っていう題は既に前々から同じようなことを述べてきたようにも思うが。
確かに、中野浩一V10時代の頃の「ケイリン」といえば、競輪とは似ても似つかぬものだった。
スタート方式は縦一列。誘導の速度も初手からかなり速い。ましてや、当初世界選のケイリンを優勝していた選手といえば、ダニー・クラークやウース・フローラーといったいわばロード系選手が大半。ツールやジロでもスプリンターとして活躍していたこともあったボンテンピが出ていたほどだから、ケイリンはむしろ長距離系種目かと思われたもの。
したがって当時は確かに、競輪とケイリンは違うという見方もできた。
しかし、プロ・アマオープンの時代になり、現在の横一列のスタート方式に改められ、また、誘導のペースも規制が入るようになってほとんど、「競輪」と変わらない形になった。そして、ケイリンの世界選優勝者も、競輪選手と同じく短距離系の選手ばかりである上に、長距離系の選手がケイリンに出るケースはほとんどなくなった。
確かに、例えば1987年、本田晴美が優勝した一戦における、井上茂徳の「大立ち回りプレー」も当時はできたわけだが、アマチュア側の要望により、過度の接触プレーは禁止されることになった。でもこれはある意味致し方あるまい。
昨年のトリノ五輪から、スノーボードクロスという種目ができ、なにやら、昔流行ったローラーゲームみたいな形のものであり、しかも転倒連発といったあたりもローラーゲームと似通った側面が伺えたが、ローラーゲームと違うのは、走行者に対する妨害行為は一切罷りならんということ。ローラーゲームは逆に、妨害行為が売りだった。
つまり、転倒者続出といっても、勝手に転倒しているだけということであり、故意に妨害行為を行うともちろん失格。でもこの種目、かなり楽しめた方も多かったはず。
対してローラーゲームは「場外乱闘」がやがてメインになってしまい、競技性そのものの妙味も薄れてしまったために瞬く間に廃れた。
少なくとも私が思うに、確かに、ケイリンとはアマ側の都合のいいように解釈されたルールの下で行われているものといえるし、日本で生まれ育った競輪とは相容れないものであるという見方もできなくはない。しかし、広くあまねくケイリンを世界に広めようと思うと致し方あるまい。
一方で、競技の円滑性に対する規則は厳格で、誘導のペースは周回ごとに決められている上に、退避せねばならない周回も決まっている。もちろん、牽制プレーはダメ。対して、「競輪」ははっきりいって曖昧模糊。ということは、競輪を知っている当事者しか分からないといった類といえる。
ちなみに、関連記事は2006年7月24日付、
をご覧ください。
そういえばこの間行われた全プロ大会のケイリンで連覇を果たした武田豊樹が、
「全プロケイリンは普段追い込みの選手が仕掛けてきたりするから結構しんどかった。でも、全プロのケイリンを勝ててうれしい。」
というコメントを残していた。
常に自分で活路を切り開いていかねばならないケイリンというのは、要は力が相当にないと勝てないということにも繋がる。対して今の競輪といえば、たまたま展開に嵌った選手が勝っているだけの様相に見られる。
果たしてどちらが面白いのか。また、どちらが受け入れられやすいのか。
しかも、オリンピックなどで行われるのはケイリンであるし、日本でも高校・大学・実業団で行われているのはケイリン。
なのに日本のプロだけはまるでプロレスみたく、独自ルールの競輪の下で競走を行っているというのはおかしな話といえないか。
そろそろ競輪とケイリンは違うなんていったことをやめにしないか。それに固執したところで、競輪に新たに入ってくる人はほとんどいまい。確かに、競輪がほっといても客を呼べる時代だったならば、競輪とケイリンは違うという見方もできよう。
しかし今やG1開催でさえガラガラのスタンド風景が目立つ事態に陥っている競輪が生き延びる術はもはやケイリンとの「融合」ではないのか。