語でアラブ世界の現実を表現したかったと語っていたが、その気持ちはじゅうぶん理解できる。
でも経験不足ということもあってか全体の構成にメリハリがなく、要素を盛込み過ぎたせいもあって、いささか無理のあるコンセプトのヨレがかなり目立つ。要するに映画として未熟。個性的な作品ではあるが、観ていて共感できるような映画ではない。
たとえば、主人公アブ・ラエドは読書好きでたいへんな知識と語学力の持ち主だが、それを職業に活かして出世を望んだりする人物としては描かれない。仲良くなった子どもたちにも金儲けよりも勉学の重要性を説き、知力で夢を叶える人生の価値を教えようとする。だが最終的に彼が緊急避難先に求めるのは金持ち、セレブ階級の人間だったりする。そのせいかエンディングのカタストロフがかなり拍子抜けしてしまうのがもったいない。
あとアブ・ラエドと心通わせる女性ヌール(ラナ・サルタン)の職業がパイロットってのも引っかかる。30代で女性の国際線機長って日本じゃ現実にいるのかな?ヨルダンではアリなの?

貧困やDVなど社会問題を題材にとったはいいけどどれも消化不良気味なのと、そもそもの企画意図に矛盾があったのをゴリ押ししてしまったのが裏目に出た映画。
珍しいヨルダン映画という意味では一見の価値はあるけど、それ以上でも以下でもないです。残念。

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