落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

サボりまくりです

2009年10月31日 | diary
最近全然ブログを書く暇がない。
てゆーか自分の時間がない。比喩じゃなく、ほんとにない。忙し過ぎて。
結局映画祭はまったく行けなかったし(同僚が仕事で行ってた)、観たい映画も行けないうちにどんどん終わっていく。読みたい本は山積みなのに読めない。疲れ過ぎていて移動時間はいつも死んだように寝てしまうから、仕事で最低限読むべき資料を読むので精一杯。
最近は常に寝不足で、だいたい週に2〜3日は徹夜してる。今週は4日徹夜した。そして休みはない。休めても寝てるだけ(起きられない)。ちなみに今週末は両日仕事です。来週の祝日も仕事。

つらくないかと聞かれればそりゃツライ。もう若くないから体力だって限界はある。
けど全部自分のためにやってる、チャンスを無駄にしたくないと思ってやってるから、今のところはまだ我慢できる。
我慢できなくなったら自動的に爆発するだけです。時限爆弾みたいに。

それでも以前はどんなに忙しくてもブログは書いてた気がする。ひとことふたこと、意味のないことでも。
けど最近はそこまでして書こうとは思わない。
もともといちばん最初にブログを始めたのは、文章を書くリハビリのつもりだった。文章を書くのは好きだけど、仕事で書かなくなって、だんだんボキャブラリーが貧しくなっていくのがいやだったから。
ただ今は仕事で文章を書きまくってるから、リハビリでブログを書く必要はなくなった。
あとはレビューを書くことで観たもの、読んだものに対する考えをまとめたかったというのもあるけど、今のぐりの生活は99%仕事だし、仕事のことはさすがに書けない。するとやっぱり書くことはすごく少なくなる。
たぶんぐりの中でのブログの意味も、時とともにちょっとずつ変わっていってるんだろうと思う。それはそれでいいけど。

それにしても、映画、観たいよおー。
本、読みたいー。


横浜にて。

ある愛の形

2009年10月26日 | movie
『ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ』

原稿料は手にした端から飲み倒し、家庭をまったく顧みない流行小説家の大谷(浅野忠信)。
あるとき、大谷が小料理屋から盗み出した5000円のかたに、妻・佐知(松たか子)は店の主人・吉蔵(伊武雅刀)夫婦に頼みこんで給仕として働き始める。貧しい家庭に育ちながら気高さと素直さを失わない美しい佐知を目当てに店は大繁盛するのだが、日ごとに垢抜けて女らしくなっていく妻に、大谷は激しく嫉妬するようになり・・・。

しょっぱなから仕事の話で恐縮ですが。
先日、ある被曝者を取材させていただいたときのこと。事前に著書を読んだところ、被曝後にお見合い結婚した妻に一度も「被曝者と知ってなぜ結婚してくれたのか訊いたことがない」と書かれてあった。結婚して50年間、一度も夫婦でその話はしないという。下世話な好奇心で、その心情を奥様に訊いてみたいと強く思った。
被曝者ご本人は何度もメディアの取材を受けている人だが、奥様はこれまでインタビューに応じたことはないらしい。そこをなんとかと拝み倒したが、どうしても無理だということだった。
取材日程をすべて終了した後で改めて、ダメもとで「ひとことだけ」と頼んでみたところ、どういう風の吹き回しか気楽に「いいわよ」とOKしてくれた。嬉しくて、調子に乗って「結婚してから(被曝した)事件のことをご主人に訊いてみたいとは思わなかったか」とストレートに尋ねた。
もちろん彼女の答えはノーだった。「どうして?」というぐりの愚問に、彼女はこういった。
「だって、いじめちゃ悪いじゃない」。
「やさしい人だもの、いじめちゃいけないと思って、訊けなかった」。

被曝者であるということがどういうことなのか、今よりも遥かに情報が不足していた半世紀前。
結婚後に何が起こるかわからないという不安の中で見ず知らずの男性に嫁いだ彼女の愛情の深さに、ぐりは心の底から感動したし、驚いたし、これまで知っていたつもりでいた“愛”の意味が、目の前で根底から覆ったような気分がした。
将来もなにもどうでもいい、今、目の前で生きている伴侶を大切に尊重して寄り添って生きていく、そんなことが“愛”だなんて、言葉にすればごく当り前のことかもしれない。
しかしほんとうに現実にそんな愛を貫いて生きている人がこの世の中にどれだけいるだろう。
このご夫婦は結婚してからもずいぶんご苦労されたということだったが、とにかく夫婦仲がよくて、とても幸せそうに見えた。
愛ってすげえなあ、と思った。こんなふうに愛しあえる相手にめぐりあって、傍にいられるって、幸せだろうなあ、と思った。

大谷は生活費を家にいれないばかりか、ろくに帰って来もせずに飲み歩いては浮気をくりかえす不実な夫である。
だがおそらく、佐知にとっては夫が不行状であるということは大した問題ではないのだろう。どこで何をしようと結局夫が戻って来れるのは自分のところだけ、それをとことんまで支え続けるのが妻としてのプライドだと思っている。
傍からみれば嫌な女だ。しかも佐知本人は完全に無意識でいる。夫の借財を返すために、その行きつけの小料理屋で働く。子どもをおぶって帰る道を店の客(妻夫木聡)に送らせる。心中未遂で殺人容疑をかけられた夫をかばうために、昔の恋人(堤真一)を頼って訪ねていく。彼女本人はただただ善良に、自分に出来るだけのことをしているつもりでいるのだろう。けどたぶん、現実にこういう人がいると周りの人間はかなり迷惑なんじゃないかと思う。
助かるのはアホなダンナだけである。それもアホだから助かるわけで、ちょっとでもマシな神経の持ち主なら耐えられないと思う。
世の中には自分のことはさておいてひたすら人に尽くしたいという変わった人種がときたまいるけど、ぶっちゃけ大抵は相当変わった人、困った人なんじゃないかと思う。人間はそれぞれ自分がいちばんかわいくて、それをわかった上でお互い譲りあったり妥協しあったりするから、世間でバランスがとれているものじゃないかと思うから。

しかし映画では佐知という女性をとりあえずとにかく完璧にリスペクトしている。よく出来た妻、りっぱな奥さんと持ち上げる。
夫にどんな勝手をされようと黙って耐えて仕える彼女の姿は、フィクションの中にあるから美しい。それはぐりも認める。松たか子は個人的には美人じゃないと思うけど、彼女のやつれた若奥さんぶりは確かに綺麗だ。
映画そのものはおもしろいと思ったし、純粋な愛情はどんな形であれ美しいとは思う。けど、日本男性が女性に求める愛の形ってこんななの?と思うと、しょーじきあんまし気分はよくなかったです。
逆に、家族はもとより周囲にいる人間ぜんぶに迷惑をかけつづける“ヴィヨン”大谷のだめんずぶりには妙に感心してしまった。こーゆーキャラをサラッと演じてのけてまったく嫌味がない浅野忠信ってやっぱウマいよねえ~。それもみるからにあからさまにウマいって感じがしなくていいです。
最近の邦画にしては説明っぽくないシナリオとか、細部まで凝ったキャスティングやプロダクションデザインもまあよかったけど、堤真一だけはいただけなかった。もーこの人はでてくるだけでウザイ。何をやってもまるっきりおんなじ金太郎飴役者。なんでこんな大活躍なんやろ?謎。

不機嫌な指輪

2009年10月18日 | diary
何ヶ月か前のことなんだけど。
某有名アクセサリーショップで友人と買い物したときのこと。友人はブレスレットを買い、ぐりは指輪を見せてもらっていた。
ところが時間帯の関係で(夕方だった)指がむくんでいて、試着してもイマイチ感じがつかめない。今日は買うのはよして日を改めようと決めたのだが、そこまで接客してくれていた男性スタッフの態度が突然豹変。友人に対応していた女性スタッフは玄関まで送ってくれたのに、男性スタッフはプイと店の奥に引っ込んで挨拶もしなかった。
そりゃ時間をかけていろいろ見せてくれたのに買わなくて悪かったけどさ、客は店員のためにモノを買いにくるわけじゃないからねえ~。なんか勘違いしてない?
その後、友人は買ったブレスを気に入ってしばしば着けているのだが、見るたびに不機嫌氏を思い出して嫌な気分になるという。ぐりもその店は好きだけど、たぶん二度と行かないと思う。都内に他にも支店はあるし、よしんばその店舗にしかない商品が欲しくても取り寄せれば済む。わざわざ不機嫌氏に会いに行く必要はない。ってかヤダよそんな店。

数週間前のこと。
某有名デパートでアイシャドウを試してもらってとても気に入ったのだが、そのときは手持ちがなくて買わないで考えることにした。とても丁寧に対応してくれたので、そのときはアイシャドウではなく別の商品を買って帰った。
その後、やっぱりあのときのあのアイシャドウが欲しいなと思い、たまたま通りかかった別のデパートのブースで全く同じモノを試してもらった。すると今度対応してくれたスタッフのやる気が・・・ちょっと思わず唖然としちゃいました。完全に客を見下していてやる気のカケラも見受けられない。アイシャドウの付け方も乱暴で、ぶっちゃけぐりが自分でやった方が全然綺麗なくらい。時間がなくてつけてくれたのを落とす暇がなかったんだけど、あのときくらいサングラスをかける習慣があってよかったと思ったことはない。
結局アイシャドウは買ったけど、そのデパートのブースではたぶん二度と買わないし行かないと思う。同じ商品でも他で買えるんだから、わざわざトンデモメイクをされに行かなくたっていい。
けどやっぱり、毎日メイクのたびに思い出すのは、最初に丁寧にメイクしてくれたスタッフではなく、やる気のない方のスタッフのことだったりする。残念なり。

人間なんだから誰だってやる気が起きないとき、機嫌が悪くなるときはあって当り前だと思う。それはしょうがない。ぐりにだってあるんだから、それを責めようとは思わない。
けど、感情を必要以上に相手に押しつけるのはただ迷惑なだけじゃなく、自分も損するんだよってことも、忘れたくないなと思う。


ブランコ。

無駄な時間

2009年10月04日 | diary
女性が“ムダに過ごしている”と感じる時間、1日平均「4.2時間」

こーゆーことを書くととってもセンエツな感じがしちゃうんですけれども。
ぐりには今、「無駄」な時間がまったくない。いっさいない。仕事が忙しすぎて。
週の半分は徹夜で仕事してて、土日祝日も半分以上仕事してる。勤務中は常にスケジュールに追いまくられるから、休憩なんか一日に1~2回あればいい方で、ヘタするとトイレに行くヒマとか、食事をするヒマもなくなる。睡眠時間はもちろん圧倒的に不足している。
それでも精神的にはそんなに疲れていない。基本的に自分でやりたいことしかやってないから。やりたいことをやりたいようにやって、疲れるもクソもない。やるしかない。仕事なんだから。

寝る時間はすごく減ったけど、逆に寝るとなったら失神するみたいに寝るようになった。移動の車中なんか100%寝ている。しかも爆睡。不思議なことに、はっと気づいたら目的地のひとつ前の駅だったり、ひとつ手前の交差点を車が曲がるところだったりする。大抵はすごくくっきりした夢を見ていることが多いので、眠りが浅く、周りの音なんかは無意識下でもちゃんと聞いてるんだと思う。そのわりには大声で起こされてもなかなか起きないことがあるからよくわかりませんがー。先日は人生初、車掌さんに起こされた(大恥)。目的地が終点だからべつにそれでよかったんだけど。

終点といえば。ぐりの通勤途中の乗換駅は地下鉄の終点・始発駅なんだけど、始発で来た電車に客が乗ってることがたまにある。終点で車庫に行く電車にもたまに客がいる。
車掌さんが起こして起きなかった人はそのまま車庫行きになるんかな?車庫で起きたりしたらビックリするんだろーなー。そーならないよーに、気をつけなきゃー。


マンゴパフェ。

てなワケで今年の東京国際映画祭は不参加の予定でございます。
もし期間中に休めたら当日券に並ぶかもしれないけど、前売りはかなり早い段階で諦めました。
ってもっと早く書いときゃよかったですね。皆様すみません。

ラーメン唐揚げ海老フライ

2009年10月03日 | movie
『南極料理人』

学者(きたろう、生瀬勝久、小浜正寛、高良健吾)、エンジニア(古舘寛治、黒田大輔)、医者(豊原功補)、と男ばかり8人で1年余りを過ごす南極トームふじ基地。
極地中の極地、ペンギンやアザラシどころかウィルスもいない基地で、毎日の食事で隊員をもてなす調理担当・西村(堺雅人)の奮闘を描く。
実際にトームふじ基地で調理担当として活躍した西村淳のエッセイの映画化。

おもしろかったー。なんか予想してたよりもすごい笑えました。
なんか画的に既におかしいんだよね。みんな防寒具でころっころに着膨れてヨチヨチ歩き、ヒゲはぼうぼう髪はぼさぼさ、パッと見には見分けもうまくつかないくらい。
彼らの日常には変化らしいものはほとんどない。映画のなかでもドラマチックなことは何ひとつない。でも一歩間違えたら凍死という極限状態での集団生活でしかもみんな退屈してるから、ちょっとしたことがすごく大切になる。そこの現実感のズレがおかしい。やってる本人たちが真剣だからまた笑える。
全体に「間」が良い。きちっとシナリオ通りに演じてるはずなのに、無言の「間」に言葉では言い表わせない万感の思いがにじみ出る。それがまたおかしい。だってすごくつまんないことにみんな意地になって、それが絶妙な「間」になってるから。笑える。

でてくる料理がみんなすごくおいしそうで、観ていて唾液ばっかりだくだくわいてしょうがなかった。
人間にとって食べることってほんとに基本だと思う。だからまったく娯楽のない南極基地での食事が、こんなに大切に考えられてるんだと思う。
けど、この映画のテーマは南極じゃなくて家族だったりする。究極の単身赴任、家族に会いたくても会えない淋しさを埋めるために、西村は一生懸命おいしいものを用意しようと頑張る。そんな西村にも家族はいる。
観ているうちに、食事がおいしいのには、その料理の質だけじゃなくて、食べているときのシチュエーションが一番重要なのだという思いがしてくる。気のあう仲間や愛する人と囲む食卓だから、話が弾んで箸が進む。なにも特別なものはいらなくて、ごはんがおいしく食べられる「瞬間」こそが幸せで、だから人は「おいしい」と感じられるのだろう。

どっちを向いても雪まみれで常に暴風の吹き荒れる極地で男だらけの映画、なんか観たことある?しかも最近?と思ったら『劒岳 点の記』だった。
映画としてはこっちのが全然好き。だってつくってる人たちが完全に楽しんでる感じが画面から伝わってくるから。
ほんとおもしろかったです。