5月18日(金)~20日(日)震災ボランティアレポートIndex
実は震災ボランティアで泥出しをしたのは今回が初めての経験だったんですが。
行く前から、やることは泥出しと瓦礫撤去とゆーのはわかってて、やりたくて参加した。
参加する前に、「被曝を気にする人は参加しないで」「作業中にご遺体が見つかることもある」という注意は受けていた。現場の南相馬市では今も7人の方が行方不明のままだ。津波で遠く流されるご遺体もあり(300km流されたケース)、まだ被災地全体で3000人以上がみつかっていないのだから、捜索が充分に行われていない警戒区域で見つかる可能性だって高い。
それはわかっていたけど、実際にその場にいくまであまり実感はわかなかった。作業を始める前にリーダーが「ご遺骨やご遺体が見つかったら、作業を止めて警察を呼ぶ」「どんな状態であれ帰りを待っている人がいる」などの注意事項を口にしたとき、やっと、「ああここでたくさんの人が亡くなったんだ」と改めて思い出した。
短い作業中には実際にそういう場面に出会うことは結局なかったけど、そういう場所なんだと思いながら注意深く泥を掘った。
この震災で亡くなった人は、津波に流されて溺死した人がもっとも多いといわれている。
この他に、地震で倒壊した建物の中で圧死した人、火災に巻き込まれて焼死した人もいる。そして凍死者もいた。
3月上旬、雪が降るほど寒かったあの日、なかなか救助の手が届かないなかで寒さに耐えられずに命を落とした人たちがいた。
今年の3月11日の夜、宮城県の宿の主が窓を開けてちらつく雪を眺めながら、津波から避難できたのに、何日も屋外で助けを待たされているうちに死んでしまった人が少なからずいることを話してくれた。
宮城県にいたのだから、原発事故で震災直後の救助・捜索が満足に行われなかった福島県にはもっとたくさんの犠牲者がいたに違いない。
警察も消防も自衛隊も頑張ってたけど、助けられないままむざむざ死なせてしまった人がいる。亡くなった人も、その家族も、助けられなかった人たちも、どれほど無念だっただろうか。悲しかっただろうか。
東京にいると、震災や原発事故が起こったあの日の悲劇から、日常はどんどん遠ざかっていく。
でも、被害に遭った人たちにとっては月日はそう簡単には流れていかない。
前を向いて歩き出している人たちもいる一方で、そうはいかない人たちもたくさんいる。大切な人を失った人ならなおさらである。
なかなか前を向けない人のすぐ傍で、新しい人生を踏み出している人がいるという状況もまたつらい。焦りもあるだろう。孤独感もあるだろう。
死んでしまった人の手前、簡単に次にいけないという気持ちもある。それでは死んでしまった人に申し訳ないと思っている人もいる。
残された人は生きていくしかないけど、どう生きるべきかという正解はない。あったとしてもぐりにはわからない。
けど、できるなら、そういう人の心の傍にいつもいたいと思っている。
福島県名物の桃のジュース。桃100%。
2012年5月2日(水)~6日(日)震災ボランティアレポート
2012年4月14日(土)~15日(日)震災ボランティアレポート
2012年3月16日(金)~21日(水)震災ボランティアレポートIndex
2012年3月10日(土)~13日(火)震災ボランティアレポート
2012年2月9日(木)~2月15日(水)震災ボランティアレポートIndex
2012年1月18日(水)震災ボランティアレポート
2011年11月1日(火)~6日(日)震災ボランティアレポートIndex
2011年10月21日(金)~24日(月)震災ボランティアレポート
2011年10月6日(木)~10日(日)震災ボランティアレポート
2011年8月26日(金)~9月4日(日)震災ボランティアレポートIndex
2011年8月11日(木)~15日(月)震災ボランティアレポートIndex
2011年4月29日(金)~5月7日(土)震災ボランティアレポートIndex
Googleマップ 震災ボランティアレポートマップ(ver.3.5)
実は震災ボランティアで泥出しをしたのは今回が初めての経験だったんですが。
行く前から、やることは泥出しと瓦礫撤去とゆーのはわかってて、やりたくて参加した。
参加する前に、「被曝を気にする人は参加しないで」「作業中にご遺体が見つかることもある」という注意は受けていた。現場の南相馬市では今も7人の方が行方不明のままだ。津波で遠く流されるご遺体もあり(300km流されたケース)、まだ被災地全体で3000人以上がみつかっていないのだから、捜索が充分に行われていない警戒区域で見つかる可能性だって高い。
それはわかっていたけど、実際にその場にいくまであまり実感はわかなかった。作業を始める前にリーダーが「ご遺骨やご遺体が見つかったら、作業を止めて警察を呼ぶ」「どんな状態であれ帰りを待っている人がいる」などの注意事項を口にしたとき、やっと、「ああここでたくさんの人が亡くなったんだ」と改めて思い出した。
短い作業中には実際にそういう場面に出会うことは結局なかったけど、そういう場所なんだと思いながら注意深く泥を掘った。
この震災で亡くなった人は、津波に流されて溺死した人がもっとも多いといわれている。
この他に、地震で倒壊した建物の中で圧死した人、火災に巻き込まれて焼死した人もいる。そして凍死者もいた。
3月上旬、雪が降るほど寒かったあの日、なかなか救助の手が届かないなかで寒さに耐えられずに命を落とした人たちがいた。
今年の3月11日の夜、宮城県の宿の主が窓を開けてちらつく雪を眺めながら、津波から避難できたのに、何日も屋外で助けを待たされているうちに死んでしまった人が少なからずいることを話してくれた。
宮城県にいたのだから、原発事故で震災直後の救助・捜索が満足に行われなかった福島県にはもっとたくさんの犠牲者がいたに違いない。
警察も消防も自衛隊も頑張ってたけど、助けられないままむざむざ死なせてしまった人がいる。亡くなった人も、その家族も、助けられなかった人たちも、どれほど無念だっただろうか。悲しかっただろうか。
東京にいると、震災や原発事故が起こったあの日の悲劇から、日常はどんどん遠ざかっていく。
でも、被害に遭った人たちにとっては月日はそう簡単には流れていかない。
前を向いて歩き出している人たちもいる一方で、そうはいかない人たちもたくさんいる。大切な人を失った人ならなおさらである。
なかなか前を向けない人のすぐ傍で、新しい人生を踏み出している人がいるという状況もまたつらい。焦りもあるだろう。孤独感もあるだろう。
死んでしまった人の手前、簡単に次にいけないという気持ちもある。それでは死んでしまった人に申し訳ないと思っている人もいる。
残された人は生きていくしかないけど、どう生きるべきかという正解はない。あったとしてもぐりにはわからない。
けど、できるなら、そういう人の心の傍にいつもいたいと思っている。
福島県名物の桃のジュース。桃100%。
2012年5月2日(水)~6日(日)震災ボランティアレポート
2012年4月14日(土)~15日(日)震災ボランティアレポート
2012年3月16日(金)~21日(水)震災ボランティアレポートIndex
2012年3月10日(土)~13日(火)震災ボランティアレポート
2012年2月9日(木)~2月15日(水)震災ボランティアレポートIndex
2012年1月18日(水)震災ボランティアレポート
2011年11月1日(火)~6日(日)震災ボランティアレポートIndex
2011年10月21日(金)~24日(月)震災ボランティアレポート
2011年10月6日(木)~10日(日)震災ボランティアレポート
2011年8月26日(金)~9月4日(日)震災ボランティアレポートIndex
2011年8月11日(木)~15日(月)震災ボランティアレポートIndex
2011年4月29日(金)~5月7日(土)震災ボランティアレポートIndex
Googleマップ 震災ボランティアレポートマップ(ver.3.5)