『フィラデルフィア』
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こちらは1993年度のアカデミー主演男優賞・主題歌賞受賞作品。初見です。なんで今まで観なかったのかな?
主人公のトム・ハンクスは優秀な弁護士だったが、ある日突然所属していた名門法律事務所を解雇されてしまう。職場には黙っていたが彼は同性愛者で、エイズを発症していた。そのことを上層部に嗅ぎつけられたのだ。彼は不当解雇で事務所を告訴するが、不治の病は着々と身体を蝕んでいく。
90年代に流行った法廷モノのひとつですね。
公開当時ストーリーが平板だという批判はあったようだけど、ぐりはこれはこれでいいのではないかと思う。平板なストーリーだからこそ伝わるものもあるからだ。
まずエイズは体液感染する病であること。性的交渉や輸血、注射器の使いまわしなど特殊な状況でしかうつらない。だからHIV感染者と同じ職場で働いていても、いっしょに食事をしても、お風呂にはいってもうつることはない。当り前の常識だ。すなわちエイズ患者だからという理由で人を解雇することはできない。
そして性的志向で人を差別してはいけないということ。セクシュアル・マイノリティーを好きでも嫌いでもそれは個人の自由だ。だがそれを根拠として人を貶めたり蔑んだりしてはいけない。すなわち同性愛者だからという理由で人の信頼性を決めることはできない。
この物語はただ観客を感動させるだけでなくて、こうした「ごく当り前のこと」を非常に効率良く説明してくれる。ストーリーが平板だからこそ、そうした概念がストレートに伝わるのだ。
この映画が他の法廷ドラマと違って正義や真実を問う意図で描かれている訳ではないことは、物語の最後でもハッキリとわかるようになっている。アメリカの裁判でも日本と同じように再審制度があり、作中でも再審を示唆するシーンがあるのだが、この物語は一審が決着したところで終わっている。説明したいことがそこまでですべて描ききれているから、それ以上論じる必要がないのだ。
映画にはクローズアップのショットが頻繁にでてくる。登場人物はカメラのレンズ越しにじっとこちらの目を覗きこむ。そんな風に見つめられるたびに、「どう、わかる?」「あなたはどう思う?」と確認を求められているように感じる。「そうだよね?違うかな?」と念を押されているような気持ちになる。
撮影当時トム・ハンクスは30代半ばだが、役づくりのためにかなりダイエットをしたという。それでもなくてもベビー・フェイスでかわいらしいのに、病状が進行するにつれてげっそりとやせこけていくのが、むしろ不思議に美しくなっていくようにみえて感動的だった。死に近づけば近づくほど、逆に生きている力強さをクリアに表現しているようにぐりは感じた。このヒト結構背が高いんですねー。今調べたら180センチ。そんなにあるたーしらなんだ。恋人役のアントニオ・バンデラスがちっこくみえました(バン氏は173センチ)。
ホモ・フォビアでエイズに関してまったく無知な俗物弁護士役のデンゼル・ワシントンの抑えた演技がとてもよかったです。欲をいえば、このキャラクターの心理がもうちょっとわかりやすく表現されててほしかったかも。
ぐりの大好きな『グラスハープ/草の竪琴』にも出演していたメアリー・スティーンバージェンが被告弁護人役で出ていて、意外なキャスティングに驚きました。
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こちらは1993年度のアカデミー主演男優賞・主題歌賞受賞作品。初見です。なんで今まで観なかったのかな?
主人公のトム・ハンクスは優秀な弁護士だったが、ある日突然所属していた名門法律事務所を解雇されてしまう。職場には黙っていたが彼は同性愛者で、エイズを発症していた。そのことを上層部に嗅ぎつけられたのだ。彼は不当解雇で事務所を告訴するが、不治の病は着々と身体を蝕んでいく。
90年代に流行った法廷モノのひとつですね。
公開当時ストーリーが平板だという批判はあったようだけど、ぐりはこれはこれでいいのではないかと思う。平板なストーリーだからこそ伝わるものもあるからだ。
まずエイズは体液感染する病であること。性的交渉や輸血、注射器の使いまわしなど特殊な状況でしかうつらない。だからHIV感染者と同じ職場で働いていても、いっしょに食事をしても、お風呂にはいってもうつることはない。当り前の常識だ。すなわちエイズ患者だからという理由で人を解雇することはできない。
そして性的志向で人を差別してはいけないということ。セクシュアル・マイノリティーを好きでも嫌いでもそれは個人の自由だ。だがそれを根拠として人を貶めたり蔑んだりしてはいけない。すなわち同性愛者だからという理由で人の信頼性を決めることはできない。
この物語はただ観客を感動させるだけでなくて、こうした「ごく当り前のこと」を非常に効率良く説明してくれる。ストーリーが平板だからこそ、そうした概念がストレートに伝わるのだ。
この映画が他の法廷ドラマと違って正義や真実を問う意図で描かれている訳ではないことは、物語の最後でもハッキリとわかるようになっている。アメリカの裁判でも日本と同じように再審制度があり、作中でも再審を示唆するシーンがあるのだが、この物語は一審が決着したところで終わっている。説明したいことがそこまでですべて描ききれているから、それ以上論じる必要がないのだ。
映画にはクローズアップのショットが頻繁にでてくる。登場人物はカメラのレンズ越しにじっとこちらの目を覗きこむ。そんな風に見つめられるたびに、「どう、わかる?」「あなたはどう思う?」と確認を求められているように感じる。「そうだよね?違うかな?」と念を押されているような気持ちになる。
撮影当時トム・ハンクスは30代半ばだが、役づくりのためにかなりダイエットをしたという。それでもなくてもベビー・フェイスでかわいらしいのに、病状が進行するにつれてげっそりとやせこけていくのが、むしろ不思議に美しくなっていくようにみえて感動的だった。死に近づけば近づくほど、逆に生きている力強さをクリアに表現しているようにぐりは感じた。このヒト結構背が高いんですねー。今調べたら180センチ。そんなにあるたーしらなんだ。恋人役のアントニオ・バンデラスがちっこくみえました(バン氏は173センチ)。
ホモ・フォビアでエイズに関してまったく無知な俗物弁護士役のデンゼル・ワシントンの抑えた演技がとてもよかったです。欲をいえば、このキャラクターの心理がもうちょっとわかりやすく表現されててほしかったかも。
ぐりの大好きな『グラスハープ/草の竪琴』にも出演していたメアリー・スティーンバージェンが被告弁護人役で出ていて、意外なキャスティングに驚きました。