公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

競艇王チャレンジカップ回顧

2006-11-27 19:02:40 | 大レース回顧集

第9回競艇王チャレンジカップ優勝戦は26日、丸亀競艇場で行われた。

進入は人気を背負った地元のエース、1・三嶌誠司がインを死守。以下、3・平石和男、2・植木通彦がスロー域。カドには4・鳥飼眞、以下、6・辻栄蔵、5・中村有裕の順でダッシュ域となった。

スタートタイミングはインの三嶌が穂先一つ分リード。鳥飼が絞りに出るも植木に先に出られてしまう。1マークは三嶌が先マイ。後続は植木、鳥飼が膠着状態のところ、中村がズブリと差しのハンドル。しかし植木、鳥飼も応酬して2着争いは熾烈となった。

1周2マーク、先頭は三嶌。しかし中村がここでも内をズブリと差して2番手に完全に浮上。しかし3着だと賞金王決定戦出場が事実上なくなる植木は、2周1マークで再度アタック。しかし、中村が冷静に落として回って決着をつけた。

植木を退けた中村が懸命に三嶌を追うも、2艇身差ぐらいまでが精一杯。三嶌がデビュー15年にして待望のSG初優勝を果たした。

SG等の開会式においては、一番コメントが面白いといわれる三嶌。常に爆笑の渦を客に提供してきたショーマンであるが、実はデビュー3年未満にして94年の四国地区選手権を優勝するなど過去G1を4回も制覇していた実力者で、引退した安岐真人の後継者と目された。

しかしながら、SGでは過去、01年の常滑・全日本選手権の2着が最高の成績で、最近ではG1の優勝も遠ざかっていた。

待望の地元SG開催となった今回、三嶌はその期待に応えて予選をトップで通過。準優勝戦も菊地孝平に先にスタートタイミングを出られるも、しっかり先マイを決めて1着。そして願ってもないポールポジションの位置に立った優勝戦でも、落ち着いたハンドル捌きを見せた。

また、賞金王決定戦も初出場をほぼ決定。これまた、三嶌のような実力者が初出場というのも不思議な気がするが、かつては大器の逸材と目された三嶌が38歳にして初めて挑む「頂上決戦」においても活躍できることを祈る次第である。

中村はMB記念を制覇してからすっかりSG優勝戦では「常連」の走りを見せ、植木のアタックを何度も退けたばかりか、三嶌も最後まで追い詰めた。決定戦でも、優勝圏内にいることは今の時点では間違いないところであり、また、これからもSG制覇のチャンスはめぐってきそうだ。

植木は2着以内だったら決定戦出場が決まっていた。今回はセンターから勝負に出るも、鳥飼の絞りの抵抗に遭い、そこを中村にうまく差された。2マークでもまだ2番手浮上のチャンスがあったが、再び中村にうまく差されてここで事実上終わり。ついに決定戦の出場を逸してしまった。

ところで、今大会は非常に事故が多かった。

フライングが実に8件もあり、1レースにおけるダブルフライング、トリプルフライングといったレースもあった。また、妨害や不良航走といった、舟券がパーになるものも目立ち、6日間の売上げ総計は138.5億円と惨憺たるものに。

福岡の全日本選手権が149億余円とがっかりの結果に終わったというのに、またまた大ショックというしかない数字にとどまった。

そして果たして、賞金王シリーズもこうした悪い流れをひきずってしまうのか?思うに競艇のSGシリーズも、年間8回という多さも手伝い、そろそろ大きな見直しに迫られているようにも感じる。

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♪もう、終わりだね~♪

2006-11-27 13:50:53 | 競馬

 

スポニチアネックスより

ばんえい競馬廃止 決定的に

 約31億円の累積赤字を抱える北海道のばんえい競馬の存廃問題で、帯広市との共催案を検討していた岩見沢市の渡辺孝一市長は27日午前、市議会の各会派代表らに対し、共催案は受け入れず同市も運営から撤退すると報告した。残る帯広市も単独での開催には慎重で、ばんえい競馬の廃止が決定的となった。渡辺市長は午後に記者会見し正式に発表する。

 渡辺市長は「有識者や議会での議論を踏まえ(岩見沢市での)ばんえい競馬廃止を決断した」などと述べた。市議会代表らは決断を尊重する考えを伝えた。

 ばんえい競馬は旭川、帯広、北見、岩見沢の4市が運営していたが1998年度から赤字が続き累積赤字が問題化していた。ことし抜本的な運営見直しに着手したが旭川、北見両市が撤退を表明、存続に前向きな帯広市が岩見沢市に共催案を提案、2市開催で存続するか廃止するかの選択となっていた。本年度の開催は、帯広競馬場で来年3月末まで予定されている。
[ 2006年11月27日 11:12 速報記事 ]

 

北海道新聞より

ばんえい撤退、岩見沢が正式表明 会派代表に市長が伝達 帯広市も報告  2006/11/27 12:12

 【岩見沢】ばんえい競馬の存廃問題で、岩見沢市の渡辺孝一市長は二十七日午前、市議会の正副議長と各会派代表に対し「断腸の思いだが、歴史あるばんえい競馬の廃止を決断した」と報告した。帯広市の砂川敏文市長も二十六日、市議会会派幹部らに同様の意思を電話で伝えている。両市長は二十七日午後、それぞれ記者会見で「継続断念」を発表する。ばんえい競馬は今後、旭川、北見を含めた四市でつくる北海道市営競馬組合での正式決定を経て、本年度限りで廃止となる。

 渡辺市長は同日午前十時から市議会各派代表者会議で、議員協議会が開かれた二十四日以降の経過などを口頭で説明。時折、言葉を詰まらせながら、ばんえい競馬から撤退する決断を伝えた。市民による有識者会議と市議会議員協議会での議論や庁内検討会が出した結論を重くみたと、判断の経緯を説明したという。

 終了後、取材に応じた大和力市議会議長によると、議員から「ばんえい競馬を文化遺産として伝承することが必要」「検討の時間が短かった」などの意見が出された。市長は馬文化について「後世に伝える方法は考えていないが、組合清算業務の中で出てくる。しっかり対応したい」と答えたという。

 これに先立ち、同日早朝、北海道ばんえい競馬調騎会のメンバーが岩見沢市役所前で、登庁した渡辺市長に判断の再考や意思発表の延期などを求める「直談判」を行った。

 

事実上、ばんばは終わった・・・

しかしながら、ばんばの消滅はあまりにも唐突であった。

結局、どの市も「ババ」を引きたくないから、

「だったらまるごとやめてしまえ!」

となったという他ない。

ばんばは絵になる、ばんばは北海道の象徴である、と思っていたのは、少なくとも、北海道外の人間だけであり(北海道出身者も含む)、肝心の北海道民はそうは思っていなかった、ということなんだろうね。

もし、

「ばんばはバクチの終着点である」

「ばんばこそ、 公営ギャンブルの真髄である」

ということを前面に押し出してさえいればどうなったか?

それにしても、私もそう思ったけど、ばんばは北海道の象徴であるということにあまりにもこだわりすぎた。そうではなく、ただの「競馬」なんだ(ということはスポーツだということ)ということをもっともっと前面に押し出すべきだった。

考え方に誤りがあったというしかない。はっきりいって「大チョンボ」もいいところである。

 

もし、

「もう北海道ではダメだ。北海道以外で何とかばんばを救えないか。」

という考え方に早くから着手してさえいれば、一度見れば実に「面白い」競馬であるばんばは、それこそ、馬券も買いやすければ、また、穴も取りやすい。馬複と馬単しかないけど、取ったときの喜びもまた大きいものであった。

「ばんばウォーク」といって、馬と一緒に客も「動く」ということもばんばの特徴。馬も動けば人間も動く。まさに競馬では味わえない、「人馬一体」の姿がばんばの一番の特徴でもあった。

しかしながら、ばんばの馬は「速い」よ。特に第一障害を越えるときなんて、客のほうがまず「バテる」からね。

しかしながらその「ばんばウォーク」も、帯広開催ともなれば雪が積もる機会も増え、なかなかに困難を極めることになる。

私も2年前の帯広でやってやろうと思ったけど、さすがに「ダメ」だった。

色々とおもしろいんだけどなぁ、ばんば。でももう、「あの世」へと旅立ってしまいます・・・

 

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公営競技の経営のあり方

2006-11-27 06:56:23 | 公営競技論

テレビ東京の実況でおなじみ、フリーとなってからはむしろ、ばんばの宣伝隊長としての役割が多くなった、矢野吉彦氏がなかなか面白いことを言っている。とはいってもかなり厳しい提言だ。

http://banei.boxerblog.com/weblog/2006/11/1126_3cdf.html

さて、ばんえい競馬の存廃問題、この期に及んでは奇跡を祈るしかないんでしょうか。中津競馬が廃止になって以来、もう何年もたっているというのに、負の連鎖が断ち切れないのは、中途半端で付け焼き刃の法改正しかしていないからだと思います。文化としてのばんえい競馬を残すのであれば、草ばんばでもなんでもいいかもしれません。でも、ばんえい競馬は、いまだに1日6000万円から1億円の収入がある、れっきとした産業です。それが危機的状況に陥ったのなら、法改正も含めた、様々な振興策、改善策を検討し実行に移すべきであるはずです。廃止やむなしというなら、今、現実に存在する負の遺産を後世に残さないようにするために、これまでの負債を、地方市民の税負担をなるべく少なくしながら解消していくことも、あわせて考える必要があります。なにはともあれ、負の連鎖を断ち切らなければ、最終的には今は安泰に見える中央競馬も、衰退の一途をたどることになるでしょう。

 はっきり言えば、もう公営事業としての地方競馬を続けるのは無理。中央との統合、中央も含めた民営化、馬券発売だけに頼らない収入源の確保は絶対必要です。それにはリストラが避けられませんが、競馬産業の壊滅は防げると思います。負の連鎖を断ち切るための妙案になるかどうかはわかりませんが、議論してもらってもいい案は、私もいくらか持ち合わせています。

 日本競馬の大改革は緊急の課題。とにかく早く何とかしなければ。事は急を要します。

はっきりといえることは、これは競馬に限った話ではないこと。

競輪も競艇もオートレースも、少なくとも、やめたがっている施行者がごまんと存在する。

私は西宮と甲子園を潰されたときにこう思った。

「公営ギャンブルはもう、売上げだけに頼っていてはダメだ。」

「別に車券を一切買わずとも、ただ見ているだけで満足できるようなものにしていかねば、第二第三の西宮・甲子園は続出する」

「お互いが敵対関係にあるのではなく、共存共栄を図らねば共倒れするのがオチ」

だと。

幸い、競輪はいまだ西宮・甲子園以降、廃止された場は今のところない(ただ、危ないところはいくらでもある)。豊橋も土壇場で存続となったし、さらにいえば、西宮・甲子園ショックがある意味、競輪の従来の考え方を施行者レベルにおいては変えるきっかけにもなった。というのは、お互いが「助け合う」という考え方になっていったからだ。

しかし地方競馬はどうもそのあたりがチグハグというのか、いまだ一枚岩ではいかないところが問題。

そもそも、ホッカイドウ競馬とばんえい競馬って、同じ北海道にありながらほとんど接点がない。今回の一連の問題にしたって、ばんばは北海道主催でないことから知事など道の人間は全くノータッチ。

しかもホッカイドウ競馬はオッズパークには加わらずにSPAT4に加わり、いずれ消滅することが確実なD-net がなくなれば、完全に他の地方競馬と袂を分かつことになる。

中央と地方という、二本立ての運営方式ということ自体、世界的にみて特殊だというのに、地方内においても折り合いがつかない。はっきりいって、こんなことでは地方競馬は今後ますます衰退は免れず、当然のことながら、中央競馬にも飛び火することは必至である。

気がつけば孤立していた兵庫は、とうとうあり懇が設けられることに。あり懇なんて、要は「廃止検討委員会」である。

南関東とて、入場者は激減の一途を辿っており、かつてはナイターのイメージのよさを売りにしていたものの、今ではそれができなくなってきている。

そして中央競馬も、ディープショックやはたまた3連単の反動が響き、今秋のG1レースは毎回売上げは前年比2割ダウンといった様相。

それにしても、例えばイギリスやフランスといったところでは、著しく入場者は少ない。G1レースにしても、日本ダービーみたく、毎年10万人以上入るレース開催日などまずない。フランスに至っては、ガラガラのスタンドでG1レースが行われるのが常。

そして、馬券の売上げとて芳しくない。

フランスのPMUは宝くじのようなやり方(スクラッチ方式)で何とか馬券売上げ向上策を図りたいとしている。競馬事情からいえば、地方競馬の現状とほとんど変わりがない。

ただ、イギリスもフランスも、決して、既存の競馬場を潰そうとは考えていないということ。

アメリカは逆に競馬場は昔よく潰れた。潰れたけど、新たに建てられた競馬場も結構ある。オーストラリアは競馬がある意味国技みたいなもんだから、馬券云々とか言わなくとも、ただ見るだけの客で成り立っている様相が見られる。

日本も先日晴れて「競馬先進国」の仲間入りを果たした。しかし。

21世紀に入って、これだけ競馬場がボコボコと潰れているというのに、果たして、競馬先進国と胸を張って言ってられるものなのか?

その上、中央と地方の間には厳然なる壁がいまだ立ちはだかり、 各々が「勝手な」運営方針のもと競馬を開催している。

そんな中、ばんばのようなきわめて特殊な競馬については、他はもはや「売りようがない」とお手上げ状態だった。

ま、確かに最近ではばんばも各地で場外発売されるようにはなった。しかしばんばに対するバックボーンというものはなく、所詮は現地で見なければどうにもならないといったもの。

これが北海道だけでなく、全国に多少なりとも点在してさえいれば、ばんばが「生き残れる」術はあった。

ところでとりわけ地方競馬については、民間化がどうとか言われる。しかし・・・

競馬なんてものは、民間でそう簡単にやれるもんじゃないよ。せいぜい第三セクターが関の山ではないか。

もし民間化するとまず、少なくとも入場料を現在の10倍ぐらい取らないことには成り立っていかない。イギリスの場合、民間運営ではないものの、馬券発売はブックメーカーに牛耳られていることから委託手数料しか手に入れることができず、結果的にその分、入場料を上げる他なくなる。だから日本の競馬場の10倍ぐらいは入場料が高いそう。となると、とても日本ダービーのように10万人レベルでの入場者数など望めない。

ちなみに私はばんばについては、入場料を払って入ったのは岩見沢だけで、帯広も、北見も、ホテルにばんばの無料入場券があったからそれを利用した。しかし民間運営だとこんなことはもう「できない」。

また、民間化となると、暴力団の参入がしやすくなる。

よく地方競馬を語る際、民間運営の話が出てくるけど、民間運営したところで必ずしも売上げが上がるわけではない。

逆に民間運営だと利益追求第一主義となる。そうなると利益を上げるためには要は「八百長」も辞さなくなってくる。

実は現在のJRAに繋がる、明治時代の公認競馬は、当初は各競馬倶楽部の自主運営が認められていた。何せ、「競馬会社」などといわれていたもの。ところが。

その運営者の所有馬を出走させたり、はたまたそのことがたたって不可解な内容のレースが少なくなく、騒擾事件も相次いだ。また、競馬で身を滅ぼす人間が後を絶たず、結果的に、

「競馬会社は町を滅ぼすためにやってきたようなもの」

と最終的(馬券黙許が禁止されたとき)に非難轟々となって公認競馬は長らく馬券も発売できなくなったことから客が入らなくなり、ひいては「国営競馬」そのものの存在も危ぶまれた。

そんな窮地を救ったのが、「安田記念」でおなじみの安田伊左衛門であるが、明治時代の競馬倶楽部の独自運営を廃し、指定する場所でなければ競馬の開催を公認しないという組織を作り上げ、やがて「日本競馬会」を設立することになる。

政府の参与会議も、日本中央競馬会についてはほとんど従来どおりの運営方針を貫くよう答申した。

もっとも、今はNPOのような、組織は株式会社的であっても、営利追求を第一としない組織もできたので、会計上は企業会計を取りつつも、中身は営利を追及しないという形も取ることはできよう。

しかし、競馬はやはりある意味、営利目的でなければダメなものである。

思うに、組織的には今のやり方で踏襲するべきだと思う。問題は特に地方競馬の場合、地方競馬全国協会というところが全くもって「無能団体」であり、競馬場の廃止の抑止力を何一つ持たない。はっきりいえば、全く監督能力がないこうした組織は「いらない」ということである。

それと、なぜ地方競馬が民間化せねばならないか、それはパチンコの例を挙げて言っているんだろう。

パチンコの場合、「確率変更」なるケースを出し、出玉をよくするタイミングの時期がある。これがあるからパチンコへ客は流れる、ということも確かに言われている。

しかし、だからといって、元手を確保しておかねば「大当たり」とはいかないものであるのは明白。「確変」のチャンスが来れば毎回、

「当たった!当たった!」

となってしまうと、それこそパチンコ屋は潰れてしまうし、商売は成り立たなくなってしまう。パチンコ屋にとって確変なるものは、あくまでも客をひきつけるための宣伝道具でしかない。しかしながら、客にしてみればそこにたどり着くまでが大変なんじゃないのか。

もし競馬において、確変みたいなものをやったところで、それこそ「不可解」なレースだと思われるのがオチじゃないのか。

それよりも、ばんばも恐らくそうだけど、今の公営競技全般にいえることは、明らかにムダがはびこっているということ。

この間、大黒師匠に帰りの名鉄車中で笠松の現状を少し聞いてみた。すると多少今年度も今のところ黒字なんだとか。1~2月は例年金沢の発売があるし、まずは安泰といえるのではないか。そこで大黒師匠がこういっていた。

「1日1億あれば黒字にできるようになった」

しかも笠松は民間の手は加わってないよ。

要はムダなものをどんどん省いていった結果であろう。

それと、一部で導入されている包括的民間委託だけど、民間業者が携わっているのはごく一部の運営だけであり、集客云々については依然として各自治体が行っているのが現状である。

さらにいえば、夕張のようなデタラメなやり方をすれば、この先、地方自治体はどんどん「潰れていく」。そして企業ではなくとも、貸借対照表、損益計算書、(加えて、キャッシュフロー報告書)といった財務諸表を常に意識しておかねば最終的には、

「あっ、(返す)カネがない」

なんてことになりかねないのは、民間でなくとも今やどの業種においても共通していえることだろう。

だったら例えば各自治体を全て民営化すれば地方財政はよくなるのかといえば、そうではなかろう。

万博などの巨大な投資が必要ながらも、短期間しか開催されないビッグイベントの主財源って何なんだ?言うまでもなく、公営競技だろう。企業は長期的に見て利益が挙げられるものについては投資の対象とするが、こうしたイベントについてはあくまでも協賛に留まっている。そして、協賛金なんてものは微々たるものである。

少なくとも競馬をはじめ、公営競技というものは、短期的な利益を常に要求される。企業だと例えば新規企業の場合だと、キャッシュさえあれば初年度から数年については赤字経営を「許してくれる」。それどころか、ソフトバンクのように、毎期最終損失を出しながらも、次々と派手な事業展開を行っているところもある。

しかし、公営競技は毎回最終損失を出すことさえ「許されない」。むしろ企業社会のほうが「甘い」のである。一方で、やり方さえうまくすれば、常に「利益」が出る業態なのである。

にもかかわらず、とりわけ地方競馬が毎年のごとく潰れていっているのはそれこそ「民間企業」のごとく、多少は損失に目をつぶって、という意識があるからではないのか。

最後にばんばの問題へとまた戻るが、ばんばの現状の運営方式では、いずれ首が回らなくなることなど、最初から分かっていたこと。

丁度10年前、ホッカイドウ競馬が岩見沢と帯広の開催を返上したが、これが言い換えれば、ばんばの消滅となるきっかけにも繋がった。この時点で少なくとも、だったら旭川はホッカイドウ競馬に特化してくださいよ、というべきであり、そうなればばんばは3場巡回で済むようにもなり、今回のようなまさかの事態も救えたかもしれない。

それと、開催を増やせば業績が上がるという考え方も実は「間違っていた」と、今は言う他ない。帯広の「雪上競馬」など、毎回毎回そんな状態で競馬を開催していれば経費はかさむが客は来ないという「悪循環」を繰り返すだけである。

それにしてもまさかばんばが消滅する事態になろうとは私も全く予想していなかった。少なくとも、岩見沢と帯広は「残る」と思っていた。

しかし思うに、仮に通年開催を返上し、かつての日程であった、4~12月開催としたところで、岩見沢も帯広も所詮は4ヶ月間は開催せねばならない。非常に大変である。

競輪の話をする際、今やいつも、

・開催削減

・発売削減

・選手の大量首切り

という「三点セット」を主張しているが、ばんばはこのどれもできなかったために「潰れる」羽目になる。ばんばの「失敗」を教訓として、今後の公営競技は、身の丈にあった、その上、客が常についてこれるような施策を打ち出さねば、やがて競技自体が消滅してしまうということを教訓として残したと思う。

 


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