落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

舞台『琥珀』

2005年05月28日 | play
観ましたよー。観れた。ホントに観に来たね。自分。スゴイです。
面白かったです。うん。期待以上かっつーと正直どーか?な気もするけど、さりとてそれ以下でもない。まんま期待通りです。
でもねー。疲れたよ!やっぱ休憩なしで2時間半公演はきついです。しかも中国語。外国語の舞台観るのなんか十ン年ぶりッスよ。勿論字幕(英語と中国語)ついてるけど、あたしの英語なんか中学生レベルですし。中国語・・・は漢字が読める(汗)けど。
それなのに!それなのに主人公喋り過ぎ〜〜(泣)。台詞めちゃめちゃ多いし内容は難解だしなおかつハンパなく超早口。全然ついていけないよ!てゆーかそんだけ覚えたってのがエライ(笑)。いやマジで。そして全くとちらない。噛んだりつっかえたりもほとんどなし。さすがでございます。そんなとこに感心するなよ。<自分

この日のぐりの席は前から3列目の左端。目の前に字幕の電光掲示板があるんだけど、そこを見てちゃ舞台は見えない。だから反対側の字幕をまず英語で読んで分からない場合は中国語を読んで、読みつつ舞台も見る。目線を動かすのが忙し過ぎる。そら疲れますてー。目を使い過ぎて頭が痛くなったので、翌日の楽日は最前列のど正面だったこともあり(字幕は舞台の左右の端なので、正面の前の方の席からはかなり見えにくい)字幕は見ずに芝居に集中して観てました。したら途中で眠くなったさ(笑)。
ただ主人公以外の台詞や歌詞は比較的単純だし、有名な文学作品の引用部分なんかは原典を知ってれば字幕を読まないでも大体はなんとなく分かったです。それだけに主人公の台詞の分からなさがせつない。

舞台そのものはですねー。
心臓移植を受けた作家・高轅(劉燁リウ・イエ)は医師から摂生を指示されているにも関わらず酒やタバコや女遊びに耽る享楽生活者。ある時小優(袁泉ユエン・チュエン)と云う不思議な女性と恋に堕ちるが、実は彼女は高轅に移植された心臓のドナーの婚約者だった。自分が愛しているのが高轅本人なのかそれとも移植された亡き恋人の心臓なのか苦悩する小優。高轅も医師からその事実を告げられ、彼女を愛しているのは自分自身なのか、移植された心臓に宿るドナーの記憶なのかと葛藤する。
物語はオーソドックスに文学的でありロマンチックでもあり、歌あり踊りもあり、衣装とか空間演出も含めた舞台装置なんか特に頑張ってんなと云う感じで、ひじょーに濃かったです。前衛ってほどでもないけど、シンプルなりに凝ってる。あれこれ影響を受けてるなーと元ネタも少し気になったり。
逆にもひとつぐりの趣味じゃなかったのはミュージカルパート。歌詞とか振付がどーも古くさいと云うか・・・いっそのこともっとぶっとんだ曲とか振付の方が良かったんじゃ?と思わないでもなかった。
あとヒロイン小優の出番が少なすぎ。人物描写が一面的で物足りなかったです。そのあたりも含め演出家の個性みたいなものをしっかりガバッと出してもらいたいなと感じました。せっかく袁泉可愛いしお芝居だって上手いのに勿体無かった。

劉燁の芝居に関してはぐり的には全く問題なかったですね。相変わらず上手かった。全然演技に見えなかったです。
主人公高轅は高慢で享楽的でかつ知的な小説家(字幕では「花花公子」「play boy」)と云う、これまで善良素朴な純情青年専門みたいな役ばっかやってた彼からはそれこそ想像もつかないようなキャラクターだけど、きっちりなりきってやってました。特に楽日は席が席だけに細かいトコまでよく見えたんだけど、上演中は本当に集中力に微塵の隙も感じさせない熱演。観てるこっちの集中力がもたないくらいなのに。この人の演技に対する情熱の深さをナマで見せてもらえた、と云う感じでした。
踊りも大丈夫でしたよ。一生懸命力一杯踊ってんなー(汗)ってとこが潔くて。手足が長くて大柄だから舞台栄えもするし。
しかし!しかし歌は・・・向いてないと思うよ・・・。カラオケは上手いって評判は聞いたことあるから音痴ではないハズなのに・・・うーん。なんでこれでいいの?孟京輝(演出家)さんよ?他に見せ方はいくらもあったろーにさ。

とまぁ細かいトコはいろいろありますが、シンガポールくんだりまで観に行ったぶんだけはしっかりと楽しめた舞台でした。
3月に香港から始まって上海、北京、1ヶ月余りおいてシンガポール公演と3ヶ月間続いた舞台『琥珀』もここで終わり。皆様お疲れ様でした。

おまけ:
楽日は最前列だけにいろいろ細かいとこがよく見えたです。
例えば中盤の例のキスシーンの時、キスの最中に紗の幕が下りて来て→場面転換となるんだけど、その幕越しに劉燁と袁泉がにこにこにこにこしながらちゅーしてるのが見えました。たぶん演技だと思うんだけど、そんな凝った芝居しても相当前の方の客にしか見えないでしょ・・・えらいね。あ、ちゅーはちゃんと(?)唇外してやってましたよ。当り前だけど。
それと最後のカーテンコールの後、やっぱり紗の幕が下りた後で劉燁が孟京輝氏にがばーっとハグしてました。孟さんも小柄な人ではないけど劉燁でっかいから襲われてるみたいだった(笑)。

スカーレット・レター

2005年05月23日 | movie
『スカーレット・レター』
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ぐりは昔、この映画の台詞に登場するハリウッド映画『スカーレット・レター』の公式HPを、本編を観ないでつくったことがあります。
その頃、まだインターネットが今ほど一般に普及してなかった頃、ある映画配給会社のインターネット事業に携わる部署にいて、かなりたくさんの映画やビデオの公式HPを、1本も観ずに、ひとりでつくってました。観る時間もなかったし、配給部からビデオが届けられることも試写に呼ばれることもなかった。だから、書面の資料だけをもとに原稿を書いて、デザインを考えてました。
日本の映画会社なんてそんなものです。観客ナメきってます。
ちなみにこの『スカーレット・レター』は戦前につくられた『緋文字』のリメイクですが、ぐりはこちらも観ていません。ナサニエル・ホーソーンの原作も読んでいない。

今回の韓国版『スカーレット・レター』、いろんな意味で期待を裏切る作品です。
まずヒロイン役のイ・ウンジュの自殺の原因とされたラブシーン。ぜんっぜん、どーっちゅーことなかったです。
本当にこれがもとで彼女が死んだとすれば、世間には他にもっと首を括らにゃならん女優がごまんといる筈です。すんごい乱暴な云い方だけど。それくらい、煽情的でも刺激的でもない、ごく自然な、ストーリーに副った、エモーショナルなシーンでした。肌の露出だって全くなんてことないです。だからコレを自殺の話題に騙されてエロ映画と思って観に行った男性は相当裏切られた気分になると思います。

それから主演ハン・ソッキュのキャラクター。
ハン・ソッキュと云えば韓国の国民的スターだけど、ぐりはこれまでに『八月のクリスマス』(コレ日本でリメイクしたんだってねー。絶対観ないね)しか観てません。『グリーンフィッシュ』も『シュリ』も『カル』も『二重スパイ』も観ていない。理由は『八月のクリスマス』がすごく良かったから、そのイメージを自分のなかで壊したくなかったのかもしれない。ってのは後づけの言い訳ですね。要するに流行りモノに興味が持てないだけです。
『〜レター』の彼は妻(オム・ジウォン)とその友人である愛人(イ・ウンジュ)を天秤にかけて放蕩するエリート刑事。やたらに髪をかきあげる仕種が嫌みったらしい、かなりイヤな男です。以前ぐりの知人の韓国人男性が「あんな普通の、男前でもなんでもないやつが大スターだなんて許せない」とぷんすかしてましたが(純粋な言いがかりですねこりゃ)、逆にこの役をビョン様とかヨン様とかドン様がやってたらシャレにならないだろうなと思います。そういうところがハン・ソッキュの役者としての魅力なんだと思う。どこにでもいそうな、ごく普通の男、どんな人物にでもすっと溶けこめる柔軟性のある容貌と落ち着いた演技。

そしてストーリー。
物語の冒頭、ある写真館の主が鈍器で撲殺され、ハン・ソッキュが事件を担当することになる。まず主の美貌の妻(ソン・ヒョンア)が疑われ尋問されるが、なかなか真相は見えて来ない。この事件の捜査と、主人公の不倫の顛末が並行して描かれる、つまりラブ・サスペンスなんですね。
ところが、この映画の圧巻はクライマックス(以下ネタバレを含みますのでこれからご覧になられる方はお読みにならないことをオススメします)。
ハン・ソッキュとイ・ウンジュが誰もいない郊外の湖畔に車を停め、開いたトランクに座ってセックスをしてると何かの拍子にトランクが閉じてしまい、ふたりは狭いトランクに閉じこめられてしまう。狭いし、空気は薄くなってくるし、おまけに愛人は身重の身体である。絶体絶命のピンチである。
ここからが長い。最初は冗談なんか云いあって笑ってるふたりも時間が経つにつれて余裕がなくなり、ヒステリックになっていく。そんなキツイ辛いシーンが延々と続く。こんなシーンがこんなに長く続くなんて、まず日本映画ではあり得ないと思う。画面的に退屈だから。確かに画面的には退屈だが、精神的には非常に濃い。ハッキリ云ってこの映画のメインはイ・ウンジュのハダカでも歌声でもないしまして殺人事件の解明でもない、この苛酷な密室シーンであると断言出来る。それほど濃いのだ。

そんな生きるか死ぬかの状況で、愛人はとんでもない告白を始める。
ぐりが今回いちばん裏切られたのはこの告白です。愛人と妻が友人なのは構わない。妻が愛人との関係にこだわるあまり主人公との結婚を選ぶのも構わない。でも、妻と愛人の間に肉体関係をもたせるのは完全に蛇足だと思う。女同士の抜き差しならない友情には必ずしも肉体関係は必要ない。主人公と愛人はまる2日もトランクの中にいたのだ。もっと丁寧に告白をさせて、肉体関係抜きでの濃密な女同士の関係の歴史をしっかりと描いた方が絶対によかったと思う。それをあっさりとセックスで片づけてしまったことで、却って物語が安っぽくなってしまっている。そこはかなり惜しまれる部分である。


主人公の家や愛人のマンションがやけに豪華だったり、妻の職業がチェロ・ソリストで愛人はジャズシンガーだったり、前半の雰囲気は妙にバブリーなのでついサスペンスタッチのメロドラマかと思って観てたけど、終わってみたらなかなかどうして、二枚腰三枚腰でたたみかけて来る、相当にガッツのある映画です。
それを象徴するのが写真館の妻の最後の台詞。「愛していれば許されるのか?」。愛さえあれば何もかもチャラになるなんて考え方は男のエゴである(あるいは女のエゴ)。言葉にしてしまえば陳腐だけど、恋愛中の人間は誰もがつい何でもかんでも愛するがゆえに許されたいと思ってしまう。本当はそんなものは愛ではないのだ。ただの依存、ただの責任転嫁なのだ。
ハン・ソッキュもそうだけど、イ・ウンジュの演技が凄かったです。すっごいなりきってました。かえすがえすも才能が惜しまれます。こんなに一生懸命やってたのに、彼女は自殺と云う形で、自分のして来た努力を、作品を否定してしまった。

渋谷で公開2週めの日曜と云うのにガラガラだったのはなぜでしょー。やっぱ韓流ったって四天王とか出てなきゃダメなのかね?まぁぐりはゆっくり脚伸ばして観れてよかったけどさー。

男は大陸(40代から)

2005年05月15日 | movie
『インファナル・アフェアⅢ 終極無限』
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シリーズのを観たらなんか義務感で観ちゃうんだよね・・・前評判はあんまりよくなかったし、観ないでもいっかな〜っと思わないでもなかったけど。
あのねー、長いよ!疲れたよ!あんなラストならもっとすっきりしゃっきりした構成でもよかったと思うよ。もおー。ラストがあれしかなかったのかもしれないけど、それはそれでいいとしてもねー、話ややこしくし過ぎですってー。陳道明(チェン・ダオミン)のキャラクター設定なんかめちゃめちゃ無理あるよ。厳しいよ。彼が出て来た意味がよく分からない。それに人死に過ぎ。黎明(レオン・ライ)は死なんでもよかったで。梁朝偉(トニー・レオン)は話の本筋に直接関係のない役柄のせいか、随分リラックスして演じてるように見えました。可愛らしかった。カワイイって40代の俳優に云うことじゃないんだけど。

それとこれは上映環境のせいかすっごい画面が暗くて観づらかったです。目が疲れた。とりあえず3本ハシゴの最後に観るべき作品ではなかったってことですかねー。

男は大陸(40代から)

2005年05月15日 | movie
『わが家の犬は世界一』
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現在は法律が改正されて空前のペットブームに沸いていると云う北京。この映画の舞台は90年代、犬を飼うのに警察で高額な登録料を支払わなくてはならなかった頃のお話です。だから一般市民の経済状態も貨幣価値もたぶん今とちょっと違う。
予告編ではお父さん(葛優グー・ヨウ)が主役みたいだったけど、実際には一家全員が主役。鉄道関係の肉体労働者であるお父さん、専業主婦のお母さん(丁嘉麗ディン・ジャーリー)、生意気盛りの高校生の息子(李濱リー・ビン)。どこにでもいる普通の家族と同じように、彼らもイマイチぱっとしない。すごく仲が悪いってワケでもないけど、特に仲良くもない。息子は反抗期だし、お母さんはお父さんの浮気を疑い続けているし、お父さんには少々思いやりが足りない。めちゃめちゃ普通です。誰が観てもなんとなく共感しちゃうと思う。

そんな一家はそれぞれ愛情表現は違うけど、それぞれなりにワンちゃんを愛している。だけどやみくもにただ一途に愛しているという描き方はされていない。あんなにワンちゃんを溺愛してるように見えたお父さんもいろいろとこすからい真似をしてなんとか登録料を払わずに済まそうとする。お母さんは自分が連れてる時に摘発された罪悪感からか登録料を払うのになかなか乗り気にならない(普通に考えたら逆なんだけど、罪悪感の反動で自分を正当化しようとしている)。息子は処分に運び出されるワンちゃんの声を聞いて泣いてしまう。

犬が連れて行かれてから登録手続きのタイムリミットまでの18時間を描いたシンプルなストーリーだけど、キャラクター描写やエピソードの構成がこまやかで、全体にすっごく丁寧につくられた映画、と云う感じがしました。
建設ラッシュで古い町並みと取壊し中の瓦礫の山と近代的なビルが混ざりあった街の風景とか、一人っ子政策で誰もが微妙に過保護気味な親子関係とか、何よりもコネがものを云う共産主義社会とか、北京市民の生活描写がとてもビビッド。あとこの映画のミソは犬がちっとも可愛くないってとこですね。季節が夏なのに出て来る犬がどいつもこいつも長毛種ばっかりってのは絶対狙ってるね。だって見た目にチョー暑苦しいもん。それにみんななんとなく薄汚れてる。

ぐりちょこっと注目の李濱クンはねー、可愛かったです。がりがりに痩せてて声も甲高くてホントにまだまだ子どもっぽいけど、表情が豊かだしなんか雰囲気あるね。それと意外に夏雨(シャ・ユイ)がかっこよかった。スマートに男らしくて、キリッとしたおまわりさん役がハマってました。前は「袁泉(ユエン・チュエン)みたいな美女がなんでこの子とつきあってんだろー」とか思ってたけど、撤回します。ごめんなさい。
テレサ・テンの「舐蜜蜜」がバックに流れてたり、息子が朝ラジオで聴いてたのが『藍宇』にも出て来た番組だったり、ちまちまと中華電影好きのココロをくすぐるネタも盛込まれてて、いろいろ楽しめる映画でした。


男は大陸(40代から)

2005年05月15日 | movie
『PTU』
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すんごい台詞が少なくて驚き。必要最低限以下の台詞しかないです。ホントに少ない。
これってたぶん中国人の民族性だと思うんだけど、中国語圏の映画って大抵すっごく台詞が多いのね。聞くところによれば、日本では「沈黙は金」とも云うように寡黙さや言葉を介在させないコミュニケーションも美徳のひとつとされるけど、中国ではいかに喋れるか、話術が巧みであるかがその人の社会能力を示すとも考えられているような傾向があり、だから中華電影に出て来る人物ってみんなよく喋る。だからこう云う台詞の少ない映画は香港映画じゃ珍しい部類じゃないかなぁ。全くなくはないけど。
珍しいと云えば香港のエンターテインメント映画って大体スターとかアイドルが出てるけど、この映画にはそれらしい人は出ていない。ぐりが知らないだけで出てんのかもしんないけどね。強いて云えば任達華(サイモン・ヤム)はスターっちゃスターだけど。黄浩然(レイモンド・ウォン)はアイドル・・・じゃないよね?

PTUってのは字幕だと「機動部隊」となってるけど日本の機動隊とは全然別個のものです。正式名称は民衆安全服務隊(茶通さんの香港電影迷宮+blog参照)。いわゆる憲兵ってやつじゃないですかね。イタリアにいるカラビニエリ。おまわりさんよりしっかり武装してて、主な職務は小隊単位でのパトロール、治安維持の最前線処理。
だからハードボイルドアクションと云えど『インファナル・アフェア』とかみたいに大スターがバンバン出て来る警察の花形とは全く違う、警察組織でも最底辺のひとたちが主役のお話です。舞台は香港の繁華街でのある一夜。チンピラグループに銃を盗まれたノンキャリアの刑事(林雪ラム・シュ)が、馴染みのPTUと協力して朝までに銃を取り返そうと奔走するのだが、問題のチンピラのリーダーが殺されてしまい・・・さぁどうなる、みたいな。

ぶっちゃけた話、物語自体はシンプルだし目新しい意外性はあまりない。ただ香港金像奨監督賞を穫っただけあって演出はすごくスタイリッシュ。これから何が起ころうとしているのか、夜の暗闇の向こうに潜んでいるのは一体何なのか、と云うぴりぴりとした緊迫感と臨場感の再現性はとにかく素晴しい。
今思ったけど、これってテニスの試合の空気感と似てますね。「お願い誰か何とか云って〜」みいないたたまれなさを感じる沈黙、ひとりであれこれ工作する刑事とパトロールの延長で銃を探すPTUとのシーンが交互に出て来る構成とか、ちょうどコートのあっちとこっちで同時進行なドラマって感じで。
異様なまでに徹底して無表情な主人公(任達華)、常に真上から人物を照らしだすハイコントラストなライティング、背景音を誇張した音響、台詞が無いことによって生まれる奇妙な間など、全編の統一感も無理がない。
難を云えば台詞が少な過ぎて緊張感のあまり観客の方も疲れて来るってとこぐらいでしょうか。でもホント、よく出来た映画だと思います。拍手。