落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

信じたいのに信じられない

2016年10月02日 | movie
『怒り』

家出して歌舞伎町の風俗店で働いていた愛子(宮崎あおい)は、連れ戻された地元・千葉の漁港に勤める田代(松山ケンイチ)に毎日弁当を届けるようになるが、ある日、未解決殺人事件の報道をテレビで見た父(渡辺謙)から「田代が犯人に似ている」と聞かされる。母子で沖縄に転居した泉(広瀬すず)は、友人・辰哉(佐久本宝)と訪れた無人島でバックパッカーの田中(森山未來)に出会う。東京のゲイクラブで寂しげな直人(綾野剛)を見初めた優馬(妻夫木聡)は、行くあてのない彼を自宅に招き入れ、ホスピスで療養中の母(原日出子)にも紹介するのだが・・・。
吉田修一の同名小説を李相日監督が映画化。

3人の得体の知れない男と、その「得体の知れなさ」に引き寄せられる人々の物語。
人間ってなんで、「よくわからないもの」に惹かれちゃうんだろうね。その一方で、「よくわからないもの」を差別したり排斥したりもする。人を信じることはとても難しくて、信じて裏切られてもその怒りと悲しみが決して報われることはない。結局、裏切られて自分が傷つくことが怖いだけなのかもしれないけど、信じることで感じる心のあたたかさは何ものにも替えがたい。
愛子は田代の他人にはいえない過去と、風俗嬢だった自分の瑕疵を重ねあわせることで、偽名で日本中を転々とする田代を信じようとする。辰哉は愛する泉を救えなかった罪悪感を田中と共有することで、自ら救われたいと願う。優馬は母の最期を看取った直人と同じ墓にはいる将来を夢想する。だが彼ら全員が、最後には己の信頼感を見失うことになる。孤独故に相手を信じたいと望みながら、信じる心に無上の幸福を噛みしめながら、どうしてもそれを全うできないのはなぜなんだろう。

オムニバスのようにまったく重ならない3つの物語が交錯する構成だけど、構成以外はとにかくシンプル。誰かが見知らぬ誰かに出会って、好きになって、そして最後には裏切ったり裏切られたりしてしまう。それだけなんだけど、それぞれがそこに至るまでの過程がひたすら緻密に繊細に描かれている。ミステリーにしては全体に淡々としていて、昨今の日本映画でこんなに内面描写にチカラこめてる作品ってなかなかないんじゃないかと思うくらい、丁寧です。
とくに出色だったのは妻夫木聡と綾野剛のパート。見るからに成功した勝ち組でいてゲイであることを隠しもしない優馬だが、それが欺瞞であることもよくわかっている。ほとんど自分のことを話さない直人を訝しみながらも、温和な彼との穏やかで静かな生活に安らぎを見出す。なのに、その幸せを本物として認め受け入れることがなぜかできない。愛する人を信じる術を見出せないままどこかで恐れ、そんな自分の狭量さを許せないとも感じてしまう。台詞も少ない彼らふたりの間に流れる空気と、互いに壊れそうなほど危うい心理が、画面からひしひしと伝わってくる。せつない。

新人で予告編にすら出てこない佐久本宝を含めて、出演者の演技が全部めちゃめちゃよくて、これまでのパブリックイメージとまったく違って非常に新鮮でした。なかでも宮崎あおいはいままではどちらかといえば聡明なキャラクターを演じることが多かった(『NANA』を除く)印象があったので、まるで幼女のような愛子役には驚きました。
しかしこの映画は松山ケンイチと森山未來と綾野剛のキャスティングじゃないと成り立たないね。画面に何度も出てくる殺人犯・山神一也のモンタージュが超微妙なのよ。3人それぞれにものすごく似てる。この3人、目元が涼しげという共通点以外はとりたてて似たタイプではないと思うんだけど、その3人を絶妙にミックスした完成度がスゴ過ぎて、他の組みあわせがちょっと想像つかない。モンタージュがスクリーンに映るたびに思わず笑っちゃうくらいです。

観ていて強く感じたのは、人って(田代や直人に限らず誰にでも)家族にも友だちにもいえないことがけっこうあって、だから孤独な生き物なんだけどその孤独ごと受け入れてくれる誰かをどこかで求めてしまう、そういうところが勝手で弱くて脆くて愛おしい「人間らしさ」なのかもなと思いました。でもそんなこと映画で表現できるなんて想像もしたことなかったです。すごいね。

坂本龍一の音楽もよかった。すでに坂本龍一のサントラいっぱいもってるんだけど、これも欲しくなりました。
それと沖縄行きたくなった。エンドロールを観てたら地元の基地問題関連の市民団体がクレジットされてて、抗議行動のパートには本物の方々が協力されてたのかな?この基地問題が物語に意外に深く関わっていて辰哉や田中の台詞にはかなり考えさせられるところがあったけど、この問題に直接的に関わったことのない人はどう受け止めるのか、そこが気になりましたです。



不謹慎で不愉快で変態な部位について

2016年10月01日 | lecture
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トークイベント「ろくでなし子@AMNESTY~表現の自由と人権をろくでなし子裁判から考える」に行ってきた。

まあ正直な話、例の逮捕劇があるまで彼女のことはとくに好きでもなんでもなく、たいして興味もなかったんだけどね。
でも実際、世の中の大半の人がそうではないですか?いかがですか。
たまたま私自身とちょうど同世代でもあるわけだけど、そもそも私個人が好きなアートはどっちかというとインスタレーションが多くて(ジェームズ・タレルとか名和晃平とかサスキア・オルドウォーバースとかそのへん)、単純に好みじゃない。だからといって嫌いでもない。彼女のように性器をモチーフに、それをとりまく社会環境をカリカチュアライズした作品を発表する作家は昔からいくらでもいた(たとえばこちら←一応閲覧注意)。日本ではあまり馴染みはないかもしれないけど、だいたい現代アートなんて既存の概念に対抗してなんぼなんだから、文化も宗教も無関係に万国共通で誰もが服の下に隠すことに決められている身体の部位なんて、まさにうってつけのテーマだ。
なのでエロティックアートとして週刊誌に載ったりして話題になり始めたときも、とりたてて注意を向けてはなかったです。ああそんな人がいるんだな、というくらいにしか思わなかった。

とはいえ彼女がわいせつ物頒布罪で逮捕・起訴されたときは心の底からほんとうに驚いたし、いまだにいったいあれは何の冗談だったんだろうと疑問に思う。罪というからには短期的にせよ長期的にせよ/あるいは直接・間接的に被害を被った人がいてしかるべきではないかと思うのだが、彼女が頒布したのは己の性器であって、彼女自身が自分の体を使った芸術で自分の表現したいことを世に投げかけているのであり、不当に誰かの心や身体や財産を傷つけたり貶めたりしているわけではない。そりゃ気に入らなくて不愉快な人もどこかにいるだろうけど、そういう人は見なけりゃいいだけのことである。アートなんだから。

だが逮捕・起訴されたことで確実に彼女のアートの社会的意義は国境を超えて飛躍的に拡大した。そこには、表現の自由というだけにとどまらない、女性の人権や代用監獄という恥ずかしい司法制度、差別問題や性教育問題など、現代日本が抱えた奇妙奇天烈な人権問題が、よくまとめられたカタログでもあるかのようにきっちりと詰まっている。日本でふつうにくらしていて人権問題なんて現実にぴんとこない、なんて人も少なくないと思うけど、彼女の問題だけでももうさらっと一通り把握してしまえる。逆に、女性器というごくプライベートな身体の一部を表に出すだけで、そこに連なる問題がふだんいかに隠され、存在を無視されているかということの証左にもなってしまうということもいえる。
それこそ芸術の芸術たる最大の存在意義ではないか。

それにしても、どう考えてもろくでなし子さんの作品そのものは単純な身体の一部であってそれ以上でも以下でもない。それをとりあげてやれ「わいせつ」だの「不謹慎」だの「不快」だの「変態」だの騒ぐ人がいるのはまだいいとして、それを国民の税金をつかって捜査・逮捕・起訴しておおまじめに有罪・無罪を延々議論するバカバカしさのいったいどこに、なんの意味があるのか、なぜ誰もこの茶番そのものの空虚さを糾弾しないのかが不思議でしょうがない。
コント番組でやるのはいい。けどリアルに警察と検察と裁判所がしごとしてる。おかしいでしょ。

ろくでなし子さんの語り口調はあくまで明るく楽天的で、会場大爆笑の連続で非常に楽しかったです。世間的には「人権」なんて話題としてなんだか難しそう、ややこしそう、堅苦しいなんてイメージもありそうだけど、彼女の話にはそういうネガティブな面がいっさいない。私の身体を使って私の表現したいことをしているだけ、たったそれだけ。ブレがない。ある意味では強かなのかもしれないけど、とはいえただただ無駄にポジティブなだけでもなくひとりよがりでもない。表現の自由や差別に対する意見にはとても共感したし、作品の見た目に対してご本人はいたって真面目で真摯な人なんではないかなという印象を受けました。
マンガ、ぜひ今度読んでみたいと思います。

しかし今回のイベントは豪華だったよ。だってファシリテーターが事務局長でインタビュアーが副理事、質疑応答には前事務局長もはいってくるって、ちょっとなかなかないですよ(あったらごめん)。
開催直前に中止するしないといった炎上騒ぎもあったけど、それもあって却ってよかったと個人的には思いました。苦情に対応したり大変な思いをされた職員やボランティアの皆さんはお気の毒だし心から同情するけど、このことを通して、世界に冠たるアムネスティにたったこれだけのことで嫌がらせをする人々が少なからずいることや、彼らが嫌がらせだけしておいて現場に来て直接抗議なんかしやしないただの卑怯者だという事実も明らかになった。
アムネスティにだって間違いはあるけど、間違ったことや批判をきちんと認めて受けいれて、潔く謝罪することができるってことも世の中に知ってもらうことができた。そんなのなかなかできないと思うよ。私だってうまくできないもん。
何はともあれ、ほんとにいいトークイベントでした。実は体調が微妙に良くなくて、予約したはいいけど行くかどうか迷ってたんだけど、結局行ってよかった。いっぱい笑って、勇気もらって、元気でました。私もまた明日から頑張ろうと、素直に思えました。

ろくでなし子氏、イベント直前中止に「納得いかない」 アムネスティ日本は何故キャンセルしたのか
ろくでなし子 @ アムネスティ 9月30日講演開催までのドタバタ劇
ろくでなし子裁判 iRONNA連載