落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

ドリームキャッチャー

2003年12月18日 | movie
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観ちゃいました。
昨日たまたま仕事場の子がレンタルDVDを持ってて一緒に観たんだけど。 原作はホラーの名手スティーブン・キング。
テレビスポットを覚えてる方は「パニック・ホラー?」みたいな印象を持ってるかもしれません。ぐりもそうでした(と云っても観てる途中まで思い出さなかったけど)。
ストーリーは・・・「スタンド・バイ・ミー」と「エイリアン」と「アウトブレイク」を足したような感じですか。って云われてもワケ分かんないよね。だって3本全然違う映画だもんね。けどホントそのままです。実際観てても全然違う映画何本かがごちゃまぜになってるみたいに見える。ノスタルジックな子ども映画と、サイコサスペンスと、パニックホラーと、異星人SFアクションがいっしょくた。あと軍隊映画も入れてもいいです。

じゃあ観終わった印象はと云うと、やっぱりさすがハリウッド。こんなぐちゃぐちゃな映画をこんなに真面目にきちんとつくれる、しかも結構お金も手間もかかってる、映像も綺麗に仕上げてる、こう云うある意味「どんな作品であれきちんとつくれる」パワーってスゴイなーと思うのです。 一緒に観てたもうひとりのスタッフはさんざんぷんすかしてたけど、ぐりは充分楽しめました。
コレはお菓子やビールを片手におうちで家族や友人と楽しむには全くうってつけの映画です。何かを考えさせられたり、感動したり、胸がキュンとしたりは全然しないけど、みんなであーだこーだ云いながら笑い転げるにはちょうど良いです。 寒い季節、宴会の季節にいかがでしょうか。映画の舞台もちょうど冬だしね。 ただあんまりおキレイとは云えないシチュエーションも登場するので、食事中に観るのはオススメしません。

アララトの聖母 続き

2003年12月12日 | movie
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先日の日記に『アララトの聖母』と云う映画の感想を書きましたが、たった今、この映画の超強力かつ決定的な暗喩に気づいて我ながらビックリしました(マニアックな話ですしネタバレなので、興味のない方・作品を御覧になってない方はお読みにならないことをオススメします)。今まで気づかなかったアタシってやっぱ鈍いのかな?

物語のラスト、空港の、照明を落とした暗闇の税関検査室で、フィルム缶を開封するシーン。 ラフィは密封された缶の中身を、未現像のフィルムだと信じている。本当は何が入っているのか知らないにも関わらず。 なので開封するにあたって、感光したら映像がダメになってしまうので照明を消して欲しい、手で触ればフィルムだって分かるから、と説明する。 検査官は云われた通り照明を消して、暗闇の中で缶を開ける。検査官はそこにヘロインが入っているのではと疑っている。 開封した缶を前に、検査官は中身についてラフィに訊ねる。ラフィはフィルムだと答える。そう信じているからと。

実はこのやりとりが、この作品でいちばん大事なことを意味してたんじゃないかと、今、気づいた訳です。1週間経って。遅まきながら。
つまり、アルメニア人大虐殺を缶の中身に喩えたんじゃないでしょうか。事件そのものは実際で起こったことでありながら世界の人々から忘れ去られようとしている。たとえ忘れ去られようとも、誰にも知られていなくても、事件が事実であると云うことは変わらない。
どんなにトルコ政府が事件を無かったことにしようとしても、缶の中身はフィルムだと信じようとしても、検査室が暗闇であってもヘロインはヘロイン、事実は事実であり、それは誰にも変えようがない。
たとえ、缶の中身をフィルムだと信じたラフィが罪を問われること無く帰れたとしても、彼がヘロインを運んだ事実は変わらない。


こんなことにこんなに時間が経って気づくぐりも相当鈍いですが、云ってみればこの深さがエゴヤン作品のスゴイとこなんじゃないかと、改めて感じ入ります。
そうだよね?
違うかなぁ。あーもっかい観たい。もう北海道と福岡でしかやってないけど。
うーん(←感動している)。

昭和歌謡大全集

2003年12月07日 | movie
昭和歌謡大全集
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専門学校生のスギオカ(安藤政信)は、ある日偶然見かけた“オバサン”に欲情しナンパしようとして「変態!」となじられたことに腹をたて、咄嗟にナイフで彼女を殺してしまう。殺されたヤナギモトミドリ(内田春菊)のオバサン仲間・ミドリ会(樋口可南子・岸本加世子・森尾由美・細川ふみえ・鈴木砂羽)は犯人に復讐することにし、スギオカの仲間の少年たち(松田龍平・池内博之・近藤公園・斉藤陽一郎・村田充)との間に復讐合戦が始まる。

あんまり期待せずに観たんですが、大爆笑でした。
設定がオタク少年VSオバサンとなってるけど、さっぱり誰もオタクっぽくもないしオバサンぽくもないです。要はストーリーとかリアリティとかは一切放棄しちゃって、昭和歌謡と復讐合戦と云うメインテーマだけを一生懸命描くことで、すっきりと笑えるコメディに仕立ててある。アタマ良いです。
ただ殺しあいは殺しあいなので正直笑っていいものかどうかちょっと迷いましたが、観ちゃうとダメっすね。笑っちゃいます。でも何がおかしいのかは上手く説明出来ない。まぁ観れば笑えますよ。ハイ。
たぶんコレをリアルにオタクっぽい役づくりをしたり、オバサンらしいキャスティングで撮ってたら全然笑えなかったでしょーね。それだけは云えます。しかしまぁ殺しあいがこんなに笑える物語になっちゃうってのが不思議です。

アララトの聖母

2003年12月07日 | movie
アララトの聖母
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『エキゾチカ』『スウィートヒアアフター』で知られるアトム・エゴヤン監督が自らのルーツを描いた意欲作。
著名な映画監督でアルメニア難民のサロヤンは第一次世界大戦中に起きたアルメニア人大虐殺を映画化するにあたり、事件の生存者でアメリカの画家アーシル・ゴーキーを作中に登場させることを思いつき、やはりアルメニア人の美術史家アニに協力を求める。アニには息子がいたが、彼の父親は革命運動の中で殺され、二度めの夫は謎の転落死を遂げると云う過去があった。アニの息子ラフィは何のために父が生き、死んだのかを理解出来ないまま、映画制作に助手として参加する。

アルメニアってどこよ?と云う方も大勢いらっしゃるでしょう。さらにアルメニア人大虐殺なんて云ってもほとんどの日本人は知らないと思います。
と云うのは、事件の舞台であり当事者であるトルコ政府が、未だにこの事件を事実として認めていないからです。現在、トルコがEUに加盟出来ないのはこのためだと云われています。
アルメニアは紀元前9世紀頃まで起源を遡る由緒ある国で、黒海の南東部アルメニア高地に位置し、キリスト教を国教とする国でした。しかし西洋と東洋の境にあたるこの地域は周辺諸国の度重なる侵略を受け、19世紀にはトルコ領アルメニアとロシア領アルメニアに分断されていました。イスラム教を国教とするトルコ領でアルメニア人はひどい迫害を受けるようになり、第一次大戦中ロシアからの侵攻を恐れたトルコ政府によって1915年から1922年の間に150万人のアルメニア人が虐殺されると云う悲劇が起こりました。他のアルメニア人は西欧諸国や北米に逃れ、こうしてトルコ国内のアルメニア人とその文化は完全に失われてしまいました。

ぐりも恥ずかしながらこの事件のことを全く知りませんでした。上記の簡単な説明も作品資料からの受売りです。この映画が観たかったのは、エゴヤン作品のファンだからです。
エゴヤン監督はそれまでのプロフィールでは“エジプト系カナダ人”となっていたので、最初この作品の紹介を読んで「アルメニア?エジプト人じゃないの?」と怪訝に思いました。監督自身の顔もよく見たことなかったし、エゴヤンと云う変わった姓がどこの言葉なのかも分からなかったので。
今作の資料を見ると、監督のご両親がアルメニア難民で、監督はエジプトで生まれ、小さい時にカナダに移住されたそうです。

監督はインタビューで「僕はこの作品でトルコを糾弾したい訳ではない」と発言していますが、作品を見るとなるほどその意味がよく分かります。この作品には、事件が直接的に描かれている部分が全く無いからです。
登場人物の多くはアルメニア人ですが、そのほとんどが実際には事件を経験・目撃してはいません。映像に描かれる事件はサロヤンの映画、劇中劇です。つまり、テーマである事件そのものと作品の間にはかなり大きな距離がある。意図して距離を置いて事件を描いている。距離を置くことで、冷静に、感情を交えずニュートラルに、事実を、その意味を、観客に問おうとしている。
作中、アララト(アルメニアの山)に旅行したラフィが、トロント空港の税関で税関検査官に向かって映画の内容を説明するシーンがあります。検査官はラフィの持ち込んだフィルム缶を開封させようとし、ラフィは制作中の映画の素材で未現像だから開封出来ないと主張する。
検査官は勿論アルメニア人虐殺事件のことなんて知らないので、ラフィの話を半信半疑で聞いている。この検査官の視点が、映画を観ている我々の視点と重なって、徐々に事件の全容が解明されていく仕掛けになっています。

エゴヤン作品の特徴でもありますが、この映画も登場人物が非常に多く、全体の構成も複雑です。観た後で、他人にこれこれこういう映画だったと説明するのは非常に難しい。
だから簡単にまとめちゃいますが、どんな理由があろうとも、ひとつの文明、ひとつの国、ひとつの民族がまるごと全部失われてしまうなんてことは決して赦されることではない。家族を、故郷を、祖国を奪われた人々の深い悲しみと絶望は決して癒されることはないし、その悲劇は決して忘れ去られてならない。
当り前のことだけど、つい他人事と思いがちな人間でも、この作品を観ればその真理が分かる、そう云う映画でした。
この作品が撮影されたのは一昨年の5月と云うことですが、その後に起きた9.11のことを思うと、イスラム教VSキリスト教と云う当初は意図されていなかっただろう側面が気になってしまうぐりでした。
ちなみに事件の詳細はこちらのサイトに紹介されています。興味のある方はどうぞ。


恋愛寫眞

2003年12月03日 | movie
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先日DVDが発売になり、レンタルも始まったと云うことで、やっと観ました。
実は公開時も観たかったんですが仕事でてんやわんやしてるウチに終わっちゃってたんですね。3週間くらいしか公開してなかった。

恋愛寫眞 Collage of our Life
売れないカメラマン誠人(松田龍平)はある日別れた恋人(広末涼子)から一通の手紙を受取る。消印はニューヨーク、個展への招待だった。その後彼女が現地で亡くなったと云う噂を聞いた誠人は、彼女の無事を確かめるため単身NYへ旅立つ。

この誠人と静流と云うカップルなんですが、写真を通じて親しくなり、写真のために別れたふたりなんですね。よくある話です。男が女の運や才能に嫉妬してダメになる。逆も然り。若いですね。青いですね。すっぱいですね(くどい)。
前に日記にも書きましたが、ぐりは美術系大学の出身でこの手の話は目に見える限り至るところに腐るほど転がってると云う環境にいたので、ちょっと郷愁を感じるシチュエーションです。写真もやってたしね。しかも始めた頃は当時の彼氏に教えてもらったりとかね。フフフフフ。
年をとれば、“才能”や“運”なんてすぐ傍にいくらでもありそうなのにどこか遠くて、まぶしくて甘くて苦くて、あやふやな、形のない、幻のような光のような、そんなものに訳もなく振り回された頃が、ただ「若かったんだなぁ」で済んじゃうんだけどね。
若いって不便です。

映画はですね、えーと面白かったです。傑作かと云うと違いますね。秀作でもないな。あえて云うなら平均点。よくできましたともっとがんばりましょうの中間くらい。
ストーリーそのものは途中までは結構良いです。終始誠人の目線───優しくて誠実ではあるけれど、どちらかと云うと鈍い、不器用でアタマのめぐりの良くない、ごくごく普通の男の子───から見たぱっとしないキャンパスライフ、謎の美女静流、ニューヨークの街、と場面転換のリズムは流石に堤監督だなと思わせるナチュラルさです。ぐりもフツーに「面白いじゃん」と思ってました。ただし途中までは。
ではナニが気に入らないのか?
パンチがない。寿司で云うとワサビ抜きみたいなカンジですね。ワサビ抜きのお寿司がお好みな方も勿論世間にはいらっしゃるでしょう。しかしぐりは物足りない。激しく物足りない。そんなんで良いのか堤監督。堤監督だからこそワサビ抜きじゃいかんのじゃないでしょーか。ぐりはいかんと思うよ。

どこが「ワサビ抜き」かっつーと(以降はネタバレなので御覧になってない方はお読みにならないことをオススメします)そりゃもうオチですね。
全ての元凶をアヤ(小池栄子)にひっかぶせるっちゅーのはやっぱ強引ッスよ。それに乱暴だ。安易だ。台無しです。がっかりです。堤監督。
だってもっとマトモなオチなんか他にいくらでもあるじゃないですか。例えば犯人をカシアスかその関係者にしても良い。大体カシアスはマリファナのディーラーって設定なんだから、日本映画的には彼を悪役にしたって無理は無いハズ。手紙の偽造なんかの詐欺行為はアヤでも構わないと思う。
何より主人公の心情の揺さぶり方がこれじゃ甘過ぎます。映画的カタストロフとしては全然中途半端です。ぐりは誠人がもっともっとどうしようもなく深く傷ついて、そこから立ち上がってくれた方が、彼の男性として、人間としての成長物語としてきちんとした広がりのあるお話になった筈だと思います。
最後の最後に冒頭までお話がめぐって来る、と云う仕掛けそのものが個人的に好きなので、それだけにその「めぐり幅」の甘さと云うかイージーさが大変不満でした。

(ネタバレ以上)

あとはあのミョーな視覚効果、CGは全然要らなかったです。蛇足ですな。某大御所氏には申し訳ないがー(どーせ実際につくってるのは大御所じゃないしな)。
広末嬢はあいかわらず可愛いですね。良い女優さんだと思います。ただこの物語が誠人=男性目線に絞った描写なので、なんだか美化され過ぎてるのは不自然には感じました。このままいっちゃうと某小説家の奥さんになってパリ在住の元アイドル女優みたいに(まわりくどすぎ)、無意味に神格化・伝説化されちゃいそうな役柄ではありました。よく考えてみればこの静流と云う女性はなんつうかめちゃめちゃ可哀想なキャラクターですね。彼女に同情するのはどーもフェアじゃないような気もするけど、でもやっぱり救いが無さ過ぎです。そこもぐりは不満だ。ぷんぷん。
松田氏はお芝居上手くなりましたね。そしておとーさんソックリだ。彼の場合は広末さんと逆で、これまで松田クン個人のキャラクターに頼るような役柄が多かったので(カリスマ性、狂気、美貌・・・)、どこまでもニュートラルな誠人と云う男の子を器用に演じることで「ちゃんと演技出来るんだぞー」と云う、スキルは他の作品以上に発揮されてたと思います。英語の台詞がホニャララなのはあれはワザとですよね(笑)?誠人の“普段からやたら英語で喋る人”と云う設定が超どーでもいい。その設定いらんやろ、みたいな。ハズイだけやん。どーでもいいと云えば松田クン、美脚です。ぐりはそこに目を奪われました(笑)。

監督がこの作品に関して「これを観て胸がキュッとなった人は青春の内側にいる」と云っていましたが、キュッとしましたよ。ええ一応。おおそうかぐりも内側なんだーなんてホッとする自分がなんだかちょっとイヤ。
ぐりが観たレンタル版じゃなくてセル版DVDは2枚組で特典映像が200分も収録されてるそうな。200分かよ。本編よりなげーじゃん。おいおいおいおい・・・。
要するにアイドル映画なの?いいのか堤監督よ・・・。いいんだろーな・・・。うーん。