ふろむ京都・播州山麓

京都の西山&播州山麓から、気ままな雑話をお送りします。長期間お休みしていましたが、復活近しか?

捨て鳥

2008-05-04 | Weblog
 捨て子の風習というものが、かつてあった。冷酷にも本当にわが子を捨ててしまうひとも時にはあるが、たいていが捨てるふりをするのである。
 「七歳までは神のうち」と昔から信じられていた。数え七歳になるまでは、子どもは人間としての人格を持たぬものとされていた。七五三の宮詣ではその名残であろう。

 ♪ 通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神さまの細道じゃ ちょっと通してくだしゃんせ ご用のないもの通しゃせぬ この子の七つのお祝いに お札をおさめにまいります 行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも通りゃんせ 通りゃんせ

 童謡「とおりゃんせ」は、実は怖い唄である。七歳にいままさになろうとするとき、子どもが無事に神の域から人間界に達することができるかどうか。それとも細道を踏み外して、彼岸すなわちあの世、神界にもどってしまうか。生死をかけた、彼岸此岸の境界の唄であるようだ。
 いずれにしろ、子を捨てるふりをして、夫婦が大切な赤児を橋なり辻にそっと置く。それを事前に打ち合わせておいた親戚なり、近所の信頼できる爺やに拾ってもらう。この行為によって、児は一度あの世に戻り、ふたたび現世に戻る。そして人間界で、丈夫に育つと信じられていた。「おすて」「捨て丸」「捨て松」などの幼名は、ここから来ているという。かつてわざとする捨て子の風習が、ほんの明治大正のころまで、あったのである。
 わたしの下の妹は、本気で橋の下で拾われてきたと信じていた。幼い彼女は泣きながらわたしに詰問したことがある。おそらく妹は古い風習の名残をどこかで聞きかじり、何かの話題から「捨て子」という親の愛情のことばを深く知ることなく、誤解してしまったのであろう。

 本日の片瀬五郎は、早朝に覚醒してしまった。ためかずいぶん真面目になっている。昨晩、寝るのが早すぎた。おかげで早朝四時前に眼が覚めてしまい、このような寝言を書いている。
 きっかけは、きのうの昼間に幼い鳥を一羽、拾ったからである。外出しようとして玄関を出たところ、軒下に子鳥が一羽、落ちていた。十姉妹である。ジュウシマツであって十人姉妹やお粗松などではないが。
 どこかの鳥籠から逃げたのかなと最初は思ったのだが、おそらく捨てられたのであろう。まだ飛ぶ力の弱い幼い鳥である。
 近ごろ鳥インフルエンザの話題がぶり返している。十和田湖の白鳥から強烈なウイルスが見つかったらしい。テレビでアナウンサーがいっていた。「弱った鳥を見つけても決して手を触れないように」
 わたしは触れるどころか「まあ、可愛い」と、早速にホームセンターでいちばん安い鳥カゴを買ってきた。
 「一羽だけではさみしいでしょう」と、ペットショップでヒナをもう一羽、買い求めてしまった。ジュウシマツのような安価な鳥は売っておらず、これでいいかと白文鳥の赤ちゃんにした。この赤児は実にヒトなつこい。口を大きく開けて、ピョンピョンとわたし目指して跳びはねて来る。実に可愛い。
 ところでペットショップの店員が、根掘り葉掘り質問した。幼鳥を拾ったいきさつ、鳥の健康状態……。「ベランダで飼わないほうがいいですよ。イタチが来たり、ほかの野鳥からのインフルエンザ感染も心配ですし」
 店内を見渡しても、犬猫やハムスター、そして熱帯魚などは数多い。ところが飼鳥は少ない。やはりいまどき、鳥を買ったり、また拾うような変人は減ってしまったのであろうか。
 カゴの鳥はこの早朝からもう鳴きだした。そろそろ、相手をしてやらねば。
<2008年5月4日 朝四時過ぎの寝言>
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