『ミーナの行進』 小川洋子著
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小川洋子といえば『博士の愛した数式』だけど、最近とんと日本の文芸書を読まなくなってしまったもんで未読です。
舞台は1972年、芦屋の親戚の家に居候することになった中学一年生の少女の1年を回想形式で描いた小説。
中学一年生といえば思春期真っ只中。全編女の子色一色です。でも女の子くさくはない。30年という歳月のせいなのか、エピソードのひとつひとつがまるくやさしい肌触りを帯びている。
しかし登場してくるモチーフ全部がいちいち女の子ワールド全開っす。ヒロイン朋子は田舎のごくふつうの女の子なのだが、預けられた屋敷は大正時代に芦屋の山の手に建てられた豪華な洋館である。当主の伯父は二代目の企業経営者。その母親=“おばあさん”はドイツ人。ひとつ年下の従妹は喘息持ちの美少女で、読書好きで空想好き、マッチ箱の蒐集が趣味。ペットはコビトカバ(!)。
家具調度からこまごました生活用品から壁に掛かった昔の家族写真まで、異国情緒にあふれた美しいもので満たされた美しい家に住む美しい人たち。穏やかに慎ましやかな生活、たまの贅沢。夏休みにスイスから帰省してくる大学生の従兄、図書館司書や配達員青年との淡い初恋、こっくりさん、パンづくり、ミュンヘンオリンピック、流星雨、クリスマス。
いたわりあいと慈しみ、ピリッとした敵意と、幽かな死の匂い。
とくに劇的なことは何も起こらない。
朋子がこの家で暮らしたのは1年間、予定通りの1年だった。30年の月日を経て書かれた春夏秋冬の思い出は、すべてがあらかじめ決められていた約束通りに展開していくように描かれる。
それでも、12歳という年齢の1年間の重み、温かみ、鮮やかさ、愛おしさが、まるで細かいビーズ細工のアンティークのように、ページにぎっしりと詰まっている。輝きは30年前と同じではないけれど、今もそれはそこにあって、朋子の心を、読み手の心をやわらかに照らし出す。
思い出が美しいのは、それが決して二度と再びよみがえることがないからだ。「芦屋の家」はもうないし、家族の幾人かはこの世を去った。それは30年前からわかっていたことだった。朋子が過ごした1年間は、芦屋の家の人たちにとっても、古い階級社会時代のゆるやかな終末の1年だったのだ。月日が流れるままに時代は移り、日々は手の届かない憧れの世界へ遠ざかっていく。
人が何かを懐かしく思うときの、胸の甘いときめきをそのまま凝縮したような小説。読んでて気持ちがよかったです。ギリギリ必要以上にセンチメンタルじゃないのもいい。
ああわたしにもこんな思春期の思い出があったらな、なんて思うような、そんな本でした。
挿画・装丁の寺田順三の絵もすてき。
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小川洋子といえば『博士の愛した数式』だけど、最近とんと日本の文芸書を読まなくなってしまったもんで未読です。
舞台は1972年、芦屋の親戚の家に居候することになった中学一年生の少女の1年を回想形式で描いた小説。
中学一年生といえば思春期真っ只中。全編女の子色一色です。でも女の子くさくはない。30年という歳月のせいなのか、エピソードのひとつひとつがまるくやさしい肌触りを帯びている。
しかし登場してくるモチーフ全部がいちいち女の子ワールド全開っす。ヒロイン朋子は田舎のごくふつうの女の子なのだが、預けられた屋敷は大正時代に芦屋の山の手に建てられた豪華な洋館である。当主の伯父は二代目の企業経営者。その母親=“おばあさん”はドイツ人。ひとつ年下の従妹は喘息持ちの美少女で、読書好きで空想好き、マッチ箱の蒐集が趣味。ペットはコビトカバ(!)。
家具調度からこまごました生活用品から壁に掛かった昔の家族写真まで、異国情緒にあふれた美しいもので満たされた美しい家に住む美しい人たち。穏やかに慎ましやかな生活、たまの贅沢。夏休みにスイスから帰省してくる大学生の従兄、図書館司書や配達員青年との淡い初恋、こっくりさん、パンづくり、ミュンヘンオリンピック、流星雨、クリスマス。
いたわりあいと慈しみ、ピリッとした敵意と、幽かな死の匂い。
とくに劇的なことは何も起こらない。
朋子がこの家で暮らしたのは1年間、予定通りの1年だった。30年の月日を経て書かれた春夏秋冬の思い出は、すべてがあらかじめ決められていた約束通りに展開していくように描かれる。
それでも、12歳という年齢の1年間の重み、温かみ、鮮やかさ、愛おしさが、まるで細かいビーズ細工のアンティークのように、ページにぎっしりと詰まっている。輝きは30年前と同じではないけれど、今もそれはそこにあって、朋子の心を、読み手の心をやわらかに照らし出す。
思い出が美しいのは、それが決して二度と再びよみがえることがないからだ。「芦屋の家」はもうないし、家族の幾人かはこの世を去った。それは30年前からわかっていたことだった。朋子が過ごした1年間は、芦屋の家の人たちにとっても、古い階級社会時代のゆるやかな終末の1年だったのだ。月日が流れるままに時代は移り、日々は手の届かない憧れの世界へ遠ざかっていく。
人が何かを懐かしく思うときの、胸の甘いときめきをそのまま凝縮したような小説。読んでて気持ちがよかったです。ギリギリ必要以上にセンチメンタルじゃないのもいい。
ああわたしにもこんな思春期の思い出があったらな、なんて思うような、そんな本でした。
挿画・装丁の寺田順三の絵もすてき。