落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

よいお年を

2009年12月31日 | diary
今年も落穂日記をご訪問いただき、ありがとうございました。
来年もどーなるかはわかりませんが、おひまがあったら遊びに来て下さいませ。

では皆様、よいお年を。



鬼畜の貌

2009年12月27日 | book
『出版倫理とアジア女性の人権 「タイ買春読本」抗議・裁判の記録』 タイ女性の友:編
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『タイ買春読本』とはデータハウス社から1994年に刊行された旅行ガイドブック。
タイトルの通り、タイのナイトスポットの遊び方を写真・図解つきの現地ルポというかたちでまとめてあり、これ1冊があれば誰でもタイで女の子とヤリ放題とゆー、とても親切な本だそーである。ゆーまでもないがぐりは現物は見たことがない。べつに見たくもないですが。
この本よりも前に似たよーな案内書は存在してたけど、ここまで露骨なタイトルでしかも堂々と一般書コーナーで売られた本はそれまでなかったし、実際かなり売れたらしい。
トーゼンのことながら刊行直後から国内外から激しいバッシングが起こり、タイでも大きく報道されたりもしたという。皮肉なことに報道が宣伝になってますます本は売れた。

抗議から裁判に至るまで、データハウスもライターたちも一貫して、表現の自由と出版の自由を盾に絶版・回収の要求を拒み続けた。
その主張をぐりは決して否定はしない。
誰が何をいおうと自由なのはいいことだと思う。日本ではどんな本でも映画でもなんでも、誰もが好きなものをつくって発表する自由が認められている。それはいいことだ。
けど、明らかに誰かの名誉を傷つけ、人権を侵害する行為の上に成り立つような自由は既に「自由」なんかじゃないと思う。それはもう暴力といっていいと思う。
表現者には権力がある。権力を行使する側には、その結果に起こる現象に対しても社会的責任を負う義務があるはずだと思う。

ぐりは売春も買春も、それそのものはべつに悪いことじゃないと思っている。
世界では売買春に関してふたつの考え方があって、(1)売買春は女性(あるいは男性)の人格を貶める虐待行為である、とゆーのと、(2)人にはそれぞれ性の決定権があり、それを売り買いするのは個人の意志の自由であり尊重されるべきものである、とゆーもの。ヨーロッパなんかでは(2)が主流になりつつあるらしー。
けどここで問題になってくるのは、買う側には売り手が(1)強制売春の被害者であるか、(2)自らの意志でその職業を選択した自立したプロフェッショナルであるか、とゆー見分けがつかないとゆー点である。
よしんば見た目に(2)と判断できたとしても(もちろん大抵そー見える)、それは純粋に営業的な演出でしかないのだ。

だからぐりがこの『タイ買春読本』で問題だなと思ったのは、タイの性風俗産業の実態を無視して、完全に自分たちの都合だけで女漁りをしてそれを本にした、ジャーナリストのカスのそのまたカスのよーな知的レベルの貧しさにある。
どーせやんなら徹底的にやればよかったのだ。中国南部やミャンマーやラオスやカンボジアから初潮もこないうちに売られてきて監禁され、処女だというふれこみで客をとらされては陰部を縫いあわされ、言葉も通じない、自分がどこにいるのかもわからないまま各地の売春宿を転売されて、ろくに給与も与えられず逃げることもできず、使い廻しのコンドームをあてがわれては父親もわからない子どもを出産させられたり性病にかかったり、エイズを発症すれば(売られた女の子の70%が1年以内にHIVに感染する)ゴミ同然に捨てられる、そんな女の子たちの実情を知った上で、それも堂々と本に書けばよかったのだ。
そんなもの誰も読まないなんていわせない。そんなものどうでもいい、自分とは関係ないなんていえる人間に、タイのフーゾクを書いて売る資格なんかあるわけない。
少なくとも、ぐりは絶対そんなの認めない。認められません。


関連レビュー:
てのひら〜人身売買に立ち向かう会主催ワークショップ第3回「被害者支援の現場から①〜民間シェルターの取り組み」 講師は原告のひとりである大津恵子さん
『現代の奴隷制―タイの売春宿へ人身売買されるビルマの女性たち』 アジアウォッチ/ヒューマンライツウォッチ/女性の権利プロジェクト著
『アジア「年金老人」買春ツアー 国境なき「性市場」』 羽田令子著
『幼い娼婦だった私へ』 ソマリー・マム著
『子どものねだん―バンコク児童売春地獄の四年間』 マリー=フランス・ボッツ著
『アジアの子ども買春と日本』 アジアの児童買春阻止を訴える会(カスパル)編

野ばらの歌

2009年12月26日 | movie
『海角七号 君想う、国境の南』

台北でミュージシャンを目指すも、夢敗れて故郷・恒春に戻ってきた阿嘉(范逸臣ファン・イーチェン)。
ビーチで行われる日本人歌手・中孝介のコンサートの前座にと地元住民でバンドを組むことになるが、日本側のコーディネーター役を押しつけられた売れないモデル・友子(田中千絵)とは衝突するばかりで、練習も曲づくりもいっこうに捗らない。
日本統治時代の結ばれなかった悲恋を軸に、時間と国を超えた愛を描いて台湾で大ヒットした作品。

あのー・・・こういうこと書くのはすっごい気がひけるんですけどもー。
これ、そんなにいい映画でしたっけね??すいません、ぐりはさっぱり共感できませんで・・・。
なんかねー・・・やりたいことはわからんでもないんだけど、盛り過ぎなんじゃないかなあと・・・だから大事なところが説明不足なのに、どーでもいいことは説明過多っつーか・・・大体、内容のわりに長過ぎると思うんだよね・・・。

説明不足だなと感じたのはまず、60年前の友子(梁文音レイチェル・リャン)と日本人教師(中孝介/二役)の関係。
ふたりのパートは映像では別れのシーンとその後の船旅のシーンのみで、あとは全部手紙のナレーションのみ。これがキツイ。決してよく書けてるとは言い難い(外国語映画なんだからしょうがないとしても)手紙を、俳優でもない中孝介が読むんだから、表現力にそもそも相当無理がある。キツイ。
だからここにふたりの関係を想像させる具体的な映像が欲しかった。ほんの何気ない日常のひとこまでもいいから、映像があればもっと入り込めたと思う。友子を画面に出さないという意図はいいとして、教師だけでもそういう映像はつくれたはず。

ふたつめ。現代の友子の内面描写が足りな過ぎ。
妙に感情過多でぶんむくれキャラの友子だが、あまりにもそういうシーンばかり続くので観ていてかなりキツイ。
なんでそんなにぷんすかしているのかは本人や仕事相手の台詞で説明があるのだが、台詞で説明されるだけじゃちょっと共感できないよ。ただただ神経質で短気な日本人女性を滑稽にカリカチュアライズしてるだけみたいに見える。そーゆーのって観ててあんまし気分のいいものじゃない。

みっつめ。阿嘉と友子がいつ恋に落ちたのか全然わからない。
これはホントにわからなかった。すいませんニブくって・・・。だからあの結婚式の夜のシーンはマジで仰天しました。え?え?なんでっ??みたいなー。
だからラストのコンサートのシーンも感動??するとこなの??ここは???みたいな感じで・・・ついてけませんでした・・・ギリギリ失笑はしませんでしたけど・・・無念なり。

台湾の少数民族文化や極端な地域格差を表現したかった気持ちはよくわかるし、それはそれでかまわないと思うんだけど、水蛙(應蔚民イン・ウェイミン)の恋とか、阿嘉と継父(馬如龍マー・ルーロン)の確執とか、大大(麥子マイズ)のヘンに思わせぶりな母親(林曉培シノ・リン)とか、ぶっちゃけいらなかったんじゃないかと思う。とくにラスト近くの母親と友子の会話にはかなり興醒めしましたです。思いっきりとってつけた感満点で。
この映画が台湾やアジア各国で支持される理由はなんとなくわかる。でもだからといって日本でも同じような評価が得られるかどうかは、ぐりには疑問です(去年のアジア海洋映画祭イン幕張ではグランプリなんだっけ)。
つーか、あの、日本人教師の手紙はどーしょもねーなー(溜息)とか思っちゃってる時点でダメですね。あたしゃ。なんか淋しいなあ・・・そんな風に思うの、ぐりだけ??
日本語の台詞が不自然に感じる人はけっこーいるみたいだけど、ぐりはそれよりライティングがもっと不自然だった気がする。なんちゅーか情緒もへったくれもなくってさあ・・・そーゆーとこにクオリティって出ちゃうよね・・・。


関連レビュー:『悲情城市の人びと』 田村志津枝著

遠い方の空港

2009年12月24日 | movie
『コネクテッド』

2004年にヒットしたハリウッドアクションを香港でリメイクした意欲作。
正体不明の組織に誘拐されたグレイス(徐熙媛バービィー・スー)は監禁された廃棄小屋の中で壊れた電話機を発見、修理して通話を試みたところ、留学に出発する息子を見送りに空港に向かうアボン(古天樂ルイス・クー)に偶然繋がる。
乗りかかった船とグレイスと幼い娘の救出に奔走するアボンだが・・・。

ちょーおもしろかった!予想以上!すばらしー。これでこそ香港映画!
どんでん返しにつぐどんでん返し、見せ場たっぷりの手に汗握るアクションシーンもてんこ盛り、それでいて無駄な説明などはいっさいなく、スリルとサスペンスと香港映画らしい細かいジョークを効果的にはさんで、くどくなく気取りもなく、観客に考える隙間をまったく与えない、ただただテンポのいいエンターテインメントに徹してある。
それでいて、ケータイやインターネットによって人間関係が希薄になったといわれる現代社会への期待や、大陸経済の進出に伴う香港社会の変化など、シリアスな要素もさりげに表現してあるところも魅力的。
つーかね、ふつーにすごいおもしろいです。理屈ぬきに手放しで楽しめるアクション。ぐりはアクション映画好きではないけど、これはほんとに楽しめました。

「へえ」と思ったのは張家輝(ニック・チョン)演じる警官が、電話で話したグレイスの北京語と、自宅で対応した偽のグレイスの広東語を混同するシーン。
いうまでもないが同じ中国語でも北京語と広東語はまったく別の言語といってもいいくらい違う。どちらも話せないぐりであっても、一言二言聞けば違いはわかる。
でも最近の香港では北京語を話す大陸出身者が増えて、日常会話でも両者を混合した会話が徐々に一般的になってきているとも聞く。北京語で話しかけられて広東語で応える、などといった会話が日常的になれば、相手が話しているのが北京語なのか広東語なのかなどいちいち意識しなくなるものなのだろうか。
職業的に観察眼に優れているはずの張家輝がそれを見落とすという演出に、現代香港の言語環境の変化を感じましたです。

それと、この映画にはふたつの空港が登場する。一方はアボンが会いに行こうとしている息子の待つ香港国際空港、一方は1998年に廃港になった啓徳空港跡地。
息子との対面を切望するアボンと、誘拐された娘との再会・救出を切望するグレイスとの対比が、返還前の香港の玄関口であった啓徳空港跡地と、返還後の玄関口となった香港国際空港との対比に象徴されている気がした。
その他にも、ビル群が密集したダウンタウン、鬱蒼と樹木の茂る山間部や草原の広がる岩山など、独特に表情豊かな香港の風土を生かしたロケーションが見事だと思いましたです。

惜しかったのはお気に入り劉燁(リウ・イエ)の役柄がすごく単純な悪役だったこと。なんかもーちょっと人間味のある悪役だったら、映画全体ももっと重みが出てきたかもしれないんだけど・・・ま、ゼータクはいいますまい。
劉燁と大Sといえば『私の中に誰かがいる』。ビビらす男とビビる女とゆーポジションはそのままですが、あのころはおめめくりくりの大陸アイドル的扱いだった劉燁がすっかり性格俳優化してるのにはふと驚かれぬる。
つか『南京!南京!』はどーなったんですかー?

つまらん

2009年12月16日 | movie
日曜日に南京・史実を守る映画祭に行って来ましたが。

会場はうちからだとバスでしか行けないので、そしてバスだと時間が読みづらいので、かなり早めに家を出たら異常に早く着いてしまい。まだ全然受付も始まってなくて、スタッフが集まって打合せしてましたん。
この映画祭、南京事件にまつわるドキュメンタリーを3本と劇映画を1本、アジア人の戦争被害裁判を支援する市民団体が自前で企画したらしーのですが、だからまあ気合いがスゴイ。裁判支援の団体だから弁護士と思しき人もいっぱいいるし、警備担当のスタッフの緊迫感も到底たんなる“映画上映会”のレベルじゃーありません(会場の「本日の催し」とゆーホワイトボードには“映画上映会”としか書いてない念のいれよう)。
前の道にはデカイ警察車輛がどかーんと停まってて、ブーツ履いたおまわりさんが10人くらい?スタッフいわく頼んでなくても自主的に来てくれたそーなんだけど、ものものしいったらありゃしません。

この映画祭、事前にけっこーいろんなメディアにとりあげられたし、記事には問合せ先電話番号もばっちりと載ってたんだけど、実際に抗議の電話なんかは一件もなかったらしーです。
当日も主催者側の懸念に反して妨害的行為はいっさいなかったし、『南京・引き裂かれた記憶』の武田監督も一日中ロビーで「いつでもどっからでも来い」的に立っておられましたけど、ほとんど誰も話しかけもしない(爆)。あ、ふつーになんか質問とかしてる人はいたか。

よーするにつまり、日本で南京事件を扱った映画が公開されないのは、どっかになんかの圧力が実在してるわけじゃなくて、配給とか映画館の方が勝手に仮想の圧力をこしらえてびびってるだけなんだよね、とゆー。つまらん話です。つまらん!(by大滝秀治)。
途中にシンポジウムがあって一水会の鈴木邦夫氏が登壇されたりもしたんだけど、ぐりがいちばん「おお」と思ったのは彼の「多少は自虐的なくらいが国民性として健全なんじゃないか」とゆー発言でした。
右翼もみんながそーゆーことをさらっといえれば、もっと思想に説得力もでてくんじゃないのかねえー?ってのはランボーですか。
しかし鈴木さんておもしろい。笑いのセンスありすぎです。

ところで『南京!南京!』の日本公開はどーなったのか。陸川監督が前に「12月頃に小規模公開が決まった」とかいってた気がするんだけどー。
あとおかしかったのは、ドキュメンタリー3本はほとんど満席なのに『チルドレン・オブ・ホァンシー』がガラガラだったこと、なにゆえー?
ドキュメンタリーはコーディネーターがいっしょなせいか、証言者が3本でカブりまくってたのが残念でした。だって飽きるもん。単純に。

そんなところで。


上映作品レビュー:
『Nanking』
『アイリス・チャン』
『南京・引き裂かれた記憶』
『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』

関連レビュー:
『南京の真実』 ジョン・ラーベ著
『南京事件の日々―ミニー・ヴォートリンの日記』 ミニー・ヴォートリン著
『ザ・レイプ・オブ・南京―第二次世界大戦の忘れられたホロコースト』 アイリス・チャン著
『「ザ・レイプ・オブ・南京」を読む』 巫召鴻著