落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

ある愛のうた

2012年10月20日 | movie
『夢売るふたり』
人気の小料理屋を夫婦ふたりできりもりしていた貫也(阿部サダヲ)と里子(松たか子)だが、火災ですべてを失い、一から出直すことに。ある夜、貫也が偶然再会した常連客玲子(鈴木砂羽)から大金を受取ったことから、里子は貫也を操作して女性を騙し金をまきあげて開店資金にあてることを思いつくのだが・・・。

小料理屋で働く良妻賢母な松たか子といえば『ヴィヨンの妻』ですな。むちゃくちゃデジャヴュですが。
しかし今回の良妻賢母は怖いです。盲目的に夫に尽くすのではなく、がっちりと夫をコントロールしとります。めっちゃ頭いいです。
夫はそれがなぜなのかがわからない。里子くらい聡明で働き者の女性が、なぜそうまでして自分にこだわるのかがわからない。コワイ。でも離れられない。
たぶん里子は、貫也が料理人としての腕以外では大したことない男だってとこはわりとどうでもいいんだよね。その貫也をして思い通りの店を出させて成功させる、その妻としての成功、プロデューサーとしての手腕に燃えてるんだよね。

この夫婦は九州、たぶん博多近辺の出身の設定で、台詞もちょこちょこ九州弁が出てくるんだけど、そこでぐりはちょっと笑ってしまった。
学生時代、ぐりのまわりには九州出身の同級生がたくさんいて、この夫婦のような組合わせも珍しくなかったからだ。女の子は情が深くて献身的で、頭が良くてしっかりしている。ちゃんと授業に出席して成績も悪くないし、バイト先でも信用されてるし友だちも多い。男の方は優柔不断で女にも酒にもだらしないくせに頑固者で弱虫で、彼女に迷惑ばかりかけている。周りはあんなにいい娘はあの男にはもったいないと、誰もが口を揃えていう。実際にオレの方が○○ちゃんを幸せにしてやれるなんていって割込んでくる間男だって登場する。けどすったもんだの末には結局元の鞘に納まっていたりする。腐れ縁だねなんていいつつ周りはそれで安心したりするんだけど、卒業してしばらく経つとあっさりと別れてしまってたりしてまた驚かされる。
この映画のカップルはそういう学生時代の恋バナを彷彿とさせられて微笑ましかった。あくまでもぐりの個人的な「九州ナショナリズム」の典型に変にばっちりハマって見えて、懐かしかった。
ストーリーそのものはまったく微笑ましくありませんが-。

しかしやけに登場人物が多くて話がしつこく二転三転するので、観てて長くて疲れました。
とくに松たか子の顔色が悪くて、それで途中病気ネタで女を騙すパートもあったもんだから、ホントに病気なんじゃ?そのうち死ぬんじゃ?なんて気が気じゃなかった。アレは狙った演出なのかねえ?
あと始まってスグにすんごい濡れ場で大学の同級生(非九州人)が出てきてビックリしたよ。台詞もないどーでもいい役だったけど、彼本人はけっこう映画とかドラマとかちゃんと出てる人だから、なんであんな役でワンシーンだけ?という?マークがかなりしばらく頭ぐるぐるしちゃったよ。

海峡の彼方

2012年10月20日 | movie
『かぞくのくに』
在日コリアンのリエ(安藤サクラ)の兄ソンホ(井浦新)は25年前に帰国事業で北朝鮮に移住。脳腫瘍の治療のために初めて一時帰国したが、工作員らしきヤン(ヤン・イクチュン)が監視としてつけられ、思ったような自由な帰郷を楽しめない。
病院ではたった3ヶ月の滞在期間では治療できないと手術を断られてしまい、リエは幼馴染みのスニ(京野ことみ)に相談を持ちかけるのだが・・・。

すいません。超眠かったです。ごめんなさい。
たぶんこれ監督がドキュメンタリーの人だからだと思うんだけど、ほとんどカット割りがないのね。ワンシーンワンカット、それもよくわかんない手持ちばっかりで。視覚的にスゴイ疲れるのよ。無駄に緊迫感ありすぎて。
あとやっぱぐりのうちが在日コリアンで、もともと総連にも入ってたってのもあるかもね(今は違うけど)。日本のふつうの観客には物珍しい(と思われる)慣習とか設定とか、ぐりにとってはごく当たり前のことだから、何の驚きもない。だいたい「だからなんだ」で終わってしまう。

逆にいえばリアリティだけはしっかりたっぷりと再現されてるわけで、たとえば在日コリアンの妙にギトギトと濃い同族意識とか、とにかく息子が可愛くて可愛くてしょうがない母親とか、やたら権威主義的な父親とか、在日コリアン同士でも韓国国籍や日本国籍を持つ者とそうでない者との法的立場の違いとか、そういう微妙で繊細なモチーフがとにかく非常にきめ細やかに表現されている。当事者のぐりからすればうざくてしょうがないくらい。
てゆーかぐりは習慣としてこの手の映画はいっさい観ないことにしてたのだった。今回なんで観ちゃったんだろう?観たって疲れるだけなのに。
とゆーことに映画が始まってから気づいた。そして眠くなり。
ろくでもないなあたしは。

在日コリアンがどんな生活をしてるのか、日本で外国人として、北朝鮮の人として暮らすということがどんなことか、北朝鮮と日本との距離感を感じる上ではいい映画かもしれない。
エンターテインメントとして完成度はどーなんだとゆーあたりは別として。
こういう映画が劇映画として製作されたことは単純に嬉しいことだと思う。ちゃんと評価もされてるみたいだし。それは良いことだと思う。

それにしても工作員がヤン・イクチュンはないやろ。
だってヤン・イクチュンだよ。チンピラやん。
画面に映るたびについつい「ヤン・イクチュンやー」なんて笑っちゃいましたすいません。

たとえ今が土砂降りでも

2012年10月19日 | movie
『桐島、部活やめるってよ』
高校2年生の秋、男子バレー部キャプテンの「桐島」が突然退部したことから校内に広がる波紋を描いた青春エンターテインメント。
「桐島」は県選抜選手にも選ばれるほどの名選手でかつ周囲に「何でもできる」といわしめるほどの人物で、梨紗(山本美月)という美人のガールフレンドまでいる。だが誰にも何の理由も告げずに黙って突然部活を辞め、梨紗や親友を含めた同級生たちの前から姿を消してしまう。
一方で、文化部である映画部の前田(神木隆之介)や吹奏楽部の沢島(大後寿々花)には、独自に好きなものを追いかけなくてはならない日々があり・・・。

桐島くんがまったく画面に出てこないまま、時制を前後しながら繰返し視点を変えながら描かれる、金曜日から火曜日までのお話。
やっと観れました。
ぐりの記憶では、部活やら成績やら恋人の有無/モテるモテないで校内でのステイタスが決定されてたのは中学時代だったと思う。女の子同士の無意味にべとべとした人間関係やら、無駄な噂話やら、行き場のない自己顕示欲やら、ワケのわからない感情がカオスのように渦巻いた、それはそれは狭苦しく窮屈な牢獄、それがぐりの中学時代だった。
高校はもっと個人主義的でドライで明るい校風だったので、この映画に描かれるような高校時代ではまったくなかった。なので、この映画で刺激されるのは高校時代の記憶というよりは中学時代の記憶だ。
だがしかしぐりの中学時代はそれこそ思い出したくもない記憶だらけなので、もうひとつするっと素直に共感するというわけにもいかない。
その感情の壁が、観ていてなんだかしんどかった。
けど、思春期ってそもそもそんなものだよね。なんでそこにあるんだかわかんない壁に自分からぶつかって、あるはずの出口が見つからなくて、自分で自分の首を絞めて苦しんでる。

印象的なのは、野球部なのに部活にも出ず、バスケ部でもないのにスリーオンスリーで時間をつぶす宏樹(東出昌大)のキャラクター。
桐島の親友という彼のステイタスも、桐島とほぼ同程度という設定になっているのだろう。チャラチャラと妙にめだつガールフレンド(松岡茉優)がいて、練習にも出ていないのにキャプテンには戦力として有力視されている。背が高く、物腰は鷹揚でどこかいつも余裕を感じさせる。
こういう子いたなあ、と懐かしくなるような男の子。やたら身体が大きくて、そのせいなのかどことなく大人っぽく見えて、物静かであまり感情を表に出さなくてなんとなく距離を感じさせるんだけど、友だちも彼女もいてそこそこ人気はあってという、ちょっと不思議な立ち位置の男の子。特定の誰かを思い出すというのではないんだけど、宏樹みたいな感じの同級生は確かに何人かいた気がする。
その宏樹が、クライマックスシーンで前田にカメラを向けられて一瞬見せる表情に、はっと胸を突かれた。ぐりは中高生時代に宏樹みたいなクールな同級生たちにうっすら関心はあったけど、彼らの個人的な感情になんて触れるよしもなかったから。
あの表情にどんな思いが表れていたのか。悔しさなのか、寂しさなのか、悲しさなのか、迷いなのか。でも考えてみたら、思春期なんてそういう思いに全身塗れてもがきのたうちまわってこそナンボだったような気もする。

人生のステイタスなんてほんとうは誰にも決められるものではない。
青春の勝利は、ほんとうに愛せるものに出会えること、たとえいっときでも、一瞬一瞬をかけて全身全霊で臨めるなにかに出会い、すべてを犠牲にしても夢中になれる時間をわがものにできることではないだろうか。
そんな魂の愛の炎は年齢とともに去っていってしまう。それは予想もできないくらい突然、呆気なく消えてしまう。その光と熱が失われる前に、どれだけ思う存分燃やしつくせるかどうかが肝心なのだ。そしてたったそれだけの真理に辿り着くのは、大概何もかも過ぎ去ってしまった後なのだ。
誰にリスペクトされなくても前田はその火をはっきりと燃やしていたし、宏樹はうまく点火できなかった。あるいは既に消えてしまっていた。そのことに気づいたのが、あの刹那にゆらめいた表情だったのだろう。
なぜか意味もなく泣けて泣けて仕方がなかったあのころを、思い出させてくれるワンシーンだった。

どこに出口があって答えがあってというような話では全然ないけど、思春期のリアリティがとてもよく描けてる映画だとは思う。
しかし高橋優の主題歌はよかったな。

ひさしぶりに引越し

2012年10月03日 | diary
やっと引越しが終わりましたが。

といっても予定通りにコトは運ばず、荷物もまったくかたづいてませんけどね。人の住める空間になるのはまだまだ先ですが。とりあえず移動は済んだってとこですかね。
今まで住んでた家と場所はほとんど変わらないけど、家そのもののタイプが完全に違うので、なんだかまだ「自分の家」という感じがしない。
これが荷物がかたづいて、リラックスできる空間になってくればまた変わるのかもしれないけど、今はおちおちゆっくり眠ることもできません。どんなに疲れてても、夜中にくっきりと目が覚めて、そのまま眠れなくなってしまう。
おかげさまで引越しの疲労がなかなかとれない。

なにしろ十ン年ぶりの引越しだったので、いろいろと驚くことも多かった。
まず家賃相場が違う。
今回の引越しで家賃はいくらか上がったのだが、以前はこんな家賃でこのエリアでこのレベルの家は借りられなかった。割りと大幅な家賃アップだが、ぐり的な感覚ではこれでも激安である。こういう家(どういう家だ)に自分が住むようになるとは夢にも思ってなかったから、引越し先を決めて管理会社に申込書を出しても審査に通るかどうかがまず心配で、通った後もほんとうに引越せるような気がさっぱりしなかった。引越しが済んだ今でも、なんだかどこかでキツネにつままれたような気分がする。

それから引越し見積もりサイトの存在。
それこそ昔は職業別電話帳でピックアップした引越し業者に順繰りに電話をかけて合いみつをとって決めたけど、今は引越し見積もりサイトなんぞという便利なものがある。条件を入力して申し込むだけで、各社が勝手に見積もりをして送ってきてくれる。
ビックリしたのはその後。もう何事かと思うくらいケータイじゃんじゃん鳴りまくり、メールも山のように来る。そのなかには驚くなかれ引越し業者でもない通信代行業者までまじっていた。ケータイで話を聞きながらネット検索もできるし、妙な話もクールに流せはしますけどね。けどコワイやないかあー。
とはいえ、結果的には引越しそのものは信じられないくらい安く上がった。ぐりが頼んだ業者は梱包はしてくれないし、冷蔵庫や洗濯機などの白物は今回新調したしエアコンも備えつけだったから、本当に荷物を積んで下ろしただけだけどね。ただ持ち物の約半分を処分するという引越しだったので、快く処分品を引き受けてもらえてとても助かった。

今回引越しを機に持ち物の半分を処分して、白物家電を含めた家財道具の大半を買い替えたんだけど。
時間がないので全部通販で買った。もともと通販はよく利用するけど、年を食って物欲がなくなり、買物が楽しくなくなってしまうと、わざわざ店に出かけてモノを選ぶというのが苦痛でしょうがない。仕事も忙しくて時間的余裕がなかったので、何もかも通販で済ませてしまった。
しかし通販て安いね。冷蔵庫とか洗濯機が高校生のお小遣い程度の額で買えるなんて冗談みたいです。今まで買い替えようと思ったことがなかったから、最初に買った20年以上前からどれほどデフレが進んだのか、引越しで改めて痛感してしまったよ。
あまりにも何でも安いので、最初は必要最低限の物だけ揃えて後からおいおい買い足そうと思ってた物も一気に買い替えた。買い替えただけでまだ使えてませんけど(爆)。

それより何より一番ビックリしたのが自分の持ち物の多さ(笑)。
なんだかんだとときどきごっそり荷物を捨てたりしてたので、それほど多いはずはないと思ってたけど、あったね。学生時代のモノとか、自分でもなんでとっといたのか意味のわからないモノが。単に業者に出すのが面倒で放置してそして忘れたままになってたモノとか。
今回もかなり景気よく捨てたけど、新居に引越して開梱してみたら、自分でもなんで持ってきたのかよくわからないモノもまだある。古い家では大切に思えたのに、180度環境の違う新居ではモノの重要性も違って見えちゃうんだよね。なのでまた不要物引取業者を呼ぶことになる。
中には開梱せずに処分した方がいいのかも・・・と思えるものもある。映画のパンフとかね。とっとくのと処分するのと分けてたら収集つかなそう。

そんなワケで引越しそのものはまだまだ終わらない。
早く終わりたいよー。とりあえず連休に頑張ります・・・。



謎の相関図。
たぶん友達に聞いた恋バナのメモ。荷物整理中に出てきた。
自主制作映画のネタにでもするつもりだったのかもしれないけど、今となってはほぼ宇宙語。