公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

地方競馬の黄金時代

2009-06-30 22:57:04 | 競馬

そんな時代あったっけ?と思う人が今では大勢になってしまったかも。

しかし、そうした時代は実はあった、ということを物語っている本がこれだとか。

http://plaza.rakuten.co.jp/daikokusya/diary/200906300000/

ま、この本の中に、大師匠を取り上げたページがあるから、ということで取り上げられたのかもしれない(要は宣伝)が、どんな内容のものなのか見てみたいものだね。

ところで、「地方競馬の黄金時代」という話になると、園田絡みで出てくるのは決まって、タイムラインとスマノダイドウ。要は、園田事件絡みの話になってしまうわけだが・・・

そんな内容も出ているのかな?

それと、ゴールドレツト(主戦騎手は、現調教師のH。例のあの人)は出ているのかな?

という話をすると、「何だか、やばくない?」といった内容になってしまうな。

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やるやる詐欺

2009-06-30 17:18:47 | 競輪

だと噛み付くT社長。

TOOL4より

平成21年6月29日

9Rは又選手がやって呉れました。前日のコメントでは松岡健介の後を香川雄介と室井竜二が互いに番手宣言。普通なら四国同士なのでそうは言っても本番では点数上位の香川が前で室井は折り合うのではと疑うが、この2人は花月園全プロの2日目に三宅達也の後で大競り、それも後尾に成ってもやり合い共に失格したばかり、そんな因縁の2人が競り合うとコメントしたら全然疑わず、再び共倒れと成り、松岡の捲りから筋違いを本命にしたら顔見せでは折り合ってるとは。これでは前売りを買った人は気の毒としか。


ま、日刊の予想も、◎が松岡で、○が有坂になっていたな。判を押したかのような、スジ予想ばかりやっている日刊にしては珍しい、と思ったが、2車単を見る限り、松岡→香川は1番人気の640円。

前売りの影響はあまりなし。損食らったのは、競輪文屋だけだったってことになるな。だから余計に怒っているのか。つまり、

「私の予想を無視して買い、なおかつ車券を当てた客は許せません!」

って言っているようなものだぞ。

近畿の場に四日市は顔見せの際、テレビテロップに「選手紹介の並びは競走中と異なる事があります。御了承下さい」が流れる事を考えたら前日のコメントと違う走りをする事ぐらいは屁のカッパでは。ファン離れの一番は、大切なお金を詐欺まがいの並びにレースでやられる事。それでも何の手も打たないのが上部団体顔見せにコメントが現行に成った当時から改正を訴えているのに一度も耳を貸さないからこんな状況に。即刻作戦面のコメントに自由走行(顔見せ)での並びは廃止にするしか。それをやらないなら顔見せ通り走らない選手は1年でも2年でも斡旋を止めるか、それをやらないなら前売りを廃止するかしないとファンは減り、競輪が消滅する事に。その時は責任を取って下さい。

 
しかしなぁ、競輪も勝負なんだから、前日と当日とでは、戦い方が違ってくるのは当然のことだろ、と、私はいつも思っていた。だから、コメントとか、顔見せなんて、まともに見た事がない。

ま、スジで入ったら、「しまった」っていうケースが多かったな。しかしながら、競輪って、3分の2がスジ違いで入っているだろ。

にもかかわらず、KPK以前時代の、本線の◎(番手)→○(逃げ)でばかり入ると思って予想やっている競輪文屋が、たまにスジ違い予想をやるとこんなもの。

予想も並び予想もコメントもいらない、ってなると、コンドルは必要なくなるぞ。ま、競輪ダービーと研究は、本線、穴目、総合の3パターン予想やっているから、まだまだ存在意義があるか。

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上半期は5.4%減

2009-06-30 16:22:16 | 競馬

中央競馬の上半期(1~6月)の総売上は、1兆3460億2233万8700円(前年比94・6%)。一方、入場人員は、386万9149人(同100%)。

http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/06/30/08.html

ブエナビスタ、ウオッカの牝馬2頭が話題を振りまいた影響もあってか、入場人員については、前年並みという健闘ぶり。しかし、売り上げには結びつかなかったみたい。

昨年はわずか0.03%減で、実質横ばいだったとはいうものの、ここまで、11年連続で年間売り上げ対前年比割れが続いているJRAにとってみれば、嫌な数字が出たかも。

ソロソロ、番組を刷新したほうがいいかも。2010年に、一部を除き、Jpn格付けがJRAの重賞においては全廃されるだけに、それを契機とした番組つくりが求められるかも。

となると、春の天皇賞の距離短縮、菊花賞の古馬開放、高松宮記念の2000m復活(改修により、直線が延びるそうだし)、スプリンターズステークスの直線&新潟開催などが焦点となるか?


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グランドチャンピオン決定戦回顧

2009-06-28 17:17:20 | 大レース回顧集

第19回グランドチャンピオン決定戦優勝戦が28日、戸田競艇場で行われた。

進入は枠なり。

1 服部幸男、2 寺田祥、3 松井繁(以上、スロー)、4 今垣光太郎、5 平石和男、6 菊地孝平(以上、ダッシュ)。

スタートスリットはほぼ横並びの形となったが、今垣がきれいに絞りきり、1周1マークを先マイ。そのまま先頭でゴールし優勝。2番手争いは、捲り差した平石が服部を制したかに見えたが、直線部で服部が伸び返し、さらに寺田もやってくる展開。しかし、服部が内から抜け出し、2番手に浮上した。3着平石。

今垣といえば、今年はSG準優勝戦で不運続き。

総理大臣杯ではこんなことが。

http://blog.goo.ne.jp/yoroshiku109/e/21991cbd0be9eca8f96669f063aedb27

笹川賞でもこんなことが。

http://blog.goo.ne.jp/yoroshiku109/e/dcc55274a2292f82a619df44511bf59d

ところが、勝負とは分からないもの。昨日の準優勝戦では逆に、1コース進入となりながらも、松井繁の2コース差しを受け、一時は優勝戦進出さえも危ぶまれた展開だったが、2周2マークで2着争いに決着をつけ優出。

優勝戦では、カド位置から狙いすましたかのような絞り捲りが決まり快勝した。

逆に言えば、今年の今垣は乗れている、ということも言えるのかも。忌々しい出来事は、今回の優勝で払拭。今後のSG戦線も期待したい。


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宝塚記念回顧

2009-06-28 16:48:25 | 大レース回顧集

節目の50回目を迎えた宝塚記念が28日、阪神競馬場で行なわれた。

1番人気は、11 ディープスカイで1.6倍、2番人気は、9 ドリームジャーニーで7.1倍、3番人気は、8 サクラメガワンダーで8.3倍、4番人気は、7 アルナスラインで9.6倍。10倍以下の単勝人気は以上4頭。

10 スクリーンヒーローの出が良かったが、13 コスモバルクがこれを交わして先頭。 14 カンパニーが3番手。サクラメガワンダー、ディープスカイ、ドリームジャーニーの3頭が、順番に中団付近で外目を通る競馬。アルナスライン、1 マイネルキッツもこのグループに加わる。

向正面付近で、コスモバルクが10馬身程度の差を後続につけるが、勝負どころの3~4角で失速。これに対し、外からサクラがスクリーン、カンパニーに並びかける競馬。ところが、ディープはこの地点で、鞍上の手が動く厳しい競馬。

直線に入って、サクラが先頭に立ったが、ディープを終始ピッタリマークしていたドリームが猛襲。直線半ばでサクラを交わして先頭に立ち優勝。2着争いは、ディープがじりじりと詰め寄ってきたが、サクラが首差退け確保。ディープは3着に終わる。4着カンパニー、5着スクリーン。

<短評>

・ドリームジャーニー・・・終始ディープスカイをマーク。ディープの動きが今ひとつだったこともあり、直線の坂手前で一気に勝負をかけ快勝。大阪杯ではディープを直線差しきり、距離が長いと見られた天皇賞でも、直線だけで3着に食い込んできた動きから見ても、調子そのものは良かったわけだが、その集大成を今回の一戦で実らせた形。元2歳王者がここで完全に復活した。また、今の調子を秋以降も維持できれば、2400mあたりまでならば十分対応できる。今後も注目したい。

・サクラメガワンダー・・・金鯱賞を勝った内容から見て、今回が最もG1制覇に近いのではないかと思われた。直線を向くあたりまではその通りのレースができていたが、直線に入り、ドリームジャーニーに屈した。しかしながら、今年の充実ぶりから見て、秋シーズンの巻き返しは十分可能だろう。

・ディープスカイ・・・初手の動きは決して悪くなかったが、勝負どころの3~4角で鞍上の手が動くという予想外の展開。直線に入ってもジリジリとしか伸びず、2着争いすらも制することができなかった。安田記念における劇走の反動が出てしまったのか?さらにいうならば、ジャパンカップ以後、勝ちきれないレースが続いている。馬にズブさが出ているのかもしれない。

・カンパニー・・・早目の競馬に打って出たが、上位3頭とは地力の差が出た。

・スクリーンヒーロー・・・今回はしっかり折り合っていたように思うが、直線で伸びきれず。

・アルナスライン(6着)、マイネルキッツ(7着)・・・流れが向かなかった。

大師匠の回顧録。

http://plaza.rakuten.co.jp/daikokusya/diary/200906290000/

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西宮・甲子園ケイリンアワー

2009-06-27 04:36:20 | 競輪

多くのコメントが寄せられており、それに答えていかねばならないのだが、その中で、小松島和平さんのこの話については長くなりそうなので、ここで述べることにする。

西宮・甲子園の廃止について「悪いのは選手会と日自振で、施行者は被害者」的な事を言われてましたが、じゃあ西宮・甲子園の施行者は園田競馬や尼崎競艇の施行者と同じくらいの集客努力をしてきたか?施設会社は施設を良くする努力をしてきたか?というと、全然してこなかったと言われても仕方がない状態だったと思います。かつてナイター競輪の日程を発表までしておきながら住民の反対で中止に追い込まれた時、ナイター実現のための努力を二度としようとしなかったし。


実は私も、西宮・甲子園廃止直後は、

かつてナイター競輪の日程を発表までしておきながら住民の反対で中止に追い込まれた時、ナイター実現のための努力を二度としようとしなかったし。

と聞かれると、「はい、そうです」と思っていた。多分、大井競馬は実現したのに、どうして西宮はそれに倣えなかったのか、という話なんだろう。

西宮のナイター開催の話については、私は詳しいことは分からないんだが、ナイター競輪の日程まで組まれていた、となると、斡旋を管理する振興会も、出場権(拒否権)を有する選手会も了承した、ということなんだろうな。多分。

にもかかわらず、住民が反対して頓挫した、という話以後、西宮ナイター開催の話はとうとう出なくなった、というのはなぜなのか?

恐らく当時は、施行者が、「もうダメだ」って言ったら、振興会などの上部団体は、「じゃ、仕方ないか」で済ませていたんだろうと思う。そうなると、施行者側からすれば、二度とナイターの話は持ち出せなくなる。

そうではなくて、施行者レベルでは手に負えない、ということであれば、この場合であれば振興会、全輪協、場合によっては選手会も動く必要があったんじゃないか。というか、そうせねばならなくなった、と気づいたのは恐らく、豊橋の廃止問題が初めてだったんじゃないか?


滋賀県・大津市が『ノミ屋・コーチ屋追放条例』を作って売上をアップさせた際、「西宮・甲子園はどうするのか?」のスポニチ記者の問いに「びわこさんは客が少ないから出来た。うちは向こうと違い、客が多いから無理」と答えたのを新聞で知り、後の凋落ぶりは十分予想出来ました。


この話については、小松島和平さんの予想が鋭い、というしかないな。というか、当時の話だと、びわこはよくやった!と褒めるしかあるまい。というのは、いまだ、競輪場の中には、コーチ屋がいるところがあるからね。以前にも書いたことがあるが、玉野ではまんまとひっかかりそうになったし(5年前の話)、別府でも同じような目に遭いかけた(これも5年前)。

ま、「客が多いからムリ」という話は、あまりにも「堅気の客」を馬鹿にした話だが、そう簡単に根絶させることはできなかった、という当時の事情もあった、ということではないか。


施設会社である阪急・甲子園土地企業は売上の3%程度が収入になっていたわけですが、その中からどれだけ施設に金を掛けたかといえば、他の民間会社所有の場(住之江や松戸など)に較べてもやる気が感じられなかったし、気が付けば「関西で一二を争う程のボロさ」になってました。阪急がブレーブスを身売りした時、いろんな所で「球団身売りは球場付近再開発への布石。あとは競輪が無くなれば一気に・・・」の声を聞きました。実際、オリックスの神戸移転後はスコアボードの所に特観席を作ったけど、一般席はまさに「朽ち果てるに任せる」状態で、私から見れば阪急は本気で競輪で稼ぐ気は無いとしか見えなかった。


阪急が競輪で稼ぐ気はなかった、というのは事実だろう。というか、宝塚大歌劇と阪急ブレーブスは、「お遊び」という位置づけだったからね。

とりわけブレーブスについては、総帥・小林一三でさえもやる気を失っており、仕方ないから球団を持っていた、というに過ぎなかった。ところが、1948年に小倉で競輪が始まり、さらに住之江でも成果を上げるや、「是非ともやらせてくれ!」といったのが小林一三。しかしながら一三は、競輪でソコソコ稼げれば、少しはブレーブスの穴埋めにできるだろうといった程度しか考えなかったんだろう。恐らく。

そうした考え方が一三没後も踏襲され、いつかは売りたい、と思っていたブレーブスの売却先も決まった。これを契機にできれば競輪もやめたいんだけど、こればっかりは阪急が主催していないからどうにもならない、ということで、だったら、事務組合が続ける、ということであれば、それに従うしかない、ということだったんだろうな。という話の流れからすれば、小松島さんの話は正しい。

ところが、西宮・甲子園廃止後、阪急は、「廃止するなんて全然聞いていなかった」とコメントしている。したがって後に訴訟へと踏み切ったわけだが、どうしてこのような事態になってしまったのか?しかも、西宮ガーデンズは当初、「仕方ないから作った」といったニュアンスの話っぷりだった。

このあたりがどうも解せない。


甲子園にしてもバックに立派な特観席を作ったとはいえ、メインをはじめとする他のスタンドは手付かずではねえ・・・。たった数百人が1500円程払わないと快適に観られない場と50円~200円で数千人(数万人)がそれなりの快適さで観戦出来る場ではどちらが流行るかは中央競馬や競艇の例を見れば判るでしょう。


ところで、甲子園の北スタンドについては、創設当初はかなり好評で、記念や年末開催ではすぐに一杯になった。それと、北スタンドは確か数百人程度ではなかったはず。ま、メイン側にボロい、ただ椅子があるだけの指定席は昔からあって、こちらのほうは確か数百名しか入れなかったと思う。

思うに、西宮・甲子園の客って、別に快適さを求めるだけのために来ていたのではないと思うけどなぁ。要は、競輪がだんだんとつまらなくなった、ということが一番の要因なんだろう。それが証拠に、年末の開催に限って言えば、グランプリ当日は常に満員状態で、車券を買うにも一苦労した思い出がある。だから私は、なるべく当日を避け、28日か29日に買い、仮に当たっていれば、正月の西宮で払い戻すことにしていた。

ちなみに、西宮はある意味、快適だった。というのは、スタンドにさえ出なければ、エアコンではなくて、昔ながらのクーラー、ヒーター仕様だったから、むしろ、夏は寒いくらいで、冬は暑いくらいだった。


大好きな競輪場を2つも失った悔しさを何処かにぶつけたい気持ちは解らなくは無いですが(うちの親父が建てたメインスタンドがある向日町も廃止になりそうだし・・・)、廃止の原因の総てを選手会や片折さん個人に押し付けて、西宮・甲子園の施行者や施設会社のあまりにもの無能ぶりに全く目を向けようとしないのは違うと思いますね。西宮・甲子園が駄目になった最大の要因はやはり『開催すれば客は勝手に来る』という意識から抜けきれなかった施行者・施設会社にあると思います。


開催すれば客が来る、と思っていたのは事実。しかしながら、兵庫県市町競輪事務組合が全く何もやっていなかった、というわけでもない。とうとう話には出てこなかったので最後に触れるが、「西宮・甲子園ケイリンアワー」という番組があった。

放送開始は1988年の甲子園記念初日から。当時まだ未成年だった私は、競輪場へはそうそう行くことができなかったんで、この番組ができたことについては大変うれしかった。後にこの番組は、15分番組へと拡大。内容は概ね、当日のレースダイジェストが主体だったが、特別競輪のダイジェストや、選手の練習風景なんてものも放送されていた。要は初心者にも競輪に親しんでもらいたい、といった内容のものも一部あった。

したがって、要は競輪ファンでない人も少なからず見ていたわけだが、残念ながら、直接入場、売り上げには結びつかなかった。また、当時は電話投票がそれほど普及していなかったことも災いした。

さらに事務組合は、できたばかりのCS放送についても意欲的で、パーフェクTVの開局まもない頃から、全レース完全中継に着手していた。つまり、SPEEDチャンネルよりも先にそうした試みを行なっていた、というわけ。

しかしながら、そうやっても結局ダメだった、ということ。

確かに、小松島さんの話については、大意の部分では賛同できる。 がしかし、もともと競艇に客を取られていた挙句、バブル崩壊や阪神大震災の影響もあって、とりわけ、ヒラ開催の売り上げは急激に落ちていった。

その上、岸和田とバッティング開催するケースが多く、結局、少ないパイの取り合いに終始していたことも否めない。また、1985年度から、水曜日の開催も可能になったが、後で考えれば、これもマイナスに働いた。というのは、土曜日は概ね中央競馬に客を取られてしまうため、日~火、水~金の日程ばかり組むようになったから。せっかく休みの土曜日に競輪をやりたいと思っても、やれなかった。となると、中央競馬か競艇をやるしかない。

つまり、客に来なくてもいいよ、と言わんばかりのやり方を踏襲していた。

これでは、確かに、事務組合の経営怠慢が第一の主因ではあるんだが、こうしたことを続けていくと、いつか破綻するのは目に見えて明白。

おまけに、1990年代は借り上げ施行者の撤退ラッシュが続いたにもかかわらず、振興会も全輪協も何ら手を打つことができなかった。こうした状態が続けば、いつかは競輪場にも及ぶ、ということは、競輪関係団体であれば予測できたはず。そして選手会は売り上げが右肩下がりになってもただ、「賞金上げろ!」の一点張り。おまけに、西宮・甲子園はパート従事者の数が多かった上に、賃金も全国トップレベルの高さだった。

諸々の事情が重なり、おまけにTV中継も新規客の呼び水にはなり得なかった背景を踏まえると、「もうやぁ~めた!」ってなるんじゃないかな。

そこを、

「耐えがたきを耐え忍んでくれないか」

と諭すのが、関係団体の役目じゃないか。しかしながら、プロスポーツや週間レースの当時の記事を見る限り、当時の関係団体は、

「だったらやめれば」

の流れを色濃くしていた。よって、事務組合はおろか、阪急や甲子園土地に対する根回しがなかったも同然だわな。

選手会だけは抵抗したように見えたけど、西宮・甲子園の2場70日案を一蹴する有様。最後は一応、

「練習するところがなくなるから、甲子園だけ残してくれ!」

と訴えたが、これは別に、施行者や客のことを思って言ったわけでは必ずしもない。

しかしながら、西宮・甲子園が廃止されてから、施行者はようやく目覚めたみたい。それは、T社長日記の内容でも明らかになっている。一方、関係団体のほうはどうなのか?ただそれが言いたいだけ。

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マイケル・ジャクソンさん亡くなる

2009-06-26 19:07:15 | その他

朝ズバッ!を見ていたら、速報として、マイケル・ジャクソンさんが急に倒れた、というニュースが報じられた。そして、その報道から2時間後ぐらいに亡くなったとか。

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/music/090626/msc0906260725001-n1.htm

ジャクソン・ファイブでは「ABC」などが大ヒット。そしてソロとしては、スリラーやビリー・ジーンなどのビッグヒットばかり集めたアルバム「スリラー」が、世界的大ヒットとなったばかりか、1983年度のグラミー賞では、レコード、アルバムといった主要部門を含め、何と8部門を制覇。この頃の洋楽といえば、マイケル・ジャクソンに明け暮れていた印象があるな。

また、アメリカのトップアーティストが集結してリリースされた夢の楽曲、「ウイ・アー・ザ・ワールド」では、ライオネル・リッチーと共に、作詞・作曲を手がけ、これまた世界的大ヒット。また、ポール・マッカートニーとのデュオ曲、「Say Say Say」もヒットさせたことで話題となった。

だが思うに、絶頂期だったのはここまでだった、といえるかも。

1990年代に入ると、スロー回帰現象が訪れ、ビートサウンドは急速に廃れた。いつしか、マイケル・ジャクソンは「過去の人」となった印象がある。そもそも、当時まだ30代だったにもかかわらず、音楽賞においては、「功労賞」の受賞ばかりが目立ったからね。

そして2000年代に入ると、幼児性的虐待疑惑などで失墜。さらに、毎日のように日銭が入るはずの環境でありながら、多額の借金を抱え、豪邸を売却する羽目にもなった。

マイケル・ジャクソンといえば、年を追うごとに「顔が変わっていく」とも言われた。つまり、何回整形手術を行なったのか分からない、ということ。

しかしながら、マイケルが亡くなった今、スリラーとかビリー・ジーンなどを聞くと、新鮮な気持ちになるんだろうな。確か、スリラーはどこかにあったと思うが。ウイ・アー・ザ・ワールドは今でも名曲だ。そういえば当時、

「おれはブルース・スプリングスティーンの箇所を歌う」とか、

「私はシンディ・ローパーの部分だ」

なんて言っていたことを思い出すね。

謹んで、ご冥福をお祈りいたします。


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レインボーカップシリーズ崩壊

2009-06-26 18:16:39 | 競輪

4月(10月)に行なわれていた、セカンドステージ廃止。

http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/news/2009khn/06/news20090626_02.html

これにより、1~3月(7~9月)の成績上位者9名が、6月(12月)に行なわれるレインボーファイナルに進出。そして、S級特進者は、1~3着に限定される。なお、レインボーファイナルは一発勝負方式。また、原則として、G3開催で行なわれるとか。

A級活性化の目玉として期待されたレインボーカップシリーズだが、事実上崩壊することになった。

ま、場外発売がほとんどないからなぁ・・・レインボーカップ。これでは厳しいわな。

そこで、場外発売が充実しているG3の中で行なうということになったのか。

ますます窮地に立たされることになったな。A級戦。

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さよなら北見競馬場

2009-06-26 09:08:25 | 競馬

2006年の開催をもって本場開催が終了した後、専用場外として使用されてきた北見競馬場だが、場外発売所としての立地条件が悪いことから、代わって市街地に専用場外が設けられることになり、6月29日発売分をもって発売終了。

http://www.netkeiba.com/news/?pid=news_view&no=37422&category=B

http://www.keiba.go.jp/topics/2009/0623_1.html

新たな場外発売所は、7月4日にオープンの予定。名称は、ミントスポット北見だとか。

北見へは、2005年に行ったことがある。

新千歳からのアクセスが悪いことから、関空から女満別行きの直行便に乗り、さらに空港からバスに乗り、約50分かけて北見駅前の東横インへと行った思い出が。ま、そのバスにはほとんど人は乗っていなかった。そもそも運転手が言ってたからね。

「客はあんまり乗らないから、荷物を助手席に乗せておいていいよ!」

北見競馬場へは、駅前のバスターミナルから無料バスが出ていて、そこから確か、行きで約30分、帰りはその倍かかったと思う。しかしながら旭川や盛岡同様、一体どこへ連れて行かれるのか?といった印象のある競馬場だった。

北見だけ、ゴール前に坂があり、その分、帯広や岩見沢と比較すると難しかったという印象がある。

ま、もうばんば開催がないとなれば、今の地で場外発売だけ行なうのは勿体無い。市街地に専用場外ができて当然だと思うな。

ま、もう北見に行くこともないだろう。


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帝王賞回顧

2009-06-26 08:38:28 | 大レース回顧集

第32回帝王賞が24日、大井競馬場で行なわれた。

1番人気は、4 ヴァーミリアンで1.6倍。2番人気は、3 フリオーソで3.2倍、3番人気は、12 アロンダイトで5.5倍。10倍以下の人気は以上3頭。

10 マルヨフェニックスがゲートオープン直後躓きかける。8 アジュディミツオーが先頭に立つ。これに対し、フリオーソが2番手につけ、ヴァーミリアンはぴったりとフリオーソをマークの3番手。4番手集団は固まり、5 ボンネビルレコード、アロンダイト、マルヨらがこの集団につける。1 スターシップは中団よりも幾分後ろ。

3~4角にかけ、ヴァーミリアンが外からフリオーソに並びかけると、フリオーソもヴァーミリアンの動きに追随し、4角ではアジュディを完全に交わし、2頭のマッチレース状態となって直線へ。

直線に入り、2頭がほぼ並んでいたが、半ば過ぎからヴァーミリアンが引き離しにかかり、最後はフリオーソに3馬身の差をつけ、帝王賞としては初出走初勝利。そしてこの勝利でG1級レース通算7勝となった。3着ボンネビル、4着アロン、5着スター。

<短評>

・ヴァーミリアン・・・スタート直後、アジュディにピタッと追走する構えだったフリオーソの動きを、鞍上がうまくフェイントをかけて牽制。さらに道中はフリオーソをぴったりとマーク。そして3~4角あたりでフリオーソよりも先に仕掛ける競馬でこれまた牽制を入れ、直線に入ってフリオーソを完全に突き放した。完勝。そして、鞍上の駆け引きのうまさにも脱帽。

・フリオーソ・・・アジュディが行くのは分かっていたので、早めにその「番手」に入りたかったが、ヴァーミリアンの牽制にあって目算が多少狂った。結局、ヴァーミリアンとの駆け引き争いに敗れた格好。最後は突き放された。

・ボンネビルレコード・・・3~4角で、上位2頭の動きについていけず。それでも、アロンダイトに先着したことを良しとするか。

・アロンダイト・・・まだまだ、といったところか。

大師匠の回顧。

http://plaza.rakuten.co.jp/daikokusya/diary/200906250000/


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A級を売りたくないのか?

2009-06-25 04:21:57 | 競輪

Poさんが、記念におけるA級開催復活話を持ち出してきた。

http://blog.goo.ne.jp/yoroshiku109/e/5d6ec9692296a7cc5087dcaec9744c5e

確かに、2001年度までの記念開催では、A級のレースがあった。2002年3月、最後の西宮記念でもA級戦があり、私は初日に行った。A級特選において、当時はまだ自力選手だった飯嶋則之が頭で入り、7000円の配当を手にしたが、S級戦に入ってからさっぱりで、結局、トータルで負けた。

KPK時代は、S級選手が約430名しかいなかったから、S級選手だけで記念を開催するのはムリだった。よって、KPK時代はA級4レース(後に5レース)、S級6レースという形で組まれた。

もっとも当時、場外向けに記念の番組がスポーツ紙に掲載されても、A級の場合、決勝戦以外はカットされていた。ところで、F1でも、場外発売の場合、A級戦は、スポーツ紙でカットされることが多い。掲載されるのは決勝戦ぐらいなもの。ところがである。F1でも、オールS級戦だと、全レース掲載されることがある。

やはり、A級は客のニーズがないのかな?

そのあたりが気がかり。

これについては、F1の場外拡大をこれから広域で行なおう、という場合においても障壁になるかも。

そこで、本場のF2開催を6レースだけ行い、残りの6レースは他場のS級シリーズ発売とする案が水面下で練られている、という話は分からなくはないが、そこまでしてしまうと、明らかに、A級を売る気がない、と思われてしまうわな。

ま、私は記念については、オールS級の3日間ツイントーナメントに変えたほうがいいと思うけど、確かに、今の記念って、全てS級であるがゆえに、「アナ」のレースを見つけにくい。筋道立てる、という意味合いならば、まだA級のほうが面白いかもしれない。

私は、A3戦はどうでもいいが、A級戦については、廃止するのは絶対反対。と考えると、「いにしえの記念開催」という意味においては、A級開催復活も面白いかもしれないね。

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UCIルール事実上容認?

2009-06-24 23:00:16 | 競輪

T社長?

ますます快調!コンドル日記TOOL4より

平成21年6月24日

期末だからで選手の都合もあり欠場者が続出、熊本FⅡに至ってはチャレンジ戦は9人ずつが揃わず8車立が3個で、何とか北海道から95期生が一人来る始末。各地のFⅠ・FⅡのA級戦も補充が居らずレースカットを考えなければならない有様、そこまでやって12R制を続けなければいけないのか、早くスッキリして10R制に戻す事も競輪存続の道では、開催場があって初めて競輪事業では。前半戦に至っては車立が少ない方が車券は買いやすいのを考えたら、選手に対しアルバイト感覚の補充は施行者に対しても廃止すべき、足りないならレースカットをすれば済む話。ファンは別にレース数が減っても使う金は同じ、サマーナイトの9R制が成功している事を考えたら一目瞭然でしょう。何かと問題がある誘導もそうで、選手は賞金で喰うべきもの、誘導は電動自転車を使い一定速度にして、それこそ競技会・もしくは選手OBが務めれば施行者には多大な費用削減と成り、これで又生き延びる事に。小さな要求を押し付けて、元も子も失くす前に考えるべき事と思いますが、どうでしょうか。


注目の表現を赤字で記した。この表現からすると、事実上のUCIルール容認ってことになるな。

ま、トップクラスの選手たちは、UCIルールに恐らく対応できると思うんだが、誘導員利権を離さないから、UCIルールに踏み切らせない、ってことなんだろう。ここでも暴利を貪る選手会。

JKAの「改革」については、政治がらみの話になるので、仮に民主党(を中心とする連立)政権となったとしても、そう簡単には事は運ばない。自公政権が続けば、まずここには着手できまい。だったら、選手会が率先して改善策を図るべき。

うーん、T社長、いいこと言うな。

片折体制時代、官僚軍団さえも手玉に取り、かつ猛威を振るったあの選手会の勢いはいずこへ。だからこそ、今がチャンスか?

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F2を残す方法

2009-06-24 09:01:37 | 競輪

ま、ムダなタイトルだと思うが?

とはいっても、実を言うと、私は結構、F2によく行っている、というか、最近では「行っていた」かな。この間の向日町もF2だったし。

5年前、西日本を中心に、まだ行っていない競輪場へ旅打ちしに行ったけど、大半がF2だった。

旅打ちの場合、宿代とかメシ代にカネがかかるから、どうしても買うレースを絞らねばならなくなる。しかも、宿も朝早くに追い出されるから、必然的に1レースから見ることになる。

ところで、記念あたりだと「アナ」のないメンバー構成なんで、およそそんなことはできないんだが、これがS級シリーズだとか、A級あたりだとできてしまうことがある。それは、

「昔の名前で出ています」選手を狙え!

玉野だったか、「中野浩一」(名前だけは懐かしいが、あのお方じゃないよ)が出ていて、おまけに清嶋彰一も出ていたもんだから、「これは懐かしいなぁ」と思って、「中野」=清嶋を中心に散らして買ったところ、確か、「中野」が2着で、清嶋が3着に入り、他も散らして買っていたんで、額はわずかだったが、しっかりと儲けさせてもらった。ちなみに「中野浩一」って、35期じゃなくて47期のほう。この47期には平塚でも「お世話」になったことがある。

広島では、いつぞやの岸和田記念決勝で2着に入ったことがある、京田晃が出ていたんで、京田を中心にボックス買いしたところ、京田が確か2着に入り、9千いくらの配当を取らせてもらった。

松阪では、今は確か、高校野球の監督をやっているはずの、かつて、松本整らとともに、京都の星、なんて呼ばれていた森愛一郎が出ていて、当然、森を中心に買ってみたところ、森が頭で入って万シューだったな。

ちなみに以上三例は全て、2002年の番組改革実施以後における話。しかも全て「負け戦」。

A級の中下位あたりだと、こういった、

「おい!まだやってたのか?」

といった選手が少なからず残っているし、またこうした選手は意外と負け戦では往時の力を発揮するケースがあるみたい。

ま、競艇やオートレースのほうが、こういった選手は少なくないんだけど、同じやり方で買ってみても、ほとんどうまくいかなかったな。だから、競艇やオートの場合は、ヒラはなるべく、旅で打ちに行かないほうがいい。ま、女子戦は別だけど。しかし、競輪では他にもこうしたケースで買って儲けたことがあった。

当時は、A3戦なんてなかったから、要はA級中下位選手の場合、負け戦でアタマないし紐に絡まないことには、得点が下がってしまうわけ。しかし今はA1・A2とA3に分かれているだろ。A3の「ロートル」が、例えば準決勝にでも進出しようものなら、最終日はまず、「やらない」よな。

と考えれば、私はA3のチャレンジなんて、やる必要はなかったように感じるな。

となると、F2は「元の」番組に戻したほうがいい?でも、やらないだろうね。

ま、しかしながら、F2は絶体絶命の大ピンチだな。


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もう売るな!

2009-06-24 04:55:31 | 競輪

近時快調?T社長日記TOOL4より

平成21年6月23日

尚宮杯の売り上げは最低の123億強、これが現実。最近の流れからして、120億を越えれば恩の字と思っていたので、まあまあでも厳しい数字。次は福井記念で、寛仁親王牌(青森)、サマーナイト(川崎)、全日本選抜(大垣)、その間に弥彦記念・小松島記念があり、多分目標を上廻る事は無いのでは。その理由は宮杯が終了するのを待ち切れず、取手FIがスタート、一宮FI・和歌山FI・久留米FIは初日、それも場外展開付きでサテライトは昼間が2本立て、夜は函館ナイターと少ないファンから根こそぎが実情。九州でなら、鹿屋はのべつまくなく、溝辺・肝付・天文館に宮崎が2ヶ所、そして、阿久根。ファンの数は決められてるのに、そこまでやったら1年後、そうでなく半年後に2ヶ月先はどう成るのか、減って行くのは全国的なもの、これが積もり積もってこの売り上げ。果たして10年後まで競輪場は残存してるのか。早い所で2年後、それからは雪倒れ現象で「もう辞めた」の場が続出。それは公務員がやってる事で、もし無くなっても跡地を公園とか住宅にすれば、逆に市民は喜ぶのが現実。


「だからF2が売れないんだろ!」

とPoさんが怒るかも。これだけ場外ラッシュが続くと。

「さぁさぁ皆さん寄ってらっしゃい!朝から晩まで、競輪てんこ盛りですよぉ~」

っていうような状態が毎日のように続いてもなぁ・・・

こうした状態に客はついていけず、

「もう競輪なんかやれないよ!」

と言い残し、結果的に売り上げは減っていく・・・ああ~~

ま、いよいよ、「三点セット」の第二ラウンドである、発売削減に着手すべきときなのかも。いや、来年度の主題に、「発売削減」を置くべし。

売って売って売りまくれ!という、供給主導原理は、実際の経済界においても、リーマンショック後、「見事に破綻」しているというのに・・・

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アグネスタキオン急死

2009-06-23 07:13:34 | 競馬

したとか。22日夕方頃だったとか。

http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/06/23/01.html

心臓麻痺と見られるが、詳しい死因は不明。

「幻の三冠馬」と言われ、皐月賞を勝った後、屈腱炎発症のため無念の引退。もっとも、種牡馬となってからは競走馬時代以上に活躍が見られ、ダイワスカーレット、ディープスカイ、キャプテントゥーレ、ロジックといった産駒を輩出。加えて昨年、クモハタ以来、実に51年ぶりに内国産種牡馬としてJRAリーディングサイアーに輝き、また、父・サンデーサイレンスからその座を奪い取ることにも繋がった。

 

 

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