落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

『たそがれ清兵衛』≧『壬生義士伝』≦『御法度』

2003年01月20日 | movie
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個人的な事情で公開初日に観た『壬生義士伝』、同じ劇場(有楽町マリオン・プラゼール)でムーブオーバーで観た『たそがれ清兵衛』は本当に好対照な時代劇でした。
『たそがれ』の方は公開されて1ヶ月以上経つのに朝から長蛇の列、上映中は場内水を打ったような静けさで、エンドクレジットの後は満場の拍手(!)、と云うビックリするような盛況ぶりでした。しかも客層の大半が40~50代の中高年のカップル、それもリピーターが多かったように思いました。
『壬生』は公開初日でも夕方の回は6割程度の入り。上映中にトイレに立つ人は続出するしエンドクレジットで半分以上の人が退場してました。客層は『たそがれ』と似たような感じでしたけども。
幕末期の貧しい下級武士の清廉な生き方を描いた時代劇、と云う時代背景もテーマもよく似た映画でありながら、この2本には歴然とした差があります。
簡単に云ってしまえば原作の分量の違いです。

『たそがれ』は藤沢周平の短編を何本か組み合わせたシンプルなストーリーで、舞台も海坂藩と云う地方の一コミュニティの中に限られています。一方『壬生』は週刊誌に足かけ3年も連載された超大作が原作で、幕末の動乱全体をカバーした大河物語。
家族を愛し守ることに武士道を生きようとしたひとりの男を描く映画としては、『たそがれ』は要素がよく絞られていて『壬生』は盛り込む要素が多過ぎたとも云え、そこがこの2本の決定的な差異に表れています。

別々に評するとするなら、『たそがれ』はかなり完成度の高い映画です。真田広之・宮沢りえ初めキャスティングは全く素晴らしいし、リアリティを追求し時代劇の常識を覆すライティング・衣装・かつらに凝りに凝ったディテールは本当に新鮮でした。
逆に云えば、今までなんで時代劇はこういうことをやってこなかったんだろう?と云うくらいすごく自然な表現が出来た映画だと思います。
反面、台詞の語感はもうひとつ練られてない感じはしました。映像の細部が凝ってるせいか、台詞の不完全な面が妙に目立つようには思えました。そのぶん無言の行間が“饒舌”な演技も印象的でした。
殺陣はすごくスタイリッシュに撮れてました。敵役が舞踊家さんだけあって、ある意味アーティスティックな美しい殺陣、洗練された殺陣になってました。

『壬生』はエンターテインメントに徹したハートウォーミングな娯楽映画としてはいい出来だと思います。
が、やはり2時間の映画にこれだけ大スケールな物語をまとめるのは無理がありました。新選組には詳しくても原作を読んでない私は正直ついて行けなかった。
登場人物は多いし、しょっちゅう回想で時間軸が前後するし、台詞は訛ってる上に説明的で長いし、大河ドラマのダイジェストのような構成のせいか異様にテンションの高い場面が連続するし、観ていて結構疲れました。この物語のメインが新選組なのか、幕末なのか、家族愛なのか、郷土愛なのか、武士道なのか、そこばっか気になってるうちに終わった。すなわち散漫な印象が強く残ってしまう結果になりました。
テーマと時間枠を考えれば、『御法度』のように時代背景は無視して新選組の中だけの物語に限定して構成し直した方が勝算はあったんじゃないかと思います。例えば油小路の決闘や坂本龍馬暗殺事件は映画には不必要なエピソードだったように思います。入れ方もなんだか中途半端だったし。

キャスティングはすごく良かったです。特に塩見三省(近藤勇)・野村祐人(土方歳三)・堺雅人(沖田総司)・斎藤歩(伊東甲子太郎)といった新選組のメンバーは新選組ファンにとっては膝を叩いて笑えるキャスティング。小説などで知られた元のキャラクターをキッチリ踏襲してるし、イマイチ迫力に欠ける、間の抜けた首脳陣ってのがいかにも“寄せ集め”な雰囲気で良かったです。しかし堺雅人の沖田総司は『御法度』の武田真治そのまんまで可笑しかったです。あれじゃほとんどモノマネだよ。偉大なり武田真治@『御法度』。
主人公の親友・大石次郎右衛門役を演じた三宅裕司は名演でした。いつもテレビで見てる三宅氏とは全く別人でした。
子役は全くイケてなかった。『たそがれ』の子役は滅茶苦茶可愛かったのに・・・。

『壬生』は科された課題の多い、ハンデのある映画だとは思います。
新選組と云う実在の舞台、ベストセラー小説を原作とすること、10時間という長時間ドラマで一度映像化されていること。
そのなかでは非常に頑張ってる、ベストを尽くしてるとは云えると思います。
ただ、1本の映画として自立した作品にはなれてない。原作の人気にもたれた完成形にとどまってしまってると云う見方は仕方ないと思います。

『壬生』には主人公たちの息子も登場していて、吉村貫一郎の息子・嘉一郎を藤間宇宙、大石次郎右衛門の息子・千秋を伊藤淳史が演じています。
そーです『独立』コンビですね(笑)。『独立少年合唱団』と云う“寄宿舎”モノで一種同性愛的な友情で結ばれた同級生を演じたふたりが、またしても濃いい熱烈な友情物語を展開してくれてます。
このふたりが手に手を取り合って涙にむせびながら友情を確かめ合ってる場面を見せられると、どーしても『独立』を思い出してしまう。すみません・・・。
そしてやはり藤間クンは松田龍平です(笑)。オーバーアクションな松田龍平・もしくは健気な松田龍平(笑)。着物でカツラ姿だとホント似てます。
やっぱ『壬生』は『ロード・オブ・ザ・リング』とか『ハリー・ポッター』みたいに三部作にするべきだったんじゃないすかね。南部篇・新選組篇・息子篇とかね。無理か。