ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

五輪と銀輪

2008-05-09 | Weblog
 中国の北京に、六年前にはじめて行った。そのころすでに、オリンピックの準備で街には熱気がみなぎっていた。都市計画は、オリンピックを照準に着々と進んでいた。昔ながらの街並みは取り払われ、世界の大都会にふさわしい最新の都会に変身するという。インフラもどんどん構築されていた。
 かつて昭和39年(1964)東京オリンピックのときも、新幹線や高速道路がつくられた。東京の街も大変身してしまった。そして、翌年は不況であった。
 北京五輪は政治問題が大きくからまり、混沌としているようだが「平和の祭典」とは何だろう。経済と政治がつねにオリンピックを利用する。そのような構図は、残念だ。
 話しがまた硬くなってしまったが、北京にはじめて訪れたとき、名物の五輪ならぬ銀輪、すなわち自転車の大洪水をみるのが楽しみだった。天安門広場の大通りがいちばんの銀輪名所と期待したが、しかしそれほどでもなかった。
 広場に行き着いた時間が通勤帯よりすこし遅かったためか、予想に反して自転車の氾濫はみられなかった。

 日本を代表する銀輪都市は、おそらく京都であろう。京大など大世帯の大学に行くと驚くが、駐輪場や広い庭には自転車の列は絨緞のようである。よくぞこれだけ、と感心してしまう。
 京都盆地は三方を山に囲まれているが、そのなかはほぼ平らな地である。北から南へ、ゆるやかな傾斜こそあるが、洛中を移動するには、銀輪がいちばんであろう。ガソリンもいらずエコノミーでエコロジー。駐禁の心配も、ゼロではないがすくない。
 神戸のように山が海に迫る傾斜の急な地では、自転車は普及しない。海を見おろす山の手に子どものころに住んでいた知人など、危険だとの理由で自転車を親に買ってもらえず、いまだに乗ることができない。
 京の歩道は銀輪天国である。歩くわたしたちを、彼らはかなりのスピードで追い越していく。まるでアクロバットのように、右左曲折しながら猛スピードで追い抜く。危険きわまりない。
 先日など、市バスから降り三歩踏み出し、右に向いたら、大学生らしき女性の操る自転車が、わたしに向かってハイスピードで突っ込んできた。瞬間わたしは、両腕を伸ばし相手のハンドルを全力で握り押しとどめた。彼女の前輪は、なんとわたしの股間でとまっている。わたしの運動神経がもうすこし鈍ければ、また彼女のブレーキ操作がすこし遅れていたら、見ず知らずの男女ふたりは、間違いなく正面衝突していた。彼女の顔か鼻は、わたしの胸倉に激突していたであろう。また前輪はわたしの急所を直撃し、たぶん両玉は重症を負ったはずである。そして体は後方に吹き跳んだでいたであろう。
 いま思い出してもぞっとするが、その女性はひとことの詫びもなく、わたしを睨みつけるばかりであった。一体どちらが悪いのか。両者の眼には火花が散ったのだが、わたしは一瞬、身をひき下半身に眼をやった。その隙に、彼女は逃亡した。追いかけるのも大人気ない。わたしはこらえて沈黙したが、京の住人のあまりの酷情に、ため息をついてしまった。
 そして数日後、知人が自転車に撥ね飛ばされた。ご高齢だが、かつてスポーツで鍛えたなかなかの偉丈夫である。横断歩道の信号が青にかわり、一歩踏み出したところへ、全速力の銀輪が激突した。体は三メートルほども飛んだそうだ。軽い打撲傷ですんだのが不幸中の幸いであった。
 京はおそろしい。くれぐれも銀輪にはご注意あれ。また五輪の安楽を祈る今日このごろ。
<2008年5月9日 輪を大切に>
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