狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

驚愕!組織ぐるみで隠蔽か?「市長の犯罪疑惑」

2009-10-20 06:46:35 | 資料保管庫

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■石垣市長暴行疑惑の余波

「石垣市長暴行疑惑」の影響が「県民大会」にも及び始めた。

来月、宜野湾海浜公園で開催予定の「基地外県民大会」の実行委員会代表を辞退した人物が出たのだ。

代わりに無名の平議員が代表の座に着いた・・・と、当初は思われた。

沖縄では大規模な政治がらみの県民大会の実行委員長は県議会議長がなるのが慣例だ。

二年前の「11万人集会」の時は当時の県議会議長仲里利信氏が委員長になった。 

あの「毒おむすび」の仲里議長である。

だが、今回の「基地外県民大会」の代表、玉城義和氏の肩書きは、タイムスも新報も「県議」とだけ記して、何故か副議長の肩書きは省略してある。

全国報道の共同通信産経新聞には省略せずに「県議会副議長」と明記しているのに、である。

政治家なら「県議副議長」という肩書は是非とも付けて欲しいはず。

全国紙が肩書きを明確に報道し、本来なら詳細を記すべき沖縄に紙が揃って「副議長」を省略したのには訳がある。

本来なら大会実行委員長になるべきはずの高嶺善伸県会議長が大会直前になって辞退した。

それで急遽、異例の四人の共同代表になったのだ。

高嶺議長は、先月の「10・29県民大会」でも、壇上で大演説をぶっていたし、集会のあるところには必ず顔を出すといういわれる人物。

「基地外県民大会」の代表にならないのが不思議である。

辞退の理由は「石垣市長暴行疑惑」が己に類が及ぶのを恐れたからだ。

■「石垣市長疑惑」から逃げた高嶺県議会議長

石垣市長の婦女暴行疑惑の被害者サラさんが、精神的にパニック状態にあるとき初めて相談したのは、当時石垣市議であった高嶺善伸氏であった。

以前からサラさんの実家と縁続きである高嶺市議とは旧知の間柄。

先ず最初に、高嶺市議に事件の相談をしたのは、事件の性質上当然の成り行きであった。

その時の高嶺市議の対応にサラさんは我が耳を疑った。

市民の代表であり旧知の仲でもある高嶺市議なら当然、市長への抗議なり警察への手配など、適切に支援してくれると思ったのだが、

期待は見事に裏切られた。

「公的立場の市長の一寸した間違いを騒ぎ立てて何のメリットがあるのか」と、逆にたしなめられ、高嶺市議は事件のすべてを知りながら結局握りつぶす態度を取った。

■「ここは北朝鮮か!私は喜び組みか!」

そのときサラさんは悔しさのあまり口にこそ出さなかったが、

「ここは北朝鮮か!私は喜び組みか!」と胸中密かに叫んだという。

サラさんが15日に告発を決行する前、サラさんは、それとなく高嶺氏と市長の動向を問い合わせるメールの交換をしている。

その後のサラさんの決行を知った高嶺氏は、本能的にマスコミに名前や顔を晒すことを避けようと決心する。

サラさんのブログを見て、その並々ならぬ決意を読み取り、石垣市長と親しい自分に騒動が飛び火する危険を感じ取ったのだ。

次は国会議員をも狙おうという野心家の高嶺氏が、石垣市長の婦女暴行疑惑に巻き込まれるのを恐れ、しばらくはマスコミから遠ざかろうと考えるのも自然の成り行きである。

高嶺氏は、「基地外県民大会」実行委員会の代表に就任の予定であったが、

直前のサラさんの「決行」により、マスコミに晒される代表の役を急遽副議長に譲った。

だが、県民大会の代表が「副議長」では疑念を呼ぶ。

そこで代表交代の条件にマスコミに「副議長」を省略するように頼んで、四人の共同代表で目くらましをしたのだ。

 

■「石垣市長婦女暴行疑惑」

話が前後するが、「事件」は2002年9月15日の「敬老の日」から翌16日の早朝にかけて起きた。

サラさんの告白によるよると当日の経緯はこうだ。

敬老の日には、石垣市主催の「敬老会」が市民会館で行われ、担当したのはサラさんが主査を勤める長寿課である。

予定行事が終了して市内の居酒屋で慰労会が行われたが、異変はそのときから始まっていた。

通常、課の慰労会に参加するお偉方は課長どまりなのだが、その日はサラさんが居酒屋に着いたときは大浜市長と腰ぎんちゃくの部長等取り巻きの面々が既に会場に鎮座していた。

市長が課の慰労会に出席することは異例の出来事だった。

普段は雲の上の市長と部長の臨席を見て、その場の雰囲気は緊張気味だった。

だが、市長がサラさんを自分の隣に座るように指名してから座の雰囲気も和み始めた。 絶対権力者の指名に逆らうことは失職を意味するほど絶対的。 正にパワハラそのものである。

そして慰労会は二次会のビヤホールから、さらに三次会の割烹「はなき」に場所を移す。

その時は職員はほとんど逃げており、残ったのは部長と長寿課職員とサラさんを含む四人になっていた。

サラさんも何度か逃亡を試みたが絶対権力者のパワハラともいえる命令に逆らうことは出来なかった。

割烹の女将はサラさんの同級生だが、既に日付けが16日に変わっていた深夜の割烹の奥座敷に一行が着いたとき、そこには女将夫婦と高校を出て求職中の息子が待機していた。

そこで市長への求職の直訴は簡単に受理された。

その頃の市役所への就職は難関を極め、よっぽどの成績有秀者でなければ一発合格は困難とされていた。

ところが深夜の、しかも酒席での求職でも、相手が独裁市長とあれば一発で採用即決である。

その時は気がつかなかったが、同級生の女将は、市長がサラさんを狙っている情報を得て、息子の就職を頼むべく市の幹部達と計らってすべてを根回ししていたのだ。

つまり女将は息子の就職と交換条件で、友人を市長に「売った」ことになる。

これではまるで悪代官と越後屋ではないか。

いや、それでは越後屋に失礼だ。やり手ババーと言い換えておこう。

就職が即決するや、女将夫婦と息子はたちまちその席を去った。

ここで一行は市長と職員の三人になったが、何とか退去しようとしても市長の命令と職員が退室を妨害し、それもままならなかった。 

パワハラが時間と共にセクハラに変わり、やがてご乱行に発展するのは市長の予定の行動だったのだろう。

午前四時ごろ、突然職員が姿を消した。

満を持したように市長が襲いかかってきた。

この続きはサラさんご本人の記述に譲る。

なお、このとき最後まで残って独裁者に忠誠を示した職員は、その後直ぐに係長に昇進したという。

恐るべき市長の専横、暴政ぶりである。  

 

《  石垣市長の犯罪疑惑ー事件当日

(被害者の証言)

  2002年9月15日~16日、

16日、午前4時事件発生

場所 割烹 「はなき」 現在、オーナー死去のため閉店

事件内容 大浜長照現石垣市長が、介護長寿課主査 だった私を、はなきの奥の座敷に閉じ込め乱暴をはたらいた。

ドアは鍵つきではなかったが、仲里オーナー夫婦が外からドアを押さえ、出れないようにしていた。足が見えるつくり。

そのあと病院へ受診。ドクター側は警察へ通報しようとしたが、その時点では決心がつかなかった。

病院の帰り、仲里オーナー夫婦に抗議に行く。

二人は何度も謝りにきたが面会に応じなかった。オーナー夫婦の息子が数日後、私の部下として配属された。最後まで残っていた職員は係長へ昇進した。

高嶺善伸現県議長に相談する。

まあ、まあとかわされる。

市長本人から、話し合い、示談でと申し出がある。

市長夫人が健康増進センターの窓口に、富里八重子市議を伴い、脅しに来る。

「ここから出て行け。ここに住めると思うな」と言われる。

県立八重山病院の窓口で、私の事件当日のカルテを出せと市長夫人が職員を脅す。

ドクターから連絡が入る。

患者さんの側にたつのが僕達だから、市長だろうとできないと返した。エスカレートすると思うが警察に通報しtほうがいいのではないかとアドバイスを頂く。

母子家庭で日々に忙殺せれている。メンタルも弱くなり、もう少し待ってくださいと答える。

実家に公用車で来て市長が上がり込み、三時間以上帰らないと近隣の人から電話をもらう。

息子を呼び出して電話口に出てもらう。ばあちゃんと二人どうしていいかわからないと。

すみません。

また体調が厳しくなりました。休んで書きます。》

                  ◇
 
■組織ぐるみの犯行か
 
石垣市長の「婦女暴行疑惑」は、ふと魔が差したという単純かつ単独の犯行ではない。
 
絶対権力者の市長に平伏す取り巻きの幹部達と、息子の就職の代償に犯行場所を提供した割烹の女将夫婦の組織ぐるみの行動ともいえる。
 
そしてその後、相談を受けた高嶺善伸県議会議長も、もみ消したという点で実行組織の一人といえる。
 
同じ左翼陣営に属する大浜市長と高嶺県議長は長年、選挙の度に協力し合う盟友だという。
 
自衛隊を憎悪し、同盟国米軍を愚弄する大浜市長は、その一方では中国艦船が東シナ海の領海侵犯をしても沈黙を守る媚中反日主義者である。
 
社民、共産、民主などの革新地盤の上に公明党の組織票も握っており、その選挙基盤は磐石である。
 
割烹「はなき」の女将夫婦の例のように理不尽な行為でも市長の権勢に寄り添い、寄らば大樹の影を通せば利権にありつけるといった風潮が、4期16年の間に、南の島に蔓延した。
 
さらに大浜市長は、来年2月の任期満了に伴う市長選には、5選(20年)を狙うというから言葉を失う。
 
一旦手にした独裁者の甘い汁は手放せないのだろう。
 
全国の有志から多数の支援のメールが入っている。
 
 
 
 
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独裁者の島、南の島のペンギン王国 

2009-10-20 00:10:30 | 資料保管庫

 

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サラさんから石垣市長の暴行疑惑を告白された時、正直頭が混乱した。

その時はサラさんも最終的な決意が出来ていないようだったので当日記でも「市長の暴行疑惑」については伏せた。

以下は暴行疑惑の告白を受けながら、靴の上から痒みを書くもどかしさで大浜石垣市長を糾弾した記事である。

大浜市長の顔写真を晒してあるのでしっかりとご覧ください。

                  ◇

 

南の島の「ペンギン王国」は治外法権を誇る。

自衛隊機が石垣空港に着陸することも、

自衛隊艦船が石垣港に寄港することも、

ペンギン市長はこれを許さない。

自国の空港や港に自衛隊が近づけないはずはない。

だが、そこが治外法権のペンギン王国。

もし海上自衛隊が休養、補給のために石垣港に接岸でもしようものなら、

ペンギン市長自ら反対運動に立ち上がる。

「九条の会」などの左翼団体を引きつれ抗議活動で現場に現れる。

市長自ら抗議相手を威嚇するのはペンギンの特性なのか。

マスコミはこれを市長の「平和活動」と捉える。

市長に同調するマスコミがこれを針小棒大に「殺人集団、石垣港から上陸!」とでも報道されると、

休養のための自衛隊員も萎縮して休養の意味をなさない。

そこで自衛隊艦船はペンギン市長の目を恐れ、

名蔵湾など人目につかない場所で、

制服を目立たぬ私服に着替え、

夜陰に紛れて密かに石垣島に上陸するという。

これでは、まるで北朝鮮の工作員と同じでは無いか。 

国を護ることに生命を賭している自衛隊員に対するペンギン市長の行為はバチアタリである。

ペンギン市長の行為はダブルスタンダードである。

「自衛隊は違憲である」と主張する「九条の会」と行動を共にするのなら、

自衛隊の行為をすべて否定すべきである。

そうであるなら萬に一つの理を認めよう。

ところが、である。

救急患者の自衛隊ヘリ移送、不発弾処理など、

王国の経営に必要不可欠な自衛隊の支援は、

当然のことと受け入れる。

ペンギン市長はこの自己矛盾を恥とも思っていない。

                    *

昨日のエントリーで大浜石垣市長のことを「皇帝ペンギン」と書いたら、「皇帝ペンギンは大浜市長とは似ても似つかぬ、愛くるしい顔をしている」とのの反論があった。

大浜市長の異常に目立つまゆ毛を見て、写真で見たまゆ毛の長いワル面のペンギンを連想し、勝手に「皇帝ペンギン」とイメージしていたが、調べてみたら、筆者の明らかな事実誤認であり、眉毛ペンギンは実際は「イワトビ・ペンギン」というらしい。

ネットで拾ったいかにも、ワルそうな面構えのイワトビ・ペンギンは、これ。
イワトビ海遊館2.JPG

















 

マンガで表現すると、こうなるようだ。



そこで、昨日のエントリーの「皇帝ペンギンの大浜市長」は取り消す。

同時に「皇帝ペンギン」さんには、「大浜市長に似ている」と書いた非礼をここに深く陳謝する。

                   ◇


とりあえず、大浜市長が、中山義輝議員の鋭い追及を受け、シドロモドロの答弁をする石垣市議会での答弁振りをご覧下さい。

【動画】⇒石垣市議会 中山義輝議員の質問と市長の応答

ペンギン市長のメロメロ答弁を笑いなくして聞ける人が、果たして何人いるだろうか。

答弁を読み上げる途中で時々質問者を睨みつける仕草は、ペンギン特有の威嚇のつもりなのか。

舌鋒鋭くペンギン市長に迫る中山議員の毅然とした姿に比べ、市長の答弁を聞くと、昨日くり返した言葉を再度叫びたくなる。

「寝言は寝て言え!」と。

常日頃は、九条の会などの先頭に立って「自衛隊は違憲だ」と叫んで自衛隊船舶の石垣港寄港を拒否しておきながら、

追い詰められて自衛隊は違憲ではないとの言質を取られ、

さらに言行不一致を追及され、さすがの権勢を誇る市長もシドロモドロ。

これではまるで挙動不審者ではないか。

笑いながらも、こみ上げる怒りをしばし抑え、次の動画を見ていただきたい。

質問に立って熱弁を振るう中山議員の後ろで、気の抜けたような表情で我関せずの態度の議員たちは、既にペンギン市長の息がかかっているのであろうか。

利権ある所に票が群がるというくらいだ。

【動画2】⇒チャンネル桜の井上和彦キャスターによる中山議員のインタビュー

地元のマスコミが決して報じることの無い「ペンギン王国」の実態を、桜チャンネルの井上キャスターと中山議員の対話から読み取ることが出来るので、敢えてここではコメントの重複は避ける。

だが、大浜市長に長期の強権を委ねたのは紛れもなく石垣市民であり、その意味で石垣市民の責任は重大である。

だが、大浜市長の極左ともいえる言動に共鳴して、市長の専横を目こぼししてきた沖縄のマスコミ、

いや目こぼしどころか、市長の暴走行為を後押しして石垣市民をツンボ座敷に追い込んできた地元マスコミの責任は、限りなく大きい。

地元マスコミがいかに「ペンギン王国」の秘密を隠蔽しようとも、お天道様とネットの目を逃れることは出来ない。

大浜市長の五選に反対の方、

クリック応援お願いします。

【おまけ】

前回、四選で当選し狂喜乱舞する市長夫妻。

大浜長照氏、大差で4選 石垣市長選2006年3月6日琉球新報

 花束を手にバンザイして当選の喜びを支持者と分かち合う大浜長照さん=5日午後10時ごろ、石垣市字登野城の選対本部事務所

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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