ふろむ播州山麓

京都山麓から、ブログ名を播州山麓に変更しました。本文はほとんど更新もせず、タイトルだけをたびたび変えていますが……

万歳(まんざい)の歴史 №1

2009-08-13 | Weblog
万歳には「ばんざい」「ばんぜい」と「まんざい」、大きく別ければふたつの読みがあり、現代では意味も異なりますが、もとはどうも同じです。千春万春、千秋万歳。千年万年の繁栄、新年や長寿などを祝うことばです。めでたい時に「ばんざい」とみなで発声し、新年のはじめなど予祝芸能の「まんざい」が訪れ演じる。
 新年早々にかつて家々に来訪した千秋万歳(せんずまんざい)のことを、振り返ってみたいと思っています。

 おそらくこの予祝芸能の原点は、かなり古い。日本人は、いやわたしたちにとどまらず、世界中あちらこちらの古代のひとたちが、あたらしい年を祝ったに相違ありません。とくに冬という季節を痛切に感じる温帯以北の民は、冬の終わりを喜んだ。それはまず冬至(陽暦12月22日ころ)の兆しであり、暦のうえでは新年元旦(旧暦では西洋暦の1月下旬から2月上中下旬)。
 太陰暦旧暦の新年のはじめ、おそらく元旦未明、暗闇のなかを神が各家を訪れる。お盆には祖霊が戻ってくるのですが、そもそもは同じ信仰が正月にもあったようです。亡くなった魂は、どうも年に二度、里帰りのバケーシヨンを楽しんでいたようですが、いつのころからかお盆の一回のみになってしまいます。かわりに聖浄化した祖霊たちは「神」として、元旦に帰省をするようです。歳神、大歳神です。
 秋田県男鹿半島の「ナマハゲ」が、神の来臨を演じたものとして有名です。旧正月15日の夜、扮装した村の青年は3~5人ずつ組になって家々を訪れる。青年たちは蓑(みの)を着て、おそろしい鬼の面をかぶり、手に木の刃物を持ち、家々の戸外でウォーと奇声をあげる。怖い行事にみえますが、しかし注意してこの行事をみると、家の主人が羽織袴(はおりはかま)の正装でナマハゲを迎え、酒肴や餅などで丁重にもてなす。ナマハゲも神棚に礼拝し、祝福のことばをのべる。したがってナマハゲ本来の姿は、小正月の訪問者として、祝福神の性格をもったものと考えられます。
 石川県能登半島では正月6日夜、天狗の面をかぶり、すりこ木を手にした者が、家々を訪れて餅を集めて歩く。ナマハゲも能登の「アマゲハギ」もどちらも、年のあらたまった一夜、神が人間に祝福を与えるために来臨するという信仰にもとづきます。
 1月1日ではない日が、なぜ選ばれるかといえば、小正月15日は旧暦太陰暦では満月の日。古来元旦はこの満月祭の日であったのが、後に新月の1日に元旦が移ったために、本来の15日祭が古い時代だが、1日と15日に分散してしまった。その後、明治以降は太陽暦を採用したため、ふたつの旧暦の正月行事と、新しい新暦太陽暦の行事が複雑に混雑してしまったそうです。
 ナマハゲと本来は同じであったと考えられる正月行事は、全国に痕跡を残しています。東北地方各地では「カセドリ」とよぶが、九州南部でも同じく「カセドリ」という。村の青年たちが家々を訪れ、米銭をもらい歩く。正月14日から16日にかけて行なわれます。
 奄美群島では「トシノカミ」、八重山群島では「ニイルビト」、俗称アカマタ・クロマタ。
 いずれも、年のあらたまった一夜、神(本来は祖霊)が人間(子孫)に祝福を与えるために来臨するという、古来からの信仰にもとづく行事です。
 そして平安朝以降、この新年を祝う予祝の行事、祝福の来訪者が職業化した最たるものが、千秋万歳、「万歳」(まんざい)です。また担った主は、声聞師・唱門師・証文士(しょうもんし)などとよばれた陰陽師の流れをくむひとたちでした。しかし彼らは賤視されました。賤民とされたことは、大きな疑問であり問題です。
 ところで、本日もずいぶん知ったかぶりをしてしまいましたが、弘文堂『日本民俗事典』の盗用が大…。叱咤かブッタですが、ご容赦ください。いつか続編にチャレンジしましょう。
<2009年8月13日 南浦邦仁>

コメント
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