ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

万歳(まんざい)の歴史・番外前編

2009-08-31 | Weblog
「がまの油売り」前編

 萬歳・万才・漫才(まんざい)について書いた本をいくらか読んでいて、面白い記述に出会いました。三一書房『大衆芸能資料集成』第七巻「寄席芸萬歳・万才・漫才」です。この本に「萬歳の隣接芸」として、「物売り口上・がまの油売り」がありました。
 「がまの油売り」口上は、半世紀ほどの遠い昔に、神社の祭りの日にみた記憶がかすかにあります。もしかしたら白黒映画の痕跡かもしれませんが…。いずれにしろ、実になつかしい。わたしにとって、ほとんど透明に近い残影です。
 いくらか現代語に直し、転載してみます。原文は上記書をご覧ください。なお本文は長いので、今日と次回、二回に分けます。

「がまの油売り」口上前編
 サーサお立ち会い。ご用とお急ぎでない方は、ゆっくりとお聞きなさいませ。
 遠目山越し笠の内、物の黒白と利方[利益のある方法]がかわらぬ。山寺の鐘はコウコウと鳴るといえど、法師一人来り鐘に撞木を当てざれば、鐘が鳴るやら撞木が鳴るやらトント、その音色がわからぬが道理だ。だがしかしお立会い。手前持ち出したるこの棗(なつめ)の中に、一寸八分唐子(からこ)全舞の人形、日本にあまた細工人あるといえど、京都にては守随(しずい)、大坂表にては竹田縫之助、近江の大掾(だいじょう)藤原の朝臣(あそん)。
 手前持ち出したるは、竹田が津守(つのかみ)細工、咽喉(のど)には八枚の歯車を仕掛け、背中には十二枚の枢(くるる・からくり)を仕掛ける。棗を大道に据え置くときは、天の光と地の湿りを受け、陰陽合体いたし、棗の蓋(ふた)をパッと取るときには、ツカツカ進むが虎の小走り虎走り。後にさがるがスズメの駒どり駒返し。孔雀(くじゃく)霊鳥の舞い、人形の芸は十と二通りある。
 だがしかしお立ち会い、投げ銭や放り銭はおよしなさい。手前、大道にて未熟なる渡世はいたすといえども、はばかりながら天下の町人。投げ銭放り銭は、もらわない。しからば何をもって稼業とするやというに、手前年来稼業(なりわい)といたしまするは、コリャこの蟇仙草(ひきせんそう)、四六の「がまの油」だ。いまのお方のように、そういう蝦蟇(がま)は、おれの家の縁の下や流しの下にもいるというが、それはお玉蛙(かえる)、蟇蛙(ひきがえる)というて、薬力と効能の足しにはならぬ。
 手前持ち出したる四六のガマ。四六五六はどこでわかる? 前足の指が四本で後足の指が六本。このガマの住めるところは、これよりはるか北にあたる筑波山のふもとにおいて、車前草(おんばこ)といえる露草を喰らう。[続く]
<2009年8月31日 MIHO MUSEUM「若冲ワンダーランド展」はじまる 南浦邦仁>
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