公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

必要:〈1〉皇族女子が結婚後も身分を保持〈2〉男系男子が養子として皇籍復帰 → 自民、党見解を衆参両院の議長に提出

2024-04-27 08:31:54 | 皇室と皇族関連記事
男系男子、養子縁組後に誕生した男子に皇位継承資格…皇族確保策巡り自民見解  読売新聞 2024/04/27 06:25

自民党は26日、安定的な皇位継承のための皇族数確保策に関し、旧宮家の男系男子を養子縁組で皇籍に復帰させるなど、政府の有識者会議の報告書が示した2案を「必要」とする党見解を衆参両院の議長に提出した。養子縁組後に生まれた男子は皇位継承資格を有するのが適切だとした。

与野党の見解が出そろったことを踏まえ、額賀衆院議長は5月の大型連休明けに各党代表者を集めた会議を開く考えを示した。

 政府の有識者会議は2021年、〈1〉皇族女子が結婚後も身分を保持〈2〉男系男子が養子として皇籍復帰――の2案を提示した。自民の見解は「皇族数確保はまさに喫緊の課題だ」と指摘し、2案をいずれも必要と評価した。

 そのうえで皇族女子の配偶者や子は皇族の身分を有しないとし、皇位継承資格は養子となった男性には与えず、その後に生まれた男子に限るべきだとした。

 有識者会議の報告書では、2案で皇族数を確保できない場合、旧皇族の男系男子を法整備により直接皇族とすることを第3案として示した。自民の見解でも、第3案は〈1〉と〈2〉で確保できない場合の方策と位置づけた。

 自民の麻生副総裁と茂木幹事長はこの日、額賀氏、尾辻参院議長とそれぞれ国会内で面会し、党見解を手渡した。その後、額賀氏は「各党の意見が出てきたので、全体で意見交換し、これからの対処の仕方について聞かせてもらいたい」と国会内で記者団に意欲を示した。

 茂木氏は党本部で、「事柄の性格上、政争の具にしたり、国論を二分するようなことがあってはならない。 静謐せいひつ な環境のもとで誠実に協議を重ね、立法府の総意を作り上げていきたい」と記者団に語った。

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安定的な皇位継承のあり方をめぐり、自民党は2024年4月中にも党の考えをまとめる

2024-04-15 23:46:51 | 皇室と皇族関連記事
安定的な皇位継承のあり方 自民 今月中にも考えまとめる NHK 2024年4月15日 20時15分

安定的な皇位継承のあり方をめぐり、自民党は今月中にも党の考えをまとめることになりました。

安定的な皇位継承のあり方を検討する自民党の懇談会が党本部で会合を開き、冒頭、会長を務める麻生副総裁は「自民党としてもできるだけ早期に具体的な方策を示す必要がある。これまでの意見を踏まえて考え方を整理しさらに議論を進めたい」と述べました。

会合では、出席者から政府の有識者会議が皇族数を確保する方策として示した、女性皇族が結婚後も皇室に残る案と、旧皇族の男系男子を養子に迎える案などについて賛同する意見が出されました。

そして党所属議員からも書面で意見を募ったうえで、今月中にも党としての考えをまとめることになりました。

安定的な皇位継承のあり方をめぐっては、これまでに立憲民主党、日本維新の会、公明党、国民民主党の4党が意見書などをまとめていて、額賀衆議院議長は各党の考えがまとまり次第、国会で協議したいとしています。

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愛子内親王が日本赤十字社に入社

2024-04-01 20:42:41 | 皇室と皇族関連記事
愛子さま 日本赤十字社に入社 「身の引き締まる思い」 NHK 2024年4月1日 11時41分

天皇皇后両陛下の長女の愛子さまは、1日、日本赤十字社に入社されました。

先月、学習院大学を卒業した愛子さまは、1日午前、東京 港区にある日本赤十字社の本社に出勤し、社長から辞令を受け取ったあと、正面玄関の前で報道陣の取材に応じられました。

紺色のスーツ姿の愛子さまは「先ほど社長より辞令をいただき、温かいおことばをかけていただきまして、うれしく思うと同時に、社会人としての一歩を踏み出したのだと身の引き締まる思いがいたしました。これから社会人としての日々が始まりますが、早く職場になじみ、皆さまのお役に立てますよう、頑張ってまいりたいと思っております」と笑顔で話されました。

社会人生活スタートにあたって、1日朝、両陛下は「頑張っていってらっしゃい」という励ましのことばとともに愛子さまを送り出されたということです。

愛子さまは、ボランティアの育成や研修などの業務にあたる青少年・ボランティア課で、皇族としての務めと両立しながら嘱託職員として勤務されます。

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今上、皇后 2024年6月下旬に英国を公式訪問

2024-03-24 06:48:06 | 皇室と皇族関連記事
両陛下、6月下旬に英国を公式訪問…チャールズ国王招待で国賓として行事にご出席 : 読売新聞オンライン 2024/03/24 05:00

 天皇、皇后両陛下が6月下旬、約1週間の日程で英国を公式訪問される方向で調整が進んでいることがわかった。チャールズ国王の招待で国賓として歓迎行事に臨むほか、両陛下が結婚前にそれぞれ留学されたオックスフォード大への再訪も検討されている。

 両陛下の訪英は、令和初の外国訪問として2020年春に計画されたが、新型コロナウイルスの感染拡大で延期になっていた。チャールズ国王は今年初めに見つかったがんの治療を受けており、その経過にも配慮しながら日英両政府の間で準備が進められている。

 関係者によると、6月22日に日本を出発してロンドン入りし、バッキンガム宮殿での歓迎行事や 晩餐会ばんさんかい に出席するほか、スナク首相夫妻との昼食会、市長主催の夕食会などに臨まれる。

これら公式行事の前後には、日英両国の親善に貢献してきた関係者との懇談や、天皇陛下が1983年から2年間の留学中に研究されたテムズ川の水運に関する施設の視察なども検討されている。

 滞在の最終日には、オックスフォード大を訪問される。陛下と皇后さまがそれぞれ学んだマートン校とベリオール校を再訪し、地元の思い出の場所を巡られる案もある。そのまま空港に向かって英国をたち、29日に帰国される。

 両陛下の国際親善の旅は昨年6月のインドネシア訪問に続き、即位後2度目。訪英はエリザベス女王の死去を受けて葬儀に参列された2022年9月以来となる。

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愛子内親王:「学びを得て充実した4年間」・・・学習院大学の卒業式に(2024年3月20日)

2024-03-20 12:26:25 | 皇室と皇族関連記事
🄫テレビ朝日


天皇皇后両陛下の長女、愛子さまが、学習院大学の卒業式にあたり、気持ちを述べられました。

愛子さま
「最初の3年間はオンライン授業で、最後の1年はこのキャンパスに通い、たくさんの新しい学びを得て充実した4年間を過ごすことができました。素晴らしい先生方や友人たちと出会えたこともうれしく、またありがたく思っております」

 愛子さまは学習院大学の卒業式に臨まれ、新型コロナの影響で、4年生になってようやく通学ができるようになった愛子さまは、文書で感想を寄せられました。

 「友人たちと一緒に授業を受けたり、じかに話をして笑い合ったり、学内の様々な場所を訪れたりしたことは、私にとって忘れることのできない一生の思い出となりました」などとつづられました。



愛子さま「学びを得て充実した4年間」 学習院大学の卒業式に(2024年3月20日)



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ロシアやウクライナのSNS上で、「チャールズ国王が亡くなった」とする偽の情報が拡散 → 現地のイギリス大使館が情報を否定する声明

2024-03-19 23:28:38 | 皇室と皇族関連記事
“チャールズ国王死亡” 偽情報が拡散 英大使館が否定の声明 | NHK 2024年3月19日 17時34分

ロシアやウクライナのSNS上で、「イギリスのチャールズ国王が亡くなった」とする偽の情報が18日、拡散し、現地のイギリス大使館が情報を否定する声明を出しています。

イギリスのメディアなどによりますと、18日午後、ロシアの複数のメディアが、「イギリスのチャールズ国王が亡くなった」とする偽の情報をSNSのテレグラムに投稿しました。

投稿ではイギリス王室のロゴが入った偽の文書の画像も添えられていて、この投稿をロシアの国営メディアやウクライナの大手メディアが引用するなど、現地で広く拡散しました。

これに対して、現地のイギリス大使館はSNSに、「国王死去のニュースはフェイクであることをお知らせします」と投稿し、情報を否定しました。

偽情報を投稿したロシアのメディアはその後、記事を訂正したということです。

イギリスの新聞インディペンデントは、「イギリス国防省はロシアのメディアはすべてプーチン政権の厳しい管理下に置かれ、西側諸国に対する偽情報を広めるために利用されていると警告している」と報じています。

日本でも拡散 日本語の投稿に200万回以上の閲覧
「イギリスのチャールズ国王が亡くなった」とする偽の情報は日本国内でもSNSで拡散し、NHKが確認したところ、旧ツイッターのXでは日本語で書かれた投稿だけでも、19日午後4時までに合わせて200万回以上閲覧されていました。

拡散した偽情報の投稿は日本語で、「チャールズ英国王が前立腺がんのため75歳で死去、情報筋が報じる」とか、「チャールズ国王、突然の死去」などと書かれています。

これまでにもロシアを支持する投稿を繰り返しているまとめサイトのアカウントや、陰謀論の投稿が多いアカウントで広められていて、投稿はほかのユーザーが情報を追加できる、Xのコミュニティーノートで、「フェイクニュースです」とか、「デマである可能性が高いです」といったコメントがつけられています。

SNSで拡散される海外からの真偽がわからない情報については、広げているアカウントがほかにどのような投稿をしているか見るなどして怪しいところがないか確かめたり、報道機関や当該国の公的機関などが情報を出しているか確認したりするなどして、安易に拡散しないことが大事です。

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2024年2月23日 今上64回目の誕生日:

2024-02-24 06:04:33 | 皇室と皇族関連記事

天皇陛下は、23日に64歳の誕生日を迎えられました。

天皇陛下は、誕生日を前に、皇居・宮殿で記者会見に臨み、元日に発生した能登半島地震について、「多くの方が犠牲となられ、今なお安否が不明の方がいらっしゃることや、避難を余儀なくされている方が多いことに深く心を痛めております」と述べられました。

そのうえで、「現地の復旧の状況を見つつ、被災者の皆さんのお気持ちや、被災自治体を始めとする関係者の考えを伺いながら、訪問できるようになりましたら、雅子と共に被災地へのお見舞いができればと考えております」と話されました。

また、ことし5月で即位から5年となるのを前に、これまでの天皇としての歩みを振り返って、「国民の皆さんの中に入り、少しでも寄り添うことを目指して、行く先々で多くの方々のお話を聴き、皆さんの置かれている状況や気持ち、皇室が国民のために何をすべきかなどについて的確に感じ取れるように、国民の皆さんと接する機会を広く持つよう心掛けてまいりました。これからも雅子と相談しつつ、このことを心掛けながら各地を訪問してまいりたいと思います」と語られました。

さらに、日本赤十字社への就職が内定している長女の愛子さまについて、「人のために何かできればという思いを以前から持っていたように思います。皇族としての仕事も増えてくると思いますが、今後も、思いやりと感謝の気持ちを持ちながら、皇室の一員として一つ一つの務めを大切に果たしていってもらいたいと思います」と述べられました。

そして、ことし9月に成年となられる秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまについて、「小さい時から甥として成長を見守ってまいりましたが、近頃は、地方や都内への訪問であったり、外国の方々との交流であったり、少しずつ、皇室の一員としての務めを果たしてくれていることを頼もしく思っています」と話されました。

皇居では、23日に天皇誕生日の一般参賀が行われ、天皇陛下は、皇后さまや秋篠宮ご夫妻、愛子さま、佳子さまとともに、午前中に3回、宮殿のベランダに立って、お祝いを受けられます。

御所で撮影 天皇皇后両陛下の映像公開
天皇陛下の誕生日にあたり、宮内庁は、2月9日にお住まいの御所で撮影した天皇皇后両陛下の映像を公開しました。

この中で両陛下は、ことしの歌会始でも使われた輪島塗の御懐紙箱をご覧になっています。

また、お二人のそばには、輪島塗の飾盆と、珠洲焼のつぼが飾られています。

側近によりますと、両陛下は、地震によって被災地の産業が大きな被害を受け、能登地域の伝統文化や産業に携わる多くの人が困難な状況にあることを心配されているということです。

撮影の際、両陛下は、輪島市の「朝市通り」を訪れた際の思い出や、輪島塗の制作には多くの職人が関わっていることなどを話されていたということです。

宮内庁は、3月下旬の両陛下の石川県の被災地訪問に向け調整を進めています。

天皇陛下 記者会見全文
天皇陛下の記者会見の全文です。

(宮内記者会代表質問)
(問1)
この1年、明るい話題があった一方、新年には能登半島地震が発生し、多くの方が亡くなり、避難生活を余儀なくされています。この1年を振り返って、印象に残る出来事をお聞かせください。

(天皇陛下)
年明けから間もない今年の元日の夕方に発生した能登半島地震は、お正月に家族で集まっていた多くの家庭を襲い、大勢の方が亡くなり、また、けがをされたり、住まいを無くされたりしました。

今回の地震に見舞われた能登地域は、雅子も私も、それぞれ学生時代に訪れて、思い出深く思ってきた地域であるとともに、昨年10月に、二人で揃って金沢市を訪問し、県民の皆さんに温かく迎えていただいたことが特に心に残っており、その石川県において、多くの方が犠牲となられ、今なお安否が不明の方がいらっしゃることや、避難を余儀なくされている方が多いことに深く心を痛めております。

亡くなられた方々に心から哀悼の意を表しますとともに、御遺族と被災された方々に心からお見舞いをお伝えいたします。

冬の寒さが続く中、また特に地震発生から暫くの間は殊の外厳しい環境の中で、多くの被災者の方が避難所での生活を続けてこられており、長期化する避難生活において、高齢の方々などの病気が悪化したり体調を崩されたりすることが案じられます。

今回の地震では、半島地域において道路網が寸断したため、救出・救助活動が難しくなっており、孤立集落が発生したりしました。

水道施設の復旧が難しく、断水が長期にわたっており、非常に不便な生活を強いられている方も大勢おられます。

このように厳しい状況の中で、救出・救助活動や、救援物資の提供、被災者の医療・健康支援、ライフラインの復旧などに日夜懸命に取り組んでおられる皆さんに、改めて心からの感謝をお伝えしたいと思います。

また、発災直後から数多くの専門ボランティアやNPOが被災地で活動を開始し、被災された方々の様々な支援に当たっています。

きめ細かい支援の大切さを感じるとともに、被災地において、これらボランティアやNPOの活動をされている方々の尽力も大変有り難く思います。

様々な困難な状況が続いていますが、今後、多くの人々からの支援を得て、復旧・復興が順調に進んでいくことを心から願っています。

今回の地震により、能登地域独自の伝統的な文化や産業も大きな被害を受けました。

地域の歴史文化・伝統産業は、そこに住む皆さんの心の拠り所となってきた大切なものだと思います。

伝統技術を受け継ぐ若い人々の力も得ながら、長く受け継がれてきた伝統文化を守り、継承していくための支援も大切であると思います。

被災地にお見舞いに伺うことについては、私としては、現地の復旧の状況を見つつ、被災者の皆さんのお気持ちや、被災自治体を始めとする関係者の考えを伺いながら、訪問できるようになりましたら、雅子と共に被災地へのお見舞いができればと考えております。

国内全体に目を転じると、自然災害や物価高などにより、多くの人々が様々な困難を抱えながら生活しており、支援を必要としているお年寄りや障害のある方、生活に困窮している方や生活困窮世帯の子どもたちなど、社会的に弱い立場にある人々のことが案じられます。

同時に、このような社会的に弱い立場にある人々を支え、その命と暮らしを守るために力を尽くされている方が多くいることを有り難く思っています。

大変なことも多い中ではありますが、人々が、これからもお互いを思いやりながら支え合い、困難な状況を乗り越えていくことができるよう願っております。

地球規模では、地震や水害などの大きな自然災害が起きています。

この1年においても、モロッコやアフガニスタンにおいて大きな地震が発生し、多くの人々が亡くなったり、負傷されたり、家を失い避難生活を余儀なくされたりしています。

大雨による被害や山火事、深刻な干ばつなど、地球温暖化に伴うと思われる自然災害も世界各地で多発しています。

ここに改めて、これら自然災害により犠牲になられた方々の御冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々にお見舞いをお伝えしたいと思います。

「地球温暖化」について、グテーレス国連事務総長は、昨年7月27日の会見で、現在の状況を「地球温暖化」の時代から「地球沸騰化」の時代が来たと警告しています。

以前にも述べましたように、持続可能な世界を築いていくためには、世界の人々が知恵を出し合い、共に手を取り合って協力していくことが、今正に求められており、地球温暖化の問題は、今私たちが真剣に取り組まなければならない喫緊の課題であると思います。

また、世界各地で現在も戦争や紛争などが発生し、多数の人々の命が失われています。

飢餓や貧困、抑圧や偏見などに苦しみ、生命や尊厳が脅かされている人々もいます。

世界が直面するこうした困難な状況に、深く心が痛みます。

平和な世界を築くために、世界の人々がお互いの理解に努め、お互いを尊重し、お互いを思いやりながら協力していくことの大切さを改めて感じています。

このような中でも、この1年、明るい話題もありました。

昨年の5月には、新型コロナウイルス感染症の感染症法上の位置付けが5類に移行しました。

引き続き感染症の流行を注視していく必要がある中にあって、人々の日常生活が元に戻っていく上で、確かな明るさが見える年となりました。

科学技術の分野では、つい先日の2月17日、H3ロケットの打ち上げが成功しました。

また、1月20日には、小型月着陸実証機「SLIM」が月面へのピンポイント着陸に成功しました。

「はやぶさ」や「はやぶさ2」に続き、宇宙開発の分野で長年にわたり積み重ねてきた技術が花開いたものであり、関係者の努力に敬意を表します。

生成AIなど、AIの技術の進展が注目されてきていますが、能登半島地震の被災地では、日本の優れた水処理技術とAIを結び付けた自律制御型のポータブル水再生システムの活用により、入浴や手洗いのサービスが提供され、厳しい状況にある被災者の方々の助けとなっています。

こうした取組は若い人たちが中心となって設立した企業による取組と聞きました。

全国各地から駆け付けたボランティアの活動を含め、若い人たちのこうした活力が我が国の新しい可能性を切り開いていくことを期待したいと思います。

また、例えばスポーツの世界では、昨年開催された野球のWBCでの日本代表チームの3大会ぶり3回目の優勝や、米国メジャーリーグで活躍する大谷翔平選手が、史上初となる2度目の満票選出でのMVPに選ばれたこと、あるいは、将棋の世界で、藤井聡太さんが「王座」のタイトルを獲得し、史上初の八冠を達成したことなど、若い世代の人々が、日々の努力の積み重ねにより新たな世界を切り開いていく姿は、私たちに明るい夢と希望を与えてくれました。

(問2)
新型コロナウイルスの位置付けの変更により、昨年は園遊会が再開され、両陛下での地方訪問も本格化しました。国際親善を目的としたインドネシアへの訪問には、皇后さまも同行されました。行事や訪問先でのエピソードや印象に残っていることをお聞かせください。

皇后さまは昨年、還暦の誕生日にあたり「これからまた新たな気持ちで一歩を踏み出し、努力を重ねながら、この先の人生を歩んでいくことができれば」と、今後への思いを綴られました。ご結婚から30年、共に歩んでこられた皇后さまへの思いとともに、贈られたい言葉があればお教えください。

(天皇陛下)
新型コロナウイルス感染症の感染拡大の落ち着きを受けて、コロナ禍にあって開催されていなかった園遊会を、昨年は春、秋と開催することができ、久しぶりに多くの皆さんをお迎えできて嬉しく思いました。

6月には全国植樹祭に出席するために岩手県を訪れました。

高田松原津波復興祈念公園の国営追悼・祈念施設「海を望む場」において、巨大な津波が押し寄せた広田湾を臨み、東日本大震災当時のことを思い出しながら、犠牲となられた方々の御冥福をお祈りし、花をお供えいたしました。

東日本大震災津波伝承館では、震災での体験を後世に伝える活動などをされている方々からのお話を伺い、震災の事実と教訓、そして人々の体験や復興への思いなどを後世に伝えていくことの大切さを感じました。

「奇跡の一本松」のモニュメントを初めて実際に見ることができ、全国植樹祭の記念式典でも「奇跡の一本松」の遺伝子を受け継ぐ南部アカマツの苗木を植えることができました。

また、記念式典では、「奇跡の一本松」を用いて製作されたいわゆる「津波ビオラ」などで構成される弦楽四重奏を聴くことができ、以前私自身が、そのビオラを演奏会で弾いたことを思い出しました。

この地域がこれまで辿ってきた困難を思い起こしながら、全国植樹祭が開催されるまでに復興が進んできたことを、雅子と共に心から嬉しく思いました。

今回訪れた、陸前高田市、大船渡市や釜石市では、被災地の皆さんから直にお話を聞くことができ、幾多の困難を抱えながら弛みない努力を続けてこられた姿に心を打たれました。

皆さんのお話を伺いながら、まだ課題が多く残されているものの、復興が着実に進んできていることを感慨深く思いました。

被災地が、新しいコミュニティ作りを始め、今後、真の復興を遂げていくことを心から願うとともに、被災地に引き続き心を寄せていきたいという思いを新たに致しました。

9月には、全国豊かな海づくり大会のために北海道を、そして10月には、特別国民体育大会のために鹿児島県、国民文化祭及び全国障害者芸術・文化祭のために石川県を訪れ、それぞれの地域の特色に触れ、この国の自然・風土や歴史・文化の豊かさを改めて感じることができました。

今年の歌会始の歌でも詠みましたが、各地を訪れた際に皆さんと直に接することができたことは、大変嬉しいことでした。

それぞれの場所で色々な方のお話を直接伺い、皆さんの笑顔に接することができたことも心和むことでした。

地方を訪れた際、それぞれの関係者の方々が感染防止対策に気を配りながら万全の準備を進めてこられたこと、また、多くの道県民の皆さんが私と雅子を温かく迎えてくださったことに、雅子と共に心から感謝したいと思います。

6月には、日本・インドネシア外交関係開設65周年及び日本ASEAN友好協力50周年という記念すべき年に、雅子と共にインドネシアを訪問できたことを大変嬉しく思います。

二人揃っての初めての東南アジアの国への公式訪問ということもあり、私たちにとって、とても思い出深いものとなりました。

訪問中は、ジョコ大統領御夫妻やハメンク・ブウォノ10世ジョグジャカルタ特別州知事御夫妻を始めとして、各地でインドネシア政府や国民の皆さんに温かく迎えていただき、心のこもったおもてなしを頂いたことは大変有り難く、心から感謝しております。

この機会に改めて、今回の訪問の実現に尽力されたインドネシアと日本の多くの関係者の皆さんに感謝したいと思います。

訪問を通じて、インドネシアの歴史や、多様性に富んだ豊かな社会・文化に対する理解を深められたほか、両国の間で長年にわたり培われてきた友好親善と協力の実績を目の当たりにすることができました。

また、ボゴール宮殿、同植物園、ダルマ・プルサダ大学、ボロブドゥール寺院遺跡など、かつて上皇上皇后両陛下も御訪問になったゆかりの場所を訪問したり、両国間の交流に様々な形で貢献されてきた幅広い世代の方々に直接お会いして、両国の友好親善関係が、難しかった時代を経て、世代を超えた人々の弛みない努力と交流を通じて育まれてきたことに思いを新たに致しました。

日本や日本の人々に温かい気持ちを寄せていただいているインドネシアの人々が沢山いることを実感し、嬉しく、有り難く思いました。

中でも、日本の文化や言葉などを通じて日本に関心を寄せるインドネシアの若い人々や、インドネシアで暮らす日本の子どもたちや若い人々と交流する中で、今後の両国の友好親善と協力関係において若い世代が果たす役割の可能性を感じました。

両国の若い世代が、お互いに対する関心を深めて交流し、両国の相互理解と友好協力関係の一層の深まりに大きな役割を担っていってくれることを期待いたします。

今回の訪問が、日本とインドネシアの人々の相互理解を一層深め、両国の友好親善と協力関係を更に発展させる契機となったのであれば、大変嬉しく思います。

雅子は、工夫や努力を重ねながら、この1年も、都内での式典などの行事のほか、予定されていた岩手県、北海道、鹿児島県並びに石川県への地方の訪問を全て終えることができました。

また、久々の海外への親善訪問として、滞在期間が国内で地方を訪問する時よりも長いインドネシア訪問を二人で無事に果たすことができたことに安堵するとともに、嬉しく思いました。

この1年、都内、宮殿や御所での行事も増えました。

いまだ快復の途上で、体調には波があり、大きな行事の後や行事が続いた場合には、疲れが暫く残ることもあります。

そのような際には、十分に休息を取ってほしいと思いますし、これからも、無理をせずにできることを一つ一つ着実に積み重ねていってほしいと思います。

国民の皆さんには、これまで温かく心を寄せていただいていることに、雅子共々改めて感謝の気持ちをお伝えするとともに、引き続き雅子の快復を温かく見守っていただければ有り難く思います。

雅子と結婚してから、二人で一緒に多くのことを経験し、お互いに助け合い、喜びや悲しみなどを分かち合いながら歩んでまいりました。

雅子は、娘の愛子の成長を見守りつつ、私の日々の活動を支えてくれる大切な存在であるとともに、公私にわたり良き相談相手になってくれています。

本当によくやってくれていると思い、助けられることも多いです。

私も、今後ともできる限り力になり、支えていきたいと思っています。

30年を共に過ごし、雅子には、私からこれまでの感謝の気持ちを伝えたいと思うとともに、この先の人生も引き続きよろしく、と伝えたいと思います。

(問3)
今年、愛子さまは大学卒業後、日本赤十字社に嘱託職員としてお勤めになり、秋篠宮家の悠仁さまは成年を迎えられます。
愛子さまの最近のご様子や大学生活での思い出深い出来事とともに、日赤への就職にあたってご家族で話し合われたこと、お一方での公的な活動の見通しや、ご結婚への考えをお聞かせください。
皇位継承順位2位の悠仁さまの成長についてどのようにご覧になっていらっしゃいますか。今後期待されていることをお聞かせください。

(天皇陛下)
愛子には、新型コロナウイルス感染症の感染状況が落ち着き、今年度からは大学のキャンパスに足を運べるようになりました。

大学での勉学に熱心に取り組み、先生方やお友達と一緒に、楽しく充実した学生生活を送っているように思います。

卒業論文の執筆に当たっては、指導の先生方の御助言を頂きながら、論文を読んだり、放課後などに大学の図書館や日本語日本文学科の書庫などで資料を集めたりしながら、一生懸命、論文を執筆していました。

卒業が間近に迫っていますが、残りの大学生活を有意義に送ってもらえればと思っています。

これまで温かく御指導いただいている先生方や職員の皆さん、そして、親しくしていただいているお友達に心から感謝しております。

大学生活では、日本語日本文学科の専門科目の授業はもとより、教養科目や他の学科の授業、例えば、日本史、東洋史、日本の伝統芸能や福祉などの講義を聴き、視野を広げることができたことや、殊に今年度からは、大学のキャンパス内で先生方やお友達と直にお話ししたり、一緒に運動ができたりしたことなどが、かけがえのない経験として印象に残っているようです。

また、キャンパス内の様々な場所を探索できたことも楽しかったようです。

日本赤十字社への就職に関しては、愛子は、成年の記者会見の時にも、「自分の住んでいる街であるとかないとか関係なく、人の役に立とうと懸命に活動している災害ボランティアの姿に非常に感銘を受けました」と申しましたように、人のために何かできればという思いを以前から持っていたように思います。

そのような中で、愛子は、昨年には私や雅子と共に、日本赤十字社から日赤の行っている様々な活動についてのお話を伺ったり、日赤本社で開催された関東大震災時における日赤の救護や医療活動などの展示を見に伺う機会がありました。

このようなことを通じて、日赤の活動に携わることで、少しでも社会に貢献したいという気持ちを強く持つようになったと思われ、私たち家族ともよく話し合い、日赤で勤めることを希望いたしましたところ、日赤側にも快諾していただいたことはとても有り難いことでした。

愛子には、この4月から、日赤の一員として多くの人のお役に立てるよう努力を続けてほしいと思いますし、社会に出ると大変なこともあるかもしれませんが、それを乗り越えて、社会人の一人として成長していってくれることを願っています。

愛子には、これからも、色々な方から沢山のことを学び、様々な経験を積み重ねながら視野を広げ、自らの考えを深めていってほしいと願っています。

また、同時に皇族としての仕事も増えてくると思いますが、今後も、思いやりと感謝の気持ちを持ちながら、皇室の一員として一つ一つの務めを大切に果たしていってもらいたいと思います。

その過程で、私たちで相談に乗れることは、できる限りしていきたいと思います。

皆様には、これまでも愛子に温かいお気持ちを寄せていただいていることに、心から感謝しております。

今後とも愛子を温かく見守っていただければ幸いに思います。

悠仁親王は今年18歳となり、成年を迎えます。

小さい時から甥として成長を見守ってまいりましたが、近頃は、地方や都内への訪問であったり、外国の方々との交流であったり、少しずつ、皇室の一員としての務めを果たしてくれていることを頼もしく思っています。

会った時などには、トンボの話や野菜の栽培、また、クラブ活動として行っているバドミントンの話など、生き生きと話してくれますので、充実した日々を送っているのではないかと思います。

これから、大学への進路についても考えを深めていくことになると思います。

本人が関心を持ち、学びたいこと、やりたいこともあると思いますので、自身の将来をしっかりと見つめながら実り多い高校生活を送ってほしいと願っております。

(問4)
陛下は5月に即位5年を迎えられます。
新型コロナで制約の多い期間が続きましたが、可能な限り各地に足を運び、オンラインでの訪問も取り入れ、多くの人々と交流されてきました。
海外の賓客とは円テーブルを囲んで会見し、午餐で和食の提供や日本酒で乾杯をされるなど、新たな取り組みも始められました。
天皇としての歩みを振り返るとともに、今後の活動について皇后さまと話し合われていることをお聞かせください。
また、お忙しい中、水を巡る問題や交通史の研究、ビオラの演奏、登山といった私的なご活動の状況はいかがでしょうか。

(天皇陛下)
新型コロナウイルス感染症の影響により、地方への訪問を3年近くできなくなるなど、国民の皆さんと直接触れ合うことが難しくなったことを私も雅子も残念に思っていましたが、このような状況の中で、人々とのつながりを築き、国民の皆さんの力になるために、私たちに何ができるかを考え、宮内庁とも相談し、オンラインでの交流の可能性を検討しました。

オンライン訪問には、感染症対策としての利点以外にも、複数の場所にいる人々に同時に会うことや、離島や中山間地域など、通常では訪問が難しい場所でも訪問ができるという利点もあるように思いました。

オンラインには、オンラインなりの課題もあるでしょうが、引き続き、状況に応じた形で活用していきたいと思います。

新型コロナウイルス感染症の感染拡大の落ち着きを受けて、都内においても様々な行事が再開され、そして、地方への訪問も行うことができるようになり、皆さんと直に会って人と人との絆を深めることができるようになったことを、雅子と共に、とても嬉しく思っています。

これまで、私と雅子は、様々な行事の機会に、あるいは災害の被災地のお見舞いや復興状況の視察のために、各地を訪問してまいりました。

その際には、国民の皆さんの中に入り、少しでも寄り添うことを目指して、行く先々で多くの方々のお話を聴き、皆さんの置かれている状況や気持ち、皇室が国民のために何をすべきかなどについて的確に感じ取れるように、国民の皆さんと接する機会を広く持つよう心掛けてまいりました。

これからも雅子と相談しつつ、このことを心掛けながら各地を訪問してまいりたいと思います。

外国からの賓客に関する質問につきましては、賓客お一人お一人の訪問がより良いものとなるよう、宮中における伝統や慣行を踏まえつつ、雅子や職員とも相談して、その時々にふさわしい形でお迎えできればと考えています。

はるばるお越しいただいた外国賓客の皆さんとより親しく交流し、賓客の皆さんには、日本の文化や伝統を知っていただくとともに、日本の人々に近しい気持ちを抱いていただけるような機会になればと思っております。

私的な活動についての御質問ですが、まず、ビオラの演奏については、最近はなかなか練習の時間が取りにくくなってはいますが、少しずつ続けており、ビオラに限らず、音楽からは多くの癒やしと力をもらっているように思います。

音楽についていえば、今月6日に小澤征爾さんが亡くなられたことをとても残念に思います。

子どもの頃から、小澤さんが指揮をされた、新日本フィルハーモニー交響楽団、ボストン交響楽団、ウィーン国立歌劇場の公演などに伺い、また、お話をしたことを懐かしく思い出します。

登山については、山小屋に泊まっての登山というのはなかなか難しいかもしれませんが、今後とも、時間が許せば近くの山に登るなどして、日本の自然の美しさに触れられればと思っています。

日頃は、皇居内で四季の移ろいや野鳥のさえずりを聴きながらジョギングをしたり、雅子と一緒に散策をしたりするなど、健康のための運動は続けています。

また、昨年は4年ぶりに栃木県の御料牧場や那須御用邸で静養する機会にも恵まれました。

豊かな自然の中で、ゆっくりと心安らぐ日々を過ごすことができ嬉しく思いました。

「水」問題については、「水」を切り口に、安全な飲み水や、水上交通、自然災害や治水対策といった国民生活の安定と発展に関わる問題や、気候変動といった地球規模での課題など、水は多くの側面に関わってきます。

昨年は46年ぶりに国連で水会議が開かれるなど、各国の「水」問題に対する取組も進められていると聞いています。

私自身、昨年は、「第6回国連水と災害に関する特別会合」でビデオでの基調講演を行いました。

講演の中では、江戸の町を例に取って、上水道システムを構築したことや、舟運ネットワークを上手に利用したこと、他方で水害から町を守る治水対策を進めたことなどによって、江戸が当時としては世界最大級の都市に発展したことを紹介しました。

水の恩恵を享受しつつ、他方で災害に対応することは、歴史を通じた人類共通の歩みでもあり、水を巡る問題を知ることは、海外の社会や文化を理解することにもつながります。

例えば、昨年インドネシアを訪問した際に見る機会がありました、5世紀に造られた「トゥグ碑文」には、当時の治水事業が記されていました。

わざわざ石に彫って記録を残すくらいですから、当時のインドネシアでも治水事業が大きな意味を持っていたことが分かります。

これまでもこうした活動を行う中で「水」問題に対する理解を深めようと努めてきましたが、引き続き関心をもって、事情の許す範囲で今後とも「水」問題についての取組も続けていくことができればと思っています。

(問5)
皇室の課題に関してお尋ねいたします。
安定的な皇位継承のあり方を議論する政府の有識者会議の報告書が国会に提出されてから、2年が経過しました。
皇族の減少と高齢化に対する陛下の受け止めと、皇室の活動の将来像をどのようにお考えになっているかをお聞かせください。
宮内庁の広報室が設置されて間もなく1年となりますが、海外王室のようにSNSでの積極的な情報発信は行われていません。
皇室へのバッシングと受け取れる一部の報道やインターネット上の書き込みが続いていますが、情報発信のあり方や誤った情報への対策についても併せてお聞かせください。

(天皇陛下)
現在、男性皇族の数が減り、高齢化が進んでいること、女性皇族は結婚により皇籍を離脱すること、といった事情により、公的活動を担うことができる皇族は以前に比べ、減少してきております。

そして、そのことは皇室の将来とも関係する問題ですが、制度に関わる事柄については、私から言及することは控えたいと思います。

昨年もお話ししたとおり、皇室の活動についての情報発信を考えるのに当たって、その前提として、皇室の在り方や活動の基本に立ち返って考える必要があると思います。

皇室の在り方や活動の基本は、繰り返しになりますが、国民の幸せを常に願って、国民と苦楽を共にすることだと思います。

そして、時代の移り変わりや社会の変化に応じて、状況に対応した務めを果たしていくことは大切であると思います。

皇室を構成する一人一人が、このような役割と真摯に向き合い、国民の幸せを願いながら一つ一つの務めを果たし、国民と心の交流を重ねていく中で、国民と皇室との信頼関係が築かれていくものと考えております。

国民と心の交流を重ね、国民と皇室の信頼関係を築くに当たっては、皇室に関する情報を、国民の皆さんに、適切なタイミングで、分かりやすく発信していくことは大事なことであると考えています。

具体的な情報発信の行い方については、現在、宮内庁で検討が進められていると承知しております。


(関連質問)
(問1)
お誕生日、おめでとうございます。
先ほどの、愛子様に関するところの関連でお伺いしたいのですが、陛下がずっと成長を見守ってこられる中で、愛子様が福祉ですとか日赤に関心を寄せられるきっかけとして思い当たるものが何かおありかどうか、また日赤に就職をしたいというお話をお聞きになったときに、陛下は率直にどのように思われたか、お聞かせいただけますでしょうか。

(天皇陛下)
愛子は私たちの手元で育って、そして私たちが色々やっていることを間近に見てきていると思います。

そのような中で、私たちも福祉についての話を愛子にすることもありましたし、いつの時点で、愛子が福祉に関心を持つようになったか、その辺はよくは分かりませんけれども、私たちの話などを聞きながら、そしてまた、自分自身でも自然にそういった福祉について関心を持つようになり、そして、今も話しましたけれども、何か福祉を通して人々の役に立ちたいという気持ちが徐々に形作られていったのではないかというように思います。

そのようなこともあって、大学でも福祉の授業を履修しましたし、それから日赤に入りたいということを聞きました時は、やはり、雅子も私もとてもいい考えではないかというように思いましたし、これからも愛子のことを応援していきたいなというように思いました。

(問2)
おめでとうございます。
今の質問にも関連してしまうのですけれども、実際に今いい考えだとおっしゃいましたけれども、愛子様の海外での御生活、例えば留学生活とか、そういったことについては、どのようなお話し合いがあったのか、今後の可能性も含めてお話しいただければと思います。

(天皇陛下)
愛子は私たちの元で育てましたけれども、海外からのお客様、特に王族の方々などがお見えになった時には、愛子もできるだけ、都合のつく限りは同席してもらって、そしてその外国の王族の方々などとも、王族に限りませんけれども、色々な方と交流を深めて、そして外国に対する、日本の国以外に対する、外国についても色々理解と知識を深めていってもらいたいというようなことで、今までも育ててきたように思います。

大学では、本人も興味があって、英語以外に第二外国語、スペイン語を履修しましたけれども、これはまたこれで非常に良かったのではないかなと思いますし、それから高校生の時に、イートン校に短期留学でしたけれども夏の間お友達と一緒に留学をして、その際はもちろん語学の勉強もありましたけれども、オックスフォードを含めて、イギリスの中を何か所か回って、イギリスに対する理解も深めることができたと思いますし、もうちょっと遡りますと小さい時にオランダに連れて行ったということもありますので、そういうことを通して、海外に対する関心とか理解というものが深められていったのではないかと思います。

この間はケニアの大統領御夫妻をお迎えしての宮中午餐に同席いたしましたけれども、今後やはり海外からのお客様と接する機会というのは増えてくると思いますし、一つ一つの機会を通じて、海外に対する理解を深めていってもらいたいと思いますし、いずれ海外への訪問というものもあるのではないかというように思っております。

いずれにしても、前にも話したことだと思いますけれども、日本にいるといろんな情報がインターネットなどを通じて分かりますけれども、やはり外国に行って実際にその場所を見るということはやはり何物にも代え難いものがあるように思いますし、実際にその場所に行って、そこにいる方々とお話をして、その国の社会や文化に接することによって、また更に大きく成長していってもらいたいというように思っております。

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チャールズ国王 がんと診断され治療を始めた

2024-02-06 07:45:03 | 皇室と皇族関連記事
英 チャールズ国王 がんと診断され治療を始めたと発表 | NHK 2024年2月6日 5時46分

イギリス王室は5日、チャールズ国王ががんと診断され治療を始めたと発表しました。詳しい病状などは明らかにしていませんが、一般市民の前に姿を見せての公務は当面見送るとしています。

75歳のチャールズ国王は、肥大した前立腺の治療のため1月26日からロンドン市内の病院に入院し、29日に退院しましたが、イギリス王室によりますとがんはこの際に見つかったということです。

前立腺がんではないという以外、がんの詳しい部位や進行の程度は明らかにしていませんが、5日からロンドン市内の病院に通いながら治療を受け、医師団の勧めで一般市民の前に姿を見せての公務は当面見送るとしています。

王室は声明で「国王は医療チームの迅速な対応に感謝し、1日も早く公務に全面的に復帰できるのを楽しみにしている」とした上で「国王は臆測を避けるとともに、がんの影響を受ける世界中の人々に対する理解の一助にしてもらいたいと診断結果を公表することにした」としています。

チャールズ国王はおととし9月、母親のエリザベス女王の死去に伴い、イギリスの君主として史上最年長の73歳で即位しました。

国王のがんについてイギリスメディアは大きく報じ、一部のメディアは、2020年に公務から退いたあと王室批判を続けてきた次男のハリー王子が、拠点とするアメリカから数日以内に面会に訪れる予定だと伝えています。

英 スナク首相 「すぐに全快と確信」
チャールズ国王の診断結果の発表を受け、イギリスのスナク首相はSNSに「国王陛下の完全かつ速やかな回復を願っています。すぐに全快されると確信しているし、国中が陛下の健康を祈っています」と投稿しました。

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愛子内親王:日本赤十字社で嘱託職員として勤務へ

2024-01-23 05:57:27 | 皇室と皇族関連記事
愛子さま 大学卒業後は日本赤十字社で嘱託職員として勤務 NHK 2024年1月22日 19時21分

天皇皇后両陛下の長女の愛子さまは、大学卒業後のことし4月から日本赤十字社で嘱託職員として勤務されることが内定しました。

愛子さまは、学習院大学文学部日本語日本文学科の4年生で、ことし3月に卒業される見込みです。

その後の進路について、宮内庁は22日、愛子さまが4月1日から東京 港区に本社がある日本赤十字社で、嘱託職員として勤務されることが内定したと発表しました。

日本赤十字社は、全国各地に病院や血液センター、それに看護師などの養成施設を持つ認可法人で、全国に6万人余りの職員がいて、皇后さまが名誉総裁を務められています。

愛子さまは両陛下の活動や大学での授業などを通じて、日頃から福祉活動全般に関心を持っていて、去年10月には、両陛下とともに日本赤十字社を訪ねて、関東大震災での救護活動を振り返る企画展を鑑賞されていました。

こうした中で、日本赤十字社の活動に携わることを希望するようになったということで、皇族としての務めと両立するため嘱託職員として勤務されますが、具体的な仕事内容や勤務条件などは今後決まるということです。

愛子さまは側近を通じて「本年4月より日本赤十字社の嘱託職員として勤務することの内定をいただき、ありがたく思っております。日頃から関心を寄せている日赤の仕事に携われることをうれしく思うと同時に、身の引き締まる思いがいたします。これからもさまざまな学びを続け、一社会人としての自覚を持って仕事に励むことで、微力ではございますが、少しでも人々や社会のお役に立つことができればと考えております」とお気持ちを述べられました。

また両陛下も「愛子が日本赤十字社の嘱託職員として受け入れていただくことになったことを、ありがたく思います。この春から日赤の一員として仕事に従事することにより、多くの人のお役に立てるよう努力を続けるとともに、社会人の1人として成長していってくれることを願っています」と側近を通じてお気持ちを述べられました。

日本赤十字社社長「安心してご勤務いただけるよう 準備進める」
愛子さまがことし4月から嘱託職員として勤務されることが内定したことについて、日本赤十字社の清家篤社長は「愛子内親王殿下が赤十字の活動にご関心を抱かれ、大学ご卒業後の進路として日本赤十字社の活動に携わりたいとお考えいただきましたことは、日本赤十字社にとりましてありがたいことだと考えております。私どもといたしましても、内親王殿下が4月から安心してご勤務いただけるよう、しっかりと準備を進めてまいりたいと思います」というコメントを出しました。

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自民・維新・国民:自民に総裁直轄の組織を新設し、旧皇族男系男子の皇籍復帰を軸に検討を進める

2023-11-05 11:23:23 | 皇室と皇族関連記事
皇位継承資格の範囲が焦点に 男系限定か女系容認か2023年11月4日 16時41分 (共同通信):東京新聞 TOKYO Web

岸田文雄首相(自民党総裁)は、安定的な皇位継承策を「喫緊の課題」と位置付け、臨時国会中の進展を目指す。自民に総裁直轄の組織を新設し、旧皇族男系男子の皇籍復帰を軸に検討を進める。野党は日本維新の会や国民民主党が自民に同調する一方、立憲民主党は女性宮家創設に前向きな立場。今後、皇位継承資格の範囲が焦点となる。
 自民は、男系の皇統維持を強く求める保守層を意識する。皇室典範改正か特例法で、現皇族に養子縁組を認め、戦後に皇籍を離脱した旧皇族の男系男子を皇籍復帰させる案が有力だ。養子に入った本人には皇位継承資格を認めず、その子どもが男子だった場合に資格を与えることで正統性を確保する。

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2023年6/9 今上・皇后 結婚から30年

2023-06-09 06:20:31 | 皇室と皇族関連記事
天皇皇后両陛下 きょう ご結婚から30年 | NHK 2023年6月9日 0時02分

天皇皇后両陛下は、9日、結婚から30年を迎えられました。「これまでの歩みを進めてこられたことに深い感謝の念を覚えます」などと文書で感想を述べられました。

両陛下は、結婚30年にあたって、文書で感想を寄せ、「結婚30年を迎えると思うと、感慨もひとしおです。30年前、雨の降る中で執り行われた結婚の儀や午後の朝見の儀、多くの方から温かい祝福を頂いたパレードなどを懐かしく思い出します。たくさんの方からの助けを頂きながら、二人で多くのことを経験し、互いに助け合いつつ、喜びを分かち合い、そして時には悲しみを共にし、これまでの歩みを進めてこられたことに深い感謝の念を覚えます」と振り返られました。

また、上皇ご夫妻が常に国民の幸せを願いながら心を込めて公務に取り組まれたとして、「そうしたなさりようを心に刻みながら、今後とも国民の幸せを願い、二人で協力しながら務めを果たしていくことができればと考えています」と述べられました。

長女の愛子さまについては「私たちの生活を楽しく和やかなものにしてくれるだけでなく、愛子が学び、経験する一つ一つのことが、私たちにとっても新たな学びへとつながっていると感じます」とつづられています。

そして、「この機会に、国民の皆様より寄せていただいている温かいお気持ちに対して、改めて感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。これからの時代が、皆様にとって明るい希望と夢を持って歩みを進めていくことのできるものとなるよう心から願っています」と結ばれています。

両陛下は、9日、お住まいの御所で宮内庁長官などから祝賀のあいさつを受けられることになっています。
両陛下 ご感想全文
天皇皇后両陛下は、結婚30年にあたって、文書で感想を寄せられました。
その全文です。

今日で結婚30年を迎えると思うと、感慨もひとしおです。

30年前、雨の降る中で執り行われた結婚の儀や午後の朝見の儀、多くの方から温かい祝福を頂いたパレードなどを懐かしく思い出します。

この30年間に我が国と世界は大きな変化を経てきましたが、そうした道のりの中で、たくさんの方からの助けを頂きながら、二人で多くのことを経験し、互いに助け合いつつ、喜びを分かち合い、そして時には悲しみを共にし、これまでの歩みを進めてこられたことに深い感謝の念を覚えます。
この間、我が国は、阪神・淡路大震災や東日本大震災を始め、度重なる自然災害に見舞われてきました。

また、この3年余りの間には、新型コロナウイルス感染症が社会に大きな影響を与え、世界中の人々が多くの困難に直面してきました。

我が国では、新型コロナウイルス感染症の問題が少しずつ落ち着きを見せ、人々が日常の生活を取り戻しつつあることに安堵しておりますが、同時に、今なお様々な困難を抱えている人々の身の上を案じています。
つい先頃、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県の被災地を訪れましたが、これまでの人々の不断の努力と協力によって復興が着実に進んできていることを目の当たりにし、感慨深く思いました。

それとともに、まだ課題も残る中、新しいコミュニティー作りを始め、被災地が今後更に復興していくことを心から願っております。

上皇上皇后両陛下が、常に国民の幸せを願われながら、心を込めてお務めに取り組んでこられたお姿を私たちも拝見してきましたが、そうしたなさりようを心に刻みながら、今後とも国民の幸せを願い、二人で協力しながら務めを果たしていくことができればと考えています。

世界や社会の変化はこれからも続くものであり、そうした変化に応じて私たちの務めに対する社会の要請も変わってくるものと思われますが、そうした中でも、国民と苦楽を共にするという皇室の在り方が大切であるとの考えを今後とも持ち続けていきたいと思います。

これからも各地に足を運び、高齢の方や若者たち、社会を支える人や苦労を抱える人など、多くの人々と出会って話を聞き、時には言葉にならない心の声に耳を傾けながら、困難な状況に置かれた人々を始め、様々な状況にある人たちに心を寄せていきたいと思います。

そして、そのような取組のうちに、この国の人々の新たな可能性に心を開き続けていくことができればと考えています。
愛子も成年を迎え、少しずつ皇室の一員としての活動を行うようになりました。

愛子は、私たちの生活を楽しく和やかなものにしてくれるだけでなく、愛子が学び、経験する一つ一つのことが、私たちにとっても新たな学びへとつながっていると感じます。

この機会に、国民の皆様より寄せていただいている温かいお気持ちに対して、改めて感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。

これからの時代が、皆様にとって明るい希望と夢を持って歩みを進めていくことのできるものとなるよう心から願っています。
両陛下と愛子さま 養蚕作業に臨まれる映像公開
宮内庁は、天皇皇后両陛下の結婚30年にあたり、養蚕の作業に臨まれる天皇ご一家の映像を公開しました。

映像は、先月30日に皇居にある蚕の飼育施設で撮影され、両陛下と長女の愛子さまが「蔟」(まぶし)と呼ばれる器具から蚕の繭を取り出して収穫する「繭掻き」(まゆかき)と呼ばれる作業をされています。

皇室では、明治時代から歴代の皇后が蚕を育てていて、側近によりますと、この日、皇后さまは、天皇陛下や愛子さまと繭の形や大きさについて和やかに話しながら作業されたということです。
御料牧場で静養される写真公開
天皇皇后両陛下の結婚30年にあたり、宮内庁は、天皇ご一家がことし4月、静養のため栃木県にある宮内庁の御料牧場を訪ねられた際の写真を17枚公開しました。

天皇ご一家は、ことし4月5日から10日まで栃木県高根沢町にある宮内庁の御料牧場で静養されました。

提供された写真では、滞在中に生まれ、愛子さまが「レインボー」と名付けられたメスの子牛とご一家が触れあわれる様子や、皇后さまや愛子さまが馬ににんじんを与えられる場面が写されています。

ご一家は、動物と接する際、防疫対策として、防護服を着用されたということです。

別の写真では、収穫した大きな大根を持って、両陛下と愛子さまが笑顔を向けられています。
ご結婚から30年の歩み
天皇皇后両陛下は、30年前の平成5年(1993年)6月9日に結婚されました。

天皇陛下は33歳、皇后さまは29歳でした。

皇居で行われた「結婚の儀」に続いてお住まいのある赤坂御用地までオープンカーでパレードされ、沿道には20万人近くが詰めかけました。

翌月、東京サミットにあわせて開かれた宮中晩さん会で、皇后さまは皇族として国際舞台にデビューし、元外交官のキャリアを生かして外国の首脳と懇談されました。

翌年(1994年)には、初めてお二人での外国公式訪問に臨み、中東4か国を回って、国際親善に努められました。

結婚から2年後の平成7年(1995年)には阪神・淡路大震災が発生、外国訪問の日程を繰り上げて帰国し、被災地を見舞われました。
結婚から8年が経った平成13年12月、長女の愛子さまが誕生されました。

しかし、その2年後、皇后さまは体調を崩し、療養生活に入られました。

宮内庁は「適応障害」という診断結果を公表。

慣れない環境と大きなプレッシャーの中で、公務と子育てによる心身の疲れをためられていたのです。

天皇陛下は、記者会見で皇后さまを支え続ける決意を述べられました。

皇后さまは体調に波があり、公務を重ねるのが難しい状況が続きますが、平成23年(2011年)に東日本大震災が発生すると、両陛下で、大きな被害を受けた東北3県を相次いで訪れ、被災者を見舞われました。

平成25年(2013年)には皇后さまにとって、11年ぶりの外国公式訪問となったオランダへの訪問が実現し、回復に向けた大きな一歩を踏み出されました。

上皇さまの退位に伴い、即位した天皇陛下は、令和元年(2019年)10月、皇居・宮殿で皇后さまとともに「即位礼正殿の儀」に臨み、即位を内外に宣言されました。

しかし、令和2年(2020年)、新型コロナウイルスの感染が世界的に拡大し、両陛下が人々と直接触れあう機会は失われました。

翌年の元日、両陛下は「団結して苦難を乗り越えてほしい」と国民に向けて初めて、ビデオメッセージを発信されました。

さらに、オンラインを通じた人々との交流を始められました。

去年(2022年)からは感染の状況をみながら地方への訪問を再開し、今月、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県も訪問されました。
宮城 丸森町 大雨災害の被災者「皇后さまから優しいことばを」
令和元年に東日本や東北を中心に大きな被害が出た台風19号による豪雨災害では、両陛下は、即位に伴う一連の儀式を終えたあと、宮城県と福島県の被災地を見舞われました。

両陛下と懇談した宮城県丸森町の曽我國子さんは「皇后さまに『台風の時はどうしましたか』と聞かれ、腰までつかって避難してきましたと言ったところ、両陛下そろって『それは大変でしたね』と言ってくださいました。優しいおことばをかけていただき、本当にありがたいという思いです」と話していました。

丸森町の農家、佐藤雄一さんは、自宅と畑を失ったほか、隣の家の女性を助けることができなかったと自分を責め続けていましたが、両陛下のことばに救われたといいます。

佐藤さんは「隣のばあちゃんを助けることもできなかったと話したら、皇后さまから、『とにかく無理をしないで体を大事にしてくださいね』と声をかけていただきました。皇后さまは、涙ぐまれた様子で、本当に優しいことばで話してもらい、ここで負けてられない、落ち込んでばかりいられないと考えるようになりました」と振り返ります。

佐藤さんは両陛下のことばをきっかけに畑をいちから耕し始め、今では被災前と同じくらいの量の野菜を収穫できるようになったということで、「両陛下にはここまでできていますと伝えたいです。収穫した野菜を食べてもらえたら幸せです」と話していました。
両陛下が訪問 美術館館長「40年、50年と末永いお幸せを」
皇居のすぐ近くにあり、両陛下がプライベートでも訪れたことがある「静嘉堂文庫美術館」の河野元昭館長は、両陛下にお祝いのことばを寄せました。

去年12月に公務として来館した際には両陛下は、ときどき目を見交わしながら、国宝の茶わん「曜変天目」などをじっくり鑑賞されていたということです。

河野館長は「お二人が互いを尊敬しあい愛情を持たれている様子が伝わってくるようでした。想像もつかないお忙しい毎日をお過ごしだと思うので、ときには芸術で心を癒やし日々の緊張を解くためにまた足を運んでいただけたらうれしいです。この先も40年、50年と末永いお幸せをお祈りしたいです」と話していました。

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2023年6/4 寛仁親王の「母君」・三笠宮 崇仁親王百合子 妃  100歳の誕生日

2023-06-04 00:31:03 | 皇室と皇族関連記事



三笠宮妃百合子さま きょう100歳の誕生日 | NHK 2023年6月4日 0時21分

今の皇室で最高齢の三笠宮妃の百合子さまは、4日、100歳の誕生日を迎えられました。

宮内庁によりますと、百合子さまは、東京 港区の赤坂御用地にあるお住まいで健やかに過ごし、午前中には、健康のためテレビ番組の体操などの運動を15分程度、行われているということです。

また、天気のいい日には、車いすで赤坂御用地内を散策し、四季折々の自然を楽しまれているということです。

明治以降の皇族で、100歳を迎えるのは7年前に100歳で亡くなった夫の三笠宮さまに続いて百合子さまが2人目です。

百合子さま 「人々の幸せを祈念」
百合子さまは、誕生日を迎えるにあたって、文書でお気持ちを述べられました。

この中では「18歳で宮家に上がってから既に80年以上という長い歳月が過ぎ、この度100歳の節目を迎えることができました。現在は、孫や曾孫の成長をとても楽しみとしております。これからも人々の幸せを祈念しつつ、日々を過ごしてまいりたいと存じます」などと記されています。
お気持ち述べられた文章 全文
18歳で宮家に上がってから既に80年以上という長い歳月が過ぎ、この度100歳の節目を迎えることができました。

結婚後は、私自身の皇族としての公務を果たしながら、宮様をお支え申し上げる日々を送っておりました。

こうした中でも家族の思い出となる記録を残したいと思い、家族一人一人の歩みが分かるように写真アルバムを作成したり、5人の子供たちの育児日誌をつけたりと、時間に追われながらも充実した毎日を過ごしておりました。

私が子育てをしておりました時期は、日本社会全体がまだまだ大変な時期でございましたから、いつも宮様を始め多くの方々が私を支えてくださいましたことを、深い感謝の念を抱きつつ思い起こしております。

現在は、孫や曾孫の成長をとても楽しみとしております。

これからも人々の幸せを祈念しつつ、日々を過ごしてまいりたいと存じます。
三笠宮妃百合子さまとは
三笠宮妃の百合子さまは、大正12年6月4日、当時、子爵だった高木正得氏の次女として誕生されました。

昭和16年に女子学習院の本科を卒業し、その年の10月、18歳で、昭和天皇の弟の三笠宮さまと結婚されました。
三笠宮さまとの間には「ひげの殿下」として知られる三笠宮寛仁さまや桂宮さま、高円宮さまなど3男2女をもうけられました。

戦時中は空襲によって住まいが全焼し、防空ごうで生活するなど苦難の時期を過ごし、戦後、三笠宮さまが東京大学の研究生として西洋史の研究を始めると、ノートを書き写したり資料の整理をしたりして、支えられたということです。

昭和23年には「母子愛育会」の総裁に就任し、平成22年に退任するまで60年余りにわたって母子保健の向上に力を尽くしたほか、日本赤十字社の名誉副総裁も務められています。

また、三笠宮さまとともにヨーロッパや中東諸国を訪ね、国際親善にも努められました。

百合子さまは、現在も公的な行事に臨んでいて、ことし1月には、新年祝賀の儀や新年一般参賀にも出席し、元気な姿を見せられました。

また、高円宮さまの三女で、孫にあたる守谷絢子さんの子どもなど8人のひ孫に恵まれ、成長を楽しみに過ごされているということです。
孫の彬子さま「皇族としても 1人の人間としても 指針」
三笠宮妃の百合子さまが100歳を迎えられるにあたって、孫の三笠宮彬子さまが先月26日にNHKのインタビューに応じられました。

Q.最近の百合子さまのご様子は。

A.ご本をお読みになったり、雑誌をお読みになったり、クロスワードパズルをされたり、ジグソーパズルをされたり、机の上でお楽しみになれることを楽しまれたりですとか。

お花見の、桜のきれいな時期にはちょっとドライブで見に行かれたりとか。

野球もお好きでいらっしゃるので、ことしのWBCは遅くまでご覧になったというお話を伺いました。

Q.去年、三笠宮さまの伝記が出版されました。

A.妃殿下(百合子さま)のお申し出で、数年前、殿下(三笠宮さま)がお隠れになられてから1年ちょっとたった時だったかと思いますけれども、殿下の伝記をまとめたいというお話になられて。

私も歴史の研究の道にいたということもございましたので「彬子に手伝わせたい」ということをその時にお話をいただいて。

妃殿下の強い思いというのは強く感じましたし、殿下の足跡をきちんと形にして残したいという思いのお話を伺っておりましたので、これは何としても形にしなければならないと思って、この数年間、必死にまとめたような感じでございます。

Q.彬子さまは、三笠宮さまの伝記では百合子さまのオーラルヒストリー(口述史)の聞き手を務められました。

A.オーラルストーリーですと、どうしても文書をきれいにして雑味のない形にまとめることも多いと思うのですけれども、孫の私が伺ったこと、近衞のおば(近衞やす子さん)も同席してくださったこともありまして、三笠宮家のふだんの会話ですとか雰囲気がきちんと伝わったらいいなと。

それが皆様、読んで下さる方にも伝わったらいいなという思いで、なるべくむだなところを省かないようにしてまとめました。

妃殿下はふだんから本当に楽しそうにお話をしてくださいますので、聞き取りの中でも笑いがずいぶんとありましたし。

現代のわれわれの価値観で判断してしまいますと、例えば、夜中に殿下が「これ明日の朝までに写しておいてくれ」とおっしゃって、ノートを妃殿下がお写しになるということもすごく亭主関白のように伝わってしまうかもしれないのですけれども、妃殿下はそれを本当におよろこびとして、殿下をお支えになるのはうれしいというお気持ちでやっていらっしゃるので、そういったこともきちんと雰囲気として伝わるといいなというのを心がけて編集をいたしました。

Q.伝記では、百合子さまが軍人であった三笠宮さまの戦争時のエピソードを語られました。

A.妃殿下の口から直接伺ったのが、6、7年前でしょうか。

軽井沢の三笠宮家のご別邸にお伺いした時に、ちょうど終戦記念日の日で、妃殿下が突然「終戦の日はすごく暑くてね」とお話をされて。

「終戦の前日には、青年将校の人が来て、戦争を続けたい側と、もうやめるべきだという殿下と言い合いになって、本当にピストルが飛び交うかもしれないと思うようなとても緊迫した雰囲気だったのよ」というお話を本当にさらりとされました。

妃殿下にとっては、この戦争というものが、日本の歴史の一部であり、ご自身の歴史の一部なんだということをその時に初めて実感しました。

その青年将校は殿下のご同期のとても優秀な方でいらっしゃって、意見があわなくて喧嘩別れになるようなことでしたけれど、別れ際に殿下のお付き武官に「きょう、御所にお上がりにならないように」ということを言い置いて出て行かれて。

それは玉音盤を青年将校たちが奪取する計画があったので、殿下がお巻き込まれにならないようにという心遣いで言い置いて行かれた訳ですけれど「どんなに意見が違ったとしても『同期の桜』として宮さまのことをすごく大切に思っていらっしゃったのよね」というのを妃殿下がその時にお話になられて。

すごく胸が熱くなりました。

「同期の桜」というのは、よく聞く言葉ではありましたけれども、本当に「同期の桜」の話を聞くことはなかなかございませんので、そういったお話を伺えて、殿下がご存命の時にはあまり戦争のお話は殿下ご自身、そんなに積極的になさりたいような感じがございませんでしたので、私自身、ほとんど直接伺ったことがなかったので、今回も殿下がお隠れになってから妃殿下からお話を伺うことがあった時に、殿下からもう少し色々お話を伺っておきたかったなということはいまさらながら思いました。

Q.三笠宮さまと百合子さまの関係は。

A.本当にこの組み合わせ以外はあり得なかったんじゃないかなということは改めて思うところでございます。

貞明皇后が妃殿下をお選びになられた訳ですけども、すごく先見の明がおありになったのだなということを思いますね。

妃殿下はよく「殿下がすごく先進的で、はきはきと色々なことをお決めになって、前へ前へと進んでいかれる方だったから、私がのろのろとおそばにいたことで、ずいぶん宮さまのお仕事であったり、なさりたいことを邪魔してしまっていたと思うのよ」とおっしゃることがあるのですが、「妃殿下がのろのろされていた訳ではなくて、殿下がそう前へ前へといかれる方だからこそ、妃殿下がそうやって穏やかにゆっくりと殿下をお支えになられたからこその三笠宮同妃両殿下でいらっしゃったのだろうなということと思います」というお話を(妃殿下に)強くするのです。

Q.皇室における三笠宮さま、百合子さまの役割について。

A.戦争中に軍人として色々なところに行かれる中で、どうしてもみんなが直立不動で頭を下げて「人間らしいふれあいは戦前はなかった」と殿下がおっしゃっていました。

レクリエーション協会などで、フォークダンスを全国で広めるというご活動をされて、皇族と国民が手を取り合って踊るということは、当時の方々にとってはおそらく想像を超えたことであったと思いますが、両殿下が率先して、本当に小さな町の体育館ですとか公民館とかにもお出かけになられて広げられたということです。

そういった意味で、皇室と国民の距離を縮めるというのをずっと三笠宮殿下はなさってこられたというのは感じますし、それを妃殿下はずっとおそばでお支えになってこられて。

当時はどうしても、男性の方がお仕事に行かれて女性は家庭を守るという世の中である中で、両殿下がおそろいでさまざまなところにお出ましになって、さまざまなご経験をされてということで、女性の役割といいますか、妃殿下としてのお務めを果たされるのは当時は本当に大変なことだったと思うんです。

それをしっかりとぶれずにやってこられたのは、今、振り返ってみると改めてすごいことだったのだなと思います。

Q.百合子さまへの思いは。

A.今もお元気に穏やかにお過ごしなのは、孫としても、本当にこの上なくうれしいことで。

今も(お住まいの)ご本邸にお伺いして、妃殿下にお話を伺ったり、お食事をご一緒する時間というのが本当に私自身、とても幸せで、たくさんのことを何気ない会話の中から教えていただいておりますし、それが私にとって、本当に皇族としても、1人の人間としても、妃殿下が指針のような存在ですので、これからも、たくさんのお話をお伺いさせていただきたいと思っています。

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メーガン妃、NYでバイクのパパラッチに2時間以上追い回される

2023-05-18 05:27:22 | 皇室と皇族関連記事
英国のヘンリー王子と妻のメーガン妃(2020年3月)=ロイター



【ニューヨーク=寺口亮一、ベルリン=中西賢司】ロイター通信は17日、英国のヘンリー王子の報道官の声明として、ヘンリー王子と妻メーガン妃、メーガン妃の母親が16日夜、米ニューヨークでパパラッチによる危険な追跡を受けたと報じた。英BBC放送は「パパラッチとのカーチェイスに巻き込まれた」と報じた。ヘンリー王子らにけがはない模様だ。

ロイターなどによると、ヘンリー王子らはニューヨークでメーガン妃の功績をたたえる式典に出席後、バイクなどに乗ったパパラッチから2時間以上追い回された。パパラッチは赤信号を無視するなどしていたという。

ヘンリー王子はチャールズ国王の次男で、2020年に公務から引退し、メーガン妃らと米国で暮らしている。1997年にカメラマンに追い回され、交通事故死した母ダイアナ元英皇太子妃の悲劇をほうふつさせるトラブルだけに、英メディアなどが速報した。英王室の担当者は本紙に「この件についてコメントしない」と話した。

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2023年5/6に行われるチャールズ英国王戴冠式に2000人超出席

2023-05-05 13:22:53 | 皇室と皇族関連記事
© 読売新聞



【ロンドン=池田慶太】英国のチャールズ国王(74)の戴冠(たいかん)式が6日午前11時(日本時間午後7時)、ロンドンのウェストミンスター寺院で行われる。英君主の戴冠式は1953年の母エリザベス女王以来、70年ぶり。世界各国の元首・王族を含む2000人以上が出席し、王室の新時代の幕開けを祝う。

 国王は昨年9月、母エリザベス女王の死去に伴い自動的に即位した。戴冠式は内容を変えずに約1000年続く伝統儀式で、新君主が即位を国内外に示す象徴的意味合いがある。国王は即位、戴冠ともに英君主としては最高齢で、式典ではカミラ王妃(75)の戴冠も行われる。歴史的イベントを控えたロンドンは英国旗が掲げられ、「祝賀ムード」に包まれている。

式典にはバイデン米大統領の代理でジル夫人が出席するほか、フランスのマクロン大統領、ドイツのシュタインマイヤー大統領ら国家元首、欧州や中東の王族らが参列する。日本からは秋篠宮ご夫妻が出席される。

 式典前、国王夫妻はバッキンガム宮殿から寺院まで約2・1キロ・メートルを豪華な馬車でパレードする。式典後も同じ道をパレードし、宮殿バルコニーに登場して市民らの祝福に応える予定だ。

 70年前の式典は8000人以上が参列したが、今回は約4分の1に縮小し、パレードも大幅に短縮された。生活費高騰に見舞われる市民らに配慮したという。要人を狙ったテロや君主制に反対する大規模なデモを警戒し、過去最大規模の2万9000人以上の警官が動員され、警戒に当たる。

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小室圭さん 米ニューヨーク州で弁護士として活動開始

2023-03-01 13:02:37 | 皇室と皇族関連記事


秋篠宮ご夫妻の長女の眞子さんと結婚した小室圭さんが、アメリカ・ニューヨーク州で弁護士としての活動を始めたことが関係者などへの取材で分かりました。

小室さんが日本で勤務していた弁護士事務所の所長の奧野善彦弁護士によりますと、3月1日の朝、小室さんから電話で、弁護士として活動を始めたことを報告されたということです。

その際、小室さんは「きのう、正式に弁護士として出発することになりました。まず先生に感謝の気持ちをお伝えしたいと思いました。眞子さんも喜んでくれています。ニューヨークは物価が高くて大変ですが、2人で幸せに、しっかりやっていきたいと思います」と話していたということです。

去年10月に司法試験に合格して以降、必要な手続きを行い、ニューヨーク州で弁護士の登録をしたということで、小室さんが勤務する法律事務所のホームページでは、小室さんのプロフィールの肩書が「弁護士」に変更されています。

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