ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 広井良典著 「ポスト資本主義ー科学・人間・社会の未来」 (岩波新書 2015年6月)

2016年09月07日 | 書評
拡大・成長を追い求める超資本主義の限界と、定常化・持続可能な福祉社会の構想 第2回

序(その2)

 本書が扱う対象に一番近い内容を持つ書は⑨ 水野和夫著 「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社新書 2014年)であろうと思う。そこで述べられている、トマ・ピケティの著書「21世紀の資本」のr>gについてと、資本主義はいかに終わるかについてまとめておこう。フランスの経済学者トマ・ピケティの著書「21世紀の資本」がいま日本で大流行の兆しである。誰もが現在の社会や資本主義のあり方に疑問を持っているが、その謎解きをした経済学の本であるからだ。この書はまだ私は読んでいないが、内容についてはいくつかの紹介があるので、その一つを取り上げると、「議論の出発点となるのは、資本収益率(r)と経済成長率(g)の関係式である。rとは、利潤、配当金、利息、貸出料などのように、資本から入ってくる収入のことである。そして、gは、給与所得などによって求められる。過去200年以上のデータを分析すると、資本収益率(r)は平均で年に5%程度であるが、経済成長率(g)は1%から2%の範囲で収まっていることが明らかになった。このことから、経済的不平等が増してゆく基本的な力は、r>gという不等式にまとめることができる。すなわち、資産によって得られる富の方が、労働によって得られる富よりも速く蓄積されやすいため、資産金額で見たときに上位10%、1%といった位置にいる人のほうがより裕福になりやすく、結果として格差は拡大しやすい。また、この式から、次のように相続についても分析できる。すなわち、蓄積された資産は、子に相続され、労働者には分配されない。たとえば、19世紀後半から20世紀初頭にかけてのベル・エポックの時代は、華やかな時代といわれているが、この時代は資産の9割が相続によるものだった。また、格差は非常に大きく、フランスでは上位1%が6割の資産を所有していた。一方で、1930年から1975年のあいだは、いくつかのかなり特殊な環境によって、格差拡大へと向かう流れが引き戻された。特殊な環境とは、つまり2度の世界大戦や世界恐慌のことである。そして、こうした出来事によって、特に上流階級が持っていた富が、失われたのである。また、戦費を調達するために、相続税や累進の所得税が導入され、富裕層への課税が強化された。さらに、第二次世界大戦後に起こった高度成長の時代も、高い経済成長率(g)によって、相続などによる財産の重要性を減らすことになった。しかし、1970年代後半からは、富裕層や大企業に対する減税などの政策によって、格差が再び拡大に向かうようになった。そしてデータから、現代の欧米は第二のベル・エポックに突入し、中産階級は消滅へと向かっていると判断できる。つまり、今日の世界は、経済の大部分を相続による富が握っている世襲制資本主義に回帰しており、これらの力は増大して、寡頭制を生みだす。また、今後は経済成長率が低い世界が予測されるので、資本収益率(r)は引き続き経済成長率(g)を上回る。そのため、何も対策を打たなければ、富の不均衡は維持されることになる。科学技術が急速に発達することによって、経済成長率が20世紀のレベルに戻るという考えは受け入れがたい。我々は「技術の気まぐれ」に身をゆだねるべきではない。不均衡を和らげるには、最高税率年2%の累進的な財産税を導入し、最高80%の累進所得税と組み合わせればよい。その際、富裕層が資産をタックス・ヘイヴンのような場所に移動することを防ぐため、この税に関しての国際的な協定を結ぶ必要がある。

 資本主義は時代によって、重商主義であったり、自由貿易主義、帝国主義、植民地主義であったりと変化するが、21世紀のグローバリゼーションこそ、その最たるものと言わざるをえない。資本主義の本質は、富やマネーを「周辺」から「募集」し、「中心」に集中させることに変わりありません。新興国への投資拡大によって先進国と新興国の所得格差は縮小しつつあります。グローバル資本主義とは、国家の内側の社会の均質性を消滅させ、国家の内側に「中心/周辺」を生み出してゆくシステムだと言えます。そもそも資本主義とは少数の人間が利益を独占するシステムでした。そして地球の全人口の約15%の先進国の人が豊かな生活を享受しています。これまでの資本主義は資源がタダ同然で手に入ることを前提として、「安く仕入れて、高く売る」という近代資本主義はもともと格差を前提としています。全世界が均質化したら非対称性がなくなり利益が出ない構造になります。差があるから利潤が出る仕組みです。そのため資本主義は国内でも無理やり「周辺」を作り出し、利潤を確保するのです。その典型がアメリカのサブプライム・ローンと言った貧困ビジネスであったり、日本の非正規雇用問題なのです。むき出しの強欲資本主義では少数の資本家が利益を独占しています。アダムスミスは「道徳感情論」で一定のブレーキをかけ、マルクスは資本家の搾取を見抜きます。ケインズは市場以外の政府の総需要政策を説きました。1990年までの社会主義国の存在は、資本家や起業家に常に雇用者福祉を念頭に置かせました。しかしあらゆるレーキをはずしむき出しの資本論理を貫こうとしたフリードマンやハイエクらが新自由主義をとなえ、グローバル資本主義の旗振り役を果たしました。金融緩和を行い、インフレ期待を持たせたら経済は好転するというリフレ派が主流となっています。ではケインズ派のような積極財政政策で需要は喚起できるのでしょうか。ケインズ主義が成立するのは、一国経済のなかでマネーを制御できる時代のものです。21世紀ではケインズ流の「大きな政府」は失敗を宿命づけられています。我々は「長期停滞論」に憂えることも考え直す必要があります。資本主義の定義は「資本は自己増殖するプロセスである」とするなら、もともと「無限」の空間を想定しています。無限であると考えると「過剰」は存在せず、スピードや効率だけが課題となります。近代社会は経済的には資本主義社会であり、政治的には民衆主義社会である。近代は無限の物資を使うということがそもそも可能だとは思えません。青天井の空間、それが「電子・金融空間」であったのです。先進国は途上国に対して見えない壁を作り資源を収奪し、先進国内に見えない壁を作り、下層の人から上層の人へ富の移転を図ることです。ケインズ流財政出動も、公共事業に乗数効果が見込めない現在に在っては、将来の需要を過剰に先取りしている点では、次世代からの収奪です。1990年代末に世界的な流れになった時価会計は、株式などの資産価値は期待値に過ぎず、将来の価値を先取りしそれが膨張すると、将来の人々が享受する利益を先取りすることになります。地球上から「周辺」が消失し、未来からも収奪しているという事態の意味は深刻です。デフレと言った次元ではなく、資本主義の終焉、つまり近代の終わりが近づいています。すでに資本主義は永続型資本主義(株式会社型)からバブル清算型資本主義(金融支配型)へ変質しています。バブルを作っては壊れるという破壊ビジネスの繰り返しです。

(つづく)