ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

北朝鮮 ノドンミサイル発射

2009年07月05日 | 時事問題
朝日新聞 2009年7月5日5時30分
北朝鮮ミサイル 米国務省「あおる行為は慎むべき」
 【ワシントン=村山祐介】北朝鮮のミサイル発射について、米国務省当局者は4日、「北朝鮮は緊張をあおる行為を慎み、非核化交渉に集中すべきだ」と非難した。ただ、米政府は最近のミサイル発射は「想定内」と冷静に受け止めている。国連安保理の制裁決議の履行徹底を進め、圧力を強める方針だ。

朝日新聞 2009年7月5日7時50分
ミャンマー軍政「拒否」貫く 国連総長、実りなき訪問
 ミャンマー(ビルマ)の軍事政権は、民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんとの面会など、潘基文(パン・ギムン)国連事務総長からの要求をことごとくはねつけた。ミャンマー情勢をトップ外交で動かそうとした国連側の狙いは、実を結ばなかった。今後、国連のミャンマー外交が行き詰まるのは必至で、民主化運動の支援者らは別の道も探り始めた。

北朝鮮とミャンマーの軍事政権は似ている 
国内統治に自信を持って、外に向かって強硬姿勢 この2国は連携しているのではないか?
そういえば最近の北朝鮮制裁論はどこへ行ったのか アメリカの貨物船追跡も尻切れ蜻蛉に終っている。みんなで無視したので北朝鮮はまたいらいらしてきたようだ。注目を浴びて妥協を引き出そうというつもりらしい。

トヨタ 高級車から低価格車(低燃費車 減税対象車)へ大きく舵きり

2009年07月05日 | 時事問題
朝日新聞 2009年7月5日6時26分
トヨタ、低燃費車増産へ 最大5割上方修正
 トヨタ自動車は、国内で生産する主要な低燃費車を増産する方針を固めた。6月下旬に部品メーカーに内示した7~9月の生産計画によると、5月時点の計画より最大5割、上方修正した。まだ前年同期の7~8割の生産水準だが、新型プリウス以外の車種も、各国の購入支援を背景に需要が回復してきたようだ。
 計画によると、小型セダンのプレミオ(アリオンを含む)は5月時点の計画より36%、ベルタ(海外向けヤリスセダンを含む)も12%、それぞれ増やす。ともに国のエコカー減税や買い替え補助の対象車種だ。輸出車種でも、欧州向けのカローラを48%増産。スポーツ用多目的車(SUV)のRAV4は、米国向けを中心に15%増やす。

日本車の原点に回帰、エコ減税特典でお買い得!

読書ノート 多田富雄著 「寡黙なる巨人」

2009年07月05日 | 書評
脳梗塞から再生した免疫学者の闘い 第3回

第1部 「寡黙なる巨人」 (2)

 ・7月初め、東京都立駒込病院に転院
落ち着いて療養するため旅先の金沢の病院から、本郷の自宅に近い東京都立駒込病院に転院することになった。自宅に帰ることはできない。障害者用には作られていないからだ。東京都立駒込病院にはリハビリ専門医師が常駐していないので、リハビリは理学療法士と作業療法士に丸投げ状態であった。理学療法士の科学的な訓練のお陰で、ここに入院して3ヶ月には装具と杖によって約150メートルも歩けるようになった。言語訓練は惨憺たる有様でいかようにも成果は無かった。自分で食べる訓練となったが、ミキサーですりつぶしたどろどろの食物を一匙づつ飲み下し、粥食となった。一口の粥でも食道にうまく落ち込まず引っかかると気管支のほうへゆく。そうなると激しい咳き込みである。次は「刻みとろみ食」の訓練であるが、失敗しては真空吸引機で救助してもらう様で、食べる事も地獄であった。摂食というありふれた行動がこれほど複雑な神経支配とたくさんの筋肉を動員して行われる行動である事を発見したという。健全な体では全て無意識のうちに自動的に作業がおこなわれているが、障害者は意識してやらないと命に関る事故に繋がるのである。半身不随といえば感覚までやられたらたらだのその部分が存在しないのと同じである。そして痙性麻痺といっていつも筋肉が緊張している状態にあり、力を抜くことが難しい。麻痺側が重荷になって疲れるのである。腕も足も折れ曲がり手の平を開く事もでない。反対に足首は伸びたままになりいわゆる尖足になるのである。麻痺した手足は驚くほど重い。自分の体と悪戦苦闘する毎日である。
 ・9月なかば、東京都リハビリテーション病院に転院
一つの病院に入院していられる期間は3ヶ月と定められている。そこで墨田川のちかくにある東京都リハビリテーション病院に転院した。恐ろしくお粗末な病院であったが、熱心な担当医のすすめで、装具なしで足が一歩前に出たときは感激したという。午前は理学療法、歩く訓練である。午後は作業療法と言語療法で、週に2回はお風呂に入れる。リハビリは科学である。運動を徹底的に解析して、訓練を積み重ねて機能回復を図るのだ。訓練を始めて1ヶ月半もたった頃。平行棒の中でもがいていたところ不思議な力が足を支えて床を蹴ったのだ。自分の足で歩いた1歩である。あの鈍重な巨人がようやく1歩歩き出したのだ。介助があって30メートル歩けることは、車椅子だけが自分の世界ではなくなったのだ。しかし作業療法による手の機能回復は、治療に直接繋がる作業療法は無いようだった。
 ・2002年2月8日、 東京都リハビリテーション病院を退院し、湯島の仮自宅マンションに移る。
東京都リハビリテーション病院での入院も4ヶ月になり、これ以上の改善は無理なのか退院と云うことになった。バリアフリーがうたい文句の湯島のマンションを借りて2002年2月8日退院した。発作後9ヶ月で、重度障害者としての生活が妻と共に始まった。東大病院にリハビリに通うのが務めとなる。多田富雄氏はこの時の決意をこう語る。「何をやっても動かない鈍重な巨人、言葉も喋れないでいつも片隅に孤独にいる寡黙な巨人、さあ君と一緒に生きてゆこう」
(続く)