ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 豊下楢彦・古関彰一著  「集団的自衛権と安全保障」(岩波新書)

2015年07月04日 | 書評
集団的自衛権の憲法解釈変更の閣議決定は日本の安全につながるのか 第6回

序(2)
2014年5月15日安倍首相は自らの私的諮問機関「安保法制懇談会」が憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使は認められるとする報告書を提出した。それを受けた記者会見で安倍首相はパネルを使っていろいろな想定事項を説明した。論点をまとめると次のような論点に別れる。①米軍による邦人救出大作戦、②北朝鮮による米国へのミサイル攻撃、③機雷掃海、④安全保障情勢と戦前レジームへの回帰志向について、論点を整理する。

① 「朝鮮半島有事を想定して、避難する邦人を救助輸送する米軍艦船が攻撃を受けたとしても、現在の法制では日本の自衛隊は公海の日本海沖で米船を守ることができない」として集団的自衛権の行使を訴えた。しかしこの想定は荒唐無稽である。米軍の「非戦闘員避難作戦」で非難させる対象は在韓米国民14万人、友好国(アングロサクソン系諸国民、英国、豪州、ニュージランドなど)8万人の計22万人である。さらに避難作戦は船ではなく航空機によって実施される。つまり邦人を船で救出避難させることは米軍は想定していない。朝鮮戦争でも米軍は韓国人を船で搬送避難させることはなかった。あり得ないシナリオを安倍首相は述べ立てているのだ。邦人は韓国市民とともに避難することになるので、日韓両国の友好関係がまず構築されなくてはならない。パネルの図は分かりやすくケースを説明するものと官邸は自画自賛していたが、これでは国民を欺くトリックではないだろうか。安易なセンチメンタリズムに訴え、トリックまがいの想定をする阿部首相の支離滅裂さが象徴されている。自国民の安否以外には興味を持たない米軍や外務省が、他国民しかもアジア人のことを米軍が救うなんてことはあり得ない。なんとセンチメンタルな隣人愛ではないか。誤爆で中東やアジア人を殺すことはよくあるが、アングロサクソン系以外の他国市民の救出大作戦を想定する米軍はあり得ない。アメリカは博愛主義者ではなく、「自分の家族・親族」以外を救出することは順序からしてありえない。

② 安倍首相は北朝鮮のミサイルの脅威を強調した。そもそも北朝鮮が米国に向けて発射したミサイルを日本海で撃ち落とすというシナリオは語るに落ちる想定である。世界の最貧国である北朝鮮が米国と戦争をすることは自身が灰燼に帰すことを覚悟しての話である。ミサイル発射実験は米国を交渉に引き出す鈴の音である。それよりもっと現実的にリスクを負うのは日本の原発である。かって1981年にイスラエルがイラクのオシラク原発をミサイルで破壊した事件のように、日本にある50余基の原発はミサイルに耐える構造は持っていない。この原発がミサイル攻撃されたなら、核弾頭付きミサイルを撃ち込まれたのと同じ結果になる。こちらのほうが現実的なリスクにもかかわらず、高波対策をした原発を再稼働しようとする安倍首相の判断は、危険極まりない標的を相手に与えることになる。北朝鮮が米国に向けてミサイルを発射することは「理性を欠いた自殺行為」となる。まして高度巡航ミサイルを迎撃することは未だ絵に描いた餅に過ぎなく、技術的にも不可能である。

③ ホルムズ海峡に敵国が米軍艦艇を攻撃するために撒いた機雷を、自衛隊が紛争地域に入って掃海除去する想定である。米軍の「明示の要請」を受けて海上自衛隊が機雷の除去を行うことは、地上戦ではない「限定的かつ受動的な武力行使」であると説明するが米軍への敵対国が日本の掃海艇を攻撃することは自明である。すると日本は否応なく戦争状態にはいる。限定的かつ受動的とは言い逃れのトリックにすぎず、戦争への覚悟なしにはできる話ではない。戦争の始めはいつも軍部による限定的かつ受動的な行為から始まった。日中戦争が好例である。むしろ戦争をやりたい軍部は状況のでっち上げを行うものである。

④ 安倍首相は国連安保理決議を背景に多国籍軍が戦った湾岸戦争のようないわゆる集団的安全保障に参加して武力行使ができる道を開こうとする。これまでは非戦闘地域での機雷掃海はできたが、もし国連安保理決議ができて集団的安全保障措置に移行した場合、自衛隊は掃海活動は中止せざるを得ない。「切れ目なく」掃海活動を行うには、集団的自衛権の行使が必要だと米国政府と自民党政府はいう。論理の逆転も甚だしい議論で、日本は掃海活動をしたいがために平和維持活動行っているのではない。阿部首相は集団的自衛権を行使するにしても「海外派兵は致しません」と言明してきた。海外派兵とは自衛隊が他国に入るということである。ところがホルムズ海峡に公海は存在しない。当事国の要請があればよいというのであれば、海外派兵はしないという約束は反故にされる。1972年の集団的自衛権は憲法上行使しないという政府見解を忠実に守ってきた自民党政府は安倍内閣に至って180度の方向転換をしたいようだ。

戦後レジームからの脱却から戦前レジームへの回帰に執念を燃やす安倍首相は歴代自民党政府の国是を捨て去ろうとしている。しかも国際情勢は大きく変貌しつつあり、安倍首相が言う脅威は実は冷戦時代以前の古ぼけた脅威である。中国と米国のパートーナーシップは強まり、イランは欧米諸国との対話路線に舵を切っている。米国と北朝鮮に直接対話も裏では進行している。時々北朝鮮があげるミサイル型線香花火は交渉の行き詰まり打開の合図である。イラクでは親アメリカ政府はISIS過激組織による攻撃を受け、イランとアメリカの提携交渉が始まったといわれる。イランは核開発も交渉のテーブルに乗せたという。日本がイランを敵視すると、宗教宗派争いに巻き込まれるおそれがある。日本人には宗教は全く分からないため、不可解なりといって内閣崩壊になる事も有り得る。百年一日のごときイランによるアメリカ攻撃という荒唐無稽のシナリオしか描けない安倍首相とその周辺の頑迷さは驚くばかりの時代錯誤に満ちている。世界情勢の変化と日本の位置という政治の現実から目を離して、集団的自衛権行使だけが自己目的化していることが問題なのである。国を誤るとはこのことをいう。戦前レジームへの回帰とは、青年が誇りをもってお国のために血を流すという超国家主義の国家体制を作り上げることになる。国防軍の創設、天皇復権、国民の権利制限の3点セットが自民党保守派の願望なのである。集団的自衛権と憲法改正の問題は日本の国家の在り方と日本の針路の根幹にかかわる問題である。ここはしっかり議論しなければならない。

(つづく)