ふろむ播州山麓

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宝島社、マッカーサー写真の謎 5

2011-10-24 | Weblog
 マッカーサーが座右の銘として額に入れ、どこに任地が移ろうが常に持ち歩いた詩がある。デスクに置いたり、また執務室の壁にもかけた。タイトル邦訳「老いについてーマッカーサーの座右の銘―」、袖井林二郎訳を紹介します。
 <人はただ年を重ねるだけで老いていくのではない。人は理想を捨てたとき老いるのだ。歳月は肌にしわを生むが、関心を失うと魂にしわがよる。苦悩、疑惑、自己不信、恐怖、絶望……こうしたものが長い年月のように人に頭を垂れさせ、伸びる魂を塵に変えるのだ。
 何歳になろうと、生きとし生けるもののすべての心には、好奇心への愛と、出来事に対するたゆまぬ挑戦と、「次は何か」と、喜びと人生のゲームとを求めてやまぬ子供のような欲望がひそんでいる。
 信念はその人の若さであり、疑惑は老いである。自信は若さであり、恐怖は老いである。希望は若さであり、絶望は老いである。人の心の只中には録音室があり、それが美と希望と喜びと勇気のメッセージを受信できる限り、人は若いのだ。アンテナが垂れ下がり、心が悲観主義の雪と皮肉の氷におおわれる、そのとき、はじめて、人は老いるのである。>

 マッカーサー記念館で「ゴールデン・エイジ」と題をつけ、マッカーサー自身の言葉として頒布している。袖井氏は記念館で手に入れたものを邦訳された。
 この文は、サムエル・ウルマン(1840~1924)の詩「Youth」“青春”からとっている。決してマッカーサー自身の言葉などではない。また題はユースであって、ゴールデン・エイジではない。

 詩「Youth」は1918年、ウルマン78歳のときに書かれた。この詩とウルマンのことは彼の死後、ほとんど忘れ去られていた。新井満氏は「消えかかっていたウルマンに再び光を当てたのは、意外な人物であった。マッカーサー将軍である」
 彼は詩「Youth」を日米開戦の年に、ジョン・W・ルイスから贈られた。それを気に入ったマッカーサーは額に入れ、デスクの上にいつも置いていた。1945年の終戦の少し前、従軍記者のフレデリック・パーマー大佐がマニラの米国極東軍総司令部を訪ねたとき、マックのデスクには3個の額が置かれていた。ひとつはワシントン大統領のポートレイト、もうひとつはリンカーン大統領のポートレイト。そして三つ目が詩「Youth」であった。
 ところでルイスがマッカーサーに贈った詩「Youth」は、ウルマンの原詩であったのか、あるいはルイスかだれかが改作した詩であったのか。不明である。しかしその後、マッカーサーと記念館などが書きかえたであろうとは思うが。
 英語版「リーダーズ・ダイジェスト」がパーマーの見たエピソードを伝えた。1945年12月号である。そしてマッカーサー愛読の詩「Youth」全文を紹介した。東京のGHQでも、マックは部屋の壁に額を掲げ、日々愛誦していたという。

 「リーダーズ・ダイジェスト」をみた羊毛業界の重鎮、岡田義夫が掲載詩を翻訳し、デスクの前の壁に貼っていた。それを友人の森平三郎が気に入り、おそらく1946年に写しとった。そして郷里の桐生の新聞で詩を紹介したところ、大反響をよび日本国中にひろまった。1958年のことである。詩を写してから12年もたっていた。なお森は山形大学学長で羽仁五郎の実弟である。
 岡田義夫訳「青春」は、特に財界人から絶賛された。電力王の松永安左エ門、松下幸之助、伊藤忠兵衛、石田達郎(フジサンケイ)、石田退三(トヨタ)など。
 1985年には「青春の会」が発足した。中心メンバーは旧制静岡高校の同窓生で、中曽根康弘、野間省一(講談社)、小山五郎(三井銀行)、持田信夫(持田製薬)、古屋徳兵衛(松屋)、宮澤次郎(トッパン・ムーア)などである。

 詩「青春」新訳を2005年に出版された新井満氏はつぎのように記している。
 「私はあることに気がついた。それはウルマンが書いた『Youth』とマッカーサーが愛誦した『Youth』とは、似て非なるものであったということである。これには驚いた。心底から驚いた。」
 改変、それは作家がもっとも嫌う。「ところが不幸なことにそれが、ウルマンの詩に起こってしまった。おそらく長い年月の間に『Youth』は、多くの人々によって手が加えられたのであろう。その人々による改変が、悪意ではなく善意から行われたと信じたい。『Youth』を読んで心を打たれた人々が、この詩をもっと感動的なものにしたいという思いから、次々に改変を重ねたのであろう。」
 「それにしても『Youth』とは、なんと運命的な詩だろう。改変されたものが、よりによってマッカーサーの手に渡ってしまったのだから。その結果、二つの『Youth』が共存し流布することになった。/一つは、ウルマンのオリジナル版/もう一つは、マッカーサーの愛誦版」

 ウルマン版全文は新井満自由訳『青春とは』をご覧ください。英文原詩も載っています。岡田義夫訳「青春」とマッカーサー版英文はネットでみることができます。
 ところで厚木に降り立つマッカーサーの写真も、改変されています。なぜでしょうか?

○参考書
『マッカーサー 記録・戦後日本の原点』袖井林二郎共著 昭和57年 日本放送出版協会刊
『青春とは』新井満著 2005年 講談社
<2011年10月24日>
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