アルベルト=クリストフ=ディース著の、「ハイドン・伝記的報告」という本を読んでいます。
・・・やたらと難しそうに見えますよね。タイトルとか著者名が学術論文みたいです。確かにこれを喫茶店で待ち合わせの前に、さりげなくこれ見よがしに読んていたら、「知的な人だ」と思わせることができるでしょう。
しかし中味は全然そんなことありません。ディースという人は、ハイドンより20歳ちょっと若い、本業は画家だが文学や音楽の勉強もして、多くの芸術家と交際してジャーナリストのようなこともした人です。彼がハイドンの伝記を書こうと、晩年のハイドンを訪れたその時の様子や、そこで本人から聞いたエピソードなどをそのまま書いたものです。だから「伝記」でもなく、「報告」なわけですね。ルポと言うべきかも知れません。なので実に読みやすく、生のハイドンを垣間見るようで面白い。音楽史とか音楽学的には信憑性に問題があるような評価もされているようですが、読むと間違いなく、ハイドンという老人が大好きになる良い本だと思います。
73歳のハイドンの元へ定期的に通って話をきくわけです。それは「第一回目の訪問」から「第三十回目の訪問」まで30章としてそのまま書いてありますが、ハイドンが亡くなる年まで続きます。
ハイドンはもう足腰も弱って外を出歩くことはできません。記憶もあいまいになってしまっている部分が多く、調子が良くないとあまりしゃべってくれません。しかし、必ず起きて正装し、長靴をはき手袋をつけてカツラをかぶって、心のこもった眼差しで著者を握手で迎えるのです。ちなみに客が帰った後は、またきちんと寝間着に着替えてから午睡をする。・・・本当にきちんとした人なんです。身なりも暮らし方もとにかく清潔。そして他人に温かい。
著者も訪問を重ねるごとにどんどんハイドンの人柄に心酔していく様子がわかります。そしてそれは読んでいる我々もなのです。
正しい生き方をしていれば必ず世間から認められ、神からも祝福される・・・こっちまで、きちんとした気持ちになってきます。
・・・こういう健全な精神を持っていても、天才作曲家でいられるものなんですね。感心してしまいます。長生きして、いろんな苦労をしてきたのに、心に汚れがない。
ハイドンの「健康的な響き」はここからきているのでしょう。・・・見習わないといけませんね。
・・・やたらと難しそうに見えますよね。タイトルとか著者名が学術論文みたいです。確かにこれを喫茶店で待ち合わせの前に、さりげなくこれ見よがしに読んていたら、「知的な人だ」と思わせることができるでしょう。
しかし中味は全然そんなことありません。ディースという人は、ハイドンより20歳ちょっと若い、本業は画家だが文学や音楽の勉強もして、多くの芸術家と交際してジャーナリストのようなこともした人です。彼がハイドンの伝記を書こうと、晩年のハイドンを訪れたその時の様子や、そこで本人から聞いたエピソードなどをそのまま書いたものです。だから「伝記」でもなく、「報告」なわけですね。ルポと言うべきかも知れません。なので実に読みやすく、生のハイドンを垣間見るようで面白い。音楽史とか音楽学的には信憑性に問題があるような評価もされているようですが、読むと間違いなく、ハイドンという老人が大好きになる良い本だと思います。
73歳のハイドンの元へ定期的に通って話をきくわけです。それは「第一回目の訪問」から「第三十回目の訪問」まで30章としてそのまま書いてありますが、ハイドンが亡くなる年まで続きます。
ハイドンはもう足腰も弱って外を出歩くことはできません。記憶もあいまいになってしまっている部分が多く、調子が良くないとあまりしゃべってくれません。しかし、必ず起きて正装し、長靴をはき手袋をつけてカツラをかぶって、心のこもった眼差しで著者を握手で迎えるのです。ちなみに客が帰った後は、またきちんと寝間着に着替えてから午睡をする。・・・本当にきちんとした人なんです。身なりも暮らし方もとにかく清潔。そして他人に温かい。
著者も訪問を重ねるごとにどんどんハイドンの人柄に心酔していく様子がわかります。そしてそれは読んでいる我々もなのです。
正しい生き方をしていれば必ず世間から認められ、神からも祝福される・・・こっちまで、きちんとした気持ちになってきます。
・・・こういう健全な精神を持っていても、天才作曲家でいられるものなんですね。感心してしまいます。長生きして、いろんな苦労をしてきたのに、心に汚れがない。
ハイドンの「健康的な響き」はここからきているのでしょう。・・・見習わないといけませんね。