『蚕の王』 安東能明著
かつて多くの冤罪事件を生んだ静岡県警。
中でも、事件を担当した刑事が自身の職を擲って被告人の無実を訴え、ことの顛末を手記として出版したことで知られる二俣事件を題材に、地元の作家が往時を知る人を訪ねて取材したノンフィクション小説。
昨年秋に連続した電車内での暴力事件や埼玉県で起きた立てこもり事件など、大きな犯罪が報道されるたびどこからともなく湧いて出てくる「凶悪犯罪が増えている」論。
実際には、犯罪認知件数は2002年の369万件(法務省)をピークに2020年の統計では61万件(警察庁)まで減少している。専門家の見解としても「犯罪は増えていて凶悪化している」というのは誤解(グラフ多数)だとされている。
これはいま急にそうなったというのではなく、私自身が人権問題に関心をもって積極的に調べ始めたころ(2006年)からそうだったので、「変な犯罪者が増えてる」「物騒だ」「外国人が増えて治安が云々」などという根拠のない世論は、こういう思い込みが広まることでトクをする何者かがつくり出して意図的にバラ撒いている、いわゆる流言蜚語の類いといっていいと思う。
犯罪認知件数の推移は素人があれこれいうのは危険なので詳細はリンク先をみて判断してもらいたいのですが、あくまで私個人が強調しておきたいのは、もしあなたがどこかで不用意に「変な犯罪者が増えてる」「物騒だ」「外国人が増えて治安が云々」などと軽々しく口にすると恥をかくこともあり得ますよ、の一言に尽きる。仮にあなた自身が「変な犯罪者が増えてる」「物騒だ」「外国人が増えて治安が云々」という考えをもってるとしたら、ちゃんと所管の省庁や専門家のデータ分析を見てほしい。
私がここまでいうのには理由がある。
私は1995年に発生した某テロ事件の捜査対象者になったことがあるからだ。
根拠は、私が在日コリアンで首都圏で一人暮らしをしていた、たったこの2点だけ。
当時、警察は現場から逃走した複数人の実行犯を血眼で捜索していた。彼らは単独では潜伏できないから協力者がいると踏んで、一人暮らしで犯罪者予備軍と目される人物をローラー作戦で調べていたという。この「犯罪者予備軍」に、在日コリアンが含まれている。いた、ではない。現在もおそらくそうなっている。
日本の警察とはそういう組織です。
ネットで検索すれば、在日コリアンだけでなく日本で暮らしている外国人の多くが、警察や入管のせいでどれだけひどい人権侵害に遭っているか、ちょっとした体験談なら簡単に見つかる。一度是非やってみてくださいませ。
私が捜査対象者になっている事実が判明したのは、事件発生の翌年の春、所轄の捜査員から妙な電話がかかってきたことがきっかけだった。詳細は省くが、そのときの先方の発言内容がかなり不自然だったので大元の省庁に問い合わせたところ、あっさり「これこれこういう事情でご迷惑をおかけして申し訳ない」とゲロってくれた。
当の捜査員は電話より前から私の行動を監視していたと考えることもできる。そのころ、連日夜遅くまで働き、日によっては職場で徹夜までしていた私の在宅中にキッチリ電話がかかってきたことからも(携帯電話はまだ一部にしか普及していなかった)この手の推測は成り立つ。だいたい所轄の刑事がなんでウチの電話番号知ってんの?その情報どっからパクったの?ゾッとする。
まあ先方は「ごめんなさい」で済むけどこっちはそうは問屋が卸さない。当事者として、ひとりでも多くの人に知ってもらうべきだと考えている。日本の警察は、勝手な「予断」で誰でも彼でも犯罪者扱いすることがありますよと。
そうでもしなきゃ犯罪捜査なんかできないでしょと、みんなはいうだろう。
確かに一理あるかもしれない。だがそれは、当事者になったことがないからこそ安全なところから何の責任も伴わずに発言できる、何ら中身のない妄言に過ぎない。
Wikipediaで「日本の冤罪事件」で検索すればまとめページが閲覧できます。そんなのどうせ科学捜査が発達する前の昔の話では?と思う人もいるかもしれないが、平成になってからも冤罪事件は続いている。中には冤罪の疑いが濃厚と目されていながら死刑が執行されてしまった例もある(知りたかったら検索してね)。
冤罪の多くはこの「予断」からスタートする。それを日本の警察の自白至上主義が補強している。
先進国の警察では捜査の可視化が1970年代に始まり、現在では警察官の装備にカメラが取り付けられ、彼らがどこでどう捜査にあたっているかが100%映像と音声で記録される。また、現場での捜査中の取り調べは禁止されていて、よしんば取り調べをしても裁判で証拠として認められることはない。逮捕もしくは任意同行での署内での取り調べが原則で、もちろんこれもすべて映像と音声で記録され、編集されることなく裁判に証拠として提出される。だから陪審員は捜査中の警察の様子や被告人の態度を自分の目で見て判断することができる。
この制度は日本でも3年前(!!)にやっと導入されたが、それでも他国と比較してまるまる半世紀ほども遅れをとっている。
かつ、多くの先進国では逮捕後24時間、最大で72時間で起訴できなければ、それ以上容疑者を勾留することはできない。だが日本では最大20日勾留できる(追加の容疑でもっと勾留日数を延ばすことも可能)。いくら可視化が進んだところで、これほど長期間にわたって未決の被疑者を劣悪な環境に閉じ込め、やったかどうかもわからない犯罪について問い詰め続けるなど、拷問以外の何物でもない。
ちな拷問は拷問等禁止条約で世界的に禁止されており、日本は1999年に加入している。
二俣事件は、静岡県二俣町(現在の浜松市)の住宅で一家4人が殺害された事件だが、警察は近隣に住む未成年の少年を容疑者として逮捕し、連日拷問を加えて無理矢理自白させた。
ところが事件を担当していた山崎平八刑事は逮捕そのものを疑問視し、捜査本部幹部が証拠を捏造していることや有力容疑者の家族から賄賂を受けとっていることから冤罪の危険性を察知、不正捜査の実態をマスコミに暴露し、裁判でも弁護側の証人として出廷している。この行動のせいで山崎さんは警察の職を追われ運転免許まで取り上げられ、その後も家族ぐるみであらゆる嫌がらせに遭うなど、とても「正義の人」と目された人とはいえないほど苦労されたという。
山崎さんは後年、事件の顛末を書いた「現場刑事の告発 二俣事件の真相」という手記を自費出版していて、以前からこれがとても読みたかったのだが何せ自費出版なので事実上すでに入手は不可能である。無罪確定直後に弁護人のひとりである清瀬一郎氏と共著で出版した「拷問捜査―幸浦・二俣の怪事件」は古書市場でプレミアがついていて、気楽に買えるような価格ではない。
その二俣事件を、昨年秋、二俣出身で地域の事情をよく知る作家が小説にして出してくれたので読んでみた。
本書は二俣事件だけでなく、戦時中に起きた浜松連続殺人事件にもかなりの紙数を割いている。両者には、多くの冤罪事件を生み出したことで有名な紅林麻雄刑事が捜査を主導していたという共通点がある。そしてもうひとつ、初動で重要な容疑者を目の前に、十分な捜査をすることなく捕り逃していた点も共通している。
紅林刑事は過去に凶悪犯罪を何度も解決に導き無数の表彰歴を誇ってきたが、裁判で次々と無罪判決が出たことで警察内部での地位を失い、最終的には自ら辞職、まもなく病死している。それでも、彼や彼の捜査方法を是として追従する捜査員の拷問によって、未決収容中に亡くなった人までいることを考えれば、紅林刑事の強引な捜査を野放しにした警察組織の責任はもっと追求されて然るべきなのではないかと思う。
浜松連続殺人事件のパートでは、紅林刑事が初動で重大なミスを犯したことで、その後の被害を未然に防ぐことすらできなかったという致命的な大失態が生じたにもかかわらず、そのミスがきちんと検証されないまま見過ごされた警察組織の穴が克明に描かれている。紅林刑事は名刑事などではなく、客観的なプロファイリング能力が著しく欠けていた。その点を、著者は彼の過去のキャリアから紐解いている。
あるいはこのとき、紅林刑事がやらかしたことがもっと重要視されていたら、その後に続く冤罪事件も防ぐことができたはずだ。冤罪事件は無辜の人を犯罪者と決めつけて有形無形の暴力に晒すという人権侵害だけでなく、本物の真犯人を放置し社会の安全を脅かすという、より広範な罪を伴う。
それが誰が見ても呆れるほど低レベルな失敗に端を発していることが、綺麗に整理されて記されている。
これは紅林刑事個人や、その時代の静岡県警だけの問題ではない。
そもそも警察の役割のトッププライオリティはあくまで「社会の秩序と安全を守ること」であって、「犯罪者を逮捕、送検する」のは単純にその目的のための手段のひとつに過ぎない。
私個人の目から見ると、このふたつの職務の関係性は日本だけでなくどこの社会でもあまり重視されていないように感じる。
無辜の人を犯罪者と決めつけて真犯人を捕り逃すなどということは、「社会の秩序と安全を守ること」という最重要任務のまったく逆で、断じて許されていいはずのない国家の犯罪にあたる。
日本のメディアは容疑者が逮捕された時点であたかも事件が解決したかのように、真犯人と決まったわけでもない容疑者のプライバシーまで蹂躙して騒ぎ立てるが、これも立派な「名誉毀損」という罪になる。容疑者が起訴されようが不起訴になろうが、彼らは反省したり謝罪したりなんかしない。警察の発表を素直に報道しただけで、自分たちには何の落ち度もないとしてけろっとしている。多くの視聴者も同様なのだろう。
でも、一度考えてみてほしい。
社会に冤罪がある限り、それは明日にでもあなた自身に降りかかって来るかもしれない。
身に覚えのない容疑で警察に連れていかれ、劣悪な環境に閉じ込められ、何日も家族にも友だちにも会うこともできず、隣近所や職場ではありもしない噂をたてられ、場合によっては仕事も家庭も失うことさえある。
それは誰の身にも起こり得ることなのだ。
避けようのないことだ。残念なことに。
二俣事件の容疑者となった少年は事件当時18歳。裁判で最終的に無罪を勝ち取るまで、7年もの歳月を要した。
10代後半から20代前半の青春真っ盛りの年代を、彼は「罪人」として生きることを強いられた。彼の家族もまた、犯罪者の家族として社会から孤立させられた。
真犯人は未だに見つかっていない。
こんなことは、これだけ科学技術が発達したいま、決して繰り返されるべきではない。
それは警察だけでなく、われわれ自身の問題でもあると、私は思っている。
しかしこの本の最後の最後の伏線の回収は凄いね。
主要登場人物のほとんどが仮名で書かれたノンフィクション「小説」だけど、後書きで著者本人が「(特定の箇所を除いて)すべて事実に即している」と書いているのがその通りだとするなら、この作品そのものが、著者・安東能明氏の手で「書かれるべくして書かれた」ものだということになる。
そんなこと、あるんだね。
事実は、小説より奇なり。
関連リンク
取調べの可視化(日本弁護士連合会)
えん罪は、 元から絶たなきゃダメ (日本弁護士連合会)
関連記事:
「院内集会:なぜ日本の刑事司法は国際社会から孤立しているのか ~ 取調べの可視化から代用監獄まで ~」
「海外の捜査官に聞く~取調べの可視化の意義~」院内集会
『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』 清水潔著
『冤罪 ある日、私は犯人にされた』 菅家利和著
『美談の男 冤罪 袴田事件を裁いた元主任裁判官・熊本典道の秘密』 尾形誠規著
『それでもボクはやってない―日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!』 周防正行著
『お父さんはやってない』 矢田部孝司+あつ子著
『冤罪弁護士』 今村核著
『僕はやってない!―仙台筋弛緩剤点滴混入事件守大助勾留日記』 守大助/阿部泰雄著
『東電OL殺人事件』 佐野眞一著
『アラバマ物語』 ハーパー・リー著
『小説帝銀事件』 松本清張著
『日本の黒い夏 冤罪』
『それでもボクはやってない』
『デビルズ・ノット』
巨匠ルキノ・ヴィスコンティの『ベニスに死す』で絶世の美少年を演じたビョルン・アンドレセン。
彼の複雑な生い立ちや家庭環境から、『ベニスに死す』のオーディション、撮影、公開後のセンセーショナルな反響や日本でのアイドル活動と、現在の彼の暮らしを捉えたドキュメンタリー。
美少年、好きですか。
ハイ、私は好きです。観賞物として。綺麗な花とか生き物とか芸術品を鑑賞するのとほぼほぼ同じ感覚だ。
美少年を愛でる文化は古くから広く世界中に浸透していた。
日本では、室町時代の能楽師・世阿弥が著書「風姿花伝」の中で、少年の美しさを「時分の花」と賛美した。
古代ローマの詩には「12歳の花の盛りの少年は素晴らしい。13歳の少年はもっと素敵だ。14歳の少年はなお甘美な愛の花だ。15歳の少年は一層素晴らしい。16歳なら神の相手が相応しい」と謳われている。
現代では同性愛に対する制裁の厳しさがフォーカスされやすいイスラム社会ですら、少年愛は高度な芸術文化の一面として定着していた歴史がある。アフガニスタンではいまも、少年を誘拐して性的に玩弄する「バッチャ・バーズィー」という悪習が残っている。
人が美少年を語るとき、美少年は人格を失い、生きた芸術作品か、もしくは性的なアイコン、疑似恋愛の対象物といった“モノ”、“物体”になってしまう。
そんなの美少女や若い女やイケメンと同じではないか、という人もいるだろう。確かに昨今よく耳にする「ルッキズム」の観点でいえばその通りだと思う。
だが美少年には他と決定的に違う点がある。それは、美少年が美少年でいられる時間が極端に短いというところにある。先に挙げた古代ローマの詩にも書かれている通り、美少年は早くて10歳前後から、長くてもせいぜい20歳ぐらいまでの間しか「美少年」でいられない。大抵の男性は20代半ばを過ぎると、徐々に肌や髪質や声や体格がそれまでに加えてより男性らしくなり、人によっては少年時代の面影を完全に失うほどの身体的変化が起こる。その年齢を過ぎて少年らしい外見を維持している人もいなくはないけど、間違いなくレアケースだと思う。
だからこそ、人は美少年の儚さに心惹かれ、やがて消えゆく運命にある美の刹那を崇めるのだろう。
ですけど。
当然の話だが、美少年にも人格はある。しかも、人格形成において最も繊細な思春期を抱えた脆く危うい時期に、“絶世の美少年”として性的に消費され、外見だけが彼をアイデンティファイするような環境に押し出されるとしたら、彼本人の精神状態の均衡はどうなるだろうか。
少なくとも、そうした経験が「美少年」の象徴とされた人物のその後の人生に、何ら影響を与えないとは誰にもいえないだろう。
最近このブログにちょいちょい登場するシンガーソングライターの小林私(過去記事)も、透き通るように白い肌や艶やかな髪、少女のような顔立ちや華奢な体躯が「中性的」などと取り上げられやすいけど、本人「好きで整った顔に生まれたわけじゃない」っていってるしね。まあそうだろう。人は自分の容貌を己でカスタマイズして生まれてこれるわけじゃない。
自分で望んでいもしない外見だけを切りとって不特定多数の人間にああだこうだいわれるのは、美少年でもそうじゃなくても、誰でもいい気持ちはしない。まして切りとられた自身の一部分だけが商品化され、搾取されたうえ、気づけばあっという間に本人の本体がその抜け殻となって社会的価値を失ってしまうとしたら、どんなに残酷なことだろう。
そう思うと申し訳なくなる。すいません。
映画を観ていて、これまでにも美少年として世界を席巻したスターたちを思い出した。
『スタンド・バイ・ミー』で世界中の注目を集め、実力派俳優として着実なキャリアを築きつつも23歳の若さで逝去したリバー・フェニックス。『ターミネーター2』で鮮烈なデビューを飾りながら、アルコールや薬物に溺れ、出演作よりも揉め事で話題にされる存在になってしまったエドワード・ファーロング。
ビョルン・アンドレセンと彼らの生育環境はある面で似通っている。住む場所も経済状態も安定せず、両親の十分な保護のもとで穏やかに暮らすことすらままならなかった。保護者は彼らの芸能活動の成功に縋り、愛されたい、守られたいと願う幼心を利用し、束縛していた。
一方で、機能不全家族に生まれたスターは他にいくらでもいる。レオナルド・ディカプリオやキアヌ・リーブスの家庭環境も複雑だった。家族に恵まれなかった美少年みんながみんな、不幸になるわけではない。世の中そんなに単純じゃない。
だけど、ルッキズムが問題視されるようになったいまだからこそ、未成熟で壊れやすい心をもった可憐な存在に対して社会はどうあるべきなのか、真剣に問われてもいいのではないだろうか。
美少年でなくなっても生き続けなくてはならない彼らの意志や将来の可能性を無視するようなビジネスモデルなど、もはや許されないのではないだろうか。
とはいえ、芸術において生命力をもった造形美が人の心をインスパイアする現象自体は、道義的に否定されるほどのものではないと思う。
重要なのは、映像や絵画や彫刻の中にいる人物はあくまでも作品に映し出された影でしかなくて、人物そのものは作品の世界とは別の現実を生きていて、彼らの健康や安全は一個人として最大限尊重されなきゃいけないってことですね。
って言葉に書いてみたら某政治家の迷言みたいに当たり前過ぎる屁理屈なんだけど、実際にそうなってないからね。残念ながら。この世の中。
極論をいえば、社会倫理ぐらい超越してナンボなのが芸術で、そんな矛盾すら付加価値としてカネに変えるのがエンターテインメントという商売です。怖いね。
でも。実をいうと私は60代になったビョルンさんも、とても綺麗だと思いました。
さすがに、往時の輝くように華やかな美貌の面影はもうない。蜂蜜色の豊かな巻毛も真っ白になった。
それはそれとして、波乱万丈の人生を乗り越えて生ける伝説と化した稀有な人にしかない、独特の世界観をもった伝道師のような、他の誰にもみたことのない別の光を、私は感じました。
顔にしわがあったって、髪につやがなくたって、肌に張りがなくたって、人は輝ける。
お父さんがいなくても、お母さんにすてられたとしても、満足な教育をうけられなかったとしても、どんな人にも幸せを求める権利がある。
私たちは、いつ誰がどこでつくり出したのか知りもしない、無価値な物語のあれこれに、あまりにも縛られ過ぎている。
その一つひとつから自分の力で抜け出すことは簡単ではないけど、きっかけさえあれば、誰にでもできないことじゃない。
そういうことにふと気づかされた映画でした。
関連レビュー
『スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー』 ビョルン・アンドレセンのデビュー作。
劇場で配布してたポストカード。
改めてみても、やっぱ凄い顔だよね。まさに芸術。
『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』 石井妙子著
現在も活動家として活躍するアイリーン・美緒子・スミスと、フォト・ジャーナリストのカリスマ、ユージン・スミスの詳細な生い立ちから来歴、そして熊本県水俣市の歴史と水俣病の永く終わりのないたたかいを、『女帝 小池百合子』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した石井妙子が壮大な歴史絵巻として描いたノンフィクション。ユージンとアイリーンが戦後最悪の公害事件を世界に告発した写真集「MINAMATA」を原案とする映画『MINAMATA』の日本公開直前という絶好のタイミングで刊行された。
以前から石牟礼道子の『苦海浄土』を読もう読もうと思いつつ手にとる機会がなかったけど、こちらはある理由で「よし読もう」と気軽にめくってみた。
理由というのは、さる事情で私自身とアイリーンさん(と呼ばせてください)に一面識があるからです。
詳細は省くが、公的にも個人的にもお話ししたり連絡をとったりする機会がごくたまにあるという程度の間柄です。
アイリーンさんは、いつお会いしても清々しくて瞳がキラキラ輝いていて、感受性豊かで溌剌として元気いっぱいで、そしてとても綺麗な人だ。
一部の若い女性たちからは「いつかアイリーンさんみたいになりたい」と憧れられる、どこか雲の上の人のように神々しい人でもある。
私個人は、「アイリーンさんみたいになりたいか」と問われても、ごめんマジ無理。アイリーンさんのことはとっても好きだけど畏れ多過ぎてちょっと現実的にしんどいです。としかいえない。
そんな感じ。
そもそも私には、水俣病については小学校〜中学校の授業で習った程度の知識しかなかった。
『MINAMATA』のレビューでも書いたが、高度経済成長期に生まれた私の出身地は別の有名公害事件の発生地のひとつで、同級生たちの多くが、内海に面した沿岸地帯にびっしりとひしめき合って建ち並ぶ大企業の工場で働く人たちの子どもだった。
教科書に載っている歴史的事実を、その当事者ともいえる子どもたちに教えていた先生たちはどんな気持ちだっただろう。
まあフツー、根掘り葉掘り詳細を教えるのは気まずかったよねきっと。そこに書いてあるから読んでねテストに出るからねー。ぐらいのテンションでしか語れなかったんじゃないかと思う。
本書には、水俣という土地の歴史から紐解き、誰がいつ、どうしてチッソの工場を水俣に建てたのか、そこでどんなものが生産され、チッソの成功がどれだけ日本経済を潤したか、その副産物としてどんな有害物質が水俣湾に垂れ流され、誰がどんな病に罹ってどれほど苦しみ、どんな死に方をしたのか、のみならず患者の家族が誰からどんなに苛酷な仕打ちをうけていたか、患者や遺族らがチッソと国を相手にどうたたかったか、といった非常に長期間にわたりかつ異様にこみいった複雑なディテールが、見事に整理され誰にでもわかりやすく親しみやすい文体で綴られている。これだけぴったりとまとめるだけの稀有な筆力には畏れ入るしかない。天晴れです。
主要登場人物はユージン・スミスとアイリーンさんなのだが、それ以外にも多数の患者、その家族、活動家たち、チッソの現場責任者から経営陣、医師・研究者、行政などの水俣病をめぐる大勢の関係者たちがページに現れては消えていく。その一人ひとりについても、最低限の表現なのに、まるで読者の目の前に本人が立ち現れるような絶妙な匙加減のリアリティで描写されてます。
にも関わらず本全体としては全然重くなくて、さらっと読み通せてしまう。読み終わってつい、「こんなさらっと読めてしまっていいのだろうか」と不安になったくらい。
でも一呼吸おいて振り返れば、本書のいちばん大事なところは、ユージン・スミスやアイリーンさんや水俣病の患者たちやチッソという企業の在り方など、文字で直接的に描かれていることではないことに、はたと思い当たる。
明治維新を経ていきなり近代国家になった日本は、急激な変革の裏でありとあらゆるものを犠牲にしてきた。ただ国が豊かに、強く大きくなれば万事それでよくて、その大義名分のもとで流される汗も血も涙も、一顧だにされることがなかった。そうして日本は軍事国家として肥大化し周辺国を侵略し、その対価として国内外で2000万人以上が命を落とした。
戦争が終わったとき、もし、日本という国がそれまで犯してきた数々の過ちを、間違いを、自らきちんと総括し教訓として活かすことができていれば、戦後まもなく始まった経済発展によって引き起こされた公害の多くは、あるいは避けられたかもしれない。
歴史にたらればはない。かつ、歴史は簡単にあるべき道を踏み外す。
第二次世界大戦直後から始まった東西冷戦のために日本はさまざまな戦争責任を免れ、冷戦の代理戦争として同じ民族同士が血で血を洗った朝鮮戦争の恩恵で、飛躍的な復興を果たした。日本人の輝かしいばかりの不屈の精神の賜物の下で、すぐ隣国の人々がどれほど残虐な暴力の嵐にさらされていたか、当時の日本人は知っていたのだろうか。いまとなってはもうほとんど誰も知らないのではないだろうか。
だからこそ、日本経済は、戦中戦前から明治初期にまで遡る公害という負の歴史を、無反省に繰り返したのだ。
その犯罪行為はいまだに終わらない。そればかりか東京電力福島第一原発事故という史上最悪レベルの公害事件まで起こしてしまった。「起きてしまった」のではない。国も東京電力も、この国に暮らす人たちの健康と安全をまもるために払うべき当然の義務を怠っていた。その必然として多くの人々が故郷を追われ、一生拭うことのできない苦悩を負わされた。亡くなった人も大勢いるが、もちろん国も東電も因果関係なんか絶対に認めない。
ちなみに東日本大震災の死者行方不明者は福島県で1,993人(2021年3月10日現在・警視庁)。福島県の関連死はそれを超える2,329人(2021年9月30日現在・復興庁)。全国の関連死者数の6割以上が福島県の人だ。
いうまでもないが、福島の人は東京電力福島第一原発の電気をいっさい使っていないのに。
グローバル経済の発展は、同時に公害もグローバル化させた。富める国が貧困国の人々を平気で搾取し、環境を破壊し、彼らの命も暮らしも文化も蔑ろにしている。
その先にいるのは、グローバル経済でひたすら経済成長だけをまっしぐらに目指し続ける政府や、そのお溢れで巨万の利益を手にするエスタブリッシュメントだけではない。
ただただ便利な世の中を当たり前に生きている人─私を含めて─すべてが、世界中で複雑怪奇に張り巡らされた暴力的な経済のサイクルにつながっている。好むと好まざるとに関わらず、そのサイクルから誰も逃げることはできない。
であるならば、誰ひとり、水俣病を遠い過去の出来事として見過ごすことは許されないのではないだろうか。
少なくとも、世界はいままさに、破滅か存続かの分水嶺のど真ん中にはまりこんでいる。
これからどうしたいかという答えは、この世界に生きている人間一人ひとりの手の中にある。
この本は、過剰なまでに発達した近代社会が、いかにして人々と環境を蹂躙し続けたか、そしてそれらを償うことなく罪を重ね続けている、その責任の所在がどこにあるかを、読者一人ひとりの心に問うているのではないだろうか。
数年前にアイリーンさんと会ったとき、私はボランティアとして、全校児童108人中74人の命が奪われた石巻市大川小学校の津波被害のご遺族の活動にほんの少し関わっていた(過去記事アーカイブ)。
アイリーンさんはジョニー・デップとともに映画『MINAMATA』の準備中で、私は、水俣で起きたことと大川小で起きたことの原因はそっくりで、起きた後に国や企業がしたことも、地域社会で起きていることもよく似ているという話をした。
日本は、全然変わっていない。進歩なんかしていない。むしろ後退している。
それではいけない、ちゃんとまっすぐ前に進めるはずだと声を上げる人たちはいる。たくさんいる。その声に、もっと多くの人が真剣に耳を傾けてくれたらと、いつも願っている。
2020年12月6日放送「MINAMATA~ユージン・スミスの遺志~【テレメンタリー2020】」。
水俣病患者の中でも最もユージンの心をとらえた田中実子さんへの切実な思いを語る肉声を聞くことができる。必見。