「名犬ラッシ―」を覚えておられる方は多いと思います。原作小説は1940年、イギリス人作家のエリック・ナイトが書いたものです。父親の失業のため売り飛ばされたラッシーは、1600キロほどの道のりを歩いて元の飼い主、ジョー少年のもとに帰ってきます。まるで宇宙のハヤブサの犬版のようですね。なおハヤブサのことはこのブログで「宇宙の虎の子」と題して記したことがあります。虎の子はハヤブサの幼名です。
この小説は「家路」や「名犬ラッシ―」と題して映画化されました。またアメリカ製テレビドラマは延々17年間も続く、大人気シリーズになりました。
ドラマの影響で、日本人の子どもたちはコリーにあこがれました。しかし純血コリーなど高嶺の花。テレビをみながら子どもたちは、わが家の駄犬とラッシ―を見比べたものです。愛犬にいとおしさを感じながらも、賢さに天地ほどの差のある名犬にほれぼれしました。
なおジャーマン・シェパードもあこがれの的でしたが、TVドラマ「名犬リンチンチン」の影響です。子どもたちはすぐに動物に感情移入するようです。
「名犬ラッシ―」は、70年ほど前にナイトが書いたフィクションですが、ヒントになった実話があります。1924年のこと、アメリカで3300キロもの距離を半月がかりで歩いて家まで帰ったコリー犬「ボビー」が出現しました。自動車旅行の途中で、飼い主と離れ離れになった後、大陸の3分の2を歩いて帰ったのです。犬の帰家本能はよく知られていますが、これだけの距離は記録にありません。愛犬ココはまだ帰って来ませんが、第2のボビーになることでしょう、きっと。
ボビーは一躍、アメリカの大スターになりました。彼をモデルに小説『名犬ラッシ―』が誕生し、MGM映画「帰郷――ラッシ―故郷に帰る」が大ヒットすることになります。そして世界中の子どもたちを釘づけにしたテレビ映画「名犬ラッシ―」へとつながって行きました。映画「帰郷」にはエリザベス・テーラーが子役で出演しています。
この映画とテレビで、コリーは最も頭のいい犬という評価を世界的に得ました。しかし広大な土地で犬を飼えるアメリカと違って、日本では大型で毛の長い牧羊犬のコリーは飼育が困難です。コリーに姿はよく似ていますが、小型のシェルティが代用犬としてブームになりました。残念ながら、最近はあまり見かけませんが。
ハスキーもそうですが、日本の風土にはなじみにくい犬種があります。放し飼いの可能な田舎は別ですけれど、まず運動量が不足します。シベリアン・ハスキーが一時ブームになったきっかけは、佐々木倫子作のマンガ『動物のお医者さん』(白泉社)、そしてきたやま・ようこ作『ゆうたくんちのいばりいぬ』あかね書房。コリー同様、本や映画、テレビから大流行犬が誕生します。チワワはTVコマーシャルからでした。
本来ハスキーはシベリアでソリをひく作業犬です。かつてある週刊誌で「ハスキーは馬鹿だ」と書かれ、愛好家のひんしゅくを買ったことがあります。集団行動をとるハスキーにはリーダー、飼い家では家長の強い統率力が不可欠です。また広大な雪の原野を走りぬくように改良された犬種です。現地ではオオカミと交配して、能力の維持向上に努めているくらいです。生半可なペット好きが飼える犬ではない。近ごろ、見かけることも少なくなってしまいました。残念です。
さて日本初の純血種のペット犬は、小型の狆(ちん)です。天平4年(732)、大仏建立で有名な聖武天皇に新羅(しらぎ)からこの犬が献上されました。室町時代には将軍足利義満も愛好した高貴な犬です。江戸時代の大奥では女性たちにもてはやされ、犬公方の徳川綱吉は狆の病気を治した町医者の林宗久に禄を与えています。幕末に来日したドイツ人医師シーボルトの記録では、豪商の妾宅で飼われています。明治時代も上流階級の婦人たちがお気に入りの「箱入り犬」でした。
血統書のついた名犬は、戦後の高度経済成長期まで、ごく一部の富裕層のみが飼いました。庶民は自分たちが生きて行くので精一杯。せいぜい雑種の放し飼いか玄関番犬が関の山でした。しかしその後、大型犬のラブラドールやゴールデンレトリーバーが流行り、そして最近では小型犬が主流になったようです。わが家も同様、トイプードルでした。小型の室内犬は、マンションなどの集合住宅でも飼育が黙認されることが多いからでしょうか。
ところで狆はスパニエル(ペキニーズ)とよばれる本来スペインの犬が、日本で定着したものです。シルクロードをこえて来たこの犬は、中国歴代皇帝の宮廷以外で飼うことが禁じられていました。門外不出の貴種だったのです。この貴重な犬は中国皇帝から外国の王にプレゼントとして、外交の道具として利用されたのです。新羅に贈られたペキニーズの子孫が、奈良時代に聖武天皇に戦略的意図も込めて贈られたのです。
たかが犬などと軽くはいえません。宮廷では犬を虐待しようものなら、おそらく死刑でしょう。
○犬好きにおすすめの本 沼田陽一著『イヌはなぜ飼い主に似てしまうのか』1994年 PHP研究所
<2011年10月12日 南浦邦仁>
この小説は「家路」や「名犬ラッシ―」と題して映画化されました。またアメリカ製テレビドラマは延々17年間も続く、大人気シリーズになりました。
ドラマの影響で、日本人の子どもたちはコリーにあこがれました。しかし純血コリーなど高嶺の花。テレビをみながら子どもたちは、わが家の駄犬とラッシ―を見比べたものです。愛犬にいとおしさを感じながらも、賢さに天地ほどの差のある名犬にほれぼれしました。
なおジャーマン・シェパードもあこがれの的でしたが、TVドラマ「名犬リンチンチン」の影響です。子どもたちはすぐに動物に感情移入するようです。
「名犬ラッシ―」は、70年ほど前にナイトが書いたフィクションですが、ヒントになった実話があります。1924年のこと、アメリカで3300キロもの距離を半月がかりで歩いて家まで帰ったコリー犬「ボビー」が出現しました。自動車旅行の途中で、飼い主と離れ離れになった後、大陸の3分の2を歩いて帰ったのです。犬の帰家本能はよく知られていますが、これだけの距離は記録にありません。愛犬ココはまだ帰って来ませんが、第2のボビーになることでしょう、きっと。
ボビーは一躍、アメリカの大スターになりました。彼をモデルに小説『名犬ラッシ―』が誕生し、MGM映画「帰郷――ラッシ―故郷に帰る」が大ヒットすることになります。そして世界中の子どもたちを釘づけにしたテレビ映画「名犬ラッシ―」へとつながって行きました。映画「帰郷」にはエリザベス・テーラーが子役で出演しています。
この映画とテレビで、コリーは最も頭のいい犬という評価を世界的に得ました。しかし広大な土地で犬を飼えるアメリカと違って、日本では大型で毛の長い牧羊犬のコリーは飼育が困難です。コリーに姿はよく似ていますが、小型のシェルティが代用犬としてブームになりました。残念ながら、最近はあまり見かけませんが。
ハスキーもそうですが、日本の風土にはなじみにくい犬種があります。放し飼いの可能な田舎は別ですけれど、まず運動量が不足します。シベリアン・ハスキーが一時ブームになったきっかけは、佐々木倫子作のマンガ『動物のお医者さん』(白泉社)、そしてきたやま・ようこ作『ゆうたくんちのいばりいぬ』あかね書房。コリー同様、本や映画、テレビから大流行犬が誕生します。チワワはTVコマーシャルからでした。
本来ハスキーはシベリアでソリをひく作業犬です。かつてある週刊誌で「ハスキーは馬鹿だ」と書かれ、愛好家のひんしゅくを買ったことがあります。集団行動をとるハスキーにはリーダー、飼い家では家長の強い統率力が不可欠です。また広大な雪の原野を走りぬくように改良された犬種です。現地ではオオカミと交配して、能力の維持向上に努めているくらいです。生半可なペット好きが飼える犬ではない。近ごろ、見かけることも少なくなってしまいました。残念です。
さて日本初の純血種のペット犬は、小型の狆(ちん)です。天平4年(732)、大仏建立で有名な聖武天皇に新羅(しらぎ)からこの犬が献上されました。室町時代には将軍足利義満も愛好した高貴な犬です。江戸時代の大奥では女性たちにもてはやされ、犬公方の徳川綱吉は狆の病気を治した町医者の林宗久に禄を与えています。幕末に来日したドイツ人医師シーボルトの記録では、豪商の妾宅で飼われています。明治時代も上流階級の婦人たちがお気に入りの「箱入り犬」でした。
血統書のついた名犬は、戦後の高度経済成長期まで、ごく一部の富裕層のみが飼いました。庶民は自分たちが生きて行くので精一杯。せいぜい雑種の放し飼いか玄関番犬が関の山でした。しかしその後、大型犬のラブラドールやゴールデンレトリーバーが流行り、そして最近では小型犬が主流になったようです。わが家も同様、トイプードルでした。小型の室内犬は、マンションなどの集合住宅でも飼育が黙認されることが多いからでしょうか。
ところで狆はスパニエル(ペキニーズ)とよばれる本来スペインの犬が、日本で定着したものです。シルクロードをこえて来たこの犬は、中国歴代皇帝の宮廷以外で飼うことが禁じられていました。門外不出の貴種だったのです。この貴重な犬は中国皇帝から外国の王にプレゼントとして、外交の道具として利用されたのです。新羅に贈られたペキニーズの子孫が、奈良時代に聖武天皇に戦略的意図も込めて贈られたのです。
たかが犬などと軽くはいえません。宮廷では犬を虐待しようものなら、おそらく死刑でしょう。
○犬好きにおすすめの本 沼田陽一著『イヌはなぜ飼い主に似てしまうのか』1994年 PHP研究所
<2011年10月12日 南浦邦仁>
以前からROM専門ですが、ときどき拝読していました。
ご本名の方は京都新聞のコラムなどで拝見していましたが、私も「現代のことば」は3年目になり、鶴見俊輔さんや養老孟さん、コワ~イ顔の浜矩子女史などに囲まれて、揉まれておりますw
また、時々遊びに来させてくださいね
ありがとうございます。
「現代の言葉」3年目!!
どなたでしょう?
大家、おおやでなくタイカですねえ。
ところで近々、遊びの集いを京都で、始めることにしました。
このブログでもその内に紹介しようと思っております。
ぜひお越しください。
「論場」RONBAと名付けました。
片瀬さまは、たしかジュンク堂のエライ方でしたよね? 拙書もよく売ってくださった
ジュンク堂も丸善といっしょになり、大日本印刷の傘下になってしまった。いくら本が売れないといっても、こういう動きは門外漢にはよくわかりません。
「現代のことば」も半数以上が大学の先生なので、毛色の変わったのも一人くらい入れておけ、ということなのでしょうw 新聞や雑誌の連載は以前から持っていましたので、担当の記者さんが読んでくれていたようです。
まあ、節操もなく書き散らかしているだけなんですが・・・
ずいぶん前に、禅寺の和尚さんとか、ゼネコンの名幹事さんとか、いっしょにお会いしたのでは?
あるいは木屋町のポリネシアンバー?でしたか。
歳とともに記憶がパステル調になっていきます。
そうです。わたしは長年、本屋でした。
といいますのは来月、退職しフリーターのプー太郎になります。
これからは、ゆっくりあれこれ遊びますので、なにとぞお付き合いのほどよろしく。
いやはや還暦ともなると、お互いに物忘れが激しくなるようですなw「老人力」がついたのかしら・・・
考えてみれば、この国の頼りない宰相が50代ですから、体力を考えるともういいかと思う反面、もっと頑張らねばいかんとも思うわけです。
孫の手を引いて散歩するのを、楽しみとしている今日この頃です。
マッカーサーのことをあれこれ読んでいまして、
彼がいつも壁に額をかけていた詩を知りました。
青春とは真の青春とは
若き肉体のなかにあるのではなく
若き精神のなかにこそある・・・
歳を重ねただけで人は老いない
夢を失ったときはじめて老いる・・・
出典はサムエル・ウルマンの詩<Youth>「青春」です。
この詩について、マッカーサーと記念館の改変について、いつか書こうかと思っています。
もしご連絡があれば、メールでもご利用ください。
km09071123365@gmail.com 南浦