落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

誰も知らない

2004年08月24日 | movie
『誰も知らない』
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観た直後はどーってことなかったんですが、日にちを経る毎になんだかもやもやと心にひっかかるものがある。
どこにでもある風景なのにやたらキラキラしてた情景描写とか、声変わり中のちょっと色っぽい主人公の喋り方とか、いわゆる美人ではないんだけど強烈な美人オーラを振りまいてた女子中学生とか。たぶんもう一度観に行くことになるんでしょう。たぶん。

ひとつ云えることは、監督はこの物語のモデルとなった巣鴨子供置き去り事件の長男がいとおしくて作品を企画したと云いますが、その愛は存分に映画に発揮されてて、その面では作品の意図は達成されてると云うこと。
事件当時も今回の映画公開でも、あさはかな世論はつい子どもたちを置き去りにした母親本人に責任の全てを求めがちだけど、ある意味で子どもたちを置き去りにしているのは我々のこの世の中全てではないのかと、さりげに描かれていること。

よくよく考えてみれば、作中の彼女の「私が幸せになっちゃいけないの」と云うふとした発言は非常に重いし、彼女が父親やら学校やら世間の手を一切借りずに4人の子供を事件までの14年間(映画では12年間)育てたのは事実であって、彼女が愛した男たちが誰もその苦難を分かちあおうとはしなかったことの方がずっと悲惨なのかもしれない。
いずれにせよ子どもたちは苛酷なりに現実を受けとめ選びとったし、そこには彼らなりの意志があったのかもしれないし、それを他人が簡単に憐れんだりするのは愚かなことなのかもしれい。
でもやっぱり、子どもだからって彼らがただただ健気なだけ、ハッキリと現実感を欠いたストーリーにはどうしてもひっかかるものがある。

うーん。
やっぱりもう一度観て、監督の云いたかったことを確認し直したいなぁ。