落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

愛の恐怖

2008年07月21日 | book
『愛の続き』 イアン・マキューアン著
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科学ジャーナリストのジョーは恋人のクラリッサとのピクニック中に気球の事故に遭遇、周囲に居合わせた人々と乗員を助けようとしてひとりが亡くなってしまう。衝撃的な事故のその夜、自宅に電話がかかってきて「愛している」とジョーに告げる。相手は事故のときいっしょに気球につかまっていたパリーという若い男だった。

映画『つぐない』の原作者イアン・マキューアンの旧作。原作の『贖罪』も読もうかと思ったんだけど映画がイマイチだったんで(爆)、とりあえず古いのからいってみよっかなと。読んでから気づいたけど、これも映画化されてますね既に(邦題『Jの悲劇』)。今度観てみたろ。
いやこれコワイわ。いやおもろいわ。素晴しー。これまでに読んだ中では最高のサスペンス小説です。
いちばんおもしろいのは主要な登場人物がみんなインテリってとこかな。インテリだからおつむはお利口なわけ。少なくともそれぞれ自分ではそう思ってる。けどお利口なだけじゃどーにもならないものがある。それが「愛」ってわけだ。
たとえばパリーは学もあればカネもある。若さもあるし容貌にも恵まれてる。でもどんなにジョーに焦がれても彼を振り向かせることは出来ない。ジョーが男だからという問題ではない。ジョーにクラリッサがいるからでもない。他人の心をコントロールする能力は人間にはないからだ。ましてそれが愛ならなおさらである。

でもだからこそ報われぬ愛に煩悶するパリーが哀れに思える。確かに狂ったストーカーに化していく彼の行動は恐ろしいが、彼もまた一種の被害者なのだ。
そして読めば読むほど、愛それそのものが怖くなる。愛は盲目というけれど、パリーの愛情が病的であることは事実だとしても、愛に溺れる者などみんな多かれ少なかれどっか狂ってる。狂えばこそ人は愛に溺れられる。愛において正常/異常の境目なんか存在しないのだ。
そういう意味では、報われずとも一生やむことのない愛に浸って生きるパリーは幸せなのかもしれない。んーどーかなー?わからない。彼ほど深く誰かを愛するなんて経験、したことないしなー。もうこの歳になったらしてみたいとも思わんし(爆)。

パリーが患ってるというド・クレランボー症候群は実在の精神病だそーで(エロトマニア:Wikipedia)、症例をみてるともしかすると病的なストーカーの大半がこれに相当するかも、とゆー気がしてくる。
なんにでも病名をつけて病気扱いするのはどーか?とも思うけど、暴力に訴えちゃうような愛はみんな病気にしちゃった方が、あるいは世の中平和なのかもしれない。
けど誰でもかかる可能性のある病気だと思うとそーとばかりもいってられない。
愛って、コワイね。こわー。

なにもいえない

2008年07月21日 | movie
『ザ・クラス』

親元を離れ祖母とふたり暮しの高校生カスパル(バッロ・キルス)は、ある日はずみでいじめられっ子のヨーセップ(パレット・ウースペルク)をかばうのだが、それをきっかけに彼もいじめっ子の標的にされるようになる。家族や教師たちの理解が得られないままいじめは日ごとにエスカレートしていき、やがてガールフレンドのテア(Paula Solvak)との関係もぎくしゃくし始める。

冒頭に「実話を元にしている」というテロップが出るが、これは具体的に実在する事件をモデルにしているというわけではないらしい。
Q&Aに登壇したイルマル・ラーク監督によれば、この映画は出演している高校生15人の証言を元にシナリオを書き、彼らとのディスカッションとエチュードによってそれを練り上げていくという工程でつくられており、エンディングを除いたエピソードはすべてそれぞれ彼ら自身の見聞きしたり体験したりした事実をベースにしているということである。
なのでトータルして特定の実話というわけではないにせよ、まあとにかくリアルである。台詞や表情など感情表現がディテールにいたるまでものすごく生々しい。とても演技には見えない。そしてまた彼らがアマチュアであるということがもっと驚きである。

リアルなだけに現実にいじめを体験したぐりから観てもかなりつらい映画ではある(過去記事)。
観ていていちばんつらかったのは、言葉や肉体的な暴力による直接的な痛みではない。その痛みを誰とも共有できない、誰にもわかってもらえないという絶望的な孤独感である。第三者はきまっていう。そんなものは弱虫のいうことだ。負け犬になりたくなければやりかえせばいい。劇中でもそういう発言が実際出てくる。
いわせてもらえば、そんなものこそ何もわかっていない、想像力のカケラもないバカにしかいえないたわ言である。カンタンに助けを呼べれば、カンタンに反撃できれば、いじめなんかとっくにこの世の中から消えてなくなっているはずである。できないからなくならないのだ。そしてそれを誰も理解しようとしないから、いじめはどんどんどんどんどんどんどんどん根深くなる。

それとQ&Aで司会をしていた瀧沢裕二氏が何度も「日本にはここまでひどいいじめはない」と繰り返していたのも不愉快だった。
あのねえ瀧沢サンよ、あんた間違ってますよ。この映画でやってるいじめは全部、そっくりそのまま日本でも同じことが起こってます。
ぐりの個人的体験だけじゃない。しょっちゅうニュースにもなるいじめの報道を多少なりとも注意深くチェックしていれば、この映画でバカどもがやっていた愚行と同じ行為が、日本の学校でも日常茶飯事になってることくらいわかって当り前だろう。
「日本ではこういうことは起こらない」「日本人はこんなことしない」なんてのは残念ながら単なる幻想です。そんな不見識をわざわざエストニアくんだりから来日したゲストの前で曝した恥を反省せよとまではいいませんが、その「自分は関係ない」的な無関心こそが最大の問題である“傍観者”とまったく同じ思考回路につながってるってことだけは最低限自覚すべきです。
ただ、この映画をコンペに出すか否かでかなり迷ったということで、結果的に出して上映されたことには感謝します。観られて本当によかったです。実をいうと同時上映の『記憶の谺』とどっちを観るかぎりぎりまで迷って迷って『ザ・クラス』を選んだのだが、ほんとうにこちらを観てよかったと思う。『記憶の谺』もどこかでまた観られればいいんだけど(次回上映は平日なので無理)。

6日間に時間を区切った構成にメリハリが効いていて「実話〜」のテロップの効果も絶大、オシャレな色彩構成やカメラワーク、編集もなかなかスタイリッシュで若い子から大人まで落ち着いて観られる非常に完成度の高い作品になっている。
ぐりは高校生役が全員、ものすごく個性的かつとってもフォトジェニックで、演出やシナリオもさることながら、彼ら全員の出演自体が奇跡だったんではないかとも思った。
とりあえず泣けて泣けて、泣き過ぎてまだアタマ痛いです。はあ・・・。

Q&Aレポート
関連レビュー:『リリイ・シュシュのすべて』

英語字幕版
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お嫁サンバ in NY

2008年07月21日 | movie
『幸せのアレンジ』

正統派ユダヤ教徒のラヘル(ゾエ・リスター・ジョーンズ)とイスラム教徒のナシーラ(フランシス・ベンハモー)は同じ小学校の新任教師。
信仰も人種も違うが同世代のふたりはすぐに仲良くなり、互いの家を訪問したり悩みを打ち明けあったりする親友になる。とくにふたりを悩ませているのが結婚問題。ラヘルにはお見合い結婚が、ナシーラには親同士が選んだ許婚との婚約が迫っていた・・・。

人種の坩堝といわれるブルックリンを舞台にしたマリッジ・コメディ。
なにかと偏見でとらえられがちなユダヤ教徒とイスラム教徒を主人公にしているが物語に重さはなく、あくまでも若い女の子らしい迷いや悩みを甘く爽やかに描いている。観ていてとても気持ちのいい楽しいお話。
敵対するといわれるふたつの宗教だが、イスラム教はもともとユダヤ教から派生した宗教なので考え方や習慣には非常に似た部分がたくさんある。たとえば既婚女性のベールのかぶり方、男性がかぶる帽子の形、ヒゲをたくわえる習慣、徹底した男尊女卑思想と家父長制など、無知を承知でいわせてもらうなら、わざわざべつべつに別れた割りにはあんまし変わってないじゃんと思わせられる。

ラヘルとナシーラの校長(Marcia Jean Kurtz)はふたりの厳格な信仰に基づく習慣を「古くさい」といって批難するし、ラヘルの従姉リア(Alysia Reiner)も一族から離れた自由な生き方の価値を説く。おそらく当事者以外の人間にとっては彼女たちの意見の方が安易に受け入れやすいだろう。だが伝統的な価値観には伝統となっただけの意味があるし、その意味にこそ自らの道を見いだす人間にも自由はある。古くさくたって規則が多くたって、それですべてを無意味と決めつけるのも偏見である。
そういう微妙にややこしいメッセージを、実にあっさりとわかりやすく描いた良い映画です。観れてよかった。
あと男性出演者がけっこうかっこよくてステキな人が多かった(笑)のも嬉しい。ぐりが気に入ったのはナシーラの父を演じたLaith Nakliと、インテリ眼鏡男子ギデオン役のJason Liebman。また何かで観る機会があればいいけど。

それと個人的に、ユダヤ教徒のお見合いシステムには意外な懐かしさを覚えてにやりとしてしまった。
実は在日コリアンにも似た習慣があり、劇中でペギー・ゴームリーが演じたミリアムのような“結婚コーディネーター”も実在する。ただしユダヤ教徒と同じように在日コリアンにもシリアスなのとそうでないのとがいるから全員がそういうお見合いで結婚するわけではないが、家庭によってはコリアン同士でなければ結婚が許されないというケースもある。中にはお見合い相手をわざわざ本国から呼んで結婚させる親もいるそうだ。いったい何時代の話だとずっと思ってたけど、アメリカでもおんなじよーなことやってる人たちがいるのねー、と思うとなんかおかしかったです。

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