『シン・ゴジラ』
実をいうとゴジラシリーズをちゃんと観たことがないワタシ。
こんなへなちょこでも曲りなりにレビューブログを何年もやっといて、結構観てない映画多いんです。なぜか『ゴッドファーザー』も『スターウォーズ』も『ロード・オブ・ザ・リング』も『ハリポタ』も『座頭市』も『仁義なき戦い』も観たことない。ましてや怪獣パニックモノなんか観るわけない。小学生時代に地元の子ども向け無料上映会なんかでは観た記憶はなくはないけど。
なのでこの映画も当初は観るつもりはなかったんだけど、各方面からなんだかんだとプッシュされ。
うん、おもしろかったです。ふだん怪獣映画とかパニック映画を観ない(覚えてる範囲では『プルガサリ』『宇宙戦争』ぐらい)人間でもかなり楽しめました。
まず映像作品・娯楽作品としてやるべきことを全部ちゃんとやってるから、観てて安心できる。映画のつくり方として、がっちり基本に忠実です。
どこが忠実ってディテール。ディテールが細かければ細かいほどリアルになるなんて、小学生でもわかるくらい当たり前の理屈だけど、この映画その点でいっさい妥協してません。たとえば冒頭、海底トンネルで崩落事故が起きると、政府が災害対策本部をたちあげる。閣僚会議が開かれ、記者会見が行われる。言葉で書いてしまえばおもしろくもなんともないこのプロセスを、微に入り細を穿って情報過多にみちみち描写しまくることで、非常事態であっても手続きと段取り地獄の官僚社会の滑稽さがおのずとひきたてられておもしろくなる。
無駄に挿入されたおすテロップも全員『ソーシャル・ネットワーク』ばりに超早口なセリフも、漢字ばっかりの専門用語に長ったらしい熟語満載。怪獣映画なのに子どもは絶対についてこれないシナリオなんだけど、だからなんだ的な開き直り方がもはや清々しいです。その証拠に、邦画には珍しく聞き取れないセリフが一言もない。録音技術凄いよ。ふりきってる。
そして物語半ばからの転換ぶりがまたよりふりきってる。
映画の前半は「ゴジラが官僚社会・日本に襲来したら実際に何が起こるか」をリアルにシミュレーションし続けるんだけど、ストーリー後半でガラッとトーンが変わってきます。
どこで変わるって石原さとみが登場したシーンね。米国大統領特使という肩書の日系アメリカ人政治家役なんだけど、ここで鉄壁のリアリティが一気に崩壊する。申し訳ないけど、彼女が必死に演技すればするほどおかしくてしょうがない。ここで観客ははたと気づくわけです。そうだったこれは荒唐無稽な怪獣SF映画だったんだと。
人の経験値で想定できた対策がすべて失敗に終わって、まさに万策尽きたところで活躍し始めるのがオタク変人集団なんだけど、ここからいきなりストーリー展開が大胆というか大味というかオラオラになってきます。でも既に観客は前半の超絶リアルシミュレーションで映画の世界観にごっそり飲み込まれちゃってるから、話がどんだけ乱暴でも非現実的でも、無抵抗にぐいぐい引っ張られていってしまう。
いやここまでぐいぐいやられると気持ちいいですね。映画観てるんだなあって気分に思いっきり浸れる。
破壊に破壊を重ねまくるスペクタクルシーンとか、野村萬斎のモーションキャプチャー(ゴジラ役)も見応えあったけど、個人的にもっとも印象に残ったのは、この物語に徹頭徹尾“市民”が登場しなかったところ。画面上では無数の市民がゴジラの襲来に巻き込まれ逃げまどうんだけど、セリフが設定されてる登場人物全員、政府・行政・自衛隊・警察・御用学者など国家側の人間だけで統一されてます。意図して市民側を排除したのは明らかで、登場人物たちが口では「国民をまもる」「国をまもる」と連呼しながらも、その思考回路の中の、人や命や暮らしのリアリティのグラデーションに、それぞれにくっきりしたギャップがあることがうまいこと表現されてるんだよね。だからこの映画にヒーローはいない。愛や正義すらない。ただただ純粋に個人のモラルしかない。潔い。
それでいてなんでもかんでも常に結果オーライというどこまでも無神経な政治家マインドがまた生々しい。だがそれは、物語の序盤で能天気にゴジラにスマホを向け、ニコ生で盛り上がる人々の無責任な無関心さと表裏一体なのだろう。
笑える楽しい映画だけど、5年前の震災と原発事故を鮮明に思い出させる描写も多くて、フィクションだとわかっていても悲しくなるシーンもあった。
かといって不用意に恐怖を煽りたいわけではないことはわかる。個人的には、人間はすぐに忘れる生き物だから、あのとき起こってしまったこと、いまも続いてること、そしてこれからも共存していかなくてはならないことを、あらためて観客に突きつけようとしているように見えた。台風に地震に津波に火山、自然災害が頻発する上にハイリスクな老朽原発が次々に再稼働されようとしているこの国で、こんなことはいつ起こってもおかしくないんだよと。
そういう部分は、単なる怪獣映画ではない、ちょっと社会派っぽさも感じさせてくれる作品でした。
実をいうとゴジラシリーズをちゃんと観たことがないワタシ。
こんなへなちょこでも曲りなりにレビューブログを何年もやっといて、結構観てない映画多いんです。なぜか『ゴッドファーザー』も『スターウォーズ』も『ロード・オブ・ザ・リング』も『ハリポタ』も『座頭市』も『仁義なき戦い』も観たことない。ましてや怪獣パニックモノなんか観るわけない。小学生時代に地元の子ども向け無料上映会なんかでは観た記憶はなくはないけど。
なのでこの映画も当初は観るつもりはなかったんだけど、各方面からなんだかんだとプッシュされ。
うん、おもしろかったです。ふだん怪獣映画とかパニック映画を観ない(覚えてる範囲では『プルガサリ』『宇宙戦争』ぐらい)人間でもかなり楽しめました。
まず映像作品・娯楽作品としてやるべきことを全部ちゃんとやってるから、観てて安心できる。映画のつくり方として、がっちり基本に忠実です。
どこが忠実ってディテール。ディテールが細かければ細かいほどリアルになるなんて、小学生でもわかるくらい当たり前の理屈だけど、この映画その点でいっさい妥協してません。たとえば冒頭、海底トンネルで崩落事故が起きると、政府が災害対策本部をたちあげる。閣僚会議が開かれ、記者会見が行われる。言葉で書いてしまえばおもしろくもなんともないこのプロセスを、微に入り細を穿って情報過多にみちみち描写しまくることで、非常事態であっても手続きと段取り地獄の官僚社会の滑稽さがおのずとひきたてられておもしろくなる。
無駄に挿入されたおすテロップも全員『ソーシャル・ネットワーク』ばりに超早口なセリフも、漢字ばっかりの専門用語に長ったらしい熟語満載。怪獣映画なのに子どもは絶対についてこれないシナリオなんだけど、だからなんだ的な開き直り方がもはや清々しいです。その証拠に、邦画には珍しく聞き取れないセリフが一言もない。録音技術凄いよ。ふりきってる。
そして物語半ばからの転換ぶりがまたよりふりきってる。
映画の前半は「ゴジラが官僚社会・日本に襲来したら実際に何が起こるか」をリアルにシミュレーションし続けるんだけど、ストーリー後半でガラッとトーンが変わってきます。
どこで変わるって石原さとみが登場したシーンね。米国大統領特使という肩書の日系アメリカ人政治家役なんだけど、ここで鉄壁のリアリティが一気に崩壊する。申し訳ないけど、彼女が必死に演技すればするほどおかしくてしょうがない。ここで観客ははたと気づくわけです。そうだったこれは荒唐無稽な怪獣SF映画だったんだと。
人の経験値で想定できた対策がすべて失敗に終わって、まさに万策尽きたところで活躍し始めるのがオタク変人集団なんだけど、ここからいきなりストーリー展開が大胆というか大味というかオラオラになってきます。でも既に観客は前半の超絶リアルシミュレーションで映画の世界観にごっそり飲み込まれちゃってるから、話がどんだけ乱暴でも非現実的でも、無抵抗にぐいぐい引っ張られていってしまう。
いやここまでぐいぐいやられると気持ちいいですね。映画観てるんだなあって気分に思いっきり浸れる。
破壊に破壊を重ねまくるスペクタクルシーンとか、野村萬斎のモーションキャプチャー(ゴジラ役)も見応えあったけど、個人的にもっとも印象に残ったのは、この物語に徹頭徹尾“市民”が登場しなかったところ。画面上では無数の市民がゴジラの襲来に巻き込まれ逃げまどうんだけど、セリフが設定されてる登場人物全員、政府・行政・自衛隊・警察・御用学者など国家側の人間だけで統一されてます。意図して市民側を排除したのは明らかで、登場人物たちが口では「国民をまもる」「国をまもる」と連呼しながらも、その思考回路の中の、人や命や暮らしのリアリティのグラデーションに、それぞれにくっきりしたギャップがあることがうまいこと表現されてるんだよね。だからこの映画にヒーローはいない。愛や正義すらない。ただただ純粋に個人のモラルしかない。潔い。
それでいてなんでもかんでも常に結果オーライというどこまでも無神経な政治家マインドがまた生々しい。だがそれは、物語の序盤で能天気にゴジラにスマホを向け、ニコ生で盛り上がる人々の無責任な無関心さと表裏一体なのだろう。
笑える楽しい映画だけど、5年前の震災と原発事故を鮮明に思い出させる描写も多くて、フィクションだとわかっていても悲しくなるシーンもあった。
かといって不用意に恐怖を煽りたいわけではないことはわかる。個人的には、人間はすぐに忘れる生き物だから、あのとき起こってしまったこと、いまも続いてること、そしてこれからも共存していかなくてはならないことを、あらためて観客に突きつけようとしているように見えた。台風に地震に津波に火山、自然災害が頻発する上にハイリスクな老朽原発が次々に再稼働されようとしているこの国で、こんなことはいつ起こってもおかしくないんだよと。
そういう部分は、単なる怪獣映画ではない、ちょっと社会派っぽさも感じさせてくれる作品でした。