ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 佐藤栄佐久著 「知事抹殺」 平凡社

2012年06月23日 | 書評
原発と地方自治で国と「闘う知事」が特捜検察権力と闘う 第4回

1)原発を巡る闘いープルサーマル計画反対と原発全基停止 (1)
 知事抹殺の隠された原因とも言われるプルサーマル原発反対問題については、佐藤栄佐久著 「福島原発の真実」 (平凡社新書 2011)に詳しく説明したので、本書の紹介からは省くとしたが、話の流れをたぐるうえで必要最小限のことは話しておこう。福島県は第1次エネルギー転換政策である「石炭から石油へ」により、常磐炭鉱の閉鎖に伴う県内産業振興策として原子力発電の誘致にかかり、1967年に着工し福島第1原発1号機は71年に運転を開始した。時の知事は佐藤善一郎知事で、福島県出身者であった木川田隆東電副社長と組んで誘致活動を推進した。次の木村守江辻の時代に操業が始まった。佐藤栄佐久氏が知事となった1988年には福島第1,第2原発発電所の10基はすべて稼働中であった。1971年より運転が開始され1987まで、福島第1原発と福島第2原発において合計10基の原子炉が運転されたのである。原発で出る使用済み核燃料の処分をどうするかという絶対命題を後送りして、未完の技術である原発行政は進められてきた。またウラン核分裂の結果使用済み核燃料にはプルトニウムが1%ほど含まれている。プルトニウムは原爆の材料となるので、国際社会から日本のプルトニウム保有が懸念され、日本はプルトニウムをもたない事を国際公約としている日本のエネルギー安全保障戦略上、高速増殖炉(二酸化ウランと二酸化プルトニウムをまぜてMOX燃料をつくり、炉の中で高速中性子を使ってプルトニウムの核分裂を促し、そのままでは核分裂しないウラン238の核分裂を起こして高出力を得る。)が切り札となった。
(つづく)

文芸散歩 村松 剛 著 「帝王後醍醐」 中公文庫

2012年06月23日 | 書評
建武の中興から南朝滅亡まで 後醍醐帝の光と影 第18回

3の卷) 護良親王の活躍と六波羅滅亡 (2)
 大和国司興福寺一乗院派の支配を出してから、吉野金峯山は昔から一種独立王国の様であった。吉野は蔵王堂を中心として天台系の本山派と真言系の当山派が混在する修験道のメッカであった。吉水院真遍が実権を握ってからは宮方となり、大塔宮は吉野全山を要塞化した。常時の兵力はせいぜい1500程度であった。幕軍の前に吉野から脱出した大塔宮は高野山に移ったという噂もあるが、全国の武将に宣旨を飛ばした。この時代の戦費は御家人の自前であったので、戦いが長引けば費用がかさみ、宮方の土地をとっても恩賞は期待できるほどでもなく、北条得宗家に対する不満は高まっててきた。逆に宮方について鎌倉を倒した方が広大な北条知行地の恩賞は大きいと計算する御家人も出る始末であった。大塔宮の友軍であった赤松円心という武将は播州で反幕の旗揚げをして、赤穂から摂津、神戸の麻耶山に進出した。水軍や物資輸送の要である神戸の要衝を取った。赤松円心は大塔宮の宣旨だけで行動し、後醍醐帝に拝謁した楠木正成とは立場が異なっていた。建武の中興で赤松を冷遇した後醍醐帝が楠木正成の戦死後有力な武将の援護がなく窮地に陥るは自業自得といえる。このように後醍醐帝勢力の内部には隠岐派と吉野派という派閥が形成された。隠岐派はいうまでもなく千種忠興、阿野康子、名和長年らの寵臣をさす。吉野派とは大塔宮を中心とし楠木正成、赤松円心、四条隆資らをさす。後醍醐帝が隠岐を脱出したのは閏2月24日であった。後醍醐帝は出雲の守護の一族富士名三郎、隠岐の守護の一族佐々木塩治の案内で隠岐を脱出した。鳥取県の伯耆の名和海岸に上陸し名和長年に迎えられ、船上山に入った。1284年の北条家の家騒動「霜月騒動」以来鎌倉を快く思わない名和氏は、後醍醐帝を戴いて鎌倉打倒に向かった。翌日隠岐の守護佐々木清高は60騎で立て籠もる船上山を攻撃したが成功しなかった。3日後赤松円心は山崎から京都に入り六波羅を攻撃した。六波羅攻撃に驚愕した幕府は4月中旬再度遠征軍を編成し、足利尊氏らも遠征軍に加わり京に向かった。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「六月梅雨」

2012年06月23日 | 漢詩・自由詩
一時清涼香火灰     一時清涼 香火灰し

園林湿湿雨肥梅     園林湿湿たり 雨梅を肥す

喚晴聲過老鶯帰     晴れを喚ぶ聲過ぎ 老鶯帰り
 
携酒求友隣叟来     酒を携し友を求め 隣叟来る


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○○●●●○◎
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○●○○○●○
(韻:十灰 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)

CD 今日の一枚 マイルス・デービスアルバム集2 「MILESTONES」

2012年06月23日 | 音楽
疾駆するジャズトランペッター
マイルス・デービスアルバム集2 「MILESTONES」
ADD 1958 SONY MUSIC
1.Dr.Jekyll* 2.Sid's Ahead* 3.Two Bass Hit 4.Billy Boy 5.Straight,No Chaser
トランペット:マイルス・デービス
テナー・サックス:ジョン・コルトレーン
ピアノ:レッド・ガーランド
ベース:ポール・チェンバース
ドラム:フィリー・ジョーンズ

1958年のこのアルバムから、マイルスはインコードジャズから新理論によるモードジャズへ移行した画期的なアルバムである。モード・イデオムについてギル・エヴァンスとジョージ・ラッセルと議論を重ねた。このアルバムが非常に高い評価を受けるのはみなぎる緊張感が尋常ではないからだといわれる。60年代のジャズがモードによって大きく発展した端緒となった。
マイルスの関与したスタイルには西洋音楽的な発想による黒人音楽が基礎にあるのではないかと云う意見を後藤雅洋氏(四谷ジャズ喫茶イーグルの店主でジャズ評論家)はいう。テーマとアドリブが有機的に組み合わされた典型的なハードバップ的構成があるようだという。マイルス・デービスの音楽観には西洋音楽の構成上の統一を目指す何かがあると云う指摘だ。