落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

夏がまた来て

2007年07月29日 | movie
『ヒロシマナガサキ』
『陸に上った軍艦』
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ここ数年、第二次世界大戦をテーマにしたドキュメンタリーが集中的に公開されるようになってきた。
憲法改正論議など世論の変化の影響もあるだろうけど、戦争体験者の年齢的な問題も大きいのではないかと思う。
終戦から62年経って、当時の記憶を語れる人々はみな70歳をこえた。『〜軍艦』の脚本を書いた新藤兼人は95歳だ。
いずれ近い将来、貴重な体験を語ってくれる人はこの世の中からいなくなってしまう。そうなったら日本はどうなるのだろう。戦後の荒廃した国土を立て直し、必死で働いて現在の平和な日本を支えて来てくれた人たちがいなくなったら、この国はどうなるのだろう。
それを思うととても怖い。考えたくないくらい恐怖を感じる。

これらのドキュメンタリーで証言しているお年寄りたちもまた、やはり切実に危機感を感じているのではないだろうか。だからこそ、悲しくてつらくて思いだしたくもない記憶を、こうして話してくれているのだろう。
実際、『ヒロシマ〜』に登場した被爆者のひとり谷口稜曄氏は「傷をさらけ出しながら、話さなきゃいけないというのは、再び私のような被爆者を出さないため」という。
谷口氏だけではない、14人の被爆証言者のうちの数人は、60年経った今も、見るも無惨な傷痕を背負って生きている。そのうちの何人かはアメリカ軍の記録映像に治療の様子が撮影されていて、その資料映像はこれまでにも他のドキュメンタリー番組などで見たことがあった。カラーで映し出された彼らの傷は、こんな大怪我をしてよくも今まで生き延びたものだと人間の生命力に新しい感動を覚えるほどの凄惨さである。こんなひどいことを人間は人間に対してできるものなのかと思うと、60年を経た傷痕に、改めて人間の恐ろしさも感じる。現にアメリカ側の証言者4人は一様に自らの行いに後悔はないと語る。命令通りに任務を遂行し、戦争中だから人が死んだだけという彼らの発言は人間性の究極の現実であり、被害者の傷よりももっと重い戦争のリアリティを含んでいる。
当時広島で軍医をしていた肥田舜太郎氏は「生き残った人の方が苦しかった」ともいう。亡くなった人は不幸だし、生きてさえいればいいこともある、などという一般論はここではまったく意味がない。ほんとうにほんとうに、彼らの一生は原爆でめちゃくちゃになってしまった。それでも「戦争中だから」と結論づけられるのが人間の傲慢さだし、そんな傲慢さはおそらくぐりも含めて誰にでも持ちえる“無関心”という名のありきたりな悪意なのだろう。

今までに何本か戦争ドキュメンタリーを観ていてつくづく日本人て不思議な生き物だと思うのは、戦争を体験した人の多くが、中国やアメリカなど戦争中は敵だった国やその国民にとくに悪感情をもっていないところだ。
中国をはじめとするアジア諸国はいうまでもないけど、アメリカ人も戦争体験者の中には日本に対して偏見をもつ人は少なくないし、第二次世界大戦に限らずとも、戦後遺恨を残したまま長い歴史を憎みあっている国々は珍しくない。
ところが、『蟻の兵隊』の奥村和一氏は帰国後に日中友好協会に参加しているし、『ひめゆり』『TOKKO─特攻─』や『ヒロシマ〜』の証言者たちの中には、進駐軍のアメリカ兵との交流の中からアメリカに興味をもち、英語を勉強してアメリカに渡った人たちもいる。他の日本人ならいざしらず、現実にアメリカ軍/共産党軍の攻撃に遭い特異な経験をした当事者であるにも関わらずである。
政治的には憲法9条や日米安保のおかげもあると思うけど、こういう人たちこそが戦後60年の平和の礎そのものなのだと思う。過去に学び、未来のために生きる人たちがいたから、日本はここまで来れたに違いない。
そういう人たちの証言を、ちゃんと聞かないわけにはいかないでしょう。聞こうよ。

『ヒロシマ〜』の方は日系アメリカ人監督作ということもあり、原爆被害だけでなく第二次世界大戦全体をカバーした内容になっているのが新鮮だったけど、編集がやたらに細切れなのががっつりアメリカ風味で違和感は多少ありましたです。まあ日本人だけでなくアメリカ人も含め世界中の観客に向けた作品だからこれはこれでいいのかも(8月6日にHBOで放送される予定)。
『〜軍艦』の方はある意味『蟻の兵隊』と対比してみるといいかも。『蟻〜』は中国に派遣された陸軍部隊、『〜軍艦』は内地にいた海軍での、敗色濃厚な戦争末期の体験談。両者とも戦争と個人との距離感が非常に生々しい。
しかし『〜軍艦』はさすが新藤兼人作品(監督は山本保博)だけあって必要以上にエロシーンがリアル(笑)ですー。
こないだの『ひめゆり』とか『特攻』もそーだったけど、観客の年齢層が異様に高い。もっと若い人も観ようよ・・・。

全米101都市で「原爆展」計画 核廃絶目指し
はだしのゲン 公式HP

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2007年07月28日 | movie
『リトル・チルドレン』
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おもしろかったー。ぐりは好きですね。これ。かなり。
昨年度の賞レースでも健闘してただけのことはあって、なるほど確かにいい映画です。
テーマやトーンが『サムサッカー』にすごく似てる。ストーリーも設定も全然違うけど、どちらも地方都市の住宅街を舞台にしたホームドラマ。誰もとくにそんなに不幸じゃない。けど幸せでもない。みんながあるはずのない答えを探して、“思春期”という名の迷路を彷徨っている。
『リトル〜』の登場人物たちは年齢的にはみんないいオトナだけど、精神的にはリッパに“思春期”。こんなはずじゃない、自分の人生は本来もっと違うものであるべきなのにという幻想から逃れられず、素直に現実に向き合うことができない。

じゃあオトナの定義ってなんだろう?
たぶん人それぞれだろうけど、ぐり的には、オトナってなんでも自分で責任がとれる人のことじゃないかと思う。思い通りにいかないことがあっても、気に入らないことがあっても、そもそもは自分の責任として受けとめ、自分の力で解決策をみつけ、どうにかして切り抜けていける、それがオトナなんじゃないかと思う。
というか、オトナになってしまえば、大抵の悩みや不満のもとは結局自分のせいだってことくらいは誰にでもわかるんじゃないかなあ?よっぽど特異な状況でもない限り。
でも、『リトル〜』の主人公たちはそうは考えない。
サラ(ケイト・ウィンスレット)は自分はそのへんの主婦とは違うと勝手に思いこんで妙に気取ってるけど、客観的にみれば欲求不満でいつでも不機嫌なただの主婦だ。ブラッド(パトリック・ウィルソン)は美人でしっかり者の妻(ジェニファー・コネリー)にコンプレックスを感じているが、一方的に卑屈になるのもわがままではないか。過去にも将来にも後ろ向きなロニー(ジャッキー・アール・ヘイリー)も、結局は前科を言い訳にして自分の殻に閉じこもっているだけ。元警官のラリー(ノア・エメリッヒ)にしても、ロニーは個人的な鬱屈を押しつける格好のターゲットでしかない。

愚かなのは彼らだけじゃない。人間誰にでも愚かな部分はある。
むしろ愚かさを否定せず、愚かさのままに答えを探しに出た彼らは、ある意味では勇敢かもしれない。それくらいのことはしないと、人生退屈だもんね。
稼ぎのいい夫と遺産の大邸宅に住んでいるサラと、超美人の妻に養ってもらいながら勉強しているブラッドは、ごく当り前にみれば「果報者」だ。好きだった警官の職を失って元犯罪者にストーキングするラリーや、前科もちで近所中から警戒されているひとりぼっちのロニーとはワケが違う。この映画ではあえてその4人を同列に描いて、人の幸せ/不幸せに大小はないことを表現している。さりげないがとてもいい対比だと思う。
ところどころに細かなひっかかりもないことはないけど、いろんな示唆にみちたいい映画です。オススメ。

個人的には、平凡で退屈な俗物主婦代表みたいなメリー・アン役のメアリー・B・マッキャンが、どーしてもジェニファー・アニストンに見えてしまうのがおかしかった。
似てますよね?なんかね、もろにジェンを平凡で退屈な俗物主婦にしたみたいな雰囲気の人なの。ナイスキャスティング。ははははは。


罪のかたち

2007年07月27日 | movie
『海と毒薬』
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引き続き熊井啓まつり。引き続き重いです。
原作を初めて読んだのは高校生くらいかな?好きでその後も何度か読んでるけど、映画は初見です。ホラ、原作が好きだと映画化作品てガッカリしちゃうことがよくあるじゃないですか。それで観てなかった。
でも観てみたら意外に(爆)おもしろかったです。ふつうによくできてるし、すごくいい映画だと思う。

遠藤周作原作の映画化といえばマーティン・スコセッシの『沈黙』は最近どーなってんのかな?あれも小説好きです。
『沈黙』は神の存在を問う物語だけど、『海と毒薬』は神に裁かれる人間の罪を描いた物語。人の罪はいったいどこから始まってどこまでが罪なのか、人はなにをすれば罪人になるのか、それとも罪人は生まれながらにして罪人なのか、聖者は完全に聖者たりえるのか。
原作では終戦から十数年後、事件に関わった勝呂医師の患者の視点からストーリーが展開するのだが、映画ではそれがさっくり省略されている。だから原作で強調されている「時代に忘れ去られた大罪」というパースペクティブは映画にはない。
それでも、登場人物たちそれぞれの「罪の意識」のかたちは充分に表現されてるし、彼らが罪に堕ちていくまでの心の変遷の描写は実に巧みとしかいいようがない。この映画を観てしまうと、何が「善」で何が「悪」なのか、そのようにものごとや人を裁くことの意味や正当性が、心の奥底からぐらぐらと揺らいでくるような気がしてしまう。「真実」や「正義」という言葉の意味が、突然、ひどく空虚なように思えてくる。

原作では物語の主人公はあくまで勝呂医師(奥田瑛二)だったけど、映画では渡辺謙演じる戸田の方がより目立ってました。渡辺謙はNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』でブレイクする直前だけど、ちょっとこわいくらいのなりきりぶりで既にまったくただ者でない存在感が光ってます。しかもなんだかセクシーですー。悪役だからかな?
しかしこの映画は渡辺謙以外の出演者─とくに岸田今日子・根岸季衣など女優陣─やちょっとした風景描写までも、細かいところがいちいちみょーに色っぽい。なんか必要以上にきれいに艶っぽくみえる。そこがまた怖いです。
『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』もそーだったけど、モノクロの映像や編集や音処理の効果で、一見すると60年代以前のクラシック映画のようにみえるところがまたなんだかナマナマしかったです。ある意味ではクラシック映画の模写とゆーかイミテーションのような表現方法なんだけど、それはそれでものすごく説得力がある。ホントにリアリティと説得力ってべつものなんだなあと、しみじみ再確認しましたー。


日本のオトナのをとこたち

2007年07月22日 | movie
『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』
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やっと行ってきました熊井啓特集。
下山事件とは、1949年7月6日未明、当時の国鉄総裁下山定則氏が国鉄(現・JR)常磐線の線路上で轢死体となって発見された事件。国鉄で10万人もの人員整理計画が敢行される直前の事件であり、当初「死後轢断」(列車に轢かれた時点で被害者が既に亡くなっていた)とされる鑑定が発表されたりしたことで、警察内部やマスコミ各社でも自殺説と他殺説に分かれて議論をよんだが約半年後に捜査が打ち切られ、未だに真相は闇の中となっている。詳しくはこちらとかこちらで。

この映画は事件当時朝日新聞社会部記者だった矢田喜美雄氏が取材記録をまとめて1973年に刊行した『謀殺下山事件』が原作。
だから基本は他殺説を主軸に物語が進行する。おそらくこの映画を観てしまえば誰でも他殺説を信じるようになるだろうと思う。シナリオも演出も超直球だから、よけいそんな印象を受ける。
だがこの映画では重要な証拠がいくつも伏せられている。たとえば最初に他殺説を裏づける鑑定結果を発表した東大の古畑種基教授は、この前後に誤った鑑定をして3件の冤罪事件を起こしている。また、下山氏を轢いた列車の車体にはゼリー状に凝固した血液が付着していて、このことから轢かれた時点で下山氏が生きていたことは間違いない。それから下山氏を誘拐・監禁・殺害した現場を示す物証とされた、衣類に付着していた植物油は、物資不足の当時、機関車で使用される鉱物油にしばしば混入されていた。つまり轢かれて列車の車体に巻き込まれた時に付着したと考えるのが自然で、事故前に付着したことを証明する根拠はない。同じく衣類についていた染料は、事故直前に休憩を取った旅館の壁の化粧砂と一致している。
おそらくストーリーをわかりやすくするために省略されたのだろうが、せっかくならここまでしっかり描いて観客を混乱させた方が、よりリアルになってもっとおもしろくなったかもしれない。他殺説一辺倒ではやはり世界観が一面的にみえてしまう。

下山氏が生前人員整理のことで頭をいためていたことは確かで(全職員の2割近くをクビにするのだから、まともな神経の人間ならふつう苦しむだろう)、自殺にせよ他殺にせよ、テロにせよ謀略にせよ、その原因はGHQの強引な財政改革だったことに違いはない。
他の未解決事件を描いた映画『殺人の追憶』『ゾディアック』『ハリウッドランド』同様、はっきりと結論のようなものは語られないまま物語は終わるが、終戦直後の占領時代や冷戦初期の緊迫した世界情勢など、当時のまだ日本も貧しかった時代背景の空気感は非常に真に迫っていて、下山氏や周辺人物はそんな時代の犠牲者だったというのが結論のような気がする。
映画自体は1981年の作品だが、モノクロでクラシックな音響や編集の効果もあって、ときどきついもっと古い時代の、リアルタイムに近い映画を観ているような錯覚にとらわれましたです。

あとこの映画は俳優座映画放送の制作だけど、出演者は俳優座以外の無名塾や劇団民藝や文学座など、新劇のさまざまな劇団から採用されている。だから一見地味なキャストなんだけど、たぶん劇団的にみればオールスターキャストなの。まだ無名だった役所広司とかちょーチョイ役。しかしこのころの隆大介は渡辺謙ソックリやな。顔だちや体型だけじゃなくて声までほとんど同じ。見分けつかんよ。
事件から今年で58年。ぐりは個人的には真相なんかどうでもいい。でも、こういう時代があったという、歴史の象徴として、日本人が覚えておくべき事件ではあると思います。

観よ!

2007年07月21日 | movie
『TOKKO─特攻─』
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戦争の悲劇の犠牲者として美化されはしても、実態が当事者の口から語られることはめったにない「神風特攻隊」。
ちなみに「神風」と称するのは海軍の特攻隊で陸軍はただ「特攻隊」なのだそうだが、やってたことは大体いっしょです。
最近は海外ではすっかり自爆テロ攻撃=狂信的暴力を指すようになってしまった「KAMIKAZE」という言葉が一人歩きしているけど、その実、日本でだって特攻作戦の現実はあまり知られていないのではないだろうか。ぐりは例の都知事映画を観てないけど、あれも結局は当事者の証言を直接題材にしているわけではない。

この映画の特異なところは、監督が日系アメリカ人、プロデューサーが日本生まれのアメリカ人という点。
ふたりとも日本を祖国/故郷としながらアメリカ国籍を持ち、太平洋戦争の当事国両国のアイデンティティをもっている。観ればわかることだが、この作品はこうした彼女たち独特の立場からしか語れなかったという意味で前代未聞の、特級の反戦映画にもなっている。
物語のきっかけはリサ・モリモト監督の亡き叔父が元特攻隊員だったという過去が判明するところから始まる。なので最初は家族の物語である。叔父本人は既に20年前に亡くなっているので、監督は他の生存者を訪ねてインタビューをとり、リサーチをする。インタビューは生々しく、リサーチはごく綿密で、特攻作戦がいつどのように立案され、実戦に導入され、いかにして「国民の鑑」にまつりあげられていったかという全体の過程が、非常にわかりやすく表現されている。
ぐりは太平洋戦争にも特攻作戦にもまったく詳しくないんだけど、たまたま同じ回を観ていたご老人が受付で「一ヶ所だけ」とダメ出しをしていたので、お詳しい方が観られても矛盾のない内容になっているのではないかと思う。ミスは「一ヶ所だけ」ってくらいだから。すごいです。

ぐりが作中でいちばん心を動かされたのは、訓練中に地元の一般家庭で休暇を過ごした隊員たちが、一家の娘さんから手渡された手づくりの人形をとても大切にしていたという証言。もののない時代、粗末な材料でつくられた簡単な小さな布人形を、隊員たちは後生大事に腰に提げて隊務についていた。どれほど強く思っていても口に出して気持ちを言葉にすることができない時代に、そのささやかなマスコットにこめられた心の痛みで胸が締めつけられるような気がした。人形をもらった隊員たちは10代後半〜20代前半のほんの子ども、贈った渡辺クミさんは当時19歳、この方は『恋文』というラジオドキュメンタリーの主人公として一部で知られている俳人でもある。
あともうひとつ、証言者のひとりが出撃前に帰省したときのことを語ったシーン。
この映画に登場する証言者は日米両国にまたがっているが、日本人証言者のほとんどはもちろん日本語で話している。元特攻隊員の上島武雄氏もずっと日本語で話していたのだが、父と再会した夜の話題になったとき、突然英語で喋りだした。もう二度と会えないかもしれないと思いながら親子で過ごした忘れられない一夜のことを、61年経った今も、母国語では話せないという心の壁。

戦争がどれほどひどいことかを、これほど能弁に語れるのはやはり当事者しかいないだろう。
日本では高齢化も進み証言者も年々減っているけれど、『蟻の兵隊』の奥村和一氏にしろ『ひめゆり』の元ひめゆり学徒隊員にしろ、語ろうとしている人はまだまだいるはずなのだ。
それは聞かないわけにはいかないでしょう。人として。
とりあえず、参院選に投票する前に、観れる方は『ひめゆり』『特攻』『ヒロシマナガサキ』『陸に上った軍艦』は要チェックで。