落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

even meeting you

2010年10月25日 | movie
『ハチミツとクローバー』
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美大で建築を学ぶ竹本(櫻井翔)、陶芸科の山田(関めぐみ)、真山(加瀬亮)は教師の花本(堺雅人)を囲む会の仲間同士。
春、竹本は特待生として入学してきた花本の従兄弟の娘・はぐみ(蒼井優)に一目惚れするのだが、天才肌の彼女の関心は海外放浪の旅から戻って来た森田(伊勢谷友介)に注がれ・・・。
羽海野チカの同名コミックの映画化。

ぐりが美大生だったときの話ですが。
ぐりが所属していた工房の前に焼却炉がありまして。学校中のみんながそこへゴミを捨てにくるわけですけれども。まあ要は学内でも僻地だったんだよね。端っこも端っこ、ブロック塀の向こうは芋畑とゆー立地の工房で。
とにかく、毎日毎日ありとあらゆるモノがドサドサ運ばれてくる。美大とゆーのはまことにゴミの多いところで、日々見ていると本気でバカバカしいくらいいっぱいゴミが出る。清掃員の方々が捨てにくるぶんはまだ大した量じゃない。なぜならゴミ箱(大振りのポリバケツ)に入るサイズのものしかないから。学生が課題提出の後やら期末のアトリエ整理やらで処分するゴミは大きさも量もハンパじゃなかった。作品の残骸やいらなくなった素材、使わなくなった機材や道具の類い。売れるものは売る学生もいたけど、たいていの学生はそんな手間はかけずに焼却炉まで運んで来た。
ゴミが運ばれてくるたび、ぐりの工房の学生と教師はその山をほじくり返してまだ使えそうなものを拾い集めた。スプリングが完全にイカれたソファは工房の前に置かれて、みんなの休憩所になった(そこに座ってまたほかのゴミが運ばれてくるのを眺めていた)。旧式の巨大な電子レンジは寒い季節に飲み物を温めるのに使った。ラジカセや食器やコミック本や万年筆、ドライヤーや盥もそこで拾った。

工房ではよく宴会をやった。
ボルシチをつくったこともあったし、みんなで餃子を包んで焼いたこともある。夏は誰かの家に届いたお中元のそうめんをゆでて分けあって食べた。
大学のすぐ近所に配達をやってくれる酒屋があって、アルコールはそこで調達した。ぐりが在学中に学内の宴会で急性アルコール中毒を起こした学生がいて、建前では学内で酒を飲んではいけないことになっていたけど、酒屋の主人は正門の守衛室まで配達に来てくれた(それまでは工房まで配達してくれていた)。守衛室から内線で研究室に電話がかかって来て、発注した学生が台車を押して正門まで取りにいき、その場で支払いをする。正門の前には銀行のATMもあったから、酒屋は取りっぱぐれる心配がない。
そして飲めばみんな必ずべろべろに酔っぱらっていた。なんであんなにアホみたいに飲みまくっていたのか、今となってはよくわからない。そんなに飲まなきゃいけないほど、いったい何に悩んだり、迷ったりしていたのだろう。
全然思い出せない。

この原作のコミックの舞台はぐりの母校である。設定がどうかまでは知らないけど、絵柄を見る限りは一目瞭然、まさに間違いなくぐりの母校をもとにして描かれている。
男子学生ばっかり住んでる安アパートは実際に美大のすぐ傍に何軒もあって、分別のある女子学生はうっかり近寄らないようにしていたものだった。反対に女子学生ばかりの安アパートもあったけど、これはコミックには出てこない。エーゲ海とかノーゲ海とか呼ばれてた池もコミックに出て来たような気がするけど、どうだっかなあ。
コミックに登場するキャラクターのような学生がいたかどうかまではぐりはよくわからない。少なくとも、ぐりが学生だったころは、ハチクロ的に草食な雰囲気の学生はあまりいなかった気がする。もっとみんなイケイケドンドンだったかもしれない。少なくともそうありたいとは思っていたはずだと思う。
そのせいかなんなのか、コミックはコミックである種のファンタジー、完全なフィクションとして楽しんで読んだ記憶がある。途中までしか読まなかったけど、それなりにおもしろかった。

でも映画は意外に現実の美大の雰囲気を実によく再現していた。
原作を読んだのは何年も前なので細かくは覚えてないけど、シナリオそのものはおそらく設定以外はあまり原作に依らないで書かれているのではないかと思う。
考えてみれば全部で10巻にも及ぶ長い物語を2時間足らずの映像にまとめるのはどだい無理な話だから、このやり方は非常に正しい選択だったと思う。
といっても映画にもそれほどくっきりしたストーリーラインがある訳ではない。それぞれに片思いに悩み、傷つき、葛藤する5人の若者たちのつかず離れずの青春を、ごくごくほんのり、ぼんやりと描写しているだけ。
それでもぐりはじゅうぶん楽しめたし、思っていたよりもずっといい映画だなと感じた。無理に都合良く話をまとめようともしていないし、何かの結論を観客に押しつけたりもしていない。青春にそんなものは必要ないのだから。

キャスティングがすごくよくて、主人公・竹本を演じた櫻井くんがとくに素晴らしい。素直で真面目でいい人なんだけど、中途半端で優柔不断で不器用でイケてなくて、とゆーどーにもこーにも残念なキャラが実にうまくハマってる。天晴れです。
はぐちゃん役の蒼井優もいい。というかこの役は彼女にしかできなかったんじゃないかと思う。妖精のように儚げでありつつ、燃えさかるような才能に溢れた輝くばかりの天才少女なんてキャラクターを、ここまで嫌味なく表現できる女優さんてそうはいないんじゃないかなあ。
加瀬亮のネクラな変人ぶりは楽しかったんだけど、山田はどーにもキャラ設定が暗過ぎて演じた関めぐみさんがちょっと気の毒でした。原作の山田はあんなじゃなかったんだけど。伊勢谷友介の芝居がどー見ても窪塚洋介にしか見えないのはこはいかに。

この映画より前にアニメ化されたときはこっぱずかしくて到底直視できなかったハチクロだけど、映画はとてもよかったです。ひさびさ絵が描きたい気分になりました。ちょっとだけ。
作中に登場するはぐみの作品がなんかすげえなあと思ったけど、MAYAMAXXが担当してたのね。個人的にはそんな人にそんな発注できるんだってことが驚きだったです。

寂しいね

2010年10月24日 | diary
中国と台湾でトラブル、東京国際映画祭開幕式にビビアン・スーらが登場せず!
昨夜のグリーンカーペット欠席にビビアン・スーが大粒の悔し涙

今年も東京国際映画祭には不参加のぐりですけれども(彭浩翔の新作はちょっと観たいけど)。
こんなことがあったんですね。出席するつもりで準備してた参加者の方々にも、彼らの登場を待っていた観客の方々にも、気の毒なことだと思う。
本来なら政治と文化は別なものとしてとらえるべきだと思うし、もし事実がこの報道の通りだとしたら、国名にこだわった中台双方の関係者には本当に幻滅してしまう。大体、スポーツの国際大会には台湾代表は“チャイニーズ・タイペイ”とかなんとか適当な国名を名乗って出場してるじゃないですか。べつにそれでいいじゃん。なんでダメなのよ?理解できない。
中国と台湾の映画界は今や切っても切り離せない関係なのに、アジア最大の国際映画祭(だったよね?)というせっかくの舞台でセレモニーに気持ちよく出られなくて、お互い嫌な感情を持ってしまうことの結果がどうなるかってことの方が重大な損失じゃないの?

最近は中国での反日デモの報道が毎週賑やかだけど、思い出しますね。2005年だっけ?アホみたいに毎日毎日毎日毎日、TVのどのチャンネルの報道番組・情報番組でも反日デモばーっかりやってたときがあったよね。
お店を襲われたりクルマを壊されたりした被害者には心から同情するにしても、ぐりは正直、どこで誰が日本の悪口で盛り上がったり暴れたりしてようと、完全にどうでもいい。ってか世界中の大半の人にとっても本当はどうでもいいことなんじゃないの?と思う。むしろデモ(とゆーか暴動)やってる若い子本人たちもどうでもいいんじゃないの?彼らが槍玉に挙げてる「日本」なんてあくまで概念的なものであって現実の「日本」とは別なんだし、そのこと自体は彼ら自身よく知ってるはずだと思うから。
ぐりが改めていうまでもないことだけど、今の中国の若者─20~30代前半─の反日感情は中国共産党の教育政策に端を発するものであって、日中戦争の史実とはあまり関係がないからだ(まったくないとはいえないにせよ)。
それに、中国全土では年間を通じて数万件にものぼる暴動やデモが起こっているともいわれている。そのうちの反日デモだけ取り上げられてわいわいいうのもどーかいなと。

セレモニーをボイコットした映画祭の代表団も、デモやって集団で乱暴してまわってる中国人も、それをやいやい報道しまくる日本のマスコミも、本当に大事なことってなんだと思ってるんだろうね。
それが聞きたいです。
単純に、そこが疑問です。

ゴミ箱を捨てる

2010年10月20日 | diary
最近、モノを捨てる・処分するのがマイブームです。

数年前に友だちと行った占い師のいる某飲食店で占ってもらったところ、「モノを捨てなさい」といわれたことがあり。
実をいうとぐりはほとんどまったくといっていいくらい占いを信じないんだけど(客全員が半強制的に占われる)、それから1~2年経って同じ店に行ったらまた「モノを捨てなさい」といわれて、微妙にひっかかってはいたんだよね。

まあだからってワケでもないんだけど、捨てまくってます。
DVDとかCDとか本の類いは半分くらい某中古店で処分。このへんは選ぶのがちょっとしんどかった。いらないったら全部いらない気がするし、いるといったら全部いるような気がするし。けど全部いったら後で後悔しそうだし、厳選して半分。
服も半分くらい捨てた。これは選ぶのは簡単だった。今までほとんど捨てないで買ったなり貯めに貯めまくってたから。1シーズン着なかったもの、ちょっとでも傷みが進んでるものはほとんどゴミ袋直行。迷ったらその場で着てみて、これから着たいかどうか判断して捨てた。維持が面倒なファーとかレザーも容赦なく捨てた。
靴/バッグ/帽子も3分の1くらい、寝具類も半分くらい、カーテンやカバーは8割がた捨てました。

今回捨てたモノのなかで一番大きくて高額だったものは室内暗室。
学生時代から写真が好きで、社会人になっていつでも自宅で現像作業ができるように家の中に張るテント式の暗室を買ったのが10数年前。その後このテントを常時張っておくために引越しまでした。
でも3~4年前から暗室作業をやらなくなって畳んでしまいっぱなしになっていて、しかも畳んでもなお箱がデカ過ぎ・重過ぎて超邪魔だった。
かといって捨てるにはしのびなくて。高かったからね。今思えばなんであんなに高いのホイホイ買っちゃったんだろ?自分でも謎。
それを今回思いきって業者に引き取ってもらいました。トラックに乗せるときはちょっとせつなかったけど、家の中に戻るとあの巨大な箱がなくなってすごいスッキリしてて、もういいやって吹っ切れました。

あと今回捨てたなかで一番古かったものはゴミ箱。
驚くなかれぐりは上京してから一度もゴミ箱を買い替えたことがなかったんだけど、可燃ゴミ用/不燃ゴミ用/リビング用の3つ全部、まとめて一気に捨てました。
なので今、ぐり宅にはゴミ箱がありません。ゴミ袋をキッチンに2種類吊るしておいて、ゴミが出るたびにそこへ捨てにいくシステムになってます。面倒っちゃ面倒だけど、ゴミを捨てるときにまとめる手間がないし、何よりゴミ箱が占拠してたスペースが空いて超スッキリです。
ちなみに臭いが気になる生ゴミは全部冷凍してます。水を切った生ゴミを専用の密閉ケースに袋ごと詰めて冷凍庫で凍らせといて、ゴミの日に出して捨てる。冷凍庫に入ってるものは食品も氷も全部密閉してあるし、環境的に臭いが移る心配もないし。

おかげでぐり宅内はここに引越して来た当時と同じくらいスッキリサッパリしてます。
それでも捨てたいブームはなかなか去らず、ついつい「なんか捨てるもんないかな~」と探してしまう。
郵便物や書類も相当捨てたけど、今悩んでるのが学生時代に手作りした道具類・画材とカメラ、映画雑誌。道具に至っては絶対二度と使わないに決まってるのに捨てられない。カメラも実際使ってるのは一台だけ、映画雑誌なんか本棚に並んだ背表紙を見て悦に入ってるだけで、ほとんど読みもしないのに捨てられない。
エアコンも壊れて使ってないけど処分費が高いし工事も面倒で放置してる。打上げの景品で某アーティストに貰ったコンポも使ってないのに捨てられない。邪魔なんだけどなあ。

逆にいろんなところに散らかってたモノをまとめる過程で大量に出て来たものもあって。爪切りとはさみとライター。
爪切りは出先で爪をどうかしちゃって急遽コンビニで買ったりしたからか、なんと5コもあった。超いらねー。
はさみは自分で買った覚えのないものも含めて8本。たぶん仕事先で誰かが誰かのはさみを借用して間違ってぐりの工具箱に戻したりしたのが貯まったんだと思う。切れ味の悪くなってたのは捨てたけど、それでも6本残った。
ライターは11コ。これもなくすたびに100円ライターを買ってそのへんに放り出してたのが貯まってた。今ぐりはジッポを使ってるので使うあてがない。でも全部まだ使えるし、悩ましいです。
こんな風にモノは貯まってくんだよね。貯めないように気をつけてても、もったいない病は一生の病気なのかも。

バイバイ オレンジ電車

2010年10月18日 | diary
さよならオレンジ電車 JR中央線201系

ぐりも上京して最初の数年間は中央線沿線に住んでまして。
このオレンジ色の電車にはよく乗ってました。
学生時代は自転車通学だったので、社会人になって通勤で毎日乗るようになってからは、あまりの混雑と事故遅延の多さ・痴漢の多さに閉口した印象が強いです。
でもなんか好きだったなあ。中央線。

すごくよく覚えてるのは、車内でちょいちょい楳図かずお氏に遭遇したこと。
たぶん沿線にお住まいの方は皆さん目撃されてるんで有名だと思うんだけど、普段からあの赤白ボーダーの服なんだよね。常に。だからヤでも目につくの。しょっちゅう見かけてた気がするなー。
あと都内は都心と都外で気温差があって、冬場は都心では雨だったのが、中央線に乗って帰ってく途中で(だいたい武蔵境とか東小金井とかそのへん)雪になったりするの。最寄り駅に着くころにはちょびっと積もってたりして。
そういうのがなんだか、都内なのに微妙にローカルな感じで好きだったのかなあ。

一番強烈に記憶してるのが、大学2年生くらいのころ、クラスメート何人かで都内に映画を観に行くことになって、みんなで中央線に乗って、おしゃべりに夢中になってたときのこと。
なんでかすっごいハイテンションになっちゃってたんだよね。あのころはみんなすごく貧乏で、しかも都内まで映画を観に行くってゆーと結構電車代も高くつくし、映画館のチケット代だって学生にとっては安いものではないし、当時はファストフードで食事するのだって今より高かったから、ちょっと思いきったイベントみたいな感覚だったのかな?

それでなぜだか痴漢とか変質者の話で盛り上がり。中央線の中で、女の子ばっかり4人組で。
そのときはひとりが座席に座って3人は立ってたんだけど、座ってた子の隣に会社員風の中年の男性がいて、この人のリアクションがチョーおもろかった。
言葉は発しないんだけど、ほとんど会話に参加してんじゃないかってくらいめちゃめちゃ熱心にこっちの話を聞いてて、すっごい楽しそうだったの。こっちはこっちで彼のことは無視して盛り上がってたんだけど、彼が途中で下車した後、「あの人、おもしろかったね~」ってまたそれで盛り上がりました。

そんなことが楽しかったあのころの思い出と、切っても切り離せない、オレンジ色の電車。
もう乗れないんだなって思うとなんか寂しいです。
お疲れさま。
ありがとう。

ネクタイはウインザーノットで

2010年10月14日 | movie
『シングルマン』

16年間連れ添った恋人ジム(マシュー・グード)を事故で喪ったジョージ(コリン・ファース)。
絶望的な孤独感に耐えかねた彼はついに愛する人の後を追うことを決意、静かに周到に準備を整えていく。
1962年のロサンゼルスを舞台に人生最後の一日を過ごす男の内面を描く。

監督はトム・フォード。本職はファッション・デザイナーですな。グッチとかイヴ・サンローランとか、グラマラスでラグジュアリーかつセクシーなデザインが特徴的な人ですね。ぐり大好きです。
でもなんぼ好きなデザイナーの監督デビューったって、それだけで観たいとは思わない。洋服のデザインと映画づくりじゃ畑違いですし。しょーじき全然期待してなかった。
ところが完成してみたら結構な評判で2009年度の賞レースでもなかなかの健闘を見せ、主演のコリン・ファースはヴェネツィア国際映画祭と英国アカデミー賞、サンフランシスコ映画批評家協会賞で主演男優賞を獲得している。ブラボー。素晴らしい。

確かにコリン・ファース素晴らしいです。マジすげーっす。
とくにぐりが感動したのは、ジムの兄弟(ジョン・ハム)から電話で事故の連絡を受けるシーン。
ごく短い会話がワンカットで終わり、電話を切ってから涙が一粒、ぽろりとこぼれる。ぐりの記憶にある限り、今までに観た映画の中に、こんなに能弁な涙はまずなかったと思う。最愛の人に二度と会えない悲しみ、その事実をいきなり突きつけられた衝撃、昨日までそこにあった幸せがするりと手の中から抜け出ていってしまった欠落感、ふたりで大切に積み重ねて来たものをあっさり否定され奪われる無力感、不条理、悔しさ、怒り、その他言葉には表せないもろもろのものがこれでもかと溢れんばかりに、たったひとしずくの涙の中に流れているのだ。
これほど悲しく、切ない涙を、ぐりはおそらく初めて観た。

物語は完全にジョージひとりの主観で描かれる。
朝、今日で終わりにしてしまおうと決めた彼は、表面上はいつも通りに振る舞いつつ着々と身辺を整理し、黄泉路への旅装を整える。護身用の銃に新しい弾丸をこめ、職場のデスクを片付け、金庫の中身を処分し、遺書を書き、経帷子を揃える。折りに触れてジムとの美しい思い出がフラッシュバックする。まるで今ひとりぼっちのジョージは偽物で、記憶の中でジムといっしょにいたジョージの方が本物だとでもいうように。
だが、そう簡単に人は死ねない。死のうとしているジョージをジムが呼ぶのと同じように、生きているジョージにもさまざまな人々が呼びかけてくる。彼らの声もまた、ジョージの心をそっと震わせる。
その力は最愛のジムが揺さぶるほど強くはないかもしれないが、なにしろ彼らは生きている。ジョージも紛れもなく生きている。人生最後の一日を生きるジョージには、生きている彼らの声も、常とは違って響いてくる。

ドラマチックなことは何も起こらず、台詞も少なく、非常に淡々とした映画ではあるけど、シンプルなのに知的でノーブルで官能的で、ちょいっとピリッとしたウィットもあるシナリオがとってもオシャレ。原作は邦訳されてないっぽいので(どっかでされてたら誰か教えて下さい)、とりあえずジョージが大学の講義で使ってたハクスリーでも読んでみますか。
もちろん映像も非常に素晴らしい。そこはさすがデザイナーです。全編まるでファッショングラビアのよーな完成度。まさに完璧。DVD出たら欲しいわあ。音楽もいいなと思ってたら梅林茂が担当してたのねん。
それにしてもコリン・ファースはこの手の出演作多いなー。ぐりが観たことあるだけでも『アナザー・カントリー』に『アパートメント・ゼロ』に『秘密のかけら』。4本目ですか。まあどれも名演だからいいけどね。
ジョージのガールフレンドを演じたジュリアン・ムーアも相変わらずええ女ですなあ。この人、とくにスタイル抜群でもないしソバカスだらけでしわしわなんだけど、なんかすっげえキレイなんだよね。この人を見るたびに、つまりは本物の美しさはそんな表面上の細かいこととは関係ないのさってことを痛感させられます。じゃあ何なんだ?って訊かれてもよくわかんないんだけど。