落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

真っ白な嘘

2009年06月28日 | movie
『ディア・ドクター』

住民1500人中半数が高齢者という山村の診療所にインターンとして派遣された研修医・相馬(瑛太)。4年前まで無医村だった田舎で孤軍奮闘する伊野医師(笑福亭鶴瓶)に従って診療にあたるうち、過疎地での医療活動にやり甲斐を感じるようになるのだが・・・。

すーばらしかった。ぶらぼー。
『ゆれる』で弱冠32歳の西川美和監督に日本中が度胆を抜かれたのが3年前。また度胆、抜かれました。すっげえなあ。
この映画の軸になっているのは鶴瓶演じる医師の失踪劇である。ある夕方、診療所を飛び出した彼はそのまま村人も研修医も棄てて忽然と姿を消してしまう。彼ひとりに全員の健康を預けていた村人たちは大騒ぎで警察を呼ぶのだが、捜査によって発覚したのは意外な事実だった。その捜査過程と並行して、2ヶ月前に相馬が村にやって来て伊野が去るまでの経緯が描かれる。
初めはだから、観客はなぜ彼が蒸発したのかがまったくわからない。ところがこうして時制を並行して語られていくうち、彼の失踪が実は、人として、医者として必然であったことが、ごく自然に、自ずから感じとられてくる。
何の説明もなく静かにじわりと浮かび上がって来るその感覚から、人間愛の深さと穏やかさ、その語りがたさが切実に伝わってくる。
そしてそんなことが、まだ30代半ばの、それも日本の商業映画にはほとんどいない女性作家によって、ここまでしっかりと表現されてしまっていることに、一種の恐ろしささえ覚える。

くりかえしになるが、この映画のすごいところは、重要なことは全部画面の外で起きていて、画面上では何ひとつ説明していないのに、すべての感情が、エピソードが、まるで自分の目でほんとうに観たかのような現実性にみちているところである。
そして、そう感じる観客のリアクションそのものが、この物語の核となっている。つまり物語の中心と、物語によって起きる現象が入れ子になっている。ホントにすごいよ。ふつーそんなこと思いつかない。
何がいいたいかとゆーと、観客はあくまで単なる「映画」を観ているだけで、スクリーンの向こうで起きていることはほんとうには観ていないはずである。それでもまるで観たかのような、わかったかのような気分にさせてくれるのが映画のおもしろさである。
物語の中でも、これとまったく同じことが描かれる。村人は誰ひとり、神と崇めて頼りきっている伊野医師その人のことを何ひとつ知らない。それでも自分たちに都合の良い存在=“優秀で親切な本物の医師”として無批判に受け入れて満足している。勝手な幻想が自動的に補強されていく危うさに誰も何の疑問も持っていないという異常性をも、結局はみんな伊野ひとりに押しつけて納得してしまう。矛盾しまくってるけど、似たようなことはどこでも起こり得るのが人間関係の真理かもしれない。
鋭いよ。鋭すぎるよ。コワイよう。けど素晴しい。

『ゆれる』もキャスティングが良かったけど、今回も素晴しい。
鶴瓶はいうまでもないけど、いちばん光ってたのは香川照之。ホントにこの人はすごい。全然!まったく!演技にみえない。いるいるいる、こーゆー人、いるよ!とゆー、リアリティにおいて今の日本映画界にこの人を置いて右に出るものはないでしょー。
笹野高史と余貴美子は『おくりびと』とキャラもポジションもカブり過ぎてて笑える。ふたりともいい演技してるけど、却って逆に似たシチュエーションとテーマを持つふたつの映画の完成度のギャップが際立つ(どっちが上かはいうまでもなし)。
シンプルな音楽もよかったし、美術や衣裳も文句ナシ。最近観た邦画がハズレ続きでへこんでたけど、いいのもちゃんとあるんだよね(爆)。当り前だけどさ。
またこんないい邦画、観たいなー。

臣聞鄙諺曰、寧為鷄口無為牛後

2009年06月26日 | diary
こーゆーことを書くのはひじょーに僭越なのですが。
ぐりが映像業界に入ったのはまだ学生のときで、某民放の深夜番組などを制作してるプロダクションでのアルバイトが最初。深夜といえどもちょうど深夜番組ブームのころで、番組自体もなかなか人気がある、それなりにメジャーな会社だった。
卒業後に就職したのは別の制作会社で、ここでは某有名子ども番組をつくってました。そこを辞めて入ったのは主にCMや映画やプロモーションビデオをつくる大手制作会社。そこの後で入った会社は小さかったけど、やっぱり仕事はCMや映画やプロモーションビデオだった。
つまり映像制作といってもハイエンドな、メジャーな仕事が多い領域で大体働いてきたワケです。まあ、たまたまですけど。

んで今いる会社は企業向けのビデオパッケージやローカル番組をつくっている。マイナーです。
実は去年から就職活動してた間、応募した会社の大半はマイナー系だった。トーゼンどこへ面接にいっても「なぜメジャーを辞めるのか」と訊かれる。でも最後までぐりはこの質問にうまく答えられなかった。
メジャーな仕事は確かに楽しかったし、やりがいはあった。勉強にもなった。いい経験もたくさんした。けどぐりは何もゲーノージンに会いたいとか、自分が有名になりたいとか、そーゆー目的があってメジャーにいたわけじゃない。単純に映像が好きだったからだ。そしてたまたま偶然いた環境がメジャーだっただけ。メジャーはメジャーでも超末端だけど。野球でいえば、メジャーだけどスター選手じゃなくて、球団スタッフとか球場スタッフとか、いるこたいるけどぶっちゃけ誰も知らないみたいなポジション。それはそれでいいんだけどね。

そのメジャーの末端に10ン年いて、やっぱあたしは野球がやりたいわと思ったワケですよ。でも急にメジャーチームでレギュラーはキビシイから、マイナーから始めようと。きわめてリアリスティックにさ。ただそれをカドがたたないよーに他人に説明するのはむつかしい。結局採用された会社の面接ではそれは訊かれなかった。なぜかは知らない。
自分でもメジャーからマイナーに移ることには若干の不安もないことはなかったけど、実際移ってみればとくにそれほど違和感はない。映像は映像だし。まだ今のところはふつーに楽しい。同僚の中には、ぐりが元メジャーとゆー経歴をもつことに「・・・」な反応を隠そうともしない人もいなくはないけど、べつにいーです。しらん。
しかしマイナーの世界ってアナーキーっす。長年メジャーで「アレはダメ、コレはダメ」とルールに縛られてやってきたぐりにとっては、肝をつぶす現象の連続でございます。いずれそんなの屁とも思わなくなるのかしらん。くわばら。


都内某所の商店街にて。なぜかファンシーな骨格標本。

うぉとこの山

2009年06月25日 | movie
『劒岳 点の記』

明治40年、あまりの険しさから有史以来あらゆる登山者を拒み続けて来た劒岳に挑んだ陸軍参謀本部陸地測量部柴崎芳太郎(浅野忠信)一行の苦難の冒険を描く。

んー。これは映画ではないですね。
世間には山岳写真とゆー、山の自然美を愛でるためのフェチな写真が存在してますが。それが動画で、音楽とか台詞がついてる。なんかそんなの。
だってねえ、シナリオがクサ過ぎるんだよー。台詞が全部文語調でさあ。無茶苦茶説明的。ぶっちゃけ台詞半分以上いらなかった。あとあの音楽はナニ?あまりにも大時代過ぎて、何度も失笑を堪えなくてはならなかった。そんなのってむしろ演奏した音楽スタッフに対しても失礼じゃない?
大体、監督が撮影監督出身だからなんだろーけど、撮ったモノを全部全部完パケに入れこみたいってゆー気持ちはわからんでもない。すんごい苦労して撮ったんだろーし。音楽にしても地元のオーケストラに演奏してもらって、撮影・製作に協力した人たちに報いたくてあれだけてんこもりくっつけちゃったんだと思う。でもねえ、ぶっちゃけそんな大した演奏じゃないよ、アレ(爆)。聞いてて恥ずかしいとまではいわないけど、使うだけ無駄なパートが多過ぎです。

出演者は豪華だしいちーち二枚目だし、彼らが熱い友情だかなんだかを育んでく過程をきっちり再現したい気分もわかる。けどそういう内面描写はもっと丁寧にやってくれないと。家族や軍部、山岳会との関わりも思いっきりとってつけた感満載。女性キャストはもれなく添え物だし人物描写もキモすぎる。明治時代に夕食の献立を訊かれた妻(宮崎あおい)が「お肉がいいですか?お魚がいいですか?」って、機内食じゃないんだからー。冷蔵庫もないのに、生臭もの=肉・魚はその日手に入った食材しか食べられないのが普通だっつの。日本髪結ってるのに風呂上がりに髪ほどいてたりさあ。あーりえなーい。
まあきっとそんなのどーでもいーんだよね。女なんか映ってるだけでいいんだよねきっと。よーするに山と男を鑑賞してりゃーいーのさ?みたいな?
ただやりたいことはじゅうぶんわかるし、あれだけの豪華キャストを堪能するぶんには目には楽しい。だから観ててハラたつとか、そーゆーことはない。退屈は退屈だけど。
しかしそれにしても夏八木勲はクサいにもほどがある。クサすぎてコントの領域に肉薄してたよ。

ぐりがいちばんシラケたのはエンドロール。「仲間たち」というキャプションでいっさい全員肩書きナシ。
『崖の上のポニョ』もそーだったけど、そーまでしてCGやデジタルVFXを否定したいか?観りゃわかんじゃん。合成もCGもしっかり使ってんじゃん。べつに使ってもいいじゃん。使ったからって劒岳で撮影した事実が帳消しになるわけじゃなし、そもそもこれは実話に基づいたあくまでフィクションであって、ドキュメンタリーじゃないんだし。それに肩書きなんかいらない=みんな仲間じゃん?的なミョーな横並び主義的な雰囲気もサムい。
とりあえず木村大作はこれ1本で監督はやめた方がいいね。向いてないよ。絶対。
この映画、どーせやるなら熊井啓にやってほしかったな。もう亡くなっちゃったからいってもしょーがないんだけどね。

電話人

2009年06月21日 | diary
今日、同僚と話していて(休日出勤だった)、「電話ではすごくヤな人なのに、会うと妙に調子のいい人ってフシギ」とゆー話になり。
ときどきいるんですねえ。電話で話すとやたらめったら威張ってて、でも実際面と向かうとヘンに低姿勢だったり温厚だったりする。要するにキモが小さいんだと思うんですけどね。

ちなみにぐりは完全に逆です。電話では自然に丁寧な口調になりやすいんだけど、日常的にはそんなに丁寧な喋り方はしない。だから初めに電話で喋った人はみんなビックリするみたいです。違う人みたいとかいわれる。
これはぐりの実家が自営業で、小さいときからしょっちゅう電話番をしていた後遺症です。電話をかけて来るお得意さんはぐりが小学生だろーがなんだろーがお構いなしですからねー。母親の口調を真似て一生懸命営業トークしてたら、いつの間にか電話=営業口調になってしまった。
ひとり暮らしになって実家の会社の電話を受けなくなって、学校の先輩なんかに「ぐりの電話の喋り方はおかしい」なんて指摘されて、意識して直すようにはしてみたんだけど、社会人になったら速攻で元通り。仕事上ではそれでも問題ないですけどね。
けどやっぱし、「ぐりさんて電話と日常会話でキャラが別人」とはいわれがちです。
害はないんだし、別にえーやんかー、とは思いますけれど。


都内某所の廃屋。明らかに廃屋なんだけど明かりが点いてた。

アラフォー修行

2009年06月18日 | diary
最近更新サボりすぎですねー。今月5回しか更新してない。やばし。
仕事はそんなに忙しくないです。まだ。残業も遅くて9時くらいまで。少なくとも今週までは。来週以降はちょっとわからないけど。
それで早く家に帰ってきて、さあ更新しようと思ってもなぜかうまく頭がはたらかなくて、何を書けばいーのか??とヘンに迷ってしまう。
まだ新しい職場環境に慣れてないからなのかなー?疲れるほどのことは何もしてないのに、頭だけ疲れてるみたいな。
確かに頭は疲れる。会議やらなんやらで作業に集中できないのも疲れる。早く慣れたい。

職場環境といえば。
ぐりは一般社員として入社したのですが。なぜか最初から部下がいて。部下の教育も業務のひとつになっている。
この部下とゆーのが何人かいて、それをまとめてぐりよりも前から指導・教育してるスタッフがふたりもいる。そのふたりで手に負えず、ぐりにもやれとゆー。
そりゃやりにくいですよ。新参者がいきなり管理とか指導とかしてもえーもんなのー?できんのそんなのー?だいたい、ふたりがかりでダメなもんを3人にしたってダメじゃないのかい?
しかし入社したばっかりなのでそこは黙っとくしかない。それにぐりの仕事はそれだけではないので、いずれイヤでもそれどころじゃなくなる。そのうち忘れてくれないかなあ。

あと新しい職場には先輩がいっぱいおられまして。
映像業界とゆーのは全体に若い人が多い。体力的にキツいとゆーのもあると思うけど、現場なんか行ったらぶっちゃけぐりは最年長クラスである。同年輩=アラフォーの同業者、それも女性なんつったらまだまだ少数派です。
新しい職場も女性は少なめだけど、男性スタッフにはぐりよりも年上の人がかなり多い。最年長は70歳代か。60代の人も何人かいる。この業界にしては珍しい会社です。
まあそこまで年配の方は例外としても、コアな層は40~50代くらい。先輩です。ここしばらくそういう環境で仕事してなかったので新鮮だし、聞けば何でも教えてくれる方々が身近におられるとゆーのはやっぱし気楽なもんです。今までは教えるばっかりだったからね。

なんていってられるのも今のうちである。
ぐりは映像業界歴10+α年だけど、映像の学校を出たわけでもないし、きちんとした研修を受けたこともほとんどないし、特定の師匠についたりした経験も一度もない。つまり、今現在身についている知識・技術は全部、見よう見まね、野生の勘で覚えたものばかり。かなり適当で偏ってるし、たぶん間違ってることも多い。これまではそれでもどーにか強引にやってこれたけど、何年やっても自分では何も知らない、わからない、という気持ちは強かった。本を読んで勉強しようにも基礎がないから専門用語さえよくわかってなくて、書いてあること自体が理解できない。逆に他人に聞かれても教え方がわからなかったりもする。
これからは身近に教えてくれる先輩がたくさんいるから、いっぱい聞きまくって勉強できると思うと嬉しい。たぶん「え?こんなことも知らないの?」ってビックリされまくると思うんだけど。
それも修行さ。頑張ろう。


先月の記事の市場の内部。