落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

あんちゃん

2006年10月29日 | movie
『シルク』中国語公式HP

なんかホッとしました。
ぐりはふだんホラーってあんまり観ない方だけど、それでも職業柄とか、つきあいとかでタマ〜に観る。ぜんぜん観ないってことはない。
台湾のサイエンスホラー、CGとか特撮とかアクションとかてんこもり、っつーと正直、一抹の不安を感じないこともなかったんだけど、実際観てみればまったくの杞憂でした。ウン、ちゃんとしてた。おもしろかったよん。
とりあえず映像は豪華。美術(なんとあの種田陽平)もカメラワークも編集も文句なしの完成度、VFXのレベルも高い。むしろそのへんは日本映画なんかよりずっとキチンとつくられてる。台本はところどころ「?」なとこもあったけど、そこはホラーだからね。どこの国のホラー作品にもある矛盾、といっていい程度だと思う。全体としては、ハリウッドでもどこでもふつうに通用するクオリティに仕上がってると思いました。
それよりもぐりがムチャクチャ気になったのは、主人公・高橋(江口洋介)の障害に関する描写。彼は糖尿病で片足を切断した身障者で、このことがストーリーにも大きく関わってるわけだけど、その辺りの相関関係の描写がもうひとつおざなりになっている。ティーチインでもつっこんでみたけど、どーもあんまし考えてないっぽかったです(爆)。
江口氏は頑張ってましたよ。セリフも日本語・北京語・英語まぜこぜだし身障者役だし、なんだかんだと難しい作品だったと思うけど、しっかり演じきってました。ティーチインではなかなかサービス精神旺盛なところも発揮してて、TVドラマの役から想像するそのままの“あんちゃん”キャラ、って感じでした。
張震(チャン・チェン)も相変わらずかっこいい。とゆーかこの人の出演作でこれまで日本で公開されてるのって楊徳昌(エドワード・ヤン)やら王家衛(ウォン・カーウァイ)やら李安(アン・リー)やら侯孝賢(ホウ・シャオシェン)やら、いわゆるアート系とか文芸映画とか、おカタイ方面の作品が多かったけど、こういう娯楽アクションでもまったく違和感がなくて意外でした。器用な人なのだね。そしてどっから撮っても絵になるわ。すてき(バカ)。
他の出演者もすんごいオールスターキャストだし、がっつりとお金のかかった大作娯楽映画なのだなー!とゆー印象が強かったです。最近「泣ける純愛映画」やらTVのリメイクやらマンガの映画化やらばっかりもてはやされて、映画として自立した大作があまりつくられない日本からみると、台湾でこういうタイプの映画がつくれてる事実そのものに感心してしまいましたです。

上映後にティーチインがあったのには少々驚き。舞台挨拶かと思ってたよ。登壇者は蘇照彬(スー・チャオピン)監督と江口洋介。
「最初は怖い映画を撮るつもりはなかった。怖かったらごめんなさい」(絶対嘘だから〜)
「江口氏を起用したのは、TVドラマでみられるような“正義の味方”“良い人”といったイメージの隙間に隠れている、彼の知られざる魅力を発掘してみたいと思ったから」
「(言葉の通じない現場でのコミュニケーション手段は)勘です(笑)。今後も機会があればアジア映画に出てみたい」
「ワイヤーアクションが大変で、数10テイクもNGを繰り返した。アクション指導に香港から専門家が来てデモンストレーションしてくれたけど、大体彼ですらうまくいってなかった。ほんとに苦労した」
「“744”とは台湾では“地獄に堕ちろ”みたいな意味らしい」(ホントに〜?)
とかなんとか。
とにかく言葉の壁が厚くて、「オレの役は妖怪か?」(笑)などいろいろと不安を抱いての参加だったみたいだけど、結果的には江口氏にとっても台湾側にとっても収穫ある合作になったよーです。

スモーキン・マカオ

2006年10月28日 | movie
『イザベラ』中国語HP

あんまおもろないかも?とゆー前評判を聞きかじっていたのですが、けっこう好きですコレ。ぐりはね。まともな映画だったよ。とりあえずマカオ行ってみたくなりましたよ。行ったことないから。次の海外旅行目的地候補にいれとこー。
多用されるラテン音楽、植民地風の色彩を強調したプロダクションデザインなど、確かに王家衛(ウォン・カーウァイ)っぽいテイストではある。でも脚本はかなりしっかり描きこんであるし、キャラクター描写のつくりこみ方なんかには彭浩翔(パン・ホーチョン)らしさが活かされている。逆に、まったく同じストーリーでもお得意のコメディがつくれそうなのにあえてそうはせず、父と娘のラブストーリーとでもいうようなシリアスな映画にしたのはなぜなのか、そこがすごく気になる。シリアスにしたことで、『ビヨンド・アワ・ケン』『AV』にみられたような彭浩翔らしいテンポがハッキリと損なわれてしまっているからだ。とても丁寧にキチンとつくられた優れた映画だとは思うのだが。
いつもは脇役が多い杜[シ文]澤(チャップマン・トー)もおいしかったけど、ぐり的には初めて芝居してるとこをみた梁洛施(イザベラ・リョン)もチャーミングだと思いました。ガリガリなんだけど不思議と微妙に色っぽいとこもあったり、はすっぱなよーでどこかに気品が漂う。『天使の涙』のころの李嘉欣(ミシェル・リー)に感じが似ている。梁洛施の方がもっと野性的だけど。
ティーチインの登壇者は彭浩翔監督。
「返還直前のマカオを舞台にしたのは、400年も植民地だったマカオが母国に戻るという歴史的事実と、ずっと離れて暮した父娘がいっしょに歩みはじめるというストーリーを重ねあわせたかったから」
「タバコは男と女、母と娘、父と娘の関係の連続性の象徴。ヒロインの母親はシン(杜[シ文]澤)に捨てられてタバコを吸い始め、結局吸い過ぎて肺ガンで亡くなる。シンは『刑期が終わったらいっしょに禁煙しよう』とヤン(梁洛施)にいうが、タバコ?竄゚ることで、互いに離ればなれだった不幸を絶ちきろうという意志を表わしている」
「黄秋生(アンソニー・ウォン)の登場シーンは3箇所、4時間ですべてを撮影した。その間で実際に牛鍋2皿、麺4杯、ハンバーガーを7つ食べてもらったので、本人は決しておいしいとは思っていなかったはず。おいしそうにみえるのはひとえに演技力」
「キャスティングでいい俳優が決まれば、相手の実力に任せてとくに演出はしない」
「このストーリーは杜[シ文]澤が結婚前に『結婚したら娘が欲しい』といっていたことから思いついた。それまでにも彼はいろんな女性と交際していたから、自分が知らないだけで既にどこかに娘がいるかもしれない。男性なら誰でも30代を過ぎれば、過去に関係した女性が生んだ子どもが存在していて、街ですれちがってたりするのかも、と想像するものだ。そういう会話からこの物語が生まれた」
などなど。

今日の残念賞

2006年10月28日 | movie
『クロイツェル・ソナタ』

これは完全な期待外れ。
原作がトルストイの小説とゆーことだが、どーみても原作負けしちゃってます。なにがやりたいのかぜんぜんわからない。散漫以外のなにものでもない。ただのメロドラマにしては手はかかってると思うけど、国際映画祭のコンペにでてくるほどの内容はまったくなし。出演者はなかなか魅力的だけど、とくに個性的とか印象的ってほどのことはないしさ。
上映後にティーチインがあったらしーけど、エンドクレジットの途中で退場。ぐりだけじゃなくてかなりの人数が退場してました。

踊る美少女コンテスト

2006年10月28日 | movie
『リトル・ミス・サンシャイン』
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全米でたった7館での上映開始だったにも関わらず、口コミで評判がひろまり現在もロングラン中の話題作。日本では12月に公開予定。
噂に違わず傑作!!でした。すばらしい。派手さはぜんぜんないけど、しっかり笑えて、ちょっと泣けて、ほっこりできる、素敵な素敵なホームコメディ。ぐりはコレ大好きです。ちょーーーーオススメ。
脚本もよくできてるし、カメラワーク含め音楽含め演出にいっさいムダがない。製作に4年かかってるそーですが、ホントにそれだけがっつりと手がかかってるなという、非常にマジメなつくりの映画です。低予算なので撮影は30日間だったのだが、クランクイン前に1週間リハーサルをやり、役を把握するためにキャストだけで1日ドライブ旅行にいってもらったりしたそうである。
実はこの映画、途中までは某メジャースタジオで製作していたのだが3年経った時点で監督たちと会社とが決裂することになり、結局独立系スタジオで完成させた。会社の意向を拒否した監督たちの判断が正しかったことを、公開後の興行成績が証明した。すーばーらーしーい。
とくにぐりがいいなと思ったのは子ども役のふたり(イヤ、大人もすっごくよかったんだけども)。まず“リトル・ミス・サンシャイン”コンテストに出場する7歳の少女オリーヴ役を探すために、監督たちはアメリカはもとよりイギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど、あらゆる英語圏の国々のエージェントとコンタクトをとったそうだ。選ばれたアビゲイル・ブレスリンちゃんはニューヨーク在住でこの前にも3本の映画に出演している。一方パイロットを夢みる無口な長男ドウェインを演じたポール・ダノは撮影開始3年前からこの役に決まっていて、監督曰く「非常に自然な演技ができる人で、なにもしていなくても、ただじっとみていたいような気分にさせてくれる俳優」なのだそうだ。
この映画は家族の再生を描いた物語ではあるが、それだけでなく実にさまざまな示唆に富んでいる。
生きることは競争そのものだけど、人生勝ち負けだけが全てじゃない。
なんでも思い通りになったところで、ほんとうに幸せになれるかどうかなんて誰にもわからない。
大体、誰でもハッピーになれるノウハウなんてどこにもありはしないのだ。
人によっていろんな見方ができるし、どの登場人物に共感するかも自由。そういった映画全体の世界観のふくよかさが、多くの人の心をとらえているところなのではないかと思う。

ティーチインにはジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス監督ご夫妻が登壇(共同演出)。上記のコメントの他には
「アメリカ人はよくクルマで家族旅行にいくのだが、大抵は目的地のことよりも、道程であったことの方がのちのち思い出になるものである」
「作中に登場するバスの故障は、ギアが1と2に入らないのだが3までスピードが上がれば走れる、という、フォルクスワーゲン車に起こりがちなトラブル(滝汗)。クラクションが止まらなくなったり、ドアがとれてしまったりなどというエピソードはすべて実際にあったことを物語に利用した」
「一家がバスを押してひとりずつ飛び乗るシーンは、スタントを使わず俳優が実際に演じている。撮っていてとても楽しかった」
「この黄色いバスはある意味で“家族”の象徴。壊れるときもあればうまくいかないときもある。でもみんなで団結すれば楽しく過ごすこともできる、そんなメッセージをこのバスにこめた」
「ミスコンのシーンに登場する出場者やその家族はほんとうの出場者で俳優ではないのだが、主催者役は『ドニー・ダーコ』で校長先生役をしていた女優(正しくは体育教師役のベス・グラント。今回のキャラとかなり?Jブってます>笑)」
「クルーもキャストもこのストーリーが大好きだったので、撮影現場は一貫して非常にいい雰囲気だった。これはなかなかレアなことかもしれない」
「(ジョナサンが共感するキャラクターは)グレッグ・キニア演じるおとうさん。決して諦めないところがいい」「(ヴァレリーが共感するのは)ドウェイン。十代の自分もあんな風に、なにもかも放り出したい、逃げ出したい気持ちでいっぱいだったから」
などと語っておられました。

ナイフに映る顔

2006年10月27日 | movie
『十三の桐』

おもしろかったです。
コレは『美人草』の監督の作品ですね。ぐり『美人草』はあーんま好かんか?チたですけど、『十三〜』はなかなかよかったんではないんでしょーか。
人物造形がとにかくすてき。すばらしい。おそらく出演者そのものの素のよさをうまく活かしてあるんだと思うんだけど、非常に自然なんだよね。それぞれの人物像がどの子もリアルで、説得力がある。
なかでもヒロイン何風を演じた劉欣(リウ・シン)がもーーーうパーフェクト!!エクセレント!!!ブリリアント!!!!カワイイんだよー!マジで(大丈夫か<自分)!昂然とつっぱらかった雰囲気がデビュー当時の葉月里緒菜にちょっと似てる。目の力強さは『誰も知らない』のころの柳楽優弥っぽい。すっごくボーイッシュな役柄だから。しかもそれがま?チたくイヤミにならないとこがスゴイ・・・と思ったらば。ティーチインに出てきた劉欣が「何風」そのまんまな人だった(笑)。
おそらくこの映画の魅力のかなりの部分が彼女の個性によるところなのではないだろうか。それほど彼女は輝いていた。実際現在17歳、ほんとうにほんとうにこの年齢のほんの一瞬にしか赦されないような、儚いけれど煌々と厳然たる存在感、爆発的な生命力、そんなものを全身から燦然と発散しているような女優さんだと思う。でもたぶん、1年かそこら経てばまったくの別人になってしまうのだろう。そんな魅力。
映画は内容にやや過激な部分もあったようで、原作をイマイチ消化しきれてないね?なパートがまま見受けられ。主人公の幻想シーンの演出なんかはちょっとダサかったですよねえ(笑)。そこは『青春期』の方がまだオシャレやったよ(笑)。この監督は物語やキャラクターに対する愛情は非常に深いけど、作品を見映えよくパッケージする器用さはイマイチ足りないような気がする。もったいない。
それと、中国映画に限らず香港映画でも台湾映画でもしょっちゅうみかける「オチ」のシーンを冒頭にもってくる編集法、いー加減ヤメませんか。物語の構造上そうする意味があればべつだけど、なんだかあまりにもどの映画でもやってて単に安易なハッタリのよーにしかみえないです。ここまでしょっちゅうやられると緊張感が削がれてしまって逆効果なのでは。
どーでもいーですけど、この邦題は『13本の桐』とすべきだったのでは?なぜ単位ナシなのだろー。単位がないことで意味が不明瞭になってるけど、なんか意図があるんだろーか・・・。