落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

怪獣VSオタク

2016年08月18日 | movie
『シン・ゴジラ』

実をいうとゴジラシリーズをちゃんと観たことがないワタシ。
こんなへなちょこでも曲りなりにレビューブログを何年もやっといて、結構観てない映画多いんです。なぜか『ゴッドファーザー』も『スターウォーズ』も『ロード・オブ・ザ・リング』も『ハリポタ』も『座頭市』も『仁義なき戦い』も観たことない。ましてや怪獣パニックモノなんか観るわけない。小学生時代に地元の子ども向け無料上映会なんかでは観た記憶はなくはないけど。

なのでこの映画も当初は観るつもりはなかったんだけど、各方面からなんだかんだとプッシュされ。
うん、おもしろかったです。ふだん怪獣映画とかパニック映画を観ない(覚えてる範囲では『プルガサリ』『宇宙戦争』ぐらい)人間でもかなり楽しめました。
まず映像作品・娯楽作品としてやるべきことを全部ちゃんとやってるから、観てて安心できる。映画のつくり方として、がっちり基本に忠実です。
どこが忠実ってディテール。ディテールが細かければ細かいほどリアルになるなんて、小学生でもわかるくらい当たり前の理屈だけど、この映画その点でいっさい妥協してません。たとえば冒頭、海底トンネルで崩落事故が起きると、政府が災害対策本部をたちあげる。閣僚会議が開かれ、記者会見が行われる。言葉で書いてしまえばおもしろくもなんともないこのプロセスを、微に入り細を穿って情報過多にみちみち描写しまくることで、非常事態であっても手続きと段取り地獄の官僚社会の滑稽さがおのずとひきたてられておもしろくなる。
無駄に挿入されたおすテロップも全員『ソーシャル・ネットワーク』ばりに超早口なセリフも、漢字ばっかりの専門用語に長ったらしい熟語満載。怪獣映画なのに子どもは絶対についてこれないシナリオなんだけど、だからなんだ的な開き直り方がもはや清々しいです。その証拠に、邦画には珍しく聞き取れないセリフが一言もない。録音技術凄いよ。ふりきってる。

そして物語半ばからの転換ぶりがまたよりふりきってる。
映画の前半は「ゴジラが官僚社会・日本に襲来したら実際に何が起こるか」をリアルにシミュレーションし続けるんだけど、ストーリー後半でガラッとトーンが変わってきます。
どこで変わるって石原さとみが登場したシーンね。米国大統領特使という肩書の日系アメリカ人政治家役なんだけど、ここで鉄壁のリアリティが一気に崩壊する。申し訳ないけど、彼女が必死に演技すればするほどおかしくてしょうがない。ここで観客ははたと気づくわけです。そうだったこれは荒唐無稽な怪獣SF映画だったんだと。
人の経験値で想定できた対策がすべて失敗に終わって、まさに万策尽きたところで活躍し始めるのがオタク変人集団なんだけど、ここからいきなりストーリー展開が大胆というか大味というかオラオラになってきます。でも既に観客は前半の超絶リアルシミュレーションで映画の世界観にごっそり飲み込まれちゃってるから、話がどんだけ乱暴でも非現実的でも、無抵抗にぐいぐい引っ張られていってしまう。
いやここまでぐいぐいやられると気持ちいいですね。映画観てるんだなあって気分に思いっきり浸れる。

破壊に破壊を重ねまくるスペクタクルシーンとか、野村萬斎のモーションキャプチャー(ゴジラ役)も見応えあったけど、個人的にもっとも印象に残ったのは、この物語に徹頭徹尾“市民”が登場しなかったところ。画面上では無数の市民がゴジラの襲来に巻き込まれ逃げまどうんだけど、セリフが設定されてる登場人物全員、政府・行政・自衛隊・警察・御用学者など国家側の人間だけで統一されてます。意図して市民側を排除したのは明らかで、登場人物たちが口では「国民をまもる」「国をまもる」と連呼しながらも、その思考回路の中の、人や命や暮らしのリアリティのグラデーションに、それぞれにくっきりしたギャップがあることがうまいこと表現されてるんだよね。だからこの映画にヒーローはいない。愛や正義すらない。ただただ純粋に個人のモラルしかない。潔い。
それでいてなんでもかんでも常に結果オーライというどこまでも無神経な政治家マインドがまた生々しい。だがそれは、物語の序盤で能天気にゴジラにスマホを向け、ニコ生で盛り上がる人々の無責任な無関心さと表裏一体なのだろう。

笑える楽しい映画だけど、5年前の震災と原発事故を鮮明に思い出させる描写も多くて、フィクションだとわかっていても悲しくなるシーンもあった。
かといって不用意に恐怖を煽りたいわけではないことはわかる。個人的には、人間はすぐに忘れる生き物だから、あのとき起こってしまったこと、いまも続いてること、そしてこれからも共存していかなくてはならないことを、あらためて観客に突きつけようとしているように見えた。台風に地震に津波に火山、自然災害が頻発する上にハイリスクな老朽原発が次々に再稼働されようとしているこの国で、こんなことはいつ起こってもおかしくないんだよと。
そういう部分は、単なる怪獣映画ではない、ちょっと社会派っぽさも感じさせてくれる作品でした。




変態上等

2016年08月09日 | movie
『秘密 THE TOP SECRET』

死者の脳をスキャンして記憶を映像化することができるようになった近未来。
その技術を駆使したMRI捜査を専門とする科学警察研究所法医第九研究室に新たに着任した青木(岡田将生)は、自ら家族全員を刺殺した死刑囚・露口(椎名桔平)の脳を調査、遺体が発見されていない長女・絹子(織田梨沙)の捜索を命じられるが、父親の脳には、絹子の凶行だけでなく、父自身を含む複数の男と彼女の情事が記憶されていた。
清水玲子の人気コミック『秘密 -トップ・シークレット-』を『龍馬伝』の大友啓史が映画化。

2001年に最初の単行本が出たときからのファンなので、映像化にはまったくなんの期待もしてなかったんだけど。『プラチナデータ』も個人的には完全な失敗作だと思うしね。なので今回は、何をどう間違えて傑作が駄作映画になっちゃうのかを確認しにわざわざ映画館にいったようなものかもしれない。
そういう意味では満足です。ハイ。紛うかたなき完全なる失敗作だったね。思った通り。

私自身は、10代のときにチェルノブイリ原発事故を題材にした『月の子』を初めて読んだときからずっと、清水玲子の作品が好きだった。
アンデルセン童話の「人魚姫」を下敷きに、実は宇宙人だった人魚姫の子どもたちが地球にやってきてスランプ中の天才バレエダンサーと偶然出会い、恋に堕ちるファンタジー。年齢も性別も超越したふたりの愛は苦しい苦しい葛藤を乗り越えて成就するが、物語は「チェルノブイリ原発事故が起こらなかった後の世界」を舞台に幕を閉じる。愛する男性と結ばれた人魚の子が事故の夢を見て泣きながら目覚めると、伴侶は「そんな恐ろしい夢は忘れてしまえ」とやさしく微笑む。
この『月の子』に限らず清水玲子の作品は大半がSFラブストーリーで、かつ異形を含め種や性別、主従や倫理など次元を超えた存在同士の愛を描いていることが多い。愛がいかにしてその壁を超えるのか・超えないのかが、常に彼女が描こうとしている大きなテーマではないかと思う。そして最後は毎回、脳天を吹き飛ばされるほどの仰天カタストロフがお約束である。

『秘密 -トップ・シークレット-』に関してはひらたくいえばド変態ばっか出てきます(とくに連載前半)。脳をわざわざスキャンしなきゃいけないほどの特殊犯罪なんだから、そりゃ犯人がド変態なのはもしかしたら当たり前かもしれない。でもそこは清水玲子なので、異常犯罪者の徹底したド変態ぶりを狂言廻しに、ちゃんと愛の形を描き出している。
愛といっても世の中にはありとあらゆる形の愛が存在する。ただひとめ姿を見るだけで心が満たされる愛もある。相手を一生苦しめ続けたいと切望してしまう愛もある。どんな姿であれ相手に受け入れてほしいと願う愛もあれば、どうあってもただ相手を許し受け入れ守り抜きたいと願う愛もある。その背景には、無関心な差別意識や非寛容性、無責任な敵意など現代社会のもつ残酷さと不条理が用いられる。
つまり変態性と社会へのメッセージをビジュアルでパッケージしたのが清水玲子漫画の集大成ともいえる『秘密』の特性であり最大の魅力なんだけど、映画版はひたすら豪華なビジュアルだけで変態性もメッセージもなんもない。カラッポです。

こまかいツッコミどころはほかのレビューでもさんざっぱらつつかれてるので、あえてここで語る必要もないと思うけど、この映画化の最大のミステイクならすぐに挙げることができる。
それはもう疑いようもない、スピンオフを除く本編だけで12巻もある単行本の中から、いちばん映像化が困難な貝沼事件と露口事件をピックアップした点だろう。
貝沼事件は、物語の主人公である薪剛第九室長(生田斗真)がかつて盗みを見逃した窃盗犯・貝沼清孝(吉川晃司)が、薪への執着ゆえに28人もの少年たちを虐待のうえ殺害した挙げ句に・・・という、薪本人のトラウマとなった事件。露口事件は幼少期に父親に性的虐待を受けた少女が、手当り次第に男漁りをしては片っ端から彼らを惨殺しその事実を知った家族をも皆殺しにした事件だ。この2件は手口も残虐だしうっかりすれば児童ポルノ法にも抵触するし、映画にするにはリスクが高すぎる。設定をこそこそいじってその辺のリスクヘッジをしたつもりかもしれないけど、それで肝心の重要な部分すら抜け落としてたら元も子もなし、小児性愛者のサディストをイケメン性格俳優化中の吉川晃司が演じてたり、誰もが屈服するほどの圧倒的な美少女であるハズの絹子が綺麗でもなんでもない腹の出た幼児体型の棒読み新人女優ってマジ意味不明すぎます。生田斗真にカリスマ天才捜査官役が無理あるのは三百万歩妥協したとしてもさあ。人の平常心を失わせるほどの美貌なんて設定はマンガでしか成り立たないとしても。
とりま映画化するなら千堂咲誘拐事件で決まりでしょう。過去のテロ事件での日本政府の失態を契機とする外相令嬢誘拐事件というけっこうなスケールの物語だけど、見た目は派手だしばっちり社会派だしテーマは親子愛だし、どうせCG満載のスペクタクルサスペンスならこれぐらいの方がうまく『秘密』らしくてかつ無難な娯楽映画になったはずだと思うんだけど。

『プラデ』のときもめちゃめちゃイライラして二度とこの監督の映画は観るまいと思ったけど、今度こそ金輪際観るのはやめます。映像ばっかり豪華で、物語にも観客にも一ミリの愛も敬意もない映像作品の存在意義が理解できないので。ディテールうんぬん以前の問題です。ハラをたてる意欲すらわいてこないくらい、心底呆れる。
しかしいったい何がやりたいんだろうね。彼は。本気でわかんないわあ。だってアイドル若手俳優もさっぱり活躍しもしないでただただ狂ったシリアルキラーにふりまわされるだけ、アクションもない、セックスシーンもまるっきりエロくない。頻出する死体シーンがやたらグロいだけで、死者の脳をスキャンするなんて設定すらストーリーの何の役にもたたない。誰が観てトクすんのかなこんな映画。
映画を観るにあたって原作を読み返したりはしてなかったけど、これ書いてたら久々読みたくなってきたな。あとで読もっと。

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