落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

咲かない花

2008年07月19日 | movie
『彷徨う花たち』

現代台湾をリアルに生きるセクシュアル・マイノリティの揺れる愛を、三部構成で描いたオムニバス映画。
一部:盲目のクラブ歌手ジン(房思瑜セレナ・ファン)は小学生の妹メイ(白芝穎バイ・チーイン)とふたり暮し。メイは姉の伴奏者ディエゴ(趙逸嵐ツァウ・イーラン)に淡い憧れを抱くのだが、メイを養子にしたいという夫婦が現れ・・・。
二部:HIVに感染し恋人との仲もうまく行かなくなったイェン(王學仁)はかつて偽装結婚した“妻”リリー(陸奕靜ルー・イーチン)を訪ねるが、彼女はアルツハイマー病を患っており既に亡くなったはずのパートナー阿海とイェンを混同する。
三部:女性らしく成長し続ける肉体に嫌悪感を抱く高校生のディエゴ。実家は布袋戯小屋を経営しているのだが、結婚を控えた兄は演技がうまいうえに母からも叔父からも可愛がられる妹のディエゴが疎ましくて仕方がない。

んー。二度も観にゃいかんよーな映画ではなかったねー。むにゃむにゃ。って寝てませんよ。寝えへんけど。
王美玲(ゼロ・チョウ)の前作『TATTOO 刺青』はまあまあキライじゃなかったんだけど、この映画はね・・・あんまし好きじゃないかも。とくに二部が。いちばんへヴィーな二部が・・・手抜きやんコレ。シナリオが、中身が薄過ぎます!イェンがHIVポジティブだからってそれだけであそこまで自暴自棄になるってのもなんか安直だし、リリーの病状やらゲイカップルの描写にもモロにおざなりな部分満載。題材が題材なんだからもちょっとマジメにやってもらわんと。
思うにこの監督、若い子を使って普遍的な恋愛描写をするのはわりと頑張れるけど、対象がナマナマしくなってくるとどーしていーのかわからんくなってまうとかー?

ただしキャスティングはものすごくよくて、とくに趙逸嵐が素晴しい。素晴しすぎる。
ひょろっと背が高くて(役名の“ディエゴ”は“のっぽ”の意)スレンダーで、少年っぽいというよりまさに少年そのもの。『十三の桐』の劉欣(リウ・シン)もボーイッシュで愛くるしかったけど、ボーイッシュなんてもんじゃないです。ほぼ男です。この人。いわゆる美少年じゃなくってフツーの男の子だけど、喉仏もうっすらあって、声も低いし。歌うと高温がかわいい。哀愁漂う背中がセクシー。ファンになってしまったかもー。
上映後にQ&Aで登壇したときも劇中のイメージそのままだったんだけど身長は画面で観るほど大きくなくて、そこは撮影監督のセンスだったんだなと思いましたです。


主演の房思瑜と趙逸嵐。激写しまくったわりにはこんなのしか撮れてなかった。携帯じゃこんなもんすかね。
房思瑜もものすごく綺麗なんだけど、この人の美しさって中華系美女の典型って感じでそこまで印象的じゃない。
趙逸嵐は身長168〜9センチってとこですかね。映画では175センチはあるように見えたけど、とくにトリックは使ってないそうだ。見ての通りものすごく細い。顔が小さい。かわいい。いくつなんだろう(虜になってるよ)。

マジメに語ってみたけれど

2008年07月19日 | movie
『ヒストリー・オブ・ゲイシネマ』

うーーん。退屈・・・(爆)。
主に70年代以降のゲイ映画の歴史を、映画監督や俳優のインタビューでまとめたドキュメンタリーなんだけど、出てくる人がほぼ全員ゲイかレズビアンかバイセクシュアルで、取り上げられてる映画も大半が彼らの撮ったインディーズ映画、それも超マジメなのばっかり。知らんて(爆)。
浅学なぐりが知ってる登場人物はガス・ヴァン・サント、ティルダ・スウィントン、ジョン・ウォーターズぐらいか?作品で観たことあんのは『ピンク・フラミンゴ』『プライベート・マイ・アイダホ』『オルランド』『ブロークバック・マウンテン』・・・あとなんかあったっけ?とりあえずそんなもん。あとは知りまへん。ってか日本で公開されてないね。たぶん。

ただ、セクシュアル・マイノリティの映像作家たちの証言集としてはなかなか興味深いものがあるし、たとえばBBM─ストレートの監督と俳優によるゲイ映画─の大成功に対するゲイの同業者たちの反応なんてのはちょっと他ではなかなか聞けないだろう。
あと「レズビアン映画はゲイ映画に比べると低水準だ」なんて発言もあって、常日頃からゲイ映画はけっこう良い作品もあるのにレズビアン映画にはあんましないな?と思ってたぐりはちょっとにやっとしてしまいました。なんだ偏見じゃなかったんだ、みたいなね。

コレたぶん、もうちょっと取材対象の範囲を広げて、ペドロ・アルモドバルとかブルース・ラ・ブルースやグレッグ・アラキなんてもっと下世話なあたりまで入れちゃえば、なんぼか刺激的で見どころのある作品になったんでは。ジョン・ウォーターズだけじゃ全然足りんでしょ。
マジメな話は眠いのよ〜。ゴメン。


この記事で通算700本めのレビューになります。700本て多いのか少ないのかようわかりませんけども。
いつも読んでくださってるみなさま、ありがとうございます。今後ともよろしくです。

Life Goes On

2008年07月19日 | book
『18歳の生存者―JR福知山線事故、被害者大学生の1000日』 山下亮輔著
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ぐりはここ3年、日常的にはほぼまったくTVを観ない生活をしているが、直接そのきっかけになったのは2005年4月25日のJR福知山線脱線事故である。
その日、たまたま仕事場でリアルタイムでTVを観ている人がいて、ぐりも何の気なしについている空撮の画面を観ていたのだが、ふと、めちゃめちゃに大破した列車の車両がひとつ足りないことに気づいた。レポーターやキャスターはマンションに激突してぺしゃんこになった車両を「1両め」といっていたのだが、本来7両編成であるはずの車両が画面には6両しか写っていないのだ。その瞬間、「背筋が凍る」とか「身の毛がよだつ」とか、とにかくそれまでに経験したことのない感覚が体を駆け抜けた。
早く、早く助けてあげてと心は焦るのに、マンション内での救助活動はなかなか始まる様子がない。そしてそのうち、自分が観ている画面が「空撮」であることに不快感を感じ始めた。
こういう大事故・大災害時に救助活動の鍵を握るのは生存者の声である。視界の利かない現場では、救助者にも生存者の位置が見えないからだ。助けて、ここにいます、という声を頼りに救助者は生存者を捜す。ひっきりなしに低空で現場を旋回する報道ヘリの轟音がその声をかき消してしまうのが、阪神淡路大震災や新潟県中越地震のとき既に問題になっていたのだ。
TV局は視聴者が求めるであろう映像を撮ることを至上命題にヘリを飛ばしている。だがそのヘリの下には、瀕死で救助を待っている怪我人がいる。それを思うと、観ている自分に気分が悪くなった。こんなもの観なくていい、観る方が間違ってる、そういう気分になった。

あれから3年が経った。
この本は事故時、最も犠牲者の多かった1両めに乗車していた大学生山下亮輔氏の手記。事故当日の様子と、その後10ヶ月にも及んだ入院生活が主に綴られている。
18歳で大学に入学した直後、恋人もいて順風満帆のキャンパスライフをスタートさせたばかりの少年の身に起きた悲劇。淡々と語られてはいるが、「どうしてこんな」「なんで僕が」という無念さに負けまいとする若い強さにあふれた、爽やかな手記である。
いささか爽やかすぎる気もするが、あれだけの不運に見舞われたことで、却って生きるためにどれほど家族や周囲の人の励ましが必要だったかを、不運によって知ったという謙虚さの表われなのかもしれない。若者の妙な犯罪ばかりが報道されるこのご時世、彼と同世代の人々に読まれてほしいような本である。

ただ他の生存者の手記と比べても(2005年4月25日 福知山線5418M、一両目の「真実」あの時からの歩み…2005.04.25)あまり「これは」というような特色がないのも気にはなる。
まあ逆に特色があったら困るのかもしれないし、特色がないから本にできるという事情も多々あるだろう。でもできれば誰かに、自分で手記を書けない生存者や遺族のその後に取材をして、もっと客観的にしっかりしたルポルタージュにまとめてほしいなという気持ちにはなった。
事故から何年経とうが、彼らの「生存」には終わりがない。彼らはずっと、事故の記憶と体験を背負って生きていく。その道程の険しさを辿ることで、事故を風化させず、社会に自戒を求めていくことも必要なのではないだろうか。

1両めに乗っていた別の大学生
両脚失った林さん 事故乗り越え「全力で生きる」

歌うシェイクスピア

2008年07月19日 | movie
『シェイクスピアと僕の夢』

大傑作。ヤバい。ヤバいよコレ!
シェイクスピアの『真夏の夜の夢』を下敷きに、学園祭で『真夏の夜の夢』を上演する男子校を舞台にしたファンタジー・コメディ・ミュージカル。
すごいてんこもりなんだよね。シェイクスピアでしょ、ミュージカルでしょ、学園ドラマでしょ、同性愛でしょ、ファンタジーでしょ、んでコメディ。ふつうに考えたら詰め過ぎなんだよね。ところがこの映画、全部の要素がきちっと噛みあわさって、えもいわれぬ絶妙の調和を醸し出している。まったく見事という他ない。ブラーボー。
同じミュージカルでもこないだの『愛のうた、パリ』とはえらい違いだ(爆)。

学園ものだけに登場人物の数は多いし、中には役名もない子もいたりする。学校関係以外にも主人公ティモシー(Tanner Cohen)の母親(Judy McLane)とか元歌手の化粧品販売員ノラ(Jill Larson)など老若男女相当な数のキャラクターが次から次へと出てくるのだが、それぞれ非常に個性的で観ていて楽しい。ゲイ=変わり者のはずの主人公がいちばんマトモに見えるのがおかしいくらいなんだけど、このキャラ設定にも理由があることがおいおいわかってくる。
なにかっちゅーとゲイっぽい、ゲイにみえる、ゲイになりそう(?)などということに過剰反応するストレートな人々をカリカチュアライズするのに、設定以外どこもゲイっぽくないゲイの主人公が対比として必要だったのだ。

『真夏の夜の夢』は恋愛をめぐるファンタジー・コメディだけど、この映画ではそれをうまく同性愛にすりかえている。そのうえで、ゲイをめぐる世間のしっちゃかめっちゃかを軽やかに飛び越え、「そんなの大したことないでしょ」と笑って見せている。あざやかである。
ぐりはアメリカに住んでるわけじゃないから、アメリカの「ゲイ恐怖症」が実際この映画に描かれるほど滑稽なものかどうかは知らない。それでもこの映画のいいたいことはほんとうによくわかるし、映画なんだからそれでいいと思う。
音楽・衣裳・美術も文句ナシに素晴しい。
できれば一般公開もしてほしいです。もっかい観たいから。