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普賢岳噴火災害 1991年6月3日〜身勝手なマスコミのせいで多くの犠牲者が出た
死者・行方不明者43人を出した長崎県の雲仙・普賢岳の大火砕流から16年を迎えた3日、被災地の島原市では火砕流発生時刻の午後4時8分に市内にサイレンが鳴り響いた。
消防団員らが亡くなった同市北上木場町の北上木場農業研修所跡では、遺族らが「慰霊之鐘」を打ち鳴らし、犠牲者を悼んだ。
同市平成町の雲仙岳災害記念館前では、災害を次世代に伝えようと、島原商工会議所青年部などが初めて企画した「いのりの灯(ともしび)」があり、小学生らが手作りのキャンドル約1000本に灯をともした。
火砕流では、読売新聞大阪本社写真部員だった田井中次一さん(当時53歳)ら報道関係者や警戒に当たっていた消防団員らが犠牲になった。
長崎県雲仙・普賢岳の火砕流災害で読売新聞大阪本社
写真部記者田井中次一さんが亡くなった記事。
以下記事より。
田井中記者の遺体は5日、報道陣による張り込み取材が行われていた島原市北上木場地区の通称「定点」近くで収容された。収容作業にあたった自衛隊員によると、遺体は、80-200㎜のズームレンズを装着した愛用の「ニコンF4」を抱え込むようにして、うつ伏せに倒れていたという。右手の人差し指だけが、シャッターを押す格好で曲がったままだった。
写真、新聞記事(部分)をhttp://www.geocities.co.jp/MotorCity/8810/densetu/f4.html より。
◇
◆教訓を伝える大切さを感じているのはマスコミも同じ。大火砕流で同僚三人を亡くしたテレビ長崎(KTN)報道部の槌田禎子記者(49)は、噴火災害を取材し今も被災地を見詰め続ける一人として使命感を代弁した。
「取材競争の過熱や日々のプレッシャーからマスコミは節度を保てず行動し、被災住民らに迷惑をかけた。私たちは犠牲者のことを胸に刻み、被災地がどう再生していくか継続して取り上げていく必要がある」
2006年6月2日長崎新聞掲載
長年テレビの報道カメラマンを務めた友人はカメラを構えると恐怖感は薄らぐと証言している。
「カメラのファインダーを通してみると普段は恐ろしい暴力団にも不思議と危険を感じなくなる」。
暴力団も報道カメラを向けられると、多少は怯んでしまうのだろう。
だが、自然の猛威にとってはカメラマンもクソもない。
燃えさかる火砕流はカメラマンも消防団員も容赦無く襲った。
被害に遭った消防団員や警察官は退避勧告を無視して危険地帯に入り込んだマスコミの身を案じて警戒していた。
マスコミが伝えない「雲仙・普賢岳噴火災害の真相」がここにある。
(雲仙・普賢岳噴火災害の)報道について
被害の背景には当初発生した小規模の火砕流が衝撃的だったことから取材競争が過熱し十分な知識を持たない報道関係者が火山学者の存在を免罪符として、取材のため、「定点」と呼ばれた山と火砕流を正面から望める地点に入ったことがある。報道関係者は避難して無人となった人家に侵入するなどトラブルを起こしていたため消防団員、警察官が引きずり込まれる形で危険な地域に多く存在し犠牲となっている。犠牲者発生以降この反省も踏まえ報道関係者が警戒区域内に入ることはほとんど無かったが、その後も自衛隊の情報独占に不満があると主張する報道関係者が許可なく警戒区域内に侵入し書類送検される事例もあり、報道のあり方が問われる事件となっている。(ウィキペディア)
以下コピペ
64 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/06/04(月) 12:46:45 ID:er+ywW1V0
マスコミ関係者などが死んだ「定点」は、避難勧告がでていた。
危険地域であることを示すため、公的機関の観測員、消防団員も勧告地域から撤退していた。しかし、マスコミ関係者は、強制力がないことから、雇い挙げたタクシーとともに避難勧告地域内の「定点」に詰めていた。
そんな中、避難して無人の住民の家に無断で上がり込み、電気、電話を無断使用する事件が 起こった。
住民に不安が高まり、そのためもあって、いったん避難勧告区域外に撤退していた地元消防団は、ふたたび避難勧告地域内に入り、見回りを始めていた。
これらのマスコミ関係者、タクシー運転手、消防団員、許可を得て中に入っていた地元住民が火砕流に巻き込まれ死んだ。消防団員以外の地元犠牲者はたしか5名。それ以外が約35名。
避難勧告地域の境界で検問をやっていた警察官2名は、火砕流発生の連絡を聞き、中の人たちに知らせるために勧告地域内に入り、殉職した。
そしてこれが重要なんだが、火砕流の到達範囲は、まさに避難勧告地域内におさまっていた。
避難勧告をマスコミが守ってさえいれば、死者数ははるかに少なくて済んだに違いない。
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 18:55:51 ID:J5ssSuib
当時消防団員だったからよく覚えているよ。
手柄狙いで勝手に居座ったマスコミのために、行かなくてもよい団員が行かされて焼け死んだんだよ。消防団員って素人だよ。プロの消防士じゃなくて、ほぼボランティアなのに、命令でそこに派遣されたんだよ。
で鬼畜なのはマスコミ
その後、何年もこの事件を取り上げるたびに、多くのマスコミ関係者などが犠牲となったって枕詞で始めやがる。で、死んだマスコミ関係者の話を美談として自分語りする。
あの現場には、新婚の団員や、子供が生まれたばかりの団員や、もうすぐ結婚するはずだった団員や、親の介護してた団員がいたんだぞ。
マスコミはそんなこと一つも報道しないけどな。
もう一度言うが、その団員達はそこに居たくて居たんじゃない。
【追記】
参考エントリー:
学習能力が無いからこそ、今に至るまでマスゴミは被災地の取材で醜態を繰り返すのでしょう。国内のみならず、国外の被災地でも国内同様の醜態をやらかしていますね。トルコ地震の時も。一刻を争う人命救助の現場で他人事みたいに、がれきの下敷きになってる被災者の声を遮るように喋り出す無神経さ。過去の災害で、どんだけ被災地の救助活動を邪魔する暴挙を繰り返してきたのか、マスゴミにはその自覚は全くないですね。30年経ってもこの体たらくですからこの先もマスゴミの被災地での無神経な行動は後を絶たないでしょう。
先祖代々脳精神に遺伝的欠陥を持つ連中だからこそ出来る芸当ですね。
より良いスクープを求めて立ち入り禁止区域に入ってまで取材を続けたマスコミ関係者のために命を落とした警察官・消防団の方達を想うと、つらい気持ちでやりきれなくなります。
自分が生まれるずっと前に起きた悲劇。これから先も忘れることはないと思います。
どうか天国では、苦しむことなく安らかに眠ってほしいです。
平成のまとめのようなニュース特番でこの件も放送されていました。
だけどここに書いてあるような真実には一切触れられていませんでした。
マスコミは自分達に都合の悪い真実、実際に起こっていた事を隠して報道しないのですね。
そんな偏った報道なんて無意味に思います。
どれ程時間が流れても余りに悲しく、反省も学習もなさそうなマスコミにはがっかりしてしまいます。
妙な特権意識は持たず、人間として守るべきこと、優先すべきことを考えてほしいものです。
マスコミの人達と違って、巻き込まれて失われたいくつもの尊い命は何をしても帰っては来ず、いつまでも悲しみを残し、こうして時代を越えても新たに広がる程の大きな大きな悲しみですね。
消防団の方々などは言っても無駄な奴らを見限れる方々だったら良かったのに、正義感が強すぎ、真面目すぎて誠実過ぎて、マスコミの無謀さなどに巻き込まれて被害に遭われてしまったのでしょうか…
火砕流から四半世紀、マスゴミが何も変わってない事は東日本震災や熊本地震を観ても解る事でしょうに。
誰か悪者を作ればいい、というわけではありませんが、マスコミさえ安全な場所に居れば被害者は減ったはずです。
マスコミもやたらと美談にしたり、「行きたくて行ったわけではない」などと言いますが、
結局は手柄やお金の為にやった結果であり、そこは素直に反省すべきだと思います。
これは個人的なイメージですが、マスコミは報道する事を「正義」だと勘違いしているところがあると思います。
報道の為なら多少の事はしてもいいだろうという思いが、このような二次災害や、様々な事件の被害者家族を報道で晒し上げるという行為に発展させているのだと思います。
英雄になりたくて自分だけが犠牲になるのはご自由にどうぞ。
ただ、他人を巻き込むのだけはやめてください。
「メディアの姿勢は雲仙・普賢岳噴火災害の時から進歩していない 2015-02-01」
http://abyssus.hatenablog.com/entry/2015/02/01/180458
> 雲仙普賢岳での噴火災害の時は、警察から立ち位置禁止の規制線が張られていた。
>しかし、一部のマスコミが噴火シーンを撮影したいという理由から規制線を乗り越え、規制区域へ侵入した。
>そしてあろう事か民家から盗電したり、ガラスを割って建物内に侵入するなどの犯罪行為を犯すという傍若無人の行為を繰り返した。
>そして、1991年6月3日16時8分を迎えたのであった。
>被害の状況や背景をあれこれ言及するつもりは毛頭ない。
>ただ、すべての被害は立ち入り禁止区域内で発生したものであった。
>これがすべてであろう。
また、真実を伝える使命感とおっしゃりますが、避難している人から迷惑がられる取材が真実を伝える取材でしょうか。
興味本位とどこが違うでしょうか?
内閣府「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成19年3月 1990-1995 雲仙普賢岳噴火 」
http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1990-unzenFUNKA/pdf/10_chap6.pdf
p.11~「第6章 教訓 第8節 マスコミの報道 1 災害報道にスクープは必要か」
日テレで徳光がカメラマン死亡にウソ泣きしていたのを覚えてる
あれは人災だよ
私たちが誰が悪い彼が悪いと罵り合ってみたところで、失われた者たちが還って来ることはもうない。
これから、かつてと同じ過ちをいかにくりかえさぬようにするかが一番大事。
これを誤ったら、亡くなった方々への申し訳が立たない。
何度も言ってるけど、さっさと病院帰って。
まだ診てもらってないんだったら、さっさっと病院行って。
結論を出すのなら、このブログの情報だけじゃなくて
噴火災害の手記や報道資料を拝見してみるのもいいかと。
雲仙普賢岳災害で亡くなられた「全ての方」のご冥福をお祈りします。
多くの新聞社の記事を気持ちが悪い、と思ってる。
災害が起こった時、まだ救助が続いている中、災害にあった人の周りに聞き込み、張り込み取材。人柄を記事にする。亡くなれば、その人の美しい話を記事にし、、、何を求めているの?当事者に本当に近い人達は、何も救われない。
出来事、学ぶ、サポートに参加する、、、報道は、これらのための情報を発信して。
スクープが欲しい=スクープに反応する第三者?
ばかみたい。
犠牲になった人に本当に近い人達、時間の経過と共に、言葉にしてみよう、って人達が、、、。
その時に、ゆっくり、大切に、ひとつひとつを知りたい。
もう議論は尽くされているかもしれませんが、どうしてもコメントしたく筆をとります。
勝手に危険地域に入り、不法侵入をしていた報道関係者……。当時私は子供でしたが、初めて知りました。
自省を促す報道も、みた記憶がありません。
マスコミの末端に関わる人間として、胸に深く刻んでおきたいと思いました。(報道関係ではありませんが)
記事に起こしていただき、ありがとうございました。
迷惑行為(というか犯罪行為)をしている報道関係者の命まで慮った、亡くなった方々の責任感、思いやりといった気持ちは尊いものだと思います。
しかし、それを「美談」として伝えてしまったら、同じ「悲劇」が繰り返される原因になってしまう。
「(たとえ地元住民や被災者の要望があったとしても)二次災害を防ぐ」という確固たる指針が、このことをきっかけに消防団・警察関係者において浸透していることを願います。
以前よりは、よく耳にするようになったとは思いますが……。
(というか、マスコミは自省するとともにこのメッセージをもっと伝えるべきなのだと思います。仕事仲間を批判するのは筆が重い/上の許可が出ないのはよくわかりますが)
最後になりますが、巻き込まれて亡くなった方々のご冥福をお祈りします。
もし、家族がマスコミの身勝手によって死んでしまったら、絶対に許せません!
このサイトが拡散して、一般人にも身勝手なマスコミの行動を認知して欲しいと強く思いました。
警察官・消防署員・消防団員の方々の御冥福をお祈り申し上げます。
亡くなられた、警察官・消防署員・消防団員の方々の御冥福をお祈り申し上げます。
死んだ、クズマスコミ連中は、因果応報・自業自得な
激しく損傷してたであろう、父の遺体を
当時、まだ子どもだった私には
イメージが悪くなるから…との理由で見せてもらえませんでした。
あの日から23年。
御嶽山のニュースを見ていて
ふと、普賢岳火砕流について
検索してしまいました。
当時を思い出させる様々な情報。
下手すれば誰かの遺体…。
見たくない画像なんかが出てくるかも
しれないと思い、今まで一度も検索した事なかったのに…。
そして、恥ずかしながら初めて知りました。消防団や警察官タクシー運転手の方々が
マスコミの無理な取材が一因で亡くなられていた事を。
当時も多少は聞いていた
憶えもある気もするのですが
とにかく、父を失った悲しみが大きく
考えが至っていませんでした。
御嶽山噴火をきっかけに
23年越しに知った情報にショックを受けましたが、逆に知る事ができて良かったと思います。
ありがとうございました。
御嶽山…
一人でも多くの人が助かって
くれることを祈ります。
世代交代したマスコミの方々には是非知って頂きたい厳訓ですね。
地元消防団員・警察・タクシー運転手・地元の方々も巻き添えになって亡くなる事は無かったんだろうな…と思うと悲しくなってくる
危険を冒してでも最前線の状況を撮る!って報道の在り方がどうか安全なものに変わりますように
被災された方々のご冥福をお祈りいたします
あの最期の映像消されたっぽいし風化させようという意図が見えるが
そうはいきませんよ?ヴぁかマスゴミに天誅を
冬眠でもしてたんですか(爆笑)?
うざいからさっさと子ね
おめでとうございます。皆様方の高質のコメントに只、歓心、感服しております。
これからも、一生懸命勉強させてもらいます。
今年もよろしゅうお願い申し上げます。
あれを見て、私は怒りの感情しかわきませんでしたけど・・・。
映像には取材班に必死に避難を呼びかける警察官がうつっていて、
そうしているうちに火砕流が起り、多分警察の方だと思いますが「あぁ・・」というような無念の声とともに映像が途切れていた記憶しています。
私事ですが私の兄は消防士をしています。
危険と隣り合わせですが、人の助けになる誇らしい仕事です。
もし、その兄が危険区域に勝手に入ったマスコミのために命を落としたら・・・、
あの無念の声を上げたのが兄だったら、と思うとマスコミを憎んでも憎みきれません。
まだ、勝手な行動とる人に対して命を掛けて、助けにいった消防団が悪いと言ったほうが筋が通ってる。
平成23年3月11日も防災無線で必死に避難するように伝えていた方が死んだり、そういう話を日本人は美化する傾向があるからなぁ。
有事の際は自分の命は自分で守るのが基本なはずだけど、自然災害でも他人(自治体等)のせいにする国民だからなぁ。
あるアルピニストが言っていました「生きて帰って来なけりゃ意味が無い」。
放送には著作権もあるそうですが、一度放送したものを都合が悪くなれば
闇に葬るその姿勢は今も昔も変わらないってところでしょうか。
報道の自由を叫ぶくせに自分らの権利はがっちりw反吐が出ますね。
ヤマヤさん、
消防団有志には避難区域に「犯罪者予備軍」がいるから何とかしなければ、
という思いがあったんじゃないでしょうか。
地元民も悪いような書き方にはちょっと同意できません。
仮に強要した人がいたとしても、その結果被害者が出てしまっているので、
厚顔無恥な「犯罪者予備軍」の仲間よりは反省(後悔かも?)してると思いますよ。
と言うことでしょう。
マスコミの身勝手な行動(避難して無人の住民の家に無断で上がり込み、電気、電話を無断使用する事件が 起こった。)は許されるべきことではないでしょう。
ですが、
>住民に不安が高まり、そのためもあっていったん避難勧告区域外に撤退していた地元消防団は、ふたたび避難勧告地域内に入り、見回りを始めていた。
とありますが、
地元住民の誰一人として、その消防団員達の見回りを引き留める者はいなかったのでしょうか?
家より命の方が大切です。そんな危険区域に見回りを要請した者がいたとしたら、私はその方たちも反省すべきだと思います。
二次災害という言葉があります。
被災者や遭難者を捜索や救助するレスキュー隊は、常に隊員達の安全を第一に考えて行動します。二次災害が起こりうる場合には絶対に動きません。
危険がわかっていてその場にいることはどんな事情があるにせよ無謀なことであり美談にはなりえません。
隊員達にも家族がいます。その家族の事を考えれば自分一人の命ではないのです。死んだ者よりも残された者のほうが何倍もつらい思いをするのです。
いつも災害の後には、後に残された者にただ教訓を与えるのみです。
マスゴミの勘違いはいつまで続くんだろうか。
御指摘ありがとうございます。
早速訂正しておきました。
知らなかったことばかりだったので、衝撃を受けました。
展示物の中に、テレビカメラがありました。
複数台ありました。
マスコミ関係者の方が残した映像を見て、大火砕流の恐ろしさを実感することができたのも事実という書き込みがありましたが、確かにそうかも知れませんが、私は賛成出来ません。
命よりスクープが大事だったのでしょうか??
この映像の向こうで何人の尊い命が犠牲になったと思っているのでしょうか・・・
報道陣は何をしても良い訳ではありません。
避難勧告を無視した人を助けに行って・・・
身勝手な人のために犠牲になった命の重さをマスコミは考え、謝罪すべきだと思います。
私の家族や親戚・友人・知人、誰かが居る訳ではありませんが、考えるだけで悔しくて涙が出ます。
殉職された消防団員・消防士・警察官の皆様、犠牲者の皆様のご冥福をお祈り致します。
>マスコミだけに非があるわけではない
まさか彼らを救おうとした殉職者にも非がある、とでも仰りたいのですか?
「何と言っていいかわからない」のなら余計慎重に言葉を選ぶべきでしたね。
今日、大学の授業で雲仙普賢岳の大火砕流のドキュメンタリーを見ました。日テレのお亡くなりになった取材班が最後に遺したテープを見ました。378秒ほどの映像は、とてもとても重いものでした。
マスコミ関係者を危険から守ろうとした警察官、消防団員たちの命はもう戻ってはきません。私は最初、マスコミのせいだ!って思ってました。マスコミ関係者たちが早く安全なところに非難していたら…と思いました。
でも、この人たちが残した映像を見て、大火砕流の恐ろしさを実感することができたのも事実です。その…なんと言っていいのかわからないんですが、決してマスコミだけに非があるわけではないでしょうか?
身勝手な意見ですみません。
繰り返しますが「警告を無視して危険地帯に侵入し、あまつさえ他者を火砕流の被害に巻き込んだ行為」の何処が職務にあたるのか、結果論ではなく、あのような地帯に入ればどうなるかは当時の見解でも明白だったはず。
アンマンであのような事故(事件)を起こしたマスコミですから、「報道のなんたるか」を次世代に生かすことなど彼らには最初から不可能でしょうね。
鐘ヶ江さんも大変だった。
今回の震災では考えられない程、毎日避難所を廻っていた。
住民から「いつ帰っていいのかはっきりさせろ」のような事を言われていたけど、そんなのわかるわけないし。
地元消防団が「ビビってると思われたくないから見周りに行きたい」←うろ覚えスマソ
というような発言をしていたけど、消防団が現地に行けるのなら、住民だって行ったっていいじゃないかって思われても仕方ない。
ビビってるんじゃなくて勇気を出して行動したのに、住民はそうとは捉えない。
多くの犠牲者がマスコミやそれに避難勧告する警察、消防団だった。
不法に民家を占領したマスコミ。書置きを置いて行けば許されると?
自分の家が他人に荒らされたら誰でも不安になるだろう。農作物、家畜も心配だ。
火砕流の脅威を知らず、マスコミ、住民、それぞれに不満を抱いていた。
板挟みになった市長も被害を被った。
人命救助を最優先に考えながらも、火砕流の脅威を知らないマスコミ・住人からの意見。
舌が思うように回らなくなっている現在も取材されたら真摯に対応する鐘ヶ江さん。
現在の震災と比べるでもなく、当時それぞれの職務意識でやるべき事をやったのだ。
結果論は出るでしょう。
けれども皆それぞれに職務を全うしたのです。
亡くなった方も、勧告を続けた人も。
今回のNHKのドキュメンタリーを観て、皆様、自然の脅威、報道のなんたるか、行政の苦悩を(島原市は真摯でした)考え、次世代に生かすしかないのではありませんか。
「自分たちのやることは完全無欠、無謬だ」とカルト信者のようにマスコミ業界全体で信じ込んでいる限り、残念ながら同種の過ちはこれからも繰り返される恐れは充分にあります。
家族を失った方たちに同じ言葉が言えますか?
おそらく私と同年代の人だと思いますが私は叔父を失いました。
警戒区域に入りさえしなければ死ななくて良かったんです。
だれのせいでしょうか?
マスコミが憎い。
さらにそれを報道しない報道による暴力は現在も続いているのです。
警察や消防関係者の人たちは「命がけ」ではないのですか?警告を無視して危険地帯に侵入しm自分たちだけでなく他者も巻き込む行為の何処が「命がけ」なのやら。
まあ今日は全国的に暑かったからこういうお頭のイカレタ人がピント外れの与太話を書き込んで失笑を買うんでしょうね。
「火砕流の歴史を語り継ぐ」と言うのなら、当時のマスゴミの軽率な行動も語り継ぐべきですが、現地ではやっているのでしょうか?
多くの人に知ってもらいたい。
特にアンマンのゴミ記者は普段敵視している国家権力にすがってまで保身を図ったほどですから、己の過ちで人命が失われることがあっても(法的にせよ道義的にせよ)「責任」を全く感じていませんから、残念ながら同様の悲劇はまた起こる危険性がありますね。番組収録中の事故も報告しないくらいですから。
そんなマスコミは放っておけばいいと思わず思ってしまいます。でも、それでマスコミの方が亡くなったら、避難するよう伝えにいかなかったせいではと罪悪感を抱いたり非難されたりするかもしれませんものね。どんな対応をしても迷惑を被る、本当に酷い行為ですね。報道者として…という詭弁の美化した話なんて聞きたくありませんよね・・・。
古いエントリーにご来訪、ありがとうございます。
マスコミの不遜な態度で多くの方が犠牲になりましたが、それを反省する記事が見当たらないにはさすがですね。
あのときのニュースの第一報で、灰だらけになって逃げてくる人々の姿を見ました。その後はその方々がお亡くなりになったためか、その時の映像は二度と見ることがありません。
プロの消防士ではなくていわばボランティアだった消防団の皆さんまで巻き添えになったとのこと、改めてこの行き過ぎた報道には怒りを覚えました。
警察官がマスコミから・・・・・
上司が処分を恐れて・・・・・
実は、この雲仙火砕流の被害は、ほとんど立ち入り規制区域内で収まっていました。したがって、マスコミが立ち入り規制区域内にいなければ、みんな死なずに済んだんです。