『怒り』
家出して歌舞伎町の風俗店で働いていた愛子(宮崎あおい)は、連れ戻された地元・千葉の漁港に勤める田代(松山ケンイチ)に毎日弁当を届けるようになるが、ある日、未解決殺人事件の報道をテレビで見た父(渡辺謙)から「田代が犯人に似ている」と聞かされる。母子で沖縄に転居した泉(広瀬すず)は、友人・辰哉(佐久本宝)と訪れた無人島でバックパッカーの田中(森山未來)に出会う。東京のゲイクラブで寂しげな直人(綾野剛)を見初めた優馬(妻夫木聡)は、行くあてのない彼を自宅に招き入れ、ホスピスで療養中の母(原日出子)にも紹介するのだが・・・。
吉田修一の同名小説を李相日監督が映画化。
3人の得体の知れない男と、その「得体の知れなさ」に引き寄せられる人々の物語。
人間ってなんで、「よくわからないもの」に惹かれちゃうんだろうね。その一方で、「よくわからないもの」を差別したり排斥したりもする。人を信じることはとても難しくて、信じて裏切られてもその怒りと悲しみが決して報われることはない。結局、裏切られて自分が傷つくことが怖いだけなのかもしれないけど、信じることで感じる心のあたたかさは何ものにも替えがたい。
愛子は田代の他人にはいえない過去と、風俗嬢だった自分の瑕疵を重ねあわせることで、偽名で日本中を転々とする田代を信じようとする。辰哉は愛する泉を救えなかった罪悪感を田中と共有することで、自ら救われたいと願う。優馬は母の最期を看取った直人と同じ墓にはいる将来を夢想する。だが彼ら全員が、最後には己の信頼感を見失うことになる。孤独故に相手を信じたいと望みながら、信じる心に無上の幸福を噛みしめながら、どうしてもそれを全うできないのはなぜなんだろう。
オムニバスのようにまったく重ならない3つの物語が交錯する構成だけど、構成以外はとにかくシンプル。誰かが見知らぬ誰かに出会って、好きになって、そして最後には裏切ったり裏切られたりしてしまう。それだけなんだけど、それぞれがそこに至るまでの過程がひたすら緻密に繊細に描かれている。ミステリーにしては全体に淡々としていて、昨今の日本映画でこんなに内面描写にチカラこめてる作品ってなかなかないんじゃないかと思うくらい、丁寧です。
とくに出色だったのは妻夫木聡と綾野剛のパート。見るからに成功した勝ち組でいてゲイであることを隠しもしない優馬だが、それが欺瞞であることもよくわかっている。ほとんど自分のことを話さない直人を訝しみながらも、温和な彼との穏やかで静かな生活に安らぎを見出す。なのに、その幸せを本物として認め受け入れることがなぜかできない。愛する人を信じる術を見出せないままどこかで恐れ、そんな自分の狭量さを許せないとも感じてしまう。台詞も少ない彼らふたりの間に流れる空気と、互いに壊れそうなほど危うい心理が、画面からひしひしと伝わってくる。せつない。
新人で予告編にすら出てこない佐久本宝を含めて、出演者の演技が全部めちゃめちゃよくて、これまでのパブリックイメージとまったく違って非常に新鮮でした。なかでも宮崎あおいはいままではどちらかといえば聡明なキャラクターを演じることが多かった(『NANA』を除く)印象があったので、まるで幼女のような愛子役には驚きました。
しかしこの映画は松山ケンイチと森山未來と綾野剛のキャスティングじゃないと成り立たないね。画面に何度も出てくる殺人犯・山神一也のモンタージュが超微妙なのよ。3人それぞれにものすごく似てる。この3人、目元が涼しげという共通点以外はとりたてて似たタイプではないと思うんだけど、その3人を絶妙にミックスした完成度がスゴ過ぎて、他の組みあわせがちょっと想像つかない。モンタージュがスクリーンに映るたびに思わず笑っちゃうくらいです。
観ていて強く感じたのは、人って(田代や直人に限らず誰にでも)家族にも友だちにもいえないことがけっこうあって、だから孤独な生き物なんだけどその孤独ごと受け入れてくれる誰かをどこかで求めてしまう、そういうところが勝手で弱くて脆くて愛おしい「人間らしさ」なのかもなと思いました。でもそんなこと映画で表現できるなんて想像もしたことなかったです。すごいね。
坂本龍一の音楽もよかった。すでに坂本龍一のサントラいっぱいもってるんだけど、これも欲しくなりました。
それと沖縄行きたくなった。エンドロールを観てたら地元の基地問題関連の市民団体がクレジットされてて、抗議行動のパートには本物の方々が協力されてたのかな?この基地問題が物語に意外に深く関わっていて辰哉や田中の台詞にはかなり考えさせられるところがあったけど、この問題に直接的に関わったことのない人はどう受け止めるのか、そこが気になりましたです。
家出して歌舞伎町の風俗店で働いていた愛子(宮崎あおい)は、連れ戻された地元・千葉の漁港に勤める田代(松山ケンイチ)に毎日弁当を届けるようになるが、ある日、未解決殺人事件の報道をテレビで見た父(渡辺謙)から「田代が犯人に似ている」と聞かされる。母子で沖縄に転居した泉(広瀬すず)は、友人・辰哉(佐久本宝)と訪れた無人島でバックパッカーの田中(森山未來)に出会う。東京のゲイクラブで寂しげな直人(綾野剛)を見初めた優馬(妻夫木聡)は、行くあてのない彼を自宅に招き入れ、ホスピスで療養中の母(原日出子)にも紹介するのだが・・・。
吉田修一の同名小説を李相日監督が映画化。
3人の得体の知れない男と、その「得体の知れなさ」に引き寄せられる人々の物語。
人間ってなんで、「よくわからないもの」に惹かれちゃうんだろうね。その一方で、「よくわからないもの」を差別したり排斥したりもする。人を信じることはとても難しくて、信じて裏切られてもその怒りと悲しみが決して報われることはない。結局、裏切られて自分が傷つくことが怖いだけなのかもしれないけど、信じることで感じる心のあたたかさは何ものにも替えがたい。
愛子は田代の他人にはいえない過去と、風俗嬢だった自分の瑕疵を重ねあわせることで、偽名で日本中を転々とする田代を信じようとする。辰哉は愛する泉を救えなかった罪悪感を田中と共有することで、自ら救われたいと願う。優馬は母の最期を看取った直人と同じ墓にはいる将来を夢想する。だが彼ら全員が、最後には己の信頼感を見失うことになる。孤独故に相手を信じたいと望みながら、信じる心に無上の幸福を噛みしめながら、どうしてもそれを全うできないのはなぜなんだろう。
オムニバスのようにまったく重ならない3つの物語が交錯する構成だけど、構成以外はとにかくシンプル。誰かが見知らぬ誰かに出会って、好きになって、そして最後には裏切ったり裏切られたりしてしまう。それだけなんだけど、それぞれがそこに至るまでの過程がひたすら緻密に繊細に描かれている。ミステリーにしては全体に淡々としていて、昨今の日本映画でこんなに内面描写にチカラこめてる作品ってなかなかないんじゃないかと思うくらい、丁寧です。
とくに出色だったのは妻夫木聡と綾野剛のパート。見るからに成功した勝ち組でいてゲイであることを隠しもしない優馬だが、それが欺瞞であることもよくわかっている。ほとんど自分のことを話さない直人を訝しみながらも、温和な彼との穏やかで静かな生活に安らぎを見出す。なのに、その幸せを本物として認め受け入れることがなぜかできない。愛する人を信じる術を見出せないままどこかで恐れ、そんな自分の狭量さを許せないとも感じてしまう。台詞も少ない彼らふたりの間に流れる空気と、互いに壊れそうなほど危うい心理が、画面からひしひしと伝わってくる。せつない。
新人で予告編にすら出てこない佐久本宝を含めて、出演者の演技が全部めちゃめちゃよくて、これまでのパブリックイメージとまったく違って非常に新鮮でした。なかでも宮崎あおいはいままではどちらかといえば聡明なキャラクターを演じることが多かった(『NANA』を除く)印象があったので、まるで幼女のような愛子役には驚きました。
しかしこの映画は松山ケンイチと森山未來と綾野剛のキャスティングじゃないと成り立たないね。画面に何度も出てくる殺人犯・山神一也のモンタージュが超微妙なのよ。3人それぞれにものすごく似てる。この3人、目元が涼しげという共通点以外はとりたてて似たタイプではないと思うんだけど、その3人を絶妙にミックスした完成度がスゴ過ぎて、他の組みあわせがちょっと想像つかない。モンタージュがスクリーンに映るたびに思わず笑っちゃうくらいです。
観ていて強く感じたのは、人って(田代や直人に限らず誰にでも)家族にも友だちにもいえないことがけっこうあって、だから孤独な生き物なんだけどその孤独ごと受け入れてくれる誰かをどこかで求めてしまう、そういうところが勝手で弱くて脆くて愛おしい「人間らしさ」なのかもなと思いました。でもそんなこと映画で表現できるなんて想像もしたことなかったです。すごいね。
坂本龍一の音楽もよかった。すでに坂本龍一のサントラいっぱいもってるんだけど、これも欲しくなりました。
それと沖縄行きたくなった。エンドロールを観てたら地元の基地問題関連の市民団体がクレジットされてて、抗議行動のパートには本物の方々が協力されてたのかな?この基地問題が物語に意外に深く関わっていて辰哉や田中の台詞にはかなり考えさせられるところがあったけど、この問題に直接的に関わったことのない人はどう受け止めるのか、そこが気になりましたです。