2015年8月24日、一橋大学法科大学院の敷地内で男子学生が転落死する事件が起こった。
その日からぴったり2ヶ月前、彼は恋愛感情をうちあけた同性のクラスメイトから、複数のクラスメイトで構成されるLINEグループに同性愛を暴露されたこと(アウティング)に非常にショックをうけ、以来著しく精神状態を害し、大学側に対応を相談し医療機関での治療も受けていたその矢先のことだった。
彼の死後に両親が一橋大学を相手に提起した損害賠償訴訟の証人尋問を傍聴してきた。
今日の証人尋問に出廷したのは、亡くなった男子学生の担当教授でもあった一橋大学法科大学院教授、ハラスメント相談室室長、保健センター医師、および男子学生の妹と両親。
最初の証人は教授だが、おそらく大学側として最初に男子学生本人から直接ことの次第を聞きとった人物だと思われる。証言で挙げられただけでも10件以上メールのやり取りがあり、男子学生の友人を交えて2度面談も実施したという。教授は男子学生本人に対して「(申し立てたアウティングが事実だとすれば)ひどいことだし、人権をたいせつにするべき法曹のたまごにあるまじき行為。法科大学院として恥ずべきこと」だという見解を伝えている。おそらくこれは教授本人の素直な感覚そのままだろうし、だからこそ男子学生本人の認識をある面で補強した見解でもあったのだろうと思う。研究者はしばしば、自らの影響力の大きさを必ずしも正確に捉え把握しコントロールしていないときがある。あるいは教授はそのつもりではなかったのかもしれないが、男子学生の首尾一貫した認識が教授のこの発言に基づいていた可能性は否定できないのではないだろうか。
一方で、教授はアウティングをした側の相手学生のクラス替えや、出席必須の刑事模擬裁判の授業への対応など、男子学生と相手側の直接的な接触を避けるための具体的な対応を積極的には実施していない。証言からは、あくまでも事態は男子学生と相手側との個人的な出来事としてのみとらえ、ハラスメント相談室など専門機関の対応を待っていた、消極的な姿勢がありありとみてとれた。
他のクラスメイトからはアウティングによってクラスの雰囲気が著しく悪化している事実を聞きとっており、そもそもの加害行為はアウティングをした学生本人の責任であることは把握していたにも関わらず、担当教授としてもっととるべき対応があったはず、己にその責任があったとはつゆとも思わないらしい。
それでも法科大学院教職員には「男子学生と相手側が接触すれば何が起こるかわからないから注意してほしい」と要請した事実は認めている。原告側代理人に「接触すれば何が起こると思っていましたか」と尋ねられ、「わかりません」といやにはっきり回答していたけれど、まあそんなワケないよね。ふつうに。
次の証人は一橋大学ハラスメント相談室室長。
この人の証言は完全に聞くだけ無駄でした。というかこのハラスメント対応制度にそもそも問題があったというのがわかっただけ。だって実際に相談を受けたその人本人じゃないんだもん。守秘義務の関係で室長は相談内容そのものは詳細には把握してないし、きまりとしては本人によりそう、委員会にはきちんと気持ちが伝わるように手助けするということになっているけど、とにかく手続きがビックリするぐらい煩雑なうえに規則で雁字搦め、大概のハラスメントはこういう専門機関に持ちこまれた段階で危機的状況に瀕していて当たり前なのに、いちいちまもらなきゃいけないルールが多すぎるし時間がかかりすぎている。意味ないやろ。
口では「あなたはひとりじゃない、力になる」といって励ますだけで何もしない担当教授から、手続き段階決まりごとでガッチガチのハラスメント相談室にパスされた人権侵害が、いったい何をどうすればするっと平和解決するなどと誰が考えるものだろうか。
ほんとうは実際に相談を受けた専門相談員本人が証言に出てくるべきだったと思うけど、事件後に退職してしまっているらしい。
午後の一人目はハラスメント相談室からの要請で性同一性障害の治療をするメンタルクリニックを紹介した保健センターの医師。このときは男子学生本人に会ったり、詳しい相談内容を聞いたわけではなく、ハラスメント相談室の専門相談員からの照会に応じる形での情報提供にすぎなかったという。理由は医師本人が同窓でよく知っている専門家だから信頼できると思ったからだそうである。
いうまでもないが同性愛は病気ではないし、同性愛と性同一性障害はまったくべつの問題である。そして男子学生がかかえていた問題は性的指向によるものではなく、あくまでもアウティングという人権侵害に端を発していた。その重大性がいかに見落とされ見過ごされていたかがよくわかる。ここでも、男子学生から相談を受けていた専門相談員その人の不在が、この訴訟のブラックボックスになっていると痛感した。
聞いていて胸が痛んだのは、8月24日、まさに事故のその当日、医師が男子学生本人を診察した前後のことを証言したくだりだった。
男子学生はその日、どうしても出席しなくてはならない刑事模擬裁判のために体調不良をおして登校したものの、パニックを起こして倒れ、保健センターの休養室で休んでいた。午後に医師が出勤し、看護師の申し送りを受けて診察、アウティング以降の経緯を聞きとった。服用している薬を確認し、状態が悪かったため出席を思いとどまるように勧めたが本人の意志がかたく、とりあえず午後の授業のために昼食をとるように促し、本人が買物に行っている間に「念のため」ハラスメント相談室に出向いて事情を説明、法科大学院にも電話で状況を伝えている。
保健センターに戻ってきて待合室でパンをひとつ食べた男子学生は、欠席すれば留年しかねない刑事模擬裁判に出るといって14時半ごろ保健センターを後にした。
彼が法科大学院の建物6階のベランダの手摺につかまってぶらさがっているのが救急に通報されたのが15時4分。堪えきれずに転落し、病院で死亡が確認されたのが18時36分だった。
医師は間違いなく、彼が最後に助けを求めた大学側の人間、それもプロの医療者だった。
医師の証言は控えめで冷静沈着ではあったが、医者として、最後に故人から心の重荷をうちあけられた人間として、ほんとうは助けたかった、助けられたかもしれないという悔恨が静かに伝わってきた。
言葉そのものには直接的にそうした表現はない。大学教職員として(一橋に校医はいない)慎重に言葉は選んでいたし、たった一度の診察で何ができたわけでもないかもしれないけど、少なくとも、この証人尋問に出廷した責任意識の重さは感じることができた。
そのあとは妹、母親、父親の証人尋問が続いたけど、正直な話、ちょっとここに詳しく書きたいという気持ちにはなかなかなれないです。ごめんなさい(いつか機会があれば書くかもしれない)。
しかし3人の証言を聞いていると、男子学生がどれほど家族に愛されたいせつにされてきたか、真面目で素直で勉強家だったか、その彼が亡くなり、大学や同級生たちの不誠実さにどれほど家族が深く傷ついたか、激しい怒りが胸に迫ってきた。
3人は口を揃えて、男子学生は「同性愛を苦にして死んだのではない」と力強く証言した。
男子学生はアウティングのあと都合2度帰省をし、その間に所用で家族も上京し、彼が一橋に進学して以来はじめてというほど密にコミュニケーションをとっている。そのとき彼の状態がふつうではないことを家族は危惧し、どうにかしてサポートしなくてはと強く決意していた。25日には母親が上京して保健センターの医師とともに面談することも決まっていた。
にも関わらず、男子学生は死んでしまった。
今日の証人尋問を聞いただけでも、転落事故は自殺などではなく、うつ病の症状が一時的に悪化した突発的な事故だったことがわかる。
男子学生は大学の建物から飛び降りたのではなく転落した事実があり、それは病院に搬送された際、まだ自ら痛みを訴えるだけの意識があったという彼の負傷の状態からも推察できる。
確かに彼は遺書を残していた。だが遺書があるから自殺と断定できるほど、人の死は単純ではない。
遺書を書いた一方で、彼は自ら事態を打開するべくあらゆる対策を講じようとしていた。その危機を、うけとめるべき人が危機感をもってうけとめていなかった。あるいはうけとめながら、自身の責任意識でもって積極的に状況改善のために行動しようとはしていなかった。そしてその経緯を、守秘義務を言い訳に家族にすら開示しなかった。
これを官僚主義・事なかれ主義・隠蔽主義といわずしてなんというのか。
これが、日本に冠たるエリートロースクールなのだ。
個人的な話になるが、一橋大学の正門の前に一時期住んでいたことがある。
といってもこのアウティング事件の現場になった国立キャンパスではなく別のキャンパスだったけど、駅名にも一橋の名が冠され、街の地名にも大学のお膝元であることがわかる表現が使われていて、地域のランドマーク、アイデンティティのひとつとして愛された学舎だった。
そこを離れてもうかなりになるけど、この事件が公になったとき、地域の人がどんなふうに感じているのかが気になった。
おそらく一橋大学は、それも人権をなによりも尊ぶべき法律家を育成する法科大学院でこうした人権侵害を引き起こした汚名を、未来永劫背負い続けることになる。そのことを、あの学園都市の人々はどう思っているのだろうかと。
次回口頭弁論(もしかして結審)は10月31日。都合がつけば傍聴したいと思ってます。
2016年8月9日ハフポスト日本版:一橋大学ロースクールでのアウティング転落事件〜原告代理人弁護士に聞く、問題の全容
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2017年5月5日報告会:一橋大学アウティング事件裁判経過の報告と共に考える集い
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その日からぴったり2ヶ月前、彼は恋愛感情をうちあけた同性のクラスメイトから、複数のクラスメイトで構成されるLINEグループに同性愛を暴露されたこと(アウティング)に非常にショックをうけ、以来著しく精神状態を害し、大学側に対応を相談し医療機関での治療も受けていたその矢先のことだった。
彼の死後に両親が一橋大学を相手に提起した損害賠償訴訟の証人尋問を傍聴してきた。
今日の証人尋問に出廷したのは、亡くなった男子学生の担当教授でもあった一橋大学法科大学院教授、ハラスメント相談室室長、保健センター医師、および男子学生の妹と両親。
最初の証人は教授だが、おそらく大学側として最初に男子学生本人から直接ことの次第を聞きとった人物だと思われる。証言で挙げられただけでも10件以上メールのやり取りがあり、男子学生の友人を交えて2度面談も実施したという。教授は男子学生本人に対して「(申し立てたアウティングが事実だとすれば)ひどいことだし、人権をたいせつにするべき法曹のたまごにあるまじき行為。法科大学院として恥ずべきこと」だという見解を伝えている。おそらくこれは教授本人の素直な感覚そのままだろうし、だからこそ男子学生本人の認識をある面で補強した見解でもあったのだろうと思う。研究者はしばしば、自らの影響力の大きさを必ずしも正確に捉え把握しコントロールしていないときがある。あるいは教授はそのつもりではなかったのかもしれないが、男子学生の首尾一貫した認識が教授のこの発言に基づいていた可能性は否定できないのではないだろうか。
一方で、教授はアウティングをした側の相手学生のクラス替えや、出席必須の刑事模擬裁判の授業への対応など、男子学生と相手側の直接的な接触を避けるための具体的な対応を積極的には実施していない。証言からは、あくまでも事態は男子学生と相手側との個人的な出来事としてのみとらえ、ハラスメント相談室など専門機関の対応を待っていた、消極的な姿勢がありありとみてとれた。
他のクラスメイトからはアウティングによってクラスの雰囲気が著しく悪化している事実を聞きとっており、そもそもの加害行為はアウティングをした学生本人の責任であることは把握していたにも関わらず、担当教授としてもっととるべき対応があったはず、己にその責任があったとはつゆとも思わないらしい。
それでも法科大学院教職員には「男子学生と相手側が接触すれば何が起こるかわからないから注意してほしい」と要請した事実は認めている。原告側代理人に「接触すれば何が起こると思っていましたか」と尋ねられ、「わかりません」といやにはっきり回答していたけれど、まあそんなワケないよね。ふつうに。
次の証人は一橋大学ハラスメント相談室室長。
この人の証言は完全に聞くだけ無駄でした。というかこのハラスメント対応制度にそもそも問題があったというのがわかっただけ。だって実際に相談を受けたその人本人じゃないんだもん。守秘義務の関係で室長は相談内容そのものは詳細には把握してないし、きまりとしては本人によりそう、委員会にはきちんと気持ちが伝わるように手助けするということになっているけど、とにかく手続きがビックリするぐらい煩雑なうえに規則で雁字搦め、大概のハラスメントはこういう専門機関に持ちこまれた段階で危機的状況に瀕していて当たり前なのに、いちいちまもらなきゃいけないルールが多すぎるし時間がかかりすぎている。意味ないやろ。
口では「あなたはひとりじゃない、力になる」といって励ますだけで何もしない担当教授から、手続き段階決まりごとでガッチガチのハラスメント相談室にパスされた人権侵害が、いったい何をどうすればするっと平和解決するなどと誰が考えるものだろうか。
ほんとうは実際に相談を受けた専門相談員本人が証言に出てくるべきだったと思うけど、事件後に退職してしまっているらしい。
午後の一人目はハラスメント相談室からの要請で性同一性障害の治療をするメンタルクリニックを紹介した保健センターの医師。このときは男子学生本人に会ったり、詳しい相談内容を聞いたわけではなく、ハラスメント相談室の専門相談員からの照会に応じる形での情報提供にすぎなかったという。理由は医師本人が同窓でよく知っている専門家だから信頼できると思ったからだそうである。
いうまでもないが同性愛は病気ではないし、同性愛と性同一性障害はまったくべつの問題である。そして男子学生がかかえていた問題は性的指向によるものではなく、あくまでもアウティングという人権侵害に端を発していた。その重大性がいかに見落とされ見過ごされていたかがよくわかる。ここでも、男子学生から相談を受けていた専門相談員その人の不在が、この訴訟のブラックボックスになっていると痛感した。
聞いていて胸が痛んだのは、8月24日、まさに事故のその当日、医師が男子学生本人を診察した前後のことを証言したくだりだった。
男子学生はその日、どうしても出席しなくてはならない刑事模擬裁判のために体調不良をおして登校したものの、パニックを起こして倒れ、保健センターの休養室で休んでいた。午後に医師が出勤し、看護師の申し送りを受けて診察、アウティング以降の経緯を聞きとった。服用している薬を確認し、状態が悪かったため出席を思いとどまるように勧めたが本人の意志がかたく、とりあえず午後の授業のために昼食をとるように促し、本人が買物に行っている間に「念のため」ハラスメント相談室に出向いて事情を説明、法科大学院にも電話で状況を伝えている。
保健センターに戻ってきて待合室でパンをひとつ食べた男子学生は、欠席すれば留年しかねない刑事模擬裁判に出るといって14時半ごろ保健センターを後にした。
彼が法科大学院の建物6階のベランダの手摺につかまってぶらさがっているのが救急に通報されたのが15時4分。堪えきれずに転落し、病院で死亡が確認されたのが18時36分だった。
医師は間違いなく、彼が最後に助けを求めた大学側の人間、それもプロの医療者だった。
医師の証言は控えめで冷静沈着ではあったが、医者として、最後に故人から心の重荷をうちあけられた人間として、ほんとうは助けたかった、助けられたかもしれないという悔恨が静かに伝わってきた。
言葉そのものには直接的にそうした表現はない。大学教職員として(一橋に校医はいない)慎重に言葉は選んでいたし、たった一度の診察で何ができたわけでもないかもしれないけど、少なくとも、この証人尋問に出廷した責任意識の重さは感じることができた。
そのあとは妹、母親、父親の証人尋問が続いたけど、正直な話、ちょっとここに詳しく書きたいという気持ちにはなかなかなれないです。ごめんなさい(いつか機会があれば書くかもしれない)。
しかし3人の証言を聞いていると、男子学生がどれほど家族に愛されたいせつにされてきたか、真面目で素直で勉強家だったか、その彼が亡くなり、大学や同級生たちの不誠実さにどれほど家族が深く傷ついたか、激しい怒りが胸に迫ってきた。
3人は口を揃えて、男子学生は「同性愛を苦にして死んだのではない」と力強く証言した。
男子学生はアウティングのあと都合2度帰省をし、その間に所用で家族も上京し、彼が一橋に進学して以来はじめてというほど密にコミュニケーションをとっている。そのとき彼の状態がふつうではないことを家族は危惧し、どうにかしてサポートしなくてはと強く決意していた。25日には母親が上京して保健センターの医師とともに面談することも決まっていた。
にも関わらず、男子学生は死んでしまった。
今日の証人尋問を聞いただけでも、転落事故は自殺などではなく、うつ病の症状が一時的に悪化した突発的な事故だったことがわかる。
男子学生は大学の建物から飛び降りたのではなく転落した事実があり、それは病院に搬送された際、まだ自ら痛みを訴えるだけの意識があったという彼の負傷の状態からも推察できる。
確かに彼は遺書を残していた。だが遺書があるから自殺と断定できるほど、人の死は単純ではない。
遺書を書いた一方で、彼は自ら事態を打開するべくあらゆる対策を講じようとしていた。その危機を、うけとめるべき人が危機感をもってうけとめていなかった。あるいはうけとめながら、自身の責任意識でもって積極的に状況改善のために行動しようとはしていなかった。そしてその経緯を、守秘義務を言い訳に家族にすら開示しなかった。
これを官僚主義・事なかれ主義・隠蔽主義といわずしてなんというのか。
これが、日本に冠たるエリートロースクールなのだ。
個人的な話になるが、一橋大学の正門の前に一時期住んでいたことがある。
といってもこのアウティング事件の現場になった国立キャンパスではなく別のキャンパスだったけど、駅名にも一橋の名が冠され、街の地名にも大学のお膝元であることがわかる表現が使われていて、地域のランドマーク、アイデンティティのひとつとして愛された学舎だった。
そこを離れてもうかなりになるけど、この事件が公になったとき、地域の人がどんなふうに感じているのかが気になった。
おそらく一橋大学は、それも人権をなによりも尊ぶべき法律家を育成する法科大学院でこうした人権侵害を引き起こした汚名を、未来永劫背負い続けることになる。そのことを、あの学園都市の人々はどう思っているのだろうかと。
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