ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 管直人著 「原発ゼロの決意」  七つ森書館

2015年01月14日 | 書評
3・11原発事故対応にあたった元首相の決意 「原発は人類と共存できない」 第7回 最終回

第3章「日本の病根を照らし出す」 (その2)

 ⑤ 海水注入中止問題: 海水注入問題については第2章の⑥に書いたが、海水注入の必要性は菅氏は十分に認識していた。3月12日午後6時菅首相、海江田大臣、班目原子力安全委員長、保安院長、東電武黒フローで話をし、海水注入の準備に入った。準備に1-2時間かかるので、海水注入問題を議論した。塩分の影響や再臨界の可能性である。メルトダウンした燃料塊による再臨界については海水注入とは無関係な事象である。中性子を吸収するホウ酸を海水に添加することで一致した。海水を注入すると再臨界の恐れがあるので管氏は海水注入を躊躇したというのは全くのデマである。科学の初歩を知らないものがでっち上げた事実無根のデマである。19時40分に準備ができたというので開始を指示した。ところが東電の武黒フローが現場の吉田所長に「海水中を停止するように」と指示した。おそらく東電本社筋から海水注入によって原子炉の再稼働不能を前提とした処置はとりたくないという意向があったものと思われる。しかし吉田所長は海水注入は停止しなかった。海水中停止を官邸が指示したことは絶対ありえないと管氏はいった。
⑥ 東電撤退問題: 15日午前3時に海江田大臣から東電撤退の意向が伝えられた。東電撤退問題は第2章の⑤に書いたが、その前に14日夕方から夜にかけて2度菅氏は吉田所長と電話している。その説き非常に難しい状態であること、そして海水注入が可能となったということを聞いたが、吉田所長はまだ頑張れるというといったので管氏は意を強くした。あけて15日の午前3時に海江田大臣の撤退の話を聞いて、管氏は清水社長を官邸に呼んで「撤退はありません」というと清水社長は「わかりました」といった。そのことで15日明け方に菅氏は東電本社に行き、総合対策本部を東電内におき細野補佐官を常駐させることを告げた。後日談として東電本社は「全面撤退とは言っていない、一部の人の移動だ」という言い訳をしているが信じられるものではない。
⑦ 原子力災害措置法問題: 官邸地下にある緊急対策センター等オペレーションセンターをなぜ利用しなかったのかという質問である。菅氏は緊急対策センターは危機管理監がヘッドであり、総理は常駐することはないこと、そして報告は総理に上がってくると理解していた。原子力災害措置法問題は今回のようなシビアアクシデントを想定していないので、電力会社の能力を超えた事態には特別の対策が必要ということで、地震津波災害担当と原発事故災害担当を別にした。
⑧ 国策としての原子力政策問題: 冒頭の菅総理のあいさつで、原発事故は国の責任として謝罪されたが、何の問題で謝罪されたのかという質問であった。菅氏はやはり安全性というものに対して備えが不十分だったということ、シビアアクシデントへの備えが全電源喪失事故はあり得ないとする電力事業側が無視してきたことであった。まさに国策民営事業として原発が推し進められてきた歴史的経過に問題があたことを謝罪したと菅氏は答弁した。水素爆発は避けられたかとか避難指示が適切であったかということは、委員会で検証して頂きたいという。できる範囲で必死になってやったことが結果論的に適切であったかどうかについて、謝罪できるわけもなくそれは検証の問題ですとボールを投げ返した格好であった。
⑨ 管氏のセカンドオピニオン問題: 実に意地の悪い質問であるが、管氏は官邸に参与として専門家を数多く呼び、かつ知人として多くの人からセカンドオピニオンを求めたことを、個人的情報収集として素性のはっきりしない人を集めて意見を聞くのは、情報の混乱とか偏りであるとして問題視する質問である。官僚機構という組織からの助言や有識者を「懇談会」や「諮問委員会」方式で組織することだけが正統な意見聴収であるかのような権威主義に凝り固まった言い方になる。菅氏は原子力安全委員会、原子力安全・保安院、東電技術フローの3者から助言・意見を聞いた答弁した。それ以上は個人の情報収集の問題であるので議論の対象とはならない。政府筋の御用専門家が原発事故を前にしてうろたえている状況で、国民は専門家というものを信用しなくなった。それでもこのような質問が出てくるのには唖然とする。人にものを聞いて判断するのは自分である。ステレオタイプの権威ある人以外と口をきいてはいけないという考え方は破たんしたはずなのに、人の知る権利を阻害することになる。
⑩ 情報伝達機能の不全問題: 現場から保安院を通じて官邸に指示を仰ぐというのが情報の流れであるはずなのに、官邸が直接現場に電話をしたのは情報の仕組みの機能不全ではないかという質問である。忙殺されているサイトに電話を変えるのは仕事の邪魔だといわんばかりの質問である。これに対して菅氏は少なくとも最初の3日までは保安院には原子力事故を説明できる人はいなかったとし、東電の武黒フローも現場のことをしっかり把握できているようには見えなかった。15日に東電内に政府東電総合対策本部ができたので、対策本部の情報把握はスムーズとなったと答弁した。法的な仕組みの完全性を主張する質問は、非常の際の知るべき権利さえ否定するように聞こえる。実質的に動かない組織から情報が流れてこないから、情報を得る努力をするとルール違反だというのはいかにも官僚的である。実質的に動く組織を作ることが最重要課題であるはずだ。死んだ人にものを聞いても無駄である。生きた人を介して情報を得ることが肝要なのに、法学万能者は実質死んだ組織から物を聞くのが筋だと言い張るのである。生きるか死ぬかの瀬戸際で行動する人ではない。
⑪ 総合対策本部問題: ⑥の東電撤退問題の流れの中で説明してきたので書略する。これが事故対策本部として非常に有効に機能したというのが菅氏の結論である。
⑫ 官邸助言チーム問題: 法律に定めのない制度、総理の動きを問題とする質問である。空本議員が組織したという助言チームを法律に基づかない行為であるという。また原子力委員会の近藤委員長が事故対応策(最悪シナリオの作成助言)で動くことも法律に基づかないと質問が出た。菅氏は助言チームを作ったことはないと退りぞけ、15日の総合対策本部を作って原子力員会も細野原子力担当大臣の下においたと答えた。少なくとも15日以前に様々なシビアな事態が突発する状況で、制度的な流れの中で行動する余裕はなかった。その経験は原子力規制庁という組織のデザインに生かしてゆきたいと述べて菅氏は締めた。
⑬ アメリカの技術支援問題: アメリカから技術者を官邸に駐在させたいという提案があったがこれを断ったという問題に関する質問である。アメリカの支援には感謝しているが、官邸という政府執行部にアメリカ人の顧問を置くというのは、枝野官房長官の判断で国家主権にかかわるので辞退したということで、管氏には報告はなかった。この判断はそれでよかったのではないだろうかという。
⑭ 協力体制問題: アメリカの技術支援に対する体制はどうなっていたのかという質問である。菅氏は外務省が窓口になり、細野補佐官が総合対策本部で対応したと聞いていると答えた。質問はさらにアメリカの原発メーカであるGEから技術支援を受けたかどうかになった。菅氏は官邸に日立と東芝の社長に来ていただき協力を依頼したと答えた。結局、安全・保安院はアメリカの技術支援に対してこれは必要ないという返事を出したようである。うまくアメリカの支援を吸収できなかった組織的問題として安全・保安院の体質が考えられる。今後の原子力規制組織を作る上で、いわゆる推進する立場と規制する立場ははっきり遮断する必要がある。そして高いレベルの能力を持った人材を備えた集団でなければならないと菅氏は語った。
⑮ 国民への発信問題: 国民へのアナウンスをどうするかという質問で、2号機を例にとって事故の進展予想(爆発する可能性と避難の緊急性)を時々刻々とアナウンスする必要があったのではないかと問うのである。菅氏は「事実としてわかっていることを隠すことはしない。しかし事実として判明しないことをどこまで表現するかは枝野官房長官の判断として行っていた。東電自身が炉の状況について電気計測器がない状態でつかみきれていなかったので、首相として予測とか判断をすることはできなかった。質問の意図が後付で、誰も炉の状況が分からなかった時点で、見通しのいい予測をすることは不可能である。これは無理な要求である。
⑯ 事態の予測と伝達問題: 最悪のシナリオ(事故の進展)の場合に避難はどうなるかについては、今後の検証課題であると菅氏は回答した。対応が非常に難しい複合的な災害・原発事故であったが、総理の権限はどうあるべきかという質問に対して、管氏は原子力規制庁なりシビアアクシデントにも対応できる能力を持った組織が必要であると述べた。
⑰ 学校の許容線量問題: 4月19日に文部省が学校再開の目安として年間被ばく線量を20ミリシーベルトにしたのは、原子力安全委員会の指針である公衆の被ばく限界1ミリシーベルトに反するではないかという質問である。菅氏は文部省がかってに発表したわけではなく、各部署の調整があったように聞いていると答える程度で、管氏の管掌事項ではないので議論にはならなかった。
⑱ ターンキー契約問題: 1号機はアメリカのGE社製でICなど特殊な構造を持つので、最初の3日間の事故進展に関してGE社に問い合わせることはしなかったのかという質問である。菅氏は、東電はGEからターンキー契約で原発を買っている。自分が動かす設備について導入時に自分が作れるほどに精通していなかったのか、構造の詳細を東電は熟知していなかったのではないかと思われると答えた。シビアアクシデントのマニュアルも訓練もなかった。過酷災害に対する無防備が最大の原因であったという認識である。
⑲ 東電撤退問題と叱責問題: 菅首相が15日朝東電本社に行かれて叱責をしたという問題で、東電のサイトの人々のやる気をくじいたのではないかという質問である。これに対して菅氏は叱責はしていない、言葉の問題として「撤退は考え直して頂きたい」と申し上げたという返答をし、ただはっきりものを言わなければならないときはある。それ以上は議論になりようがなかった。そして不思議なことに、15日朝の東電本社での管首相の発言部分だけが音が録音されていない。この消音措置は東電の判断でやったのであろうが、その理由は不可解である。真実は機微にある。
⑳ 事故の教訓: 地震・大津波・原発事故という3つが重なった過酷な災害であった。質疑の終わりにあたって、事故の教訓をまとめるように委員長から促され、管氏は次のように語った。

「ゴルバチョフ大統領は、その回顧録の中でチェルノブイリ事故はソ連という国制全体の病根を照らし出したと述べた。戦前軍部が政治の実権を掌握していったプロセスは、東電と電事連を中心としたいわゆる原子力ムラと呼ばれるものに重なっていると私には見える。現在原子力ムラは今回の事故に対して深刻な反省もしないままに原子力行政の実権を握り続けています。こうした戦前の軍部に似た原子力ムラの組織的な構造、社会心理的な構造を徹底的に解明して、解体することが原子力行政の抜本的改革の第1歩だと考えます。根本的な問題は原発依存を続けるかどうかという判断です。今回の事故で稼働中の原子炉だけではなく、最終処分ができない使用済み核燃料の危険性も明らかになりました。今回の事故を経験して、最も安全な方法は原発に依存しないということ、脱原発の実現だと確信しました。」

(完)