ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

電子書籍元年2010 №7 「我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す」後編

2010-08-03 | Weblog
 いつまでもずるずると続いている中西秀彦さんの著作『我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す』紹介ですが、今回で終了しようと思っています。おそらく本文を理解しきれていないから、いつまでもだらだら続くのでしょう。理解と表現の非力を、痛感します。

 最近、コンピュータという言葉はあまり使われなくなってしまいました。わたしもPCとは書きますが、コンピュータとは書かなくなってしまったようです。
 中西氏は「コンピュータはもはや社会のインフラとして当たり前の存在となった。そして最近、コンピュータはコンピュータの形をしていない。さまざまに形態を変えつつ、社会の隅々まで入り込んでいる。…そうした情報技術の総体を今はIT(インフォメーション・テクノロジー)という」
 電子書籍とか電子ブックなどと呼んでも、「コンピュータ書籍」などというひとはいない。コンピュータやインターネットはいまや、道路や電力・鉄道・上下水道・通信などと同じインフラになってしまったのであろう。

 ところで「ハイブリッド」。少し前まではアメリカ製の「種子」、そして自動車のプリウスやインサイトのことかと思っていた。最近では印刷業界でしきりに使われているらしい。
 ハイブリッド印刷とは「オンデマンド印刷(要求が有り次第の印刷。1冊でも可能)とオフセット印刷(高性能大量印刷)の組み合わせなのである。…出版時初版はオフセットで大量に刷り、再版以降をオンデマンドで細かく再版をくりかえす。…反応をみて大量印刷の要求があればオフセット。少量しかないならオンデマンドと使い分ける」
 オンデマンドはオフセットを代替するものではなく、共存するものと著者はいわれる。門外漢には分かりにくいのだが、どうもこれまで地位の低かったPOD(オンデマンド印刷)は、「コピー機でのプリント」から脱して、やっと技術的に認知された(コピーだが)印刷になったようである。

 「確かに、初期の頃のオンデマンド印刷機の品質は、お世辞にもオフセット印刷機と同等といえるような代物ではなかった。やはりコピーはコピーだったのだ。ところが、オフセットが人間の目の識別力以上の精密な網点密度で刷っても無駄という意味で限界にきている間、オンデマンド印刷機の品質はどんどんオフセットに迫ってきた。…オンデマンド印刷の特徴である短納期、少部数の場合の低コスト性が強烈に存在を主張する」。どうも印刷業界、出版業界のキーワードのひとつは、オンデマンドにあるようです。
 オンデマンド印刷とオフセット印刷は、単に「使い分けるもの。対立するものではない。ただそれだけのことなのだ。それだけのことに気がつくのに時間がかかりすぎたのかもしれない」
 DNPは、「ハイブリッド」を紙とデジタルの融合共存と説明しておられる。しかし印刷業界においては本来、ハイブリッドは、PODとオフセットの共存のことをいうらしい。

 中西氏は「まずはわれわれ印刷業界や書店・出版社、そして書籍雑誌の取次(問屋)が、生き延びねばならない。紙を前提として、印税も、出版社の編集も維持されている。これは一朝一夕ではかわらない。これを抜きにして、勝手に産業転換の御名のもとに本が滅ぼされたら、誰だって怒ります」
 そうです。書籍雑誌の現在の出版・流通体制は、社会の文化教養学術インフラです。阪神大震災の朝、取次のトラックはみな被災地の書店まで、六甲山を北や西から越え迂回して、運び込み届けたのです。インフラ代表の電話回線網は不通でした。しかし到着しても書店はどこも営業していない。倒壊している店もある。しかし運転手は非常時の裏道を知りぬいている。恐るべき、本雑誌を運ぶ運転手の使命感です。これぞプロです。インフラを担うとは、そこまでの覚悟と勇気が必要です。

 いま晩酌しながら書いていますので、いつもの通り、作文につい狂いが起きています…。しかしそれはさて置いて、特に文化インフラが大幅に転換進化するとき、冷静に社会への長期的損害利益を考慮しないと、経済利益や統治を追求する私企業や組織に、基盤を揺るがされかねない危険があります。
 定価販売の再販制なり委託制度、40%近くもある高い書籍雑誌の返品率。出版業界には問題が多々ありますが、日本の文化・学術・教養・娯楽を支えてきた書籍雑誌の文化インフラを、一朝一夜にして瓦解や、あるいはいびつに歪曲させては、後世に大きな問題を残すことにもなりかねません。アナログとIT出版の共存の道こそ、あるべき姿と考えます。

 まわりを見ても、携帯電話を持っているが、番号の短縮登録やメールを一切しない。そのような方はたくさんおられます。決して、高齢者ばかりとは限りません。わたしもデジタルカメラ映像をブログに取り込めない。リンク先を貼り付けできない。情けないですが、恥ずかしいことではないと、自分を慰めています。
 当たり前のこととしてPCやITのことなら、たいていのことが自由自在にできる、それは少数派のひとたちです。多数のひとはITの進化に、ますます追い付けなくなるでしょう。オールデジタル時代に近づけば、文化棄民がたくさん生まれるかもしれません。そうすると、社会にストレスが増すだけです。ITの進化は、幸せを産むだけではありません。
<2010年8月3日>
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