『ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実』フィリップ・ゴーレイヴィッチ著 柳下毅一郎訳
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映画『ホテル・ルワンダ』で描かれたルワンダ虐殺事件についてのルポルタージュ。
疲れた。もーーーマジに疲れました。読むのにこんなにエネルギーを使った本はいまだかつて記憶にない。なにしろ1時間以上読み続けることができないのだ。30〜40分読んでは休み、読んでは休まないと先に進めない。それほど疲れた。
量が多いとか内容が重いとか濃いとか複雑だとか、そーゆー問題ではない(事実多くて重くて濃くて複雑なのだが)。全っ然、読み手のことを意識して書かれていないのだ。ルポルタージュにも関わらず、章立ても段落わけもされていない。見出しというものが一切ない。そのうえ文章がわかりにくい。というか、何度読み返してもまったく意味不明な文章がやたらに出てくる。しかもこれは明らかに訳者と編集者のミスなのだが、誤字脱字満載(笑)。何ですかこれは?アメリカ人ジャーナリストである著者はこれが最初の著作。訳者の柳下氏はたぶん映画ライターとしても知られてる方ではないですかね?ぐりでもお名前を知ってるくらいだから。
それにしてもこの身もフタもない邦題はどうしたものか。原題は"We wish to inform you that tomorrow we will be killed with our families;Stories from Rwanda"。「明日、私たちが家族といっしょに殺されることをあなたにお知らせします」という某ツチ族牧師の手紙から引用された一文だそうだ。
1994年4月〜7月に、中央アフリカはルワンダという緑あふれる小国で起きた事件については、映画の公式HPでも簡単に説明されているのでここでは繰り返さない。
この本には、ことここにいたるまでのルワンダの歴史と、虐殺が始まるまでの経緯と、事件の全容(の断片)と、その後のルワンダと周辺諸国での混乱(などという言葉でかたづけるのも気がひけるほど深く激しい混乱)について、実に詳細に語られている。
これだけ詳しく書かれた本を読み終わった今も、ぐりには、なんでまたこんなことが起こり得たのか、やっぱりうまく理解はできない。
虐殺のことじゃない。虐殺のことなんかわかるはずがない。というか、わかったような気持ちになってはいけない気がする。
そうではない。ルワンダで起きた内戦はルワンダ人同士の争いではなかった。そもそもの発端をつくりだしたのは西側の権力者だった。そして国内紛争に手を貸した─文字通り‘火に油を注いだ’─のも西側諸国だった。虐殺が始まると国際社会はルワンダを見捨て、背を向けた。内戦に一応の決着がついてから彼らはやっと反応し難民支援に乗り出したものの、おカネやモノがただ徒にどさどさとおくりこまれるばかりで、実質的な事態収拾にはさっぱり非協力的だった。こうして目的のない殺しあいが無限にずるずると続くことになった。
そうなのだ。ルワンダという小さな平和な国を阿鼻叫喚の地獄にたたき落とし、そこで罪もない100万人の人間が殺され、300万人の難民が国境地帯に溢れかえり(ルワンダの人口は当時800万人)伝染病や飢えでバタバタと死んでいくのを、国際社会はじゃんじゃんと煽動していたのだ。そこには日本だってちゃんと含まれている。わたしも、あなたも、そんなこた知りませんでした、そんな遠い国のことなんて関係ありません、なんて言い逃れはできない。
どうしてそんなことが起こり得たのか?誰かぐりにもわかるようにもう一度説明してくれないだろうか?
だがたったひとつだけいえることがある。
ルワンダで起きたことは、方法さえ踏まえれば、どこでだって起こせることだ。特別なことじゃない。それこそ、アダブラカダブラなんとかかんとかと呪文を唱え、みんなにマチェテ(山刀)を配って「ハイ、隣人を殺しなさい。やらない人は殺されますよ」と宣伝すれば、どこの国でもルワンダと同じ状況に陥らせることはできるんじゃないかと思う。
それほど人間は愚かで、単純なのだ。ルワンダの人たちが貧しくて教育程度が低かったからこうなった、というのは誤りだと思う。自分の頭でものを考え、自分自身の意見をもち、それに自分で責任をもつ、そうした自立した社会意識が、21世紀の今でも、日本やアメリカを含め教育制度が完備され各種社会サービスの行き届いた先進諸国でさえ、ちゃんと浸透しているとは、ぐりにはとても思えないのだ。そんな社会で、選民主義という名の人種差別と民族浄化という名の暴力とを結びつけるのは、それほど難しいことではないのではないだろうか。
誰か目立ちたがり屋な人間がお立ち台に立って、わかりやすくて耳に心地よいメッセージを色とりどりに飾ってみせれば、みんなが無批判に鵜呑みにする。そしてそれが一旦否定されれば手のひらを返したようにみんななかよく揃って攻撃する。結果として誰かが傷ついても、誰ひとり責任はとらない。「みんなそうしてたから」「誰それがこういったから」「忘れた」「知らない」でことを済まそうとする。
それってべつに、遠い国の非現実な話じゃないんじゃないですか?どうでしょう?
毎日毎日TVで、ネットで、わいわいと流れている映像や情報は、そんな‘Stories’に似てると思いませんか?
そういう世の中を、ぐりは心底恐ろしいと思う。ほんとうに怖いと思う。
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映画『ホテル・ルワンダ』で描かれたルワンダ虐殺事件についてのルポルタージュ。
疲れた。もーーーマジに疲れました。読むのにこんなにエネルギーを使った本はいまだかつて記憶にない。なにしろ1時間以上読み続けることができないのだ。30〜40分読んでは休み、読んでは休まないと先に進めない。それほど疲れた。
量が多いとか内容が重いとか濃いとか複雑だとか、そーゆー問題ではない(事実多くて重くて濃くて複雑なのだが)。全っ然、読み手のことを意識して書かれていないのだ。ルポルタージュにも関わらず、章立ても段落わけもされていない。見出しというものが一切ない。そのうえ文章がわかりにくい。というか、何度読み返してもまったく意味不明な文章がやたらに出てくる。しかもこれは明らかに訳者と編集者のミスなのだが、誤字脱字満載(笑)。何ですかこれは?アメリカ人ジャーナリストである著者はこれが最初の著作。訳者の柳下氏はたぶん映画ライターとしても知られてる方ではないですかね?ぐりでもお名前を知ってるくらいだから。
それにしてもこの身もフタもない邦題はどうしたものか。原題は"We wish to inform you that tomorrow we will be killed with our families;Stories from Rwanda"。「明日、私たちが家族といっしょに殺されることをあなたにお知らせします」という某ツチ族牧師の手紙から引用された一文だそうだ。
1994年4月〜7月に、中央アフリカはルワンダという緑あふれる小国で起きた事件については、映画の公式HPでも簡単に説明されているのでここでは繰り返さない。
この本には、ことここにいたるまでのルワンダの歴史と、虐殺が始まるまでの経緯と、事件の全容(の断片)と、その後のルワンダと周辺諸国での混乱(などという言葉でかたづけるのも気がひけるほど深く激しい混乱)について、実に詳細に語られている。
これだけ詳しく書かれた本を読み終わった今も、ぐりには、なんでまたこんなことが起こり得たのか、やっぱりうまく理解はできない。
虐殺のことじゃない。虐殺のことなんかわかるはずがない。というか、わかったような気持ちになってはいけない気がする。
そうではない。ルワンダで起きた内戦はルワンダ人同士の争いではなかった。そもそもの発端をつくりだしたのは西側の権力者だった。そして国内紛争に手を貸した─文字通り‘火に油を注いだ’─のも西側諸国だった。虐殺が始まると国際社会はルワンダを見捨て、背を向けた。内戦に一応の決着がついてから彼らはやっと反応し難民支援に乗り出したものの、おカネやモノがただ徒にどさどさとおくりこまれるばかりで、実質的な事態収拾にはさっぱり非協力的だった。こうして目的のない殺しあいが無限にずるずると続くことになった。
そうなのだ。ルワンダという小さな平和な国を阿鼻叫喚の地獄にたたき落とし、そこで罪もない100万人の人間が殺され、300万人の難民が国境地帯に溢れかえり(ルワンダの人口は当時800万人)伝染病や飢えでバタバタと死んでいくのを、国際社会はじゃんじゃんと煽動していたのだ。そこには日本だってちゃんと含まれている。わたしも、あなたも、そんなこた知りませんでした、そんな遠い国のことなんて関係ありません、なんて言い逃れはできない。
どうしてそんなことが起こり得たのか?誰かぐりにもわかるようにもう一度説明してくれないだろうか?
だがたったひとつだけいえることがある。
ルワンダで起きたことは、方法さえ踏まえれば、どこでだって起こせることだ。特別なことじゃない。それこそ、アダブラカダブラなんとかかんとかと呪文を唱え、みんなにマチェテ(山刀)を配って「ハイ、隣人を殺しなさい。やらない人は殺されますよ」と宣伝すれば、どこの国でもルワンダと同じ状況に陥らせることはできるんじゃないかと思う。
それほど人間は愚かで、単純なのだ。ルワンダの人たちが貧しくて教育程度が低かったからこうなった、というのは誤りだと思う。自分の頭でものを考え、自分自身の意見をもち、それに自分で責任をもつ、そうした自立した社会意識が、21世紀の今でも、日本やアメリカを含め教育制度が完備され各種社会サービスの行き届いた先進諸国でさえ、ちゃんと浸透しているとは、ぐりにはとても思えないのだ。そんな社会で、選民主義という名の人種差別と民族浄化という名の暴力とを結びつけるのは、それほど難しいことではないのではないだろうか。
誰か目立ちたがり屋な人間がお立ち台に立って、わかりやすくて耳に心地よいメッセージを色とりどりに飾ってみせれば、みんなが無批判に鵜呑みにする。そしてそれが一旦否定されれば手のひらを返したようにみんななかよく揃って攻撃する。結果として誰かが傷ついても、誰ひとり責任はとらない。「みんなそうしてたから」「誰それがこういったから」「忘れた」「知らない」でことを済まそうとする。
それってべつに、遠い国の非現実な話じゃないんじゃないですか?どうでしょう?
毎日毎日TVで、ネットで、わいわいと流れている映像や情報は、そんな‘Stories’に似てると思いませんか?
そういう世の中を、ぐりは心底恐ろしいと思う。ほんとうに怖いと思う。