ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 大畑末吉訳 「アンデルセン童話集」 岩波文庫

2013年06月21日 | 書評
デンマークの童話の父が語る創作童話集 156話 第42回

81) ソーセージの串でつくったスープ
 「ソーセージの串でつくったスープ」とは、内容のないほら話ぐらいの意味です。決して料理のレシピではありませんが、実体のない「ソーセージの串でつくったスープ」とは何だろうかと空想をたくましくしても、話の筋は全くつかめてきません。そういう意味ではトリックです、結局はつかみどころのないほら話です。ネズミの王さんのところで宴会が催されました。そこで話題となったのが「ソーセージの串でつくったスープ」です。このレシピを求めて4匹の子ネズミは世界中に旅立ちました。内容は荒唐無稽なので記述しません。面白おかしく空想させて、後で落とすつもりなのですから賢明な読者は追随しない方が利口です。

82) ひとり者じいさんのナイトキャップ
 コペンハーゲンの商業はドイツのブレーメンやリュベックの商人によって営まれていました。ドイツから手代(代理人)を派遣して、ヒュスゲン通りの小さな商店に住まわせていました。デンマークにいるドイツ人の手代は「胡椒の手代」と呼ばれて、主に香辛料の商いをしていました。コペンハーゲンの人は胡椒の手代をからかって「ナイトキャップをかぶったら、耳の上まですっぽり下げてお休みなさい」といいました。また胡椒の手代はドイツを出る前に、決してコペンハーゲンで結婚しないように約束させられます。だからコペンハーゲンで一生を終える手代は大概は生涯独身なのです。この通りに店を張る年のいったアントンさんがいました。アントンさんは長身で痩せこけたおじいさんでした。アントンさんは下にナイトキャップをかぶり、つばのない帽子をかぶっていました。この通りの手代たちは横のつながりはなく、いつも早めに店を閉めるので、夜はいつも暗いのです。仕事はそれほど忙しいことはなく、几帳面で用心深いので、明かりも早く消してベットに入ります。それはさみしい生活でした。ナイトキャップを目の上まで引き下げると、悲しみの涙があふれてきて、昔の思い出がとめどもなく流れては消えました。すると商人の息子である小さなアントン坊やと市長の娘のモリーちゃんがリンゴの種を植える光景が浮かびます。アイゼナハのヴェーヌスの山で遊んだ思い出も流れます。数年たったときモリーちゃんのお父さんがワイマルに移ってモリーちゃんとも離れ、手紙も来なくなりました。ワイマルにアントンは旅行しモリーちゃんに会いに行きましたが、モリーちゃんの気持ちはすっかり変わっていてさよならのあいさつをして別れました。それからアントン君の家も傾きだしたので、生活のため一家の柱となって一生懸命働きました。それから何年も経ってアントンさんはブレーメンで働いて年を取りましたが、手代としてコペンハーゲンに派遣されることになりました。アントンさんの生まれ故郷の聖女エリザベートがいつもアントンさんの心の中にいて、昔の考え、昔の夢、それは相変わらずナイトキャップの中で眠っていましたが、アントンさんはとうとう老衰で亡くなりました。孤独と寂しさの極みでしたが、アントンさんを最後にあの世へ導いたのは聖女エリザベートでした。
(つづく)


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