落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

中華OL残酷物語

2008年08月31日 | movie
『アザー・ハーフ』

弁護士事務所で書記として働く小芬(曽暁菲ツァン・シャオフェイ)は毎日毎日町中のさまざまな人たちのトラブルを記録しつづけの毎日でヘトヘト。同棲中の恋人(鄧剛ドン・ガン)は飲んでばかりでいっこうに定職に就かず、見兼ねた母親は有力な縁談を持ちこんでは娘に結婚を迫る。

ぐりは応亮(イン・リャン) の作品は今回初めて観たんですがー。
いやおもしろい。すごいおもしろかったです。なんとゆーか、スタイルが独特で。
とりあえず画面構成がすごいオシャレ。基本は固定のドン引きでカット割りもなるべくなし。方法論としては『1978年、冬。(仮題:思い出の西幹道)』なんかといっしょですね。俳優に演技を許さない撮り方。だからイヤでも臨場感満点にならざるを得ない。弁護士事務所のシーンでは人物はひたすらカメラに正対して延々と手前勝手に喋りまくるし、観客は自然とヒロインのストレスをいっしょに体験することになる。
ヒロインとその恋人、つまりいちばん核となる登場人物にはほとんど台詞らしい台詞はなく、いってみれば物語の狂言廻しのようなキャラクターなのだが、このカラッポなふたりを通して現代中国の孕んだ深い不安感がじわじわと迫ってくるのがこわい。ほんとうにいつの間にか、気がつけばすぐそこに、という感じで迫ってくるのだ。そしてクライマックスで文字通り「爆発」する。

一見するとこの映画で起きることは言論統制の厳しい中国ならではの現象のようにも見える。
だが実際にはどうだろう。
言論の自由が保証されているという日本では、絶対にこういうことは起きないと果たしていいきれるだろうか。よしんば今すぐには起きないとしても、この先も決して起きないといえるだろうか。
アメリカでは?ヨーロッパでは?
そんなことはわからない。そういう意味ではこの物語は確かに普遍的かもしれない。でもそれと同時に、急激な近代化に対して現代中国人が抱く漠然とした不信感もすごくよく表現されてるなと思いましたです。

惜しむらくは、ポスプロ段階でフィールド設定を間違えたのか、画面にずーっとフリッカーがぶりぶりぶりぶり出ていたこと。
とっても繊細なニュアンスを表現しているはずの画面なのに、ずーっとぶりぶりぶりぶりぶりぶりぶりぶり。もったいねええーっ。
しかしこの映画、なんでタイトル『THE OTHER HALF(夫、妻、伴侶の意)』なんやろ?よくわからなかった。あとヒロインがやたらに「章子怡(チャン・ツィイー)に似てる」っていわれまくるのはアレはギャグなんだよね?イマイチ笑っていいのかなんなのかビミョーなギャグでしたけども・・・。

虹の彼方に

2008年08月30日 | movie
『この自由な世界で』

突然のリストラに遭ったシングルマザーのアンジー(カーストン・ウェアリング)は、ルームメイトのローズ(ジュリエット・エリス)とふたりで職業斡旋所を開設。主に外国人労働者を相手に日雇いの仕事を斡旋して大儲けするのだが・・・。
『ファーストフード・ネイション』でも描かれた外国人労働者問題をロンドンを舞台に描いたケン・ローチの新作。

非常にハードな映画でした。ハイ。観ててけっこーキツかったす。しかしそれにしてもこんなハードな映画がよくつくれたもんです。さすが巨匠。巨匠じゃなきゃこんなの商業映画で成立しませんよ。それくらいハードです。
ヒロイン・アンジーは巨乳のブロンド美女とはいえもう33歳で貯金はなし、カードローンに追われてて両親に預けっぱなしの息子とはいつまで経ってもいっしょに暮せそうもない。つまりガケップチ。それもいつ転落してもおかしくないくらい超ギリギリ待ったナシのガケップチ。
いろんな人が彼女にいう。もっと安定した生活を築きなさい、あなたはおかあさんでしょう、こんな大仕事あなたの手に負えるわけがないと。でも彼女は耳を貸さない。なぜならそれが彼女の性格だから。無計画、無鉄砲、むこうみず。それでいて自分は要領良くてアタマも良いと勝手に思いこんでいる。いちばん周りが迷惑するタイプの女である。

けどぐり、この人嫌いじゃないです。ぐりも彼女に似たところあるから。だから周りの人が彼女に何か忠告するたび、自分が忠告されてるみたいで耳が痛かった。相手のいってることがいちいち全部正しいことはわかってる。ただ彼女はそもそも誰かに何かいわれてその通りにすることができない性格なのだ。説教なんてされればされるほど、痛い目にあえばあうほど、間違った方向に突き進みたくなってしまう人なのだ。
こういう人が職業斡旋所なんか開いちゃったらそりゃたまりません。巻き込まれるのが家族や友人だけじゃなくて不特定多数の大人数になっちゃうし、その大人数にはまたそれぞれ家庭があったりする。まったく困ったもんです。困ったくらいで済みゃあいいけど、仕事が仕事だけにタダじゃ済まない。だんだんオソロシーことになって来て、ヒロインからは味方がひとりふたりと去って行く。

彼女のいちばんイタイとこは、おそらく、自分以外のどんな人間も決してリスペクトできないという、病的な傲慢さなのだろう。おそらく本人はそのことにまったく気づいていない。だからどんなに他人を踏みつけにしても結局平気でいられるし、やり返されても次の瞬間にはケロリとしていられる。自分が悪いなんて露ほども反省しないから。する必要がない。いつも自分は正しくて、いけないのは全部他人。都合の悪いことは全部周りのせい。
しかし彼女のような身勝手さは現代人なら誰にでも多かれ少なかれ備わっている。そのことを自覚していられるか否かに人間性の価値がかかっているともいえるだろう。
とくにこの数年で日本国内でもうなぎのぼりに増加した外国人労働者(とゆーのは日本独特の表現だそーで、本来“移民”と呼ぶべきらしい)の問題はまだ表面化していないけど、いずれ欧米諸国のように深刻な意識改革を求められるようになることだけはわかっている。
その日はおそらくそう遠くない。もしかしたら来週あたり来るかもしれない。
もしかしたらね。

家のない子と子のない男

2008年08月30日 | book
『私の男』 桜庭一樹著
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4163264302&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

1993年の北海道南西沖地震で家族を失った9歳の花は遠戚の淳悟にひきとられ、以来ふたりきりでずっと暮して来た。あれから15年、花は理想の伴侶に巡り会い、淳悟から離れて新たな人生を歩みだそうとしていたが・・・。

今年の始めに直木賞を穫ってすぐ図書館に予約をしたけど700件以上先約があって、だから今読んだのは偶然ですが。
うーん。これ、おもろいのかな・・・?あのー、ぐり的には、とっても、イマイチ・・・。
よく描けてるとは思うけどねー。究極の官能に漂う腐臭というか、腐臭に漂う究極の官能といいますか。その美学はわからんこともないし、共感するところもあるんだけどね。ぐりもけっこー重度のファザコンですし。
けどね、時制を前後逆回転にしたのはロジックとしてアリなんだけど、その禁じ手を使ったばっかりに物語全体に全然奥行きが感じられないとゆーか。先に結末がわかってるのに、そこからふたりの過去が暴かれてどーの、ってほどの意外性もないし。かといって紋別という土地の特殊性の描写ももうひとつ鮮明さに欠けてる気もするし。
まーよーするに、読んでても、「だから、何?」って感じなワケ。なんか期待しすぎたのかなー?

ストーリー展開にも、物語の世界観にも、人物描写にもさっぱりと立体感がなくって、なんだかとってもうすっぺらな小説のよーに感じました。
読んでても読んでるって手ごたえがまったくなくって。直木賞ってこんなもんでしたっけね?
それとも、ぐりの読み方が浅いのかしらん?
まあしかし、こーゆー題材の小説は書けば間違いなく売れるわね。そーゆー意味では本屋さんにとってはいい本なのかもね?
装丁は好きです。そのものズバリって感じで、良い絵だと思います。けどそれだけなり・・・。

梟と雀

2008年08月29日 | movie
『地球でいちばん幸せな場所』

両親を亡くして叔父が経営するすだれ工場で働いていた10歳のトゥイ(ファム・ティ・ハン)は家出してホーチミンの街で花売りを始め、屋台街で26歳の客室乗務員ラン(カット・リー)に親切にしてもらうようになる。同時に動物園で25歳の飼育員ハイ(レー・テー・ルー)とも仲良くなった彼女は、どこか淋しげなふたりを引き合わせようと画策する。

ぐりが10歳のころといえば毎朝学校に行って放課後はお稽古事に通い、それ以外の時間は家の手伝いをするか、あるいは本を読むか絵を描くか宿題をするかアニメを観るか、とにかく明日食べるものとか今夜寝る場所の心配なんかしたことがなかった。まあ現代日本においてはごく一般的な子ども時代である。
だが今、世界中では2億5千万人の子ども(5〜14歳)が働かされている(国際労働機関)。それだけの数の子どもが、家計を支えるため、家族を養うため、明日の食べ物のために働いている。ちなみにこの数はこの年齢層の24.7%にあたる。
この映画の主人公トゥイは初め、食べるものも寝るところも与えられていたが、自らそれを捨ててストリートチルドレンの道を選ぶ。彼女の行為を浅はかだと判断することは容易い。だが現実には、家出をする子にはそれ相応の理由がある。食事や寝場所よりも大切なものが子どもにもある。それを強いて我慢せよと要求することも、子どもの人権侵害である。昔気質な人は我慢も美徳だというけれど、美徳となる我慢も質を選ぶ。なんでも我慢しさえすればよいという考え方もまた浅はかだろう。

ステディカムを多用したカメラワークと極力台詞を廃した静かな演出はかなりドキュメンタリータッチだが、ストーリーそのものは完全におとぎ話である。現実にはこういうことはまず起こり得ない。
それでも観ていて胸があたたまるのは、監督ステファン・ゴーガーの子どもを見つめる眼差しがとにかく優しいからだろう。彼はすべての子どもたちに、トゥイのように自ら幸せをつかみとる勇気と幸運をプレゼントできたらと、心から願っているのだろう。
とくによくできているなと思ったのは、叔父(グエン・ハウ)が家出したトゥイを必死で捜しまわるくだり。冒頭にも登場してトゥイを厳しく叱りつける彼が、バイクを走らせ写真を街の人に見せてまわるたび、この人はほんとうはトゥイを姪として大切に思ってくれているのではないか、いや単に安い労働力として逃がすまいとしているだけなのではないかと、あれこれ考えさせられる。ここが単なるチャイルド・ライフ映画で終わらない、この物語の核の部分を担っているような気がする。

トゥイを演じたファム・ティ・ハンが非常に愛らしく魅力的で、将来の活躍が今から楽しみな女優魂を発揮している。日本でいうと中嶋朋子の幼いころによく似ている。いつも唇をとんがらかして突っ張っていた螢ちゃん。たまたまだが彼女はこの映画の予告編のナレーションを担当している。
手持ちで撮影されたパートが多い上にフィルムの管理に行き届かない部分があったのか、かなりのカットが妙に赤っぽい色に染まってしまっていて目につらかったのが惜しい。
でも予告編で予想したようななまぬるい癒し系映画ではなく、なかなかリアルに厳しい現実をきちんと描写してもいて、意外な見どころのある作品でした。

下着の中の暗闇で

2008年08月28日 | book
『現代の奴隷制―タイの売春宿へ人身売買されるビルマの女性たち』 アジアウォッチ/ヒューマンライツウォッチ/女性の権利プロジェクト著 古沢加奈/藤目ゆき訳
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4750324329&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

『アジア「年金老人」買春ツアー 国境なき「性市場」』(羽田令子著)でビジネス面からレポートされたタイの性風俗産業を、人権侵害という側面から描いた報告書。
原著は1993年の刊行なので(邦訳は2006年刊行)現状とは多少異なる部分もあるそうだが、根本的な問題解決はまったく進展がないという意味で必読の資料かと思う。ただしノンフィクション、ルポルタージュというよりは、法律的な分析に割かれたパートが多く決して読みやすい本ではない。それでも、この分野のノンフィクションを何冊か読んで、どうしても現地の司法制度と性風俗産業との現実的な関わりを正確に知る必要を感じて手にとってみた。

この本で主にとりあげられているのはビルマからタイに売られてくる少女・女性たちを取りまく環境の実態である。『アジア「年金老人」買春ツアー』に登場したのとほぼ同じ人々のはずだが、表現のあまりの違いに唖然とする。
これはどっちの記述が嘘とかそういうことではなく、現実にそれほどの多面性があるということだろう。『アジア「年金老人」買春ツアー』では、著者自身は現役で売春宿で働いている女性や少女たち本人には直接取材をしているわけではない。『現代の奴隷制』では、売春宿の摘発などで更生施設やシェルターなどに収容された女性や少女たち本人にインタビューしている。この差は大きいだろう。
しかしそれにしても読めば読むほど、タイという国で行われているこの悪夢のようなビジネスの暗闇の深さに困惑する。例によって感想がうまくまとまらないので、内容を箇条書きに列挙する。

*タイやフィリピンで性風俗産業が飛躍的に拡大した直接のきっかけはベトナム戦争。
当地にアメリカ軍の大部隊が駐屯していたため、米兵から流入する米ドルで性風俗業者が異常な好景気に湧いた。以後タイではこのビジネスを観光産業として拡大させて来た。

*ビルマ人女性のタイへの売買が盛んになったのは、タイ・ビルマ間の国境貿易の隆盛による。長く政情不安が続き外貨を必要とするビルマ側と、タイ国内での売春に対する規制が強くなりタイ語を解さないビルマ人の方が扱いやすいという両国の利害関係によるところも大きい。

*少女たちを売るのは親族や友人などさまざまで、タイ国内での職業斡旋を理由に直接本人に代金が支払われ、本人自ら家族に手渡されることもある。この現金が自らの借金になることを知らされないケースもある。
農作業中に誘拐された少女や、出稼ぎにくる途中で乗ったタクシー運転手や警察官に売り飛ばされる例もある。

*客と部屋でふたりきりになってセックスを強要されるまで、自分が売春宿に売られたことを知らなかったと証言する女性も少なくない。売春宿はたいてい表向きはホテル、マッサージパーラー、ティールーム、カラオケバーなど別の店を装っている。
「売春宿に行く」ことをあらかじめ知っていても、「売春」が具体的に何を差すのか知らないケースも多い。皿洗いやウェイトレスなど別の仕事と完全に混同していた少女もいる。

*彼女たちが客の要望に応じない場合は必ず暴力がふるわれた。殴る蹴るはもちろんのこと銃で脅されたという女性も多い。暴行するのは売春宿の経営者が多いが、客に連れ出されて行方不明になったり、暴行の末に亡くなる女性もいるが、病院に連れて行かれたり医師が呼ばれたりするケースはごく稀。

*彼女たちはタイ語の読み書きはおろか会話もできず、ビルマ語さえ読み書きを教わっていない人が多く、自分がタイのどこにいるのか、自分にいくらの借金があってどの程度返済が進んでいるのか把握することなどできない。できたとしても経営者は気ままに利子を加算して好きなだけ彼女たちを酷使することができる。
また、このためタイ人のセックスワーカーに比べビルマ人のHIV感染率は圧倒的に高い。TVやラジオや新聞など外部の情報に触れることがないからである。
なお、食事、化粧品、医療費、衣装代などの日用経費はすべて彼女たち本人もちである。家族への送金は借金に加算される。売春の料金は経営者に支払われるため、彼女たちの現金収入は客から手渡される小額のチップのみ。
複数の売春宿を数ヶ月おきに移動させられ、言葉もわからず現金も持たない不法移民である彼女たちは自由のすべてを奪われている。

*コンドームの使用は客の判断に完全に任される。だが日に何度も性交していると、コンドームを使用していても生理的な理由から性感染症にかかりやすくなる。彼女たちは1日に5〜20人の客を相手にしている。
病気になってもやはり適切な医療行為を受けられることはほとんどない。

*彼女たちのほぼ全員が強制的にピルを服用させられる。避妊と、生理をとめて休暇をとらせないためである。避妊薬を注射する経営者もいて、不衛生な注射針の使い廻しによってHIV感染がさらに拡大することになる。妊娠した場合は違法な堕胎手術を受けさせられるか、出産した子を経営者によって売り飛ばされる。

*HIVを含む性感染症の検査が行われることもあるが、インフォームド・コンセントはいっさい履行されず、検査結果を告知された女性もいない。
HIV/AIDSについての正確な知識・情報が彼女たちに提供されたことはない。ビルマで感染者が処刑されたという噂は、タイ側の売春業者にとって女性たちを脅迫する格好の材料となっている。

*売春宿の摘発で逮捕・拘留されるのは常に女性たちで、経営者たちは拘留されてもすぐ釈放され罪に問われることはない。彼らの罪状はタイの国内法に照らせば明白だが、タイの警察では賄賂がすべてである。経営者が賄賂を払えば女性たちは売春宿にそのまま逆戻りとなる。売春業者から膨大な賄賂を得ている警察官や役人が処罰されることもない。
留置所では警察官によるセクハラやレイプが横行しており、警察署内ですら売春が行われる。警察官は売春宿にもひんぴんと通い、無料で女性たちを弄ぶことができる。

*政府の更生施設の環境は劣悪で、入国管理局の収容施設に至っては論外である。買春被害者である彼女たちはここでさえひどい虐待に遭い、ブローカーが出してやるといってくるとどうしてもまた売春宿に戻ってしまう。ビルマ側では売春も移民もいっさい認められていないためである。
頼りになるのは医療と職業訓練を提供するNGOのシェルターだけだが、財政的にも法的にも処理能力には限界がある。警察と共働できるNGOも少なく、地域によって事情は異なっている。

タイには未成年者との性交を禁ずる法律も、強制的な性交渉を禁ずる法律も、売春斡旋を禁ずる法律も、監禁を禁ずる法律も、人身売買を禁ずる法律も、すべてきちんと揃っている。人権保護のための国際条約にもちゃんと加盟している。
しかしそのことごとくがまったく機能していないし、国には法を行使する意志も能力もない。


性風俗産業従事者は差別されて当然と考える人は世界中にたくさんいる。そんなもの常識じゃないかという人もいるだろう。売春婦を意味する言葉がそのまま差別用語として通用する言語も多い。日本語では“売女”がそれにあたるだろう。
だが現実はこれなのだ。
この現実を知ってなお、からだを売るなんて人のする仕事じゃない、そんなことする人間は軽蔑してもよい、などといえるものだろうか。
ぐり自身は売春を含む性風俗産業を否定しないし、否定する意味もないと思っている。
だから、フーゾクで遊ぶ人には全員、この現状を知ってほしいと思う。あなたの払ったお金で下着を脱ぐ人にも、あなたと同じように、生活が、人生があることを、知ってほしいと思う。
せめてそれくらいしたってバチはあたらんでしょうがよ。

関連レビュー:
『闇の子供たち』1
『幼い娼婦だった私へ』 ソマリー・マム著
『アジア「年金老人」買春ツアー 国境なき「性市場」』 羽田令子著
『子どものねだん―バンコク児童売春地獄の四年間』 マリー=フランス・ボッツ著
『アジアの子ども買春と日本』 アジアの児童買春阻止を訴える会(カスパル)編
『少女売買 インドに売られたネパールの少女たち』 長谷川まり子著