ブログ 「ごまめの歯軋り」

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「足尾銅山観光」の 坑夫の説明はおかしい

2008年11月20日 | 時事問題
先日足尾銅山の廃坑の見学をした。トロッコ乗り場の待合室に二人の坑夫の人形が展示されて、江戸時代の坑夫の前に説明文があった。その内容が「坑夫は激しい労働で、酒や博打で紛らわし金を使い果たす者も多かった」と云う説明である。面白い表現ではあるが、労働者の生活の苦しさを酒博打の身持ちの悪さのせいにするような書き方は、穏当ではない。現在の格差社会の負け組みは能力がなかったからで片づけるのとおなじ思想である。少数の悪い例をのみとりあげて、そのせいにしては、背後の資本と労働の本質が隠れてしまう。

 明治時代の足尾銅山事件を振り返ろう。日本の公害問題の原点といわれる。この事件について読みやすい本がある。城山三郎著 「辛酸」-田中正造と足尾鉱毒事件-角川文庫(1979年) は、田中正造という地元出身の明治期の国会議員が足尾鉱毒事件に敢然と闘った記録を、城山三郎氏の思い入れを込めて書かれた書物である。JR宇都宮線の電車が古河を過ぎて利根川の鉄橋に差し掛かると、右側(西方)に広々とした河川敷が広がり、渡良瀬川が利根川に合流する風景が眼に印象的である。美しいと思うと同時に明治の昔足尾鉱毒事件で谷中村が水没させられた事実を想起する。この地で明治の佐倉惣五郎と呼ばれる田中正造翁は谷中村存続をかけて闘争され、悲劇的な野垂れ死にをされた。「富国強兵」をスローガンにし欧米強国に抗する明治国家の建設途上、国家という強権により蹂躙された早すぎた公害闘争の記念碑として、足尾銅山事件を捉えなければならない。


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