ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

観光都市 京都

2008-07-12 | Weblog
 南浦さんの京都新聞連載第一回が、9日夕刊に掲載されました。シリーズ「現代のことば」、掲載タイトルは「観光都市 京都」。転載させていただきます。

 観光客の視線が、いつも気になる。先日も眼が合った旅の女性に、声をかけられた。「下鴨神社はどこですか?」。お会いした地点は糾の森のすぐ近くだし、手には観光マップも持っておられる。唖然としたが、出町の賀茂大橋まで案内してしまった。
 また外国人にも道を聞かれることが多い。英語で「シティホールは?」と質問され、答えに窮した。「市民会館かしら」などと考えあぐねていると、英文地図に指さされた地点は市役所である。帰宅後に辞典で確認したが、この日ばかりは恥ずかしかった。
 焼き鳥屋で会った観光客は、自家用車で東京から来られた男連中であった。彼らがいうに、カーナビが道案内をしてくれる。迷うこともないが「河原町って、どこにあるのですか」。河原町という名の町があると思っておられる。高島屋辺りのことと思い込んでいるのだろう。
 京都の街は道路が格子状、碁盤の目なのでわかりよいという。しかしそれは、通り名を知っている地元住人にのみ通用する理屈であろう。♪姉さん六角、蛸錦・・・…。わらべ唄で通り名をそらんじているから、わかりよいのである。東入ル西入ル、上ル下ルなどの京都ルールも、他所から来られた方はまずご存じない。
 かつて江戸時代、世のなかの平和と生活の安定向上とともに、寺社参拝の旅に出る庶民が急増したそうだ。伊勢や京などへ、たくさんの旅人が押し寄せて来た。当時、自動車も電車もなく、みな歩いた。旅人は辻に立つ道標、道のしるべ石を頼りに遠地を訪れた。石柱は物いわぬ道案内のガイドであった。京都の市中と郊外には、数え切れないほどの道標石が、いまも道端に残っている。
 なかでも最も古い京の道標が、三条白川の橋のたもとに立っている。現代語に直すと「これより左、知恩院、祇園、清水道」。また石柱の南面には「京都為無案内旅人立之 延宝六年三月吉日」。西暦一六七八年に、京都に無案内な旅人のため、これを立てたと彫られている。建立者の名はない。
 八坂の塔のすぐ西には、清水、祇園、東西大谷、知恩院、方広寺大仏、両本願寺の方向標示とともに、「石は声で答えてはくれぬが、刻まれた文字で道行く旅人の標、しおりとなれ」という意味の歌が彫られている。この道標にも、施主の名はない。いずれも篤志家の喜捨積善積徳であろう。
 しかし現代では、道標のほとんどが本来の役割を失っている。大きな顔をしているのは、車道の上に掲示された青と白色の全国統一デザイン板、没個性の道路標識ばかりである。
 京は観光客にとって、地理のわかりやすい街では決してない。彼らのために、標識や解説案内板、地図イラストなりを、もっともっと並べ立てることも、有益であろうと思う。当然だが、上品で実用的、かつ風雨に耐える材質を選ばねばならぬ。
 もちろん、困っていそうな方に声をかけ、お役に立つことが大切であろう。思い出に残る一期一会、こころが響く旅、いい旅にはいつも、ひとの温もりがあるようだ。

<片瀬の寸評>
 予想通り、なかなか味わい深い文章を書かれましたね。ここで寸評をふたつほど。
 まず文体ですが、「だ・である体」よりも、「です・ます体」の方がよかったのではないかと思います。
 失礼ですが、南浦さんはほとんど無名。知るひとぞ知るですが、この欄に登場する学者や文化人、またその方たちの肩書きと比べて、読者は「ナンポ?」てなもんでしょう。
 謙虚に写るのが「です・ます体」です。特に今回は連載初登場です。いつも強引な直球で、変化球を知らぬ南浦さんの文章は大好きなのですが、ポーズであってもソフトを装うことも、技術のひとつではないでしょうか。
 それから文章の「構造」をみますと、<サン、ニイ、イチ……発射!>という、ロケットの秒読みに似ていますね。
 まず旅人三人の三様。地図を持っているのに道のわからぬ女性、恥ずかしさが浮かぶ外国人との対話、焼き鳥屋で出会った男性。昔話も<三>を大切にしますが、この出だしもきっと<三>を意識されたのでしょうね。
 そして<二>。江戸時代からの道標二例で、施主「無名」を強調する。そして<一>は、現代の標識への提言。最後に一期一会とこころの響き、ひとの温もりといった「こころ」ひとつーすなわち透明な<ゼロ>宇宙の爆発で、文を了える。
 この構造は、<3・2・1・0>と、鋭角に突き進む三角錐に似たストラクチャを意識されたのでしょう。わずか1200字ほどの短文に秘められたこの工夫…。わたしの考えすぎでしょうか。
 いずれにしろ、ブログとは異なり、多数の読者が支持するコラムです。彼らはどう読むでしょうか。次回作が、いまから楽しみです。

<2008年7月12日 過去現在未来のことば>
コメント    この記事についてブログを書く
« 若冲天井画 №3 番外編<若... | トップ | 十姉妹 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事